14.湖に行くってまじですか
「ぬるいよな、最近」
「そうですね。ぬるいですね」
僕と立川さんは街のベンチに並んで座っていた。夏のはじまり。この頃、温度がどんどん上がってきていて日に日に肌にまとわりつくような蒸し暑さが襲ってきていて、もう夏到来だな、だなんて考えていた。
気温的にも相当生ぬるい陽気になってきていることは確かだ。
「それでさ、俺は思うのよ。やっぱりもうこのへんじゃぬるいよなって」
「それはそうですけど……」
なんとなくダレーっとアイスのように溶け出しそうにだらけた格好の立川さんが遠い目をした。
さて。
さっきからぬるいぬるい言っているが、気温の話ではない。さっきも言ったようにかなり蒸し暑くなってきている。では何がぬるいのか。
「だから、もうちょっとモンスターのレベルが高い地方に行こうと思うわけだ」
そう、依頼の難易度の話である。
首都圏は人口が多い分、モンスターも狩られやすいので数が少なく、生まれてすぐに狩れるため、モンスターが弱いのだ。つまり、ぬるゲーである。
その上、我らが立川さんは地雷スキルのおかげで攻撃力に関してはSランクも真っ青な値にあっている。それに僕の化け物レベルの《気配察知》が合わされば不意打ちも受けることはなく、敵の補足も早い。殲滅速度は異常と言って差し支えない状況に陥っていた。完璧なるぬるゲーなのである。
安心安全を愛している安定志向な僕はそれでも全然構わなかったのだが。
というかむしろ大歓迎だったのだが。
若干戦闘狂に足をつっこんでいるところがある立川さんにはご不満だったらしい。それで少し遠征しようと檜原村に向かった結果があれだ。
キツネを追い払うお仕事じゃ立川さんを満足させられなかったらしい。それどころか、逆に不完全燃焼を招いたみたいで、横浜に帰ってきてからというもの、立川さんは常にこの調子だ。
「それはわかりましたよ。でも、どこ行くんですか?」
しかし、大体が具体的な案があるわけではこう聞いてやればなあなあになっていたのだが。
「よくぞ聞いてくれた!」
どうやら今日は違ったらしい。
僕は溜息をつくと立川さんに向き直った。こういうときの立川さんには何を言っても無駄だ。もう決めたことだと説得はされてくれない。
ここ数ヶ月で学んでしまった。
そうなったら下手に足掻くよりも出来る限りの譲歩を得る方に労力をかけた方がいい。
「もうレンタカーの予約もしてある! 山中湖に行くぞ!」
◆
予約までしたという立川さんは呆れるほど用意周到であった。
保存食ほか必需品はすべて揃えられ、リュックにおさめられた状態で手渡される。そして、引きずられるように連れていかれて先はレンタカーの店。
首尾よく小型四駆を受け取ると、助手席に座らされた。
「さーて楽しいドライビングの時間だぞ」
ニコリと笑った立川さんは街の門から出た途端、アクセルを全快に踏み込んで車を急発進させた。
はい! 先生! まず山中湖ってどこなんですか。
「山梨県に決まっているだろう」
何を当たり前のことを、とでも言い出しそうな表情で立川さんが答えてくれた。
いや、さすがにそれは僕でも知っている。何より僕は新聞記者だ。それくらいの情報を知らないで新聞記者など自称できない。
――この前まで神奈川県の、それも横浜近辺から出たこともないようなヘタレ記者だったということは置いておいて。
それでも今や僕は――完全に寄生状態だろうと自分でも思っていても――冒険者ギルド横浜支部がトップと認める強さを持つパーティーの一員であるのだ。冒険者とは、冒険するもの。
横浜なんて都会でくすぶっているようじゃダメなのだ。
モンスターが強くなる田舎を目指そうなんて冒険者にとっては、情報が命であることくらいも周知のことなのだ。つまり、新聞記者と冒険者という両方の面において僕は情報を重んじているわけである。
しかし、それでも行こうとも考えていない場所へのルートなんて知っているだろうか?
僕は知らない。
ということで僕はそのルートを知りたかったのだけどなぁ。
「旧国道138号線跡を通ろうと思っている」
「きゅ、旧国道跡!?」
この前の東京遠征がはじめての遠征だったっていうのに、いきなり旧国道跡を通るだなんて一気に難易度跳ね上がりすぎではなかろうか。
僕は頭が痛くなってきた。
旧国道跡とは、22世紀はじめモンスターが突如発生し出した、あの復活点以前の前時代に国によって作られたアスファルト製の道路である。日本全国に張り巡らされており、国内で活動している冒険者にとって交通の要の一つと言える前時代の建造物なわけだが……。
それはつまり多くの冒険者が通ろうとするということ同義であり、何故だか知らないけれど執拗に人間を襲いたがるモンスターたちにとっては最高の狩場であるということだ。
確かに移動は楽だけれど、多少時間はかかっても場合にとってはゆっくり森を進んだほうが安全だとか言われるくらいのものなのだ。おかげで旧国道跡を通る、というのは各地を冒険する、現在では一握りしかいない、本当の意味での『冒険者』とギルドで証書を手に入れた冒険者との間を分かつ、最初の試練というか登竜門扱いされているわけで……。
自分でも顔が青くなっていくのがわかる。
そりゃ立川さんはいいだろう。もうずっと前からBランク冒険者として活動してきていて、しかもソロで巨竜を狩れちゃうような戦闘力だけならSランクも真っ青な実力を持っている。この日本という国においても、経験はさておき純粋な戦闘能力という面だけでなら、その強さは確実に片手に入るだろうものだ。
でも僕は! 聞いて驚くことなかれ!
戦闘力0に加え、男としてのプライドなんて投げ捨てたようなヘタレである!
更に言えば、つい3ヵ月ほど前までゴミ屑のようなGランクだった新聞記者!
なぜそんなカスのような人間が、少年少女が憧れる『冒険者』の登竜門に挑戦しなくてはならないのか!
ありえません! 僕が攻撃したら相手に痛みがあるくらいありえません!
しかも、しかもだ。何の覚悟もなく、いきなりだよ? 朝いつものように起きて、あぁ今日も立川さんに1日の肩慣らしとばかりに悪鬼の群れに投げ込まれるのかなぁ、なんてのほほんとしていたはずがだよ?
やってきた立川さんが何故か森に向かわないなぁとかちょっと不思議に思ったけど。
わざわざ僕のために飲み物を買ってきてくれて町のベンチに座っているなんておかしいなぁなんて鳥肌は立っていたけど。
ああ、そうです。わかっていましたとも。
立川さんを説得することなど不可能だと諦めていたのは僕でしたね。
くっそぉお! ばかやろう! 数分前の僕! もう少しがんばれよ!
「ハッハッハッ! 大丈夫大丈夫」
心の中で阿鼻叫喚の嵐を吹かせている僕に反して、立川さんは実にご機嫌にドライビングなう。
楽しそうでいいなぁ。
思わずジト目で立川さんを睨み付けてしまったが、彼には何の効果もないようだった。
ああ、そうだ。《強者の余裕》ですかね?
意外と地雷でもなく役に立ってるんじゃないかな。
目が覚めるような快晴の下、僕は遠い目をしながらそう思いました。まる。




