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とあるニートの夢

 ああ、とうとう俺もそっちの道に目覚めてしまったのか。確かに今まで全くそっちの気が無かったかと言えば嘘になる。しかし――俺が所有するパソコン二台トリプルモニター付きを賭けて誓おう。


 俺が愛していたのは二次元だけなんだ!ただ二次元の幼女に「おにぃちゃん」って舌っ足らずに呼ばれて悦んでいただけなんだ!三次元に手を出すほど犯罪に手を染めてはいなかった……筈なんだ。それなのに。


「まさか幼女が夢に出てくるとは……」


 絶望に打ちひしがれ、俺はその場に膝をついた。こんなにリアルな三次元幼女の夢を見てしまうなんて、俺の名前が世間を騒がす日もそう遠くないだろう。しかも、しかもだ。この幼女、現実にはなかなか居なさそうな属性の持ち主じゃないか。もしかして将来の俺の罪名は『少女誘拐しコスプレさせた挙句特殊な言葉遣いを強要罪』とかになるんじゃないのか?


「のう、メガネ。さっきから彼奴あやつは何を申しておるのじゃ?」

「わたくしにもわかりかねます。きっとお嬢様が知らなくてもいい事ではないでしょうか?」

「そ、そうなのか?」


 頭上から降ってくる会話。そう、この幼女、二次元幼女界の中でもなかなか需要がある『ロリババア』属性なんだよ!ってことはあれか?幼女の姿をしているが実は何百年も生きている魔王かなんかの設定なのか?


「あのー。わたくしの声が聞こえていますか?」


 遠慮がちに掛けられた声に、ようやく俺は顔を上げた。全身黒ずくめの眼鏡野郎だった。幼女の存在がデカ過ぎて全く気づかなかったな。だって俺、男に興味ないし。女の子同士のイチャイチャは悪くないが、男は駄目だ。俺にそっちの気はない。


「俺の夢に男はいらない」

「は?」

「それともあれか?実は男装した女っていう設定なのか?」

「……」


 そう考えてみるとこのメガネ、男の割に線は細いな。声は女にしては低いテノール。身長は俺より高そうだけど。胸は無さそうだが、もしかしたらサラシか何かで潰している可能性も……。


「お嬢様。もうこの人さっさと送り返しちゃいませんか?」


 メガネ男(女?)がゴスロリ幼女の方を振り返る。テノールボイスが更に低くなり、声が気持ち震えている。投げやりな言い回しに、幼女は玉座に頬杖をつきながら眉を顰めた。


「出来ぬ事はないが、迷い人の意思に反して魂を送り返した場合、後に何かしら弊害が起きる可能性があるからのう」


 さっきからこいつら何を話しているんだ?『迷い人』って俺の事か?まぁ確かに絶賛人生迷走中だけどな。どや、座布団一枚なんてな。


「別に宜しいかと思いますよ。すでに多少の弊害は抱えていらっしゃるみたいですし」

「落ち着かぬかメガネ。おぬしらしくない」

「我が身とお嬢様の身の危険がある以上落ち着いていられません」

「うむ……」


 あ、幼女が困った顔をしている。これはこれでなかなか。「もうおにぃちゃんってばぁ」みたいな感じの、最近流行りの出来た妹設定もありだな。

 そんな事を考えていると、幼女が俺を見下ろしてきた。身の丈に有り余る玉座から降り立ち、ゆっくりと近づいてくる。


「人間よ、おぬしに選択肢をやろう。今すぐおとなしくするか、五体不満足を覚悟で元の世界に強制送還されるか、どちらか選ぶがよい」

「おとなしくします」


 銀河のごとく俺は即答した。




***




「……大体は理解していただけましたか?」


 説明の最後に、メガネがこちらを見ながら訊いてきた。

 幼女に一言で黙らされた後、代わってメガネから現在の俺の状況説明を受けた。要約すると、今俺がいるどっかの世界遺産みたいな神殿造りのこの場所が、無数の次元を見守る『次元の狭間』という特殊な空間。そしてその主が『狭間の管理人』の肩書きを持つこの幼女らしい。管理人はそれぞれの次元に問題が起きていないか見守り、何かあればそれを修正する役目を持っている。そして今回問題が発生し修正されていたのが俺の住む日本で、その最中に運悪く俺の魂がこちらに迷い込んでしまったらしい。修正中の次元から魂が迷い込んで来ることはそんなに珍しいことじゃないらしく、そういう奴らのことをまとめて『迷い人』と呼んでいるとか。


