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逃げ足最速、新聞記者  作者: ヘッドホン侍
三章 意味加味恨み
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23.閑話 ある日の結末

本日二話目。

 晴れた空、白い雲が流れ往く。

 ふと視線を向ければ、富士が峰を広げているのが見える、そんな場所にこじんまりと建つ古い神社があった。

 といっても、もうすでに建物はボロボロで元の姿を保っておらず、そこを神社だと証明するものは鳥居くらいしかない。


 そんな古びた敷地に、人影があった。

 萌葱もえぎ色の袴を着た人物が神社のまんなかにある、大きな岩のうえに座っている。背の高い淡い栗色の長髪を持つ青年だ。しかし、青年の頭には人間のものではない耳が生えていた。三角形の耳には柔らかな栗色の毛が生えており、まるで柴犬のようだ。腰元からは尻尾が生えていた。

 青年はどこか遠い目で富士山を眺めながら、すん、と鼻から息を吸った。

 そしてすぐにその顔を綻ばせる。尻尾がたしんと揺れた。耳が後ろの方を向いてぴくぴくしている。


 そして、数秒後。

 たったった、と何か小さいモノが駆ける音が神社の境内に響いた。

 人もモノもないあけっぴろげな空間であるから、音が響くが、森のなかではその軽い足音は聞こえないだろう。だが、彼のは足音よりもさきにその存在を認知していたようだ。


「りゅーた!」


 境内を走り、青年に駆け寄ってきたのは黒髪のざんばら頭の子どもだった。

 適当に刃物でき切ったためぶつ切りになった、というような髪型をしているせいか、薄汚く見えるがよく見れば着ている衣もそう汚れてはいないし、非常に整った顔立ちをしていた。

 その子どもが、楽しそうに青年に声をかけた。


「どうした? りゅーじ」


 青年も尻尾を揺らしながら、子どもの呼びかけにこたえる。

 子どもは嬉しそうに岩の上に駆け上ると、『りゅーた』と呼ばれた青年の狩衣の袖をつかんでぶんぶんと腕を振り回した。

 非常に興奮している様子である。

 青年は苦笑して、落ち着けと言わんばかりに子どもの頭をなでた。

 子どもはまた嬉しそうに目を細めて、口を閉じたため、一見興奮も収まったかに見えたが、やはり覚めやらぬものであったようで、青年の手を取ると、それを更に振り回した。


「りゅーた! りゅーた! オレ、ニンゲンみたよ!」

「何だって……!?」


 青年は目を見開いて驚いた。

 このあたりにはニンゲンはやってこないはずなのだ。だって、ここは森のずっと奥深くにある、もうニンゲンたちに忘れられてしまった建物だ。

 青年のご主人様(・・・・)と昔、この湖にやって来たときに偶然見つけたものだが……。

 『あの日』からニンゲンたちは森に入ることをやめてしまったし、青年が覚えているだけでも、もう200年はここの神社の近くに訪れる者などいなかったのだ。

 だから、青年はそれは子どもの見間違いでないか、と思った。


「それは本当にニンゲンだったのか?」

「うん! だって、りゅーたみたいにもふもふの耳は生えてなかったし、しっぽもなかったよ! オレとおそろい! そういうの、ニンゲンっていうんでしょ」


 青年に質問された子どもは得意げになって答えた。しかし、一転して青年の表情はどんどん曇っていく。


 ――――膨張する身体、抑えの効かない衝動、狭まる視界。

 頭に声が響く、響く。襲え、人を殺せ、と。

 こわい男の人たちが誰かの鳴き声が聞こえる暗くて狭い世界で追い迫り、鋭い何かを青年に突き刺した。熱い金属が身体を突きぬけ地面を焦がした。それでも止まらぬ世界に、それでも止まらぬ息に、そして最後に見たのはご主人様の泣き顔――――ああ、そんなこと、オレはしたくない、やめてくれ、助けて……!


 青年の頭のなかに遠い記憶が一瞬浮かび上がってしまった。無意識にぶるりと身震いをする。

 もうそんなことにはなりたくなかった。青年は神社を見回す。だいぶんくたびれてしまったが、まだ鳥居・・はきちんと立っているし、平気なはずだ。

 青年はそれを確認してひとり頷いた。


「りゅーじ、それはどこから来たのだ?」

「きたのほうがく! なあ、アイツら、みんな『包丁』持ってたぜ! そんなにご飯が食べたかったのかなぁ……」


 子どもが無邪気に笑ったが、彼にはそれどころではなかった。


「なんだと……」


 青年は小さく呟いて、拳を握った。


「りゅーた、どうしたの?」


 そんな青年の様子にやっと気がついたのか、子どもが怪訝そうに青年の顔を覗き込んだ。

 またあの光景が青年の頭のなかに浮かぶ。


「りゅーじ、よく聞け。お前はここから逃げろ」

「なんで?」

「危険だからだ」

「なんで? 同じニンゲンなのに?」

「……逃げるんだ。オレがりゅーじを襲ってしまう」


 青年が聞き分けの悪い子をしかるように子どもの目の前に指を差し出した。

 子どもが青年の指を掴む。


「やだ」

「聞け。りゅーじ。いつも言っているだろう? オレはいつも聞こえてくる『ニンゲンを殺せ』って声に逆らえないって。神社ではそれは消えてくれるって」

「『ケッカイ』っていうんだろ! 知ってるよ! だから、神社にいればヘイキだろ!?」


 子どもは悲鳴のように叫んだ。しかし、青年は力なく首を横に振るだけ。


「この神社はかろうじて結界を維持してくれているようなのだがな……でも、ニンゲンが来ればここは……」


 そこまで言ったところで青年がバッと振り返った。

 そして、子どもを咄嗟に抱きかかえて岩から飛びのく。一瞬遅れて、岩に大きな矢が刺さった。


「見つけたぜ! 化け犬だ! こーりゃ賞金も高いぜー……ッチ、避けられてやんの」


 森の中から大声が聞こえる。青年に抱きかかえられた子どもがびくりと肩をはねさせた。


「おい、ちょっと待てよ! あそこに子どもが!」

「なにっ!? 人質にでも取るつもりか」


 子供の言うところの『包丁』を持った男たちが突如現れ、いっせいに攻撃をはじめたが、弓矢を持つ男が子供の姿を確認するやいなやその手を止めた。一足先に神社に入った『包丁」を持った男たちは強く青年を睨み付けた。

