顔見知りって、すごいね。
私はその日、母親に勘当された……らしい。
あまり真剣に話を聞いていなかったため、詳細は不明だが、気がつくと「お前とはもう縁を切る!二度とうちの敷居を跨ぐんじゃないよ、さっさとその辺で野垂れ死にな!」の言葉と共に家の外へ追い出されていたから、多分そういうことなのだろう。
私はいわゆる父無し子で、母は不特定多数の男と浮き名を流すことを生き甲斐としているような人だった。
何も言わず数ヶ月家を空けることもあれば、連絡もなしに突然見知らぬ男を連れて帰ってきて、真っ昼間から我が家で情事に耽ることもある。
気を遣って……というより嫌気が差して、母が男と部屋に籠もる時はいつも、私は駅前で時間を潰すことにしていた。
今日も同様に駅前のカフェに数時間浸り、そろそろいいかなと思う頃合いに帰宅したのだが、玄関先で待ち受けていたのは、目を釣り上げて、こちらを射殺さんばかりの勢いで睨む母親の姿だった。
母は男と上手くいかなかった場合の大抵が私にやつ当たりしてくるので、今度もまたそれかと、母の憂さ晴らしの捌け口になることを甘受しようとしたけれど、何やら様子が違った。
やれ「どうやって取り入った」だの、「人の男に色目を使うんじゃないよ!」だの。
そういえばそんな風に怒鳴り散らしていた気がする。
はて?
身に覚えのない罪状に、私はどう母に対応したのだろう。
何の話か分からんと正直に白状して、それがいやが上に母の逆鱗に触れ、縁を切られるまでに至ったんだっけ。
まあ、経緯はどうでもいいとして、平気でネグレクト環境に私を置くあの母のことだ。
私がこのまま道端で餓死したとしても、面倒事が一つ減ったと、感慨にも触れぬその程度にしか思わないだろう。
今戻って謝り倒したところで、恩顧に報いれる可能性など雀の涙ほどもありはしない。
かと言って、他に頼れる大人なんて、私の顔見知りには思い浮かばなかった。
そもそも、私の顔見知りなど、近所のよし子さんと、よく行くカフェテリアの毎回そこにいる常連客のみで、非常に縁の薄い他人同然の人たちという、なんともまあ底の知れたものである。
私の父は生きてるのか死んでるのか消息が不明らしいし、親戚はいないし、仲の良い知人もいないしで、今の状況が大変よろしくないことはどうしたって明瞭だ。
鰥寡孤独の身だなんて、冗談じゃない。
けれどもやはり、何か打開策があるわけでもない私は、つい、いつものクセで駅前までやって来てしまった。
現実を忘れるには、ここしかないのかもしれない。
悲劇の主人公のように涙で枕を濡らしたくなったが、ここは屋外だし、涙なんてどう頑張ってみても溢れそうになかったから諦めた。
ポケットに手を突っ込んで小銭がないかまさぐるが、収穫はなく、財布の入ったカバンも玄関に落としてきてしまっている。
途方に暮れた私はとりあえず、表通りを外れ、雑踏も少なく日の当たらない一角に腰を下ろした。
思うことは、一攫千金の当たりくじでも落ちてないかなあ、そんなことだった。
しばらくして、ふと、道路を挟んだ向かい側の建物にもたれ掛かるようにして佇む、全身黒ずくめの男が目に入る。
年は40~50代半ばほどだろうか。
TPOのなっていない、いや、ここは路地裏だから雰囲気的にはそぐわないこともないのだが、如何せん、犯罪者を連想させるその出で立ちはかなり異彩を放っていた。
連れを待っているのか分からないが、彼の方も、私と異ならずただこの場に居るだけである。
もしかして同じ穴の狢か?と成人相手に失礼な思考が芽生えてしまうのは、この、何をするわけでもない暇な状況下では仕方がないことだろう。
他に考えるネタもないし。
先程から寸分も動かず俯き続けている真っ黒男の観察にもそろそろ飽き始めた頃、男がようやく動いた。
なにやらこちらに近づいてくるなあと思えば……。
え?
……マジで目の前に来たんですけど。
「今日は、お嬢さん」
「……こんにちは」
男が懇切丁寧に会釈してきたので、常識に則ってこちらも挨拶を返す。
怪しすぎるその風貌が逆に清々しいというか、警戒心は生まれず、むしろ私の中では好奇心が波乗り状態。
一体何の用だと言うのだろう。
「今日は生憎ながら曇天の空模様だね」
「……そうですね。朝の情報番組では一日中快晴だとテロップが流されていたんですけど、宛にならないものですね」
「おまけに気温も低い」
ここで初めて、中折れ帽のつばで隠されていた男の素顔が垣間見えた。
私は驚いた。
それは、見覚えのある、私の“顔見知り”に含まれる人物だったから。
彼は私の行きつけのカフェの常連だ。
定位置は二階の、階段の一番近く。
いつもどこぞの喜劇王のような格好をしていたので、初めて見た時は物凄くインパクトが大きかった覚えがある。
それにしても何て奇遇なんだろう。
彼の方は私を知らないのか、それとも知っていて声を掛けてきたのだろうか。
「今日は、肌寒いから、その薄手の格好で長時間外にいるのは感心できない。だからお嬢さんに、私のストールをあげよう。何、いつもカフェで出会うよしみでだよ」
……どうやら後者だったみたいだ。
しかも、なんて人