 こいつの話だと次元の修正を終えるまでの間なら、いつでも元の世界に戻ることが出来るらしい。さっき奴らが話していた「送り返す」とか「強制送還」ってのがそういうことだ。


 第一印象があんまり宜しくなかったらしく、メガネは早く俺を元の世界に返したがっている。今もあからさまに距離を取っているしな。


「理解していただけたのなら、何か支障が起きる前に元の世界に戻られたほうが賢明ですよ」

「……そうだな」


 メガネが至極淡々と促してくる。それを適当に相槌を打ちながら、実際は真逆のことを考えていた。


 さっさと帰る?冗談じゃない。折角こんな人生に二度と体験出来ないようなクレイジーイベントが起きてる最中なのに、のこのこ帰れるわけないだろ。

 俺は視線をメガネから玉座に戻った幼女に移した。


「次元の修正って正確にはどれくらい掛かるんだ?」

「さて、時間という定義のない場所じゃからのう。正確なことは言えぬ」

「とりあえず今すぐって訳じゃないんだろ?」

「そうじゃな」


 それがわかれば十分だ。ある程度の猶予があるなら、イベントを楽しまない手はない。


「決めた。タイムリミットが来るまでの間、せいぜい次元の狭間ってのを楽しませてもらうぞ」

「は、正気ですか?」


 お、予想通りの拒否反応。メガネの奥の瞳が不満げに細められてる。しかし問題ない。短いながらこの雰囲気にも慣れてきた。このメガネを黙らせるのに一番効果的なのは。


「問題ないよな、よう……管理人ちゃん」


 危ねえ。うっかり本人を目の前に『幼女』とドストレートに呼ぶところだった。そんな俺の内心には気付いた様子もなく、幼女は気だるげに玉座に頬杖をつきながら頷いた。


「好きにするがよい」

「ありがとよ、管理人ちゃん」


 幼女に礼を言いながらちらっと横目にメガネを見れば、渋々といった感じに口を噤んでいた。予想通り。こいつは幼女には逆らえないみたいだ。メガネ攻略法ゲット。


「お嬢様がそう仰るのでしたらわたくしも従いましょう。しかしこの空間は真弘マヒロさんには退屈なだけかと思いますがね……」

「心配には及ばねえよ。俺は与えられた環境でそれなりに順応するタイプだ。それよりなんで俺の名前を知ってるんだ?」

「なんでと仰られましてもね。わかるから、としかお答えできません。ここは様々な次元を見守る場所ですから」

「ふーん」


 いまいち要領を得ないが、まぁクレイジー空間で何が起きてもおかしくないって事か。


 それにしても、自分の名前をまともに聞いたのは久々だな。親父は俺の存在をいないもののように扱ってるし、甘々な母親は「マーくん」とか小学生相手のような呼び方してるし、うちは一人っ子だからな。


 許可を得た訳だし手始めに何をするか。石造りの風景をぐるりと見渡した時、不意に腹の虫がぐるぐる鳴った。魂だけの状態でも腹は減るんだな、なんてつい感心してしまう。とりあえずは食料調達が最優先だな。


「……メガネ」

「心得ております」


 俺が何か言うよりも早く、奴らが動き出す。どうやら俺の腹の虫は相当大きかったらしい。玉座に座ったまま床に届いていない足を組むと、どこか呆れたような顔で幼女がメガネを呼ぶ。メガネは言葉の先を言うより早く恭しい一礼をすると、玉座とは反対側、神殿の入口の方へ歩き出した。


「どうぞこちらへ。あなた専用のお部屋をご用意致します」


 途中振り返り、俺を一瞥する。手の平で入り口を示すと、メガネは再び歩き始めた。幼女との別れは惜しいが、腹が減っては戦は出来ぬ。水晶みたいな床を通り抜けると、俺はそそくさとメガネの後を追いかけた。




***




 部屋へ案内すると早々にメガネは退散した。部屋の扉を開けた瞬間身体が凍りついたように見えたが気のせいだろう。まぁ男と二人っきりになっても全く楽しくないから丁度いいけどな。


 それにしても壮観だな。素晴らしいの一言に限る。

 俺が案内された部屋は、此処が次元の狭間とかいうクレイジー空間だということを忘れるくらい、日本の現代じみていた。十畳くらいのスペースに、特大サイズのパソコンデスク。しかもこれ最新のパソコンじゃねえか。スペックも申し分無さそうだな。俺の小遣いじゃ全然手が届かないような代物がこんな場所にあるなんて。ついでにこのフィギュアケースの中にあるの限定品ばっかじゃねえか。この中身全部オークションにかけたら総額いくらになるんだ?あれか、ここはパラダイスか?


