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わたしをたべたひと  作者: よるの
3/6

名前を知った話

目の前に広がる光景は地獄そのものだった。

部屋が赤く、赤く染まっていく。床一面に赤い海が広がっていく。

既に胃のモノ全て吐き出してしまったのに吐き気が治まってくれない。目を瞑っても脳裏に赤がこびりついて離れない。


「あはは、お子ちゃまには刺激が強かったぁ?」


楽しげな顔にゆっくりと目を開ければ、赤に塗れた女性が笑っていた。

笑いながらも真紀さんの切り開かれた腹から右手で引きずり出している細長い肉が、理科室の人体模型で見た腸の部分と似ていた。

―――いや、似ているなんてものじゃない。あれは真紀さんの腸そのものだ。赤黒く、テラテラとぬめりながら月明かりに照らされている、本物の腸だ。


「う…ぇ…」


人の体をまるで玩具のように扱っている。異常な光景にやはり吐き気は治まってくれない。吐くものが無いのに、強制的に喉から液体が吐き出され、その液体がひりひりと喉を焼く。

そんなわたしを見て、彼女はとても楽しそうにしていた。何が面白いのかわからない。

彼女の下で真紀さんが虚ろな目がジッとわたしを見ていた。違う、あれはわたしがその目に映りこんでいるだけだ。もはや彼女には何も見えない。


「ぁ…ぐっ…はぁ…はぁ…」


初めて感じてしまった、人の死。これが死そのものじゃなければ何なのか。

両親の時はわたしが目を覚ました時には死んでいて、遺体も碌に見れなかった。お葬式に並んでも、実感がないままぼんやりとしている間に終わってしまった。

これまで人の命を、そして死を感じる事なんてなかった。ただ何も感じず、何も思わず、生きてきた。


だから、目の前の光景が強烈で、鮮烈で、目に焼き付く。赤。赤。命の赤。赤い女の人。

赤い海。血の海。命の海。赤い血が。血が、命が通っていたモノが垂れ流される部屋。


命を散らされた真紀さん。もう何も言わなくなってしまった真紀さん。助けられなかった―――助けるつもりもなかった、真紀さん。

哀れだ。初めてこの人に対して哀れだと思った。何も感じなかったのに、ただこうして中のモノをぐちゃぐちゃに散らかされている姿は哀れだった。


ただ、ただ哀れで―――。



そう、ただ哀れなだけだった。



―――ただ、そう思っただけだった。



死んだのなら仕方ない。真紀さんも、叔父さんも、叔母さんも、運が悪かった。こうして殺されたということは、そういうことなのだ。それに対して最早どうでもいい事だとさえ思ってしまった。

今はただ鼻に突く異臭が気持ち悪い。この臭いだけは何時まで経っても慣れないだろう。

真紀さんの体を散らかしていた彼女は今は嬉々としてナイフで腕の肉を切り取っていた。切り取った肉をフォークで刺して、口へと運ぶ。

動作だけ見たら皿に盛られた肉の塊を一口大に切り取って食べているようで。ただそれが、皿は床で、真紀さんの体が肉の塊だったというだけで。


食べていた。人の体を食べていた。その顔はなんて嬉しそうな、美味しそうな、蕩けそうな、幸せそうな顔なのか。

これまで生きてきた中で、こんなにも美味しそうに『食事』をする人は知らなかった。心の底から美味しいと、幸せだと思っているような、蕩けた表情は悪くない。とても可愛いと思う。


「……本当に美味しそうに食べますね」


「んー?食べる?」


「いえ、真紀さんは食べたくないです。性格悪くなりそうなので」


「あっはははは!!!」


本当にそう思ったのに、とても面白そうに笑われてしまった。不思議だ。

彼女の美味しそうな顔はとても可愛いらしいとか、そういう事も言ったらもっと笑ってくれるだろうか。

『食事』を続ける彼女を眺めていると、何だか微笑ましい。彼女以外は微笑ましい状況ではないが。

胸、二の腕、腹、腿、人体の柔らかい部分を切り取って食む。フォークを目玉に突きたてて一口に飲みこむ。良い食べっぷりだ。


(―――あぁ、そういえば。真紀さんが終われば、次はわたしだ)


本来彼女の食べっぷりを眺めている場合ではない。しかし今更慌てる気も起きないし、何より今は逃げたいとさえ思わない。

自身が殺されることに、食べられることに対して何かしらの感情を抱く事が出来なかった。

彼女の食事風景を眺め続けるわたしに対して、彼女は真紀さんの肉を切り取る手を止めてまで緩んだ笑顔を向けてくれた。


「きみ、ゲロった割に平然としてるねぇ」


「いえ、正直吐いたせいで口の中が気持ち悪いし、喉がひりひりして辛いです」


「あははは!最悪じゃん!!!口でも濯ぐぅ?」


「是非そうしたいですね」


彼女なりの冗談だと思って軽く頷いたわたしに彼女はゆるりとまた笑った。面白そうな、玩具を見るような、好奇心を満たすかのような、そんな目をして笑っていた。


「洗面所どこ?」


「――え?」


徐に赤い海から彼女は立ち上がり、歩み寄ってきた。びちゃびちゃと足から、服から、赤い雫が滴って赤い海に戻っていく。

そんな姿に何処か現実味を感じる事が出来なくて、いきなり問われた彼女の言葉が一瞬理解できなかった。


「どこ」


「えっと……この部屋から出て、奥にまっすぐいって突き当りを右ですけど」


わたしの言葉に頷いた彼女が、血で染まった手を伸ばしてわたしを抱き寄せた。


「―――!」


「うわ、かるーい。なんだこれ、真紀ちゃんそれなりに重かったのにきみは軽すぎー」


――抱き寄せられたと思ったら、腰を持ちあげる形で抱き上げられる。彼女は中々力もあるらしい。身長がそれなりにあった真紀さんを軽く引きずってきたのだから当たり前か。

濃い血の臭いが鼻をつく。血にまみれた彼女に密着する。わたしにもべったりと血がついてしまったが、それよりも力の入らない足はだらんと垂れ下がったままで、そっちの方が何だかみっともなく感じた。


