腕時計
冴島のウチは、母一人子一人の母子家庭だった。母ちゃんは看護師で、冴島が中学校を卒業してからは夜勤もしつつ頑張っていたようだ。
マンションかアパートか、ちょっと区別が付かないところに住んでいて、二人仲良く暮らしていたと。伝聞だがそんな感じだ。
冴島の母ちゃんに会うのは葬儀以来だ。顔を合わせると窶れっぷりが酷くて、お互いに、冴島が居なくなってぽっかり空いた場所をまだ埋められずにいるんだと理解した。
まずは線香をあげて手を合わせる。隣で藪も一緒に手を合わせた。二人とも制服姿なのはそれが高校生の正装だからだ。
「あの子の部屋にあったの。確かに、あなた宛の物でしょう?」
「…はい」
すっと、机上で寄越される紙袋。間違いなく、見覚えのある物だ。
冴島の母ちゃんは、俺を直視せず、窓の外、ベランダを見ながら話を続けた。
「あの子がね、よく名前を出してたのよ、あなたの。その時計も、プレゼントするんだぁ、って…」
「………」
「良かったわね、って、言ってたのに…」
だんだんと、声に混じる涙に、どうしたら良いか分からなくなる。だけど、藪と顔を見合わせて、口は挟まない方が良さそうだと頷きあった。
「……ごめんなさいね。あの日、動揺して、酷いことを言ったわね…!」
「…いえ」
「今でも、気持ちの整理がついてないの。どうしてって、思ってしまって…! でも、あのとき、あなたが居てくれなかったらあの子! わた、私が帰るまで、一人で…!うぅ…!」
………ひどくすすり泣く彼女の肩を、藪がさすってやっていた。俺には真似できないな。藪が居てくれて、良かった…。
しばらくして泣き声が止んで、冴島の母ちゃんは俺たちに「ごめんなさい」と言うと、俺の目を初めて見て言った。
「だからね、ありがとう。そして、酷い態度を取ってしまったこと、申し訳なかったわ。ごめんなさい。晃一くんの話を聞いて、あなたと会ってみて、ようやく分かったの。あなたが、あの子の、あきらのことを大切に思ってくれていたって…。
だから、そのプレゼント、良かったら使ってやって…。もし、良かったらで、構わないから」
「大切にします。冴島くん…冴島が遺してくれたものだから」
俺の言葉に、彼女はまた、涙を零した。
帰り道の土手沿いで、俺は腕時計を嵌めてみた。
…うん、悪くない。
あの日に手放した贈り物。また手にすることが出来るなんてな…。
「藪…。ありがとな」
「おう。いいってことよ!」
メッセージカードを開けてみる。下手くそな字で書かれた『Happy Birthday』の文字。
妙に歪んだ台紙が気になって、裏返してみた。
そこには、何度も書き直したであろう……
「魄の緒よ 絶えなば絶えね 永らへば 忍ぶることの 弱りもぞする」
俺はそこにある歌を読み上げた。
「は?」
「…意味、分かるか?」
すっとんきょうな声を上げた藪に意味を問うてみる。
「は、俳句!」
「惜しくない」
「え」
意味っつったろ。国語は赤点か、お前?
「あ、あ~、死ぬときに読む俳句?」
「冗談?」
そりゃ辞世の句。
ハイクって、おまえはどこ産のニンジャなんだ?
藪は、しょんぼりと肩を落とした。
しかし、何故この歌なんだ…?
クイズか何かか?
それとも、マジでの告白なのか…?
どうして…。
『貴方を恋慕う、打ち明けられないこの想いが、溢れ出してきて口に出して言ってしまいそうだ。許されぬ恋だから、叶いもしないのに。貴方を苦しめるくらいなら、もういっそこの命が果ててしまえばいいのに…』
そんな歌だ。
どうせなら、「きみかため をしからさりし いのちさへ…」の方が好きだな、俺は。
愛のために長生きしたいと願う歌だから…。
死んでしまいたいなんて…。
俺はメッセージカードを細かく割いて、紙吹雪にして風に流した。
「ああっ、古賀、テメェ…!?」
「良いんだよ、これで」
「よくないだろ! 冴島からのカードだったのに!」
良いんだって。
俺さえ、覚えてれば。
不思議なことに、冴島が俺を好きだったと知って、変だとも嫌だとも思わなかった。…恋人として側に居られるかはまた別問題だけど、さ。
それにしたって、冴島、口で言えよ。馬鹿野郎。
帰宅にはタクシーを使わせてもらった。
藪とは途中、学校最寄りの駅で別れた。そこから家までバスで一本らしいから。
「頼みがあるんだけどさ…」
「何なに!?」
俺の言葉に途端に飛び付く藪。…なんなんだ。
「はぁ……」
「溜め息っ?」
「あのな、どんなに流行ってても、誰かに挑発されても、絶対にして欲しくないことが一つあるんだ」
俺は言葉を選んで念押しをする。忠告だなんて言えば、また“死神”扱いだしな…。ちょっと仲良くなった藪から、そんな風に言われんのはキツい。
「学校で噂の『死にかた』だけど、おまえは絶対に、してくれるな」
「ああ、あれか…。しないって。冴島のことがあるし。絶対にしない」
「良かった」
「だから、お前も…」
「良かった! じゃあな、藪。また、明日?」
「疑問系!? また明日な!」
でっかく手を振って藪は人混みに消えた。