 暫くの間空腹も忘れて次々物色していたが、身体は正直なわけで。本日二度目の腹の虫に我に返ると、冷蔵庫の隣の戸棚を漁った。お、これは一人暮らしのお供カップラーメン。小腹が空いた時にたったの三分で空腹を満たせる魔法のアイテム。一日中家に篭ってると常に食欲という魔物に襲撃を受ける訳で、そんな時に常備しておくと大変便利。同じく魔法のアイテムポテチを取り出すと、カップラーメンが出来るまでの間にぼりぼりと貪った。喉が渇いたから冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出す。

 ここには何でも揃ってるんだな。まさかこんな場所にこんな庶民じみたアイテムが揃ってるとはな。日本の商業も次元を超えたってことか?


 空腹が満たされると、ウェットティッシュで丁寧に手を拭いた。神聖な最新パソコンにぎとぎと油ぎった手で触れるわけにいかないからな。パソコンの電源を入れる。立ち上がりまで時間がかからないって素晴らしい。まあ俺の相棒の場合、データ容量が多過ぎてハードディスクがパンパンだってのも原因だろうけど。


「ん?」


 青い背景の中心に表れた入力項目。パスワード入力画面か。でもパスワードって……まさかな。

 俺は半信半疑になりながら、普段通りの文字列を打ち込んだ。結果は――正解だった。青い背景は見慣れた萌え系美少女に変わる。デスクトップ画面には見覚えのあるアイコンばかりが並んでいた。


 間違いなく、俺の相棒の中身と同じそれ。パソコン自体は最新式の別物のはずなのに、中のデータだけがまるごと移されているみたいだ。パスワードまで同じなのだから、否定のしようがない。


 試しにいつもログインしっぱなしにしているオンラインゲームに接続してみる。最初のホーム画面までは辿り着けた。しかしIDとパスワードを入力しログインボタンを押しても、接続中の画面が終わらない。


『通信状態を確認してください』


 ああ、やっぱりな。

 暫く経って表示された、予想通りの注意書き。なんとなく状況を掴めてきたが、念の為に別のアイコンもクリックしてみる。美少女達(幼女含む)が俺(主人公)を奪い合い奉仕するハーレム系のそれは、問題なく起動した。


 つまり、この部屋は俺の記憶や欲求に基づいて存在している。欲しいと望んだ物全てが揃う。パソコンのデータに関しても同じことが言えるが、あくまでここは次元の狭間であるから、日本の通信設備とは切り離されている。だからダウンロード済のデータは起動できるが、オンラインのように通信環境を伴うゲームは不可能。まさにネット環境のないパソコン。


 二次元の美少女といちゃいちゃする気にもなれず、俺はパソコンデスクとセットの椅子に凭れた。そのままぼんやりと天井を仰ぐと、LEDの灯りが目に刺さるようで、反射的に目を閉じた。


 ネットに繋げないってことは、ギルド仲間と雑談することも出来ない。それはそれで退屈だ。


 そういえば、まともに面と向かって誰かと話したのなんて何年ぶりだろうな。家に引きこもるようになってからこっち、他人との関わりって言うのが顔も知らない相手とのチャットやネット通話ばかりだった。他の奴らは俺とは違ってリア充ばかり。学校がどうだの仕事がどうだの、共通の話題が尽きてからはそんな日常の世間話をしていた。俺は周りに自分が引きこもりニートである事は伏せていたから、適当に架空の話を作って合わせていた。少しいたたまれない気持ちに苛まれながら。


 別に俺だって、好きでこうなった訳じゃない。小学校の頃は友達もそれなりにいたし、成績も悪くなかった。運動神経もそこそこで、家に居るよりも外で友達と遊ぶことの方が多かった。


 変化が起きたのは、中学に上がった頃だったか。誕生日のプレゼントに自分専用のパソコンを買ってもらった。最初に手をつけたオンラインの世界は、俺にとってはこの上なく刺激的だった。年齢性別問わない人達が何の弊害も無く同じ場所に集うギルド。自分よりも年長の仲間の話は面白かった。それに比べて同年代の友人が凄く幼稚に見え、次第に俺は現実の友人よりもギルドの仲間を優先させるようになっていった。最初はちょくちょく誘ってくれていた友人達も、俺がことごとく断り続けた結果、誰も誘わなくなり、やがて疎遠になっていった。