「そんなに軽いですか?」


「片手で持てそう」


「怖いんで止めてくださいね」


「どうしようかなぁ」


けらけらと楽しそうに笑って、結局片手で脇の下で抱える様にして運ばれてしまった。

完全に物扱いだ。あのまま抱き上げられていた方が良かった。ぶらぶらと足も上半身も揺れてさらに気分が悪くなりそうだった。


「はい、とーちゃく!」


「……ありがとうございます」


洗面所に着いて、この状態から解放されるとほっとした。しかし、そんなわたしとは裏腹に一向に彼女は洗面台へと近づいてくれない。

鏡に映る彼女は洗面台の方へ顔を向けていない。彼女が見ているのは洗面所と隣接している浴室だ。


「あの」


「ねー、一緒にお風呂はいろっか」


「え」


「あぁ、でもお湯入ってないかーシャワーでいいや」


「いや、ちょっと待ってください」


彼女の言葉に、思考に、わたしの思考が追いつかない。いきなりの事にただでさえ追いつかない思考が止まってしまう。

彼女はわたしの言葉が聞こえてない様に、わたしを床に下ろすと勝手に服を脱ぎだしてしまった。


「あの、ちょっと、なんでいきなり」


困った。とても困った。目のやり場がない。困った。

あんなに目の前で血の海も人の解体も見たというのに、今が一番動揺しているというのもどうかと思うのだけど。それでも大きく思考が揺れる。

口を濯ぐだけだった筈なのに展開がいきなりすぎる。


「なんかー身体べったべたで気持ち悪いしー」


「いや、それは自業自得なのでは…」


血の海を作り出した張本人が酷い言い種だ。しかし彼女は「そうだっけぇ?」と、とぼけるつもりらしい。真紀さんが更に哀れになってしまった。


しかし、それにしても、だ。

身にまとうもの全て脱ぎすてた彼女の体は美しかった。均整のとれた肉体とはこの事だろう。

白い肌に程よいボリューム感のある胸と細い腰。引き締まった両脚は何とも羨ましく感じる。


「いいじゃん、こーちゃんもさっぱりしたいでーす」


「こーちゃんて…」


紅月コウゲツだからこーちゃん」


「コウゲツ…?」


「紅の月と書いてコウゲツ」


「へぇ…」


紅月さん。彼女の名前。

中々珍しい名前だと思う。それでも月明かりに照らされながら赤色に染まった彼女を思えば、ぴったりな名前だった。

あの時の彼女の姿は何だかとても綺麗に思えたのだ。

綺麗過ぎて怖いぐらいに。ゾクリと胸の奥を騒がせるぐらいに。思わず見惚れてしまうぐらいに。

血に染まる彼女は美しかった。


――しかし、だ。それはそれとして。


「きみは?」


「……宙です、白河シラカワソラ


全裸の人を相手に自己紹介をするのは違和感がありすぎる。あと何だか恥ずかしい。

それというのも、彼女の立派なプロポーションと比べれば貧相とも言っても良い自分の体が恥ずかしい。

軽すぎると言われたけれど、確かに食は細い方で体の成長も貧弱だ。これならもっと食べておけばよかった。


「そっか、宙ちゃんかー!こーちゃんは犬飼イヌカイって苗字だよ!!犬は飼ってないけどね!!!」


「は、はぁ、犬飼さん、ですか」


「ノン!こーちゃん!」


「…………紅月さん」


「こーちゃーん!」


「……紅さん」


流石に年上であり自分を殺す人に『こーちゃん』とは呼びにくい。

というか、この人は獲物に対して気安すぎやしないだろうか。まぁどうせ殺すのなら名前を名乗ってもいいのかもしれないけれど。

今更逃げる気もしないけれど、何だか振り回されている気がする。律儀に応対してしまうわたしもわたしなのだろうか。


「まぁそれでいっか、宙ちゃんも脱いで脱いで」


「え。いや、わたしはほんと口を濯ぐだけでいいので」


「食材は綺麗に洗わないと!!」


「さっき真紀さん平気で食べてましたよね?!」


床に座り込むしかないわたしの服を容赦なく剥こうとする紅さんが鬼に思えた。

というか、近い。服を脱がそうと腕を回してくるから、生の胸と密着してしまって動揺する。

別に同じ女性同士、何も気にすることはないとは思うのだけど。それでも気恥ずかしいものは気恥ずかしい。


「んんんー宙ちゃん」


「…なんですか」


「素直に脱ぐのと、大人しく脱がされるのと、服をびりびりに破かれるのと、どれがいい?」


何だその恐ろしい三択。脱がないという選択はないのか。ないんですね。わかりました。

どう足掻こうと今の紅さんに抗う術は無い。ならば、だ。


「…………脱ぎます」


せめて、自身に一番精神的負担が少ない選択を選ぶ事にした。


「わー、宙ちゃんは1人で脱げるんだねーいいこいいこー」


「心の底から言いますけど、やめてもらえませんかそれ」


「……宙ちゃん、ちっちゃいね」


「子供ですからね!!!」



少ないだけで、しっかりと屈辱は受けたので泣きそうだった。

無駄に行動力のある狂人にひたすら振り回される消極的な狂人の話。


ブックマーク、アクセスありがとうございます!!励みになっております!!

次回はお風呂回です、宜しくお願いします。

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