 神社のなかにピリピリとした空気が流れる。

 まさに一触即発の状況である。


 青年は過去のことを思い出していた。もうずっとずっと昔。

 まだ青年がご主人様の家で暮らしていたときのことだ。ドッグフードをもらって、散歩を一緒にして、時には叱られて、でもよくやったと笑顔で撫でられると嬉しくて……。幸せな日々だった。

 そして、その幸せな日々が突然終わったのだ。青年・・が突然、もう『犬』ではなくなった。

 不思議な力が世界中に溢れて、そして世界中に『人間を殺せ』という声が響いた。でもそれは人間であるご主人様たちには聞こえていないようだったけれど。

 聞こえていても、聞こえていなくても変わらない。

 青年は、りゅーたは、変わる身体に、高ぶる衝動に耐え切れなくなって、ついにご主人様を襲ったのだ。殺そうとしたのだ。そして、あのときも刃物やパイプを持った男たちに囲まれて――


 結局、森に逃げ込んで必死で駆け回っているうちに、この神社を見つけた。そして、膨れ上がっていた身体も元通りになって、声も聞こえなくなっていた。

 でも少しでも神社を出ればおじゃんだ。

 あの日から不思議な力が使えるようになって、ずっと憧れていた『人間』に変身できるようになったのはとてもうれしかったけれど、でも、ご主人様と一緒じゃないのならまったく意味のないことだった。

 ひとりでは寂しい。

 でも、ここから出れば……。

 ずっと一人で耐えてきたりゅーたに、それ(・・)は天からの贈り物のように思えた。何百年と経ったある日、白い何かが神社に捨てられていったのだ。それは人間の赤ん坊だった。

 りゅーたの『た』はたろうの『た』だとご主人様が言っていたから、『じ』をつけた。赤ん坊の名前を決めて、りゅーたは赤ん坊を育てていった。

 人間の赤ん坊が食べるものなど知らなかったが、幸い神社の池で飼っていた鯉も食べてくれたので一安心だ。それから、りゅーじは、りゅーたにとって、わが子であり、弟であり、小さき友人であった。

 もう忘れていた、楽しい時間だった。


「この子を殺したりなんてしません」


 りゅーたはまっすぐ男たちを見つめて言った。

 あのときのことを思い出して、しっぽが震えたけれど、もう一人で生きるのは嫌だったのだ。

 もう、見つかってしまったから。

 りゅーたには、もうこの先のことはわかっていた。人間と『私たち』は永遠に相いれない存在となってしまったのだと。


「りゅーたをいじめんなー!」


 りゅーたの腕の震えを感じ取ったのだろう。子ども(りゅーじ)が叫んだ。


「かわいそうに、洗脳されちゃってるよ」

「助けてやらねば」


 しかし、それでも逆効果だった。りゅーたには分かっていた。

 ずっと何百年もここに居るだけだったわけではないのだ。もう、わかっていたのだ。


「はっはっはっ……ひどい世界だよ」


 りゅーたはポツリと呟いて、りゅーじを男たちの方へ放り投げた。りゅーじは驚いた顔をしつつもその幼さに見合わないしなやかな動きで着地をしたが、すぐにりゅーたに向かって走り出す。

 男たちは慌ててりゅーじに駆け寄り、その身を押さえつけた。

 りゅーじは必死に身をよじってその腕のなかから抜け出そうとしているが、効果はないようだ。

 りゅーたは自嘲気味に笑った。もう、一人で生きていくのはいやだ。


 人に変身することをやめる。

 いつかのように身体が膨れ上がるのが体感できる。

 そして、遠吠えを高く上げると、男たちがりゅーたに向かって駆け出した。


 りゅーたに攻撃し、けれども弾き飛ばされた男たちや、乱暴に武器を振り回す男たちによって神社が破壊されていく。そして、ついに鳥居にひびが入った。

 声が、小さく聞こえ出した。りゅーたは唸る。

 ――――ここでは、ダメだ。

 りゅーたの様子を不審に思ったのか、男たちがりゅーたから距離を取った。

 そして、まだりゅーじがこの場に居たということを思い出したらしい。慌ててりゅーじを縛り上げると、森の奥へ運んで行った。

 殺せ、人間を殺せ。

 声が響く。ぱりぱりと鳥居から石の破片が降り出した。


「ダメだ、もうワタしは……生きロ、リュうジ」

「やだよ! やだよりゅーた!」

「さっさト行ケ……」

「りゅー! りゅーたぁ!」


 りゅーじの姿が森のなかに消えたのが、視界の隅に移った。

 ああ、男たちは生きてりゅーじを街に連れて帰ってくれるだろうか。きっとりゅーじはこれで大丈夫だ。りゅーたは知っていた、人間は優しいのだ。


「グガァァア! わぅぉぉおおんっ!」


 りゅーたの意識は、そこでぷつりと切れた。




読んでくださり感謝です。

この話でこの章はおしまい。

次話から次の章になります。投稿は……近日中……。

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