 高校に入る頃には、俺は常に独りでいるようになっていた。仲の良い奴らがグループを作って面白おかしくやっている片隅で、俺は自分の机でずっと居眠りをしていた。別に周りと群れたかった訳じゃないし、特別苛められていた訳でもない。明け方近くまでゲームをしていて睡眠不足だったから、学校はそれを補うには丁度いい場所だった。


 そんな事ばっかりやってたら当然成績は下がるし、教師はいい顔をしない。三者面談の席で、奴はここぞとばかりに俺の成績や授業態度にケチをつけてきた。おかげで家に帰ってから待っていたのは説教。

 そこで心を入れ替えればこんな事にはなっていなかったんだろうが、当時の俺は反発して次の日無断で退学届を出した。その足で予め母親の財布から抜いた金を持ってコンビニに向かい、食料品や必要な物を大人買いし部屋に篭城した。当然それを知った親父は怒り狂ったが、鍵をかけた部屋の中でヘッドホンをしてその一切を無視し続けた。一週間を過ぎた頃には両親も諦めがついた様で、俺はようやく部屋を出た。


 以来、親父は俺に一切の関心を持たなくなった。心配性の母親だけは俺の怒りに触れないように、気を遣うようになった。


 外の世界では究極の劣等生と化した俺だが、ネットの世界ではそこそこ充実していた。気の合う仲間はたくさんいたし、同じギルドの中に気になる子もいた。俺はその子を積極的に誘い、面倒を見ていた。

 しかし現実はギャルゲー程甘くない。ある日、同じギルドの友人がこっそりと教えてくれた。彼女が体良く貢がせながら、影で俺を馬鹿にしていることを。俺の初恋はあっさりと散り、それがきっかけかは知らないが、その頃二次元という世界に目覚めた。現実と違って二次元の女の子は可愛いし、裏切らない。絶好の彼女になり得た。


 そうやって現実の世界から離れたまま何年も経過した。完全に負け組な俺の人生。あっちの世界に何の未練も残っていない。ネット環境を絶たれるのは少し惜しいが。タイムリミットが来るまでと言わず、ずっとこのまま此処に残るのも悪くないと思った。あっちの世界に戻ったとして、ずっとこの生活は続けられない。いずれ俺を残して親はいなくなる。生活力を持たない俺はその辺で野垂れ死ぬんだろう。絶望しか残されていない現実に戻る価値なんて――。


 コンコン。


 不意に聞こえたノック音。意識を飛ばしかけていた俺は、ゆっくりと目を開けた。LEDライトが眩しい。思わず瞼をおさえると、またコンコンとノック音。せっかちな奴だな。重たい腰を上げ、俺は入口に向かった。


「遅いではないか。わらわを待たせるとは肝の座った奴じゃのう」


 部屋の外で待っていたのは幼女だった。こんな場所にわざわざやって来るのはてっきりメガネだと思っていたのだが。

 頬を膨らませ仁王立ちでこちらを見上げる幼女。うん、悪くない。


「おぬし、いつまでわらわを待たせるつもりじゃ?」

「悪い悪い」


 危ない、うっかり邪な妄想に耽るところだった。幼女の声に我に返ると、俺は身体を横に反らし部屋の中へ促した。


「適当にしてくれ。まぁ俺の部屋じゃないけどな」


 汁の残ったカップラーメンの残骸と、ポテチのパッケージをこそこそ片付ける。幼女に見せられないような薄い本を放り出してなくて良かったと内心安堵しながら。


 幼女は部屋全体をぐるりと見渡した後、さっきまで俺が座っていたパソコンデスクの椅子に座った。そして視線で「座るがよい」と促してくる。いや、椅子それしかないんだけど。俺は渋々土足オッケーの床に座ることにした。


