1.責任を取ります
僕は本能的に酒場を飛び出していた。僕は文屋だ。戦闘力はゼロなのである。
しかし僕の本能を舐めていただいては困る。うさぎ並みの臆病さでもって、常に警戒心MAXの僕に死角はない。
嘘だ。
口から出まかせに言ってみた。僕にそんな能力があったら今頃必死こいて全力疾走なんてしていないのである。
「待ああああてええ」
地の底から響くような恨みの篭った声が僕を追ってくる。しかし、イケメンボイスだ。
なんでこんなに変な表情を乗せた声なのにイケメンボイスなのだろう。
僕は走りながら世の中の不条理を呪った。
しかし、いくら心中で彼を呪ったところで僕には影響を与えられるようなスキルはないため。
「――捕まえたぜ!」
必死の逃走劇もむなしく、僕はあえなく黒髪の青年に捕獲されてしまったのであった。
◆
おかしい。
「さあ、責任を取ってもらおうか」
今頃、美味しいお酒を飲んでいたはずなのに。
僕は何が嬉しいのかニコニコと笑いながら、椅子に縛り付けられていた。しかも、その僕の顔すれすれに迫るのは憎らしいくらい整った男前。しかもおまけに青筋を浮かせて、こめかみをひくつかせて。
はい。
完全にお怒りです。
おかしいよ。
今頃、肴をつまみながら酒場のテーブルと恋人になっているはずだったのに。
「せ、責任って……?」
僕は頬を引きつらせながらニコニコ顔を保つ努力をする。
いや、本当はわかっているのだ。彼がお怒りの理由も。しかし、現実を認めたくなかった。だって、それを認めてしまうと自動的に目の前の男前さんの正体が明らかになるわけで。
しかも、その彼が完全にお怒りのいま、僕の生存確率は地に落ちるどころか、地中に潜ってしまうだろう。
「ん? まさかわかんねえとは言わねえよな?」
その言葉とともに僕のアゴは彼の右手の人差し指一本でくいっと持ち上げられてしまった。
「……も、も、もも申し訳ありませんでした!」
僕は今度こそ本能に従った行動に出た。こうなりゃ平謝りしか僕に残された道はない。
全財産を投げ打って、それでも足りないと言うのなら、この身を差し出すこともやぶさかではない。いや、いっさいためらわない。
プライド? そんなものはじめから僕には存在していない。生きていればそれでいいのさ。ふっ……。
顔は反省の色一色に染めたまま、僕は心の中でニヒルに笑った。
いや、まあ、僕の身を彼に差し出したからと言ってどうなるというわけではないけどね。そもそも彼にゲイの気がないことには交渉の材料にすらならないことはわかっている。
僕だって女の子が大好きなノーマルな性癖の者だし、できればそんな事態は避けたいのだ。ただ命よりは優先順位低いってだけで。
大体、彼ほど顔の整った男なら男女問わず入れ食い状態だろうけれどもね。……あれ? 僕詰んでるよね。
こう並べていってみると、なんと僕には価値のないことか。
泣けてくる。
いや、世の中にはお金で買えない価値があるものがある。プライスレスだ。僕の価値なんて他人にはかりっこないのだ。僕にとって僕は素晴らしい。アイムアグレートマン。
脱線しつつあった自分自身の思考を無理矢理納得の方向に導くと、僕はまっすぐ彼を見つめた。
「俺は勧誘の嵐に晒されてんだよ。わかるか? ギルドに行くと毎回、大量の筋肉だるまに囲まれるんだ。そしてお姉さま方からの熱烈なラブコール。めんどくさいったらありゃしねえ。それがなんでかわかんねえ……なーんてことはないよなぁ?」
「は、はい」
「お前が新聞に俺の『巨竜の討伐』のムービーの記事を掲載してくれちゃったりしたからなんだよなぁ」
「ひぃっ」
半ば耳元で囁かれるような格好で僕は追い詰められていった。地を這うような恨めしげな声が、ぞわぞわと鳥肌を招く。何だか背筋も一気に冷たくなった気がする。
「ごめんなさい! ぼ、僕にできることなら何でもしますから、どうか! 命だけはお助けを!」
反射的にそう叫べば、男前さんはニヤリと口角を上げた。彼はその表情のまま、俺から距離をとると腕を組んでゆっくりと口を開いた。
「よし。言ったな? じゃあ、お前、俺とパーティ組め」
「無理です!」
僕は即答した。
男前さんはかくんと格好を崩す。案外ノリの良い人のようであった。
「なんでやねん!」
なんたってその台詞とともに僕の胸筋に裏拳を打ち込んでくださったのだ。その光景を見たのを最後に、僕は視界が真っ白になったのを認識した。なむ。