「でも管理人ちゃん自ら何でわざわざこんな場所に?」


 この部屋が相当物珍しいのか、きょろきょろと周囲を見回している。俺の質問に玉座に座っていた時と同じように足を組みながら、幼女はこちらを見下ろしてきた。


「一つ、おぬしに伝えておいた方がよいかと思ってのう」


 伝えておいた方が良い事?なんだそれ。

 その一言に俺は気持ち上半身を乗り出して次の言葉を待ったが、幼女はなかなか切り出さない。そっと目を細めると、どこか虚ろな表情でずっと俺を見つめてくる。

 ぞくりとした。変な興奮を覚えた訳じゃない。まるで全てを見透かされているようで、一種の恐怖のようなものを覚えたんだ。


 幼女の不思議な眼差しは、恐らくほんの数秒の出来事だっただろう。虚ろな目は焦点が戻り、その緋色の眉が訝しげに寄った。


「おぬしはずっと此処に留まるつもりなのか?」


 俺は思わず幼女を見上げた。次元の狭間の管理人というものは、人の心も読めるのか?さっきの変な感じは、俺の考えを見透かしていたのか?――いや、どちらでもいいか。どうせ次会った時にでも交渉しようと思ってた訳だし。ただ手間が省けただけだ。


「ああ、その方がいいと思うんだよ。俺の為にも、家族の為にも」


 俺という枷が無くなれば、それだけで家族の負担は無くなるだろう。俺自身も野垂れ死になんてしたくない。


「次元の修正が終わるまでの間なら自由に帰れる。つまりそのタイミングを逃したら、一生ここに留まるって事だろ?」


 気だるげに細められた目が、窺うように俺を見る。俺は黙って答えを待った。


「結論から言うとその通りじゃ。しかし此処に留まるということは、人という限られた生を捨てるという事。おぬしに耐えられるのかのう。永遠の時間、終わらぬ命を」

「……」


 俺は答えることが出来なかった。簡単に返答してはいけないような、無言の圧力。見た目だけは幼い次元の管理者に圧倒されていた。


「まぁそれはおぬし自身が決めることじゃ。それよりも本題に入ろう」


 おい、それが本題じゃ無かったのかよ。

 圧力から解放された俺は心の中でツッコんだ。たった今存在の大きさを見せつけられた直後なだけに、声に出すことは無かったが。


「わらわはおぬしに予言を与えよう」

「予言?」

「そうじゃ。それを聞いた上で、改めて己が歩む道を決めるがよい」


 どんな内容かは知らないが、どうせ俺の心が動くことはないと、そう思っていた。けれど次の瞬間幼女が口にした台詞に、鈍器で殴られたような衝撃を覚えた。




***




「ふぃー、疲れた」


 屋上のフェンスに寄り掛かると、俺は缶コーヒーのプルタブを空けた。冷たい液体を一気に喉に流し込む。生き返るなぁ。仕事中のコーヒーがこんなに癒される物だと、昔の俺は全く知らなかった。


 太陽の光を全身に浴びて、思いっきり伸びをする。書類と格闘し過ぎて目が疲れた。首元のネクタイを緩めると、手の平で顔を覆い、指の腹でぐりぐりと瞼を押す。まあこんなもの、オンラインゲームで丸一日狩りしまくってた時と比べれば大した事はない。そう自分に言い聞かせる反面で、深夜に通販でやってる目に良いブルーベリーとか、疲れによく効く黒酢やらニンニクやらを試そうかと本気で悩む。


「あれ、楠木くすのきさんじゃないですか。こんな所でどうしたんです?」


 そこへ折角のリラックスタイムをぶち壊す耳障りな声。俺は口元に笑みを張り付けながら振り返った。そいつは屋上の扉の前で、人の良さそうな笑顔でこっちに手を振っている。内心で「こっち来んな」と念じてみたが、そいつは空気も読まず歩み寄ってきた。


「いつも昼休みに見かけないと思ったら、こんな所に居たんですね。どうせなら皆と一緒に昼飯食えばいいのに」


 奴は断りも無く俺の隣に来ると、更に断りも無くタバコを吸い始めた。吐き出された煙が俺の疲れた目に染みる。一瞬ぴくりと頬が引き攣り、すぐに顔を背けた。それに目敏く気づいた奴は薄ら笑いを浮かべた。


「あれー、楠木さんタバコ苦手でした?すみませんね」


 どうせ悪いと思ってねぇだろ。普通悪いと思ったらすぐにタバコを消すか、煙がいかないよう配慮するもんな。


「別に構いませんよ。平野さんこそこんな場所でどうしたんですか?」


 腹の底でふつふつと煮えたぎる物をおさえ、俺は奴――平野ひらのに笑いかける。きっと目は笑っていないだろうが、それはお互い様だろう。こいつもこいつで、友好を築きたくて俺に近づいてきた訳じゃないからな。


「俺ですか?俺は自分の仕事は終わったんで息抜きですよ。そういえば楠木さん、まだ残ってましたよね?良かったら手伝いましょうか?」

「いや大丈夫です。自分でやらなければ身に付きませんから。それにしても平野さんは仕事が早くて羨ましいです。さすが時期社長と言われるだけの事はありますね」

「何言ってるんですか。それは楠木さんの方でしょう?なんてったって現社長の息子さんなんですから」


 心にも無いことをよくもまあペラペラと口に出来るな。だからこそ、こいつは今の座を勝ち取っているんだろうが。


 二年前、まだ俺が引きこもりニートだった頃。現実の楠木くすのき真弘まひろという存在を捨て、夢のようなクレイジー空間に一生留まろうとしていた時、その空間の主である幼女の姿をした管理人はこう予言した。


『将来おぬしの父親が経営する会社は、後継者として育てた男に乗っ取られるじゃろう。憐れなものじゃ。本来跡を継ぐはずだった息子は社会不適格者。代わりに目を掛けた男には全てを奪われ、絶望の果てに家族を巻き込んでの無理心中とはのう』


 鈍器で殴られたような衝撃を覚えた。あの厳格で賢い父が騙され、家族を道ずれに自殺だと?まさかとは思ったが、幼女の目は真っ直ぐ俺を見据えており、その言葉に嘘偽りは無いのだと本能的に悟った。次元を管理する存在だ。この先起きる出来事を事前に予測出来たとして不思議ではない。


 だがそれがどうしたって言うんだ?

 親父は俺の存在を見放していた。母親は俺の世話を焼いていたけど、扱い方はまるで腫れ物を触るのと同じだった。そんな奴らがこの先どうなろうと関係ない。――そう思おうとしたが、出来なかった。自分でも驚いたが、俺の中には確かにまだ家族を想う情愛というものが残っていたらしい。


 最悪の未来を避ける手段は限られている。たとえ俺が将来そいつを後継者にしたら会社を乗っ取られると言った所で、誰も聞く耳を持たないだろう。なら会社を渡さない為に俺自身が社長になるしかない。しかし俺は一度親父に見放されているし、それが無くても実力主義のあの人が息子だからという理由だけで社長の座を渡すわけがない。唯一俺に残された方法は、実力で親父に認めさせることだけ。


 ほんの少しの時間も惜しかった俺はすぐに元の世界に戻ると、親父に会社で働かせてくれるように頼んだ。親父は最初苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、母親の口添えもあり渋々納得した。引きこもりニートの息子を抱えるよりはマシだと思ったんだろう。


 会社に入ってからは、それこそ死ぬ気で努力した。なんせ俺はゼロどころかマイナスからのスタート。高校をまともに通ってない上に、中学の勉強すら疎かにしていた。長年引き篭もっていたから他人と接するにもブランクがある。


 そしてそれは二年たった今も同じ。

 少しずつ会社に慣れ社会人としても身に付いてきたが、次期社長候補と謳われる平野との実力差は埋められないまま。それは客観的に見ても明らかなようで、周りの連中は俺を社長の息子としては扱うが、次期社長とは誰も期待していない。平野本人にもその自覚はあるようで、俺を社長の息子と言いながら内心では見下している。今回の一連の遣り取りを見ても明らかだろう。


 まさに孤立無援。これがギャルゲーの世界だったら俺を応援し支えてくれる美人な同僚やら後輩が登場するんだろうが、生憎そのポジションの女共は揃って平野についている。まさに絶望的な俺の立場。


 それでも諦めるわけにはいかない。この人生を賭けたゲームには、俺の家族と俺自身の命がBETされているのだから。


「まぁ頑張ってくださいね」


 そう言い残して平野は立ち去った。俺は奴の背中を見送った後、足元に視線を落とした。火がついたまま捨てられたタバコの残骸。それを足で踏み捻り潰しながら、奴が消えた先を睨み据える。


 不利な立場は何一つ変わらない。もしこの勝負に勝機があるとしたら、平野が俺のことを心底見下していることだろう。奴は俺を取るに足らない相手だと思っている。そこに油断が生まれる。

 お前は甘いんだよ、平野。PVPの世界でもあるんだぜ。上級者が初心者と舐めてかかった結果見事返り討ちに遭うって。窮鼠は猫を噛むんだよ。絶対にお前の思い通りになんてしてたまるか。


 ああ、もうすぐ休憩時間が終わっちまうな。空になったコーヒーの空き缶を握り潰すと、俺は肩を回しながら屋上を去った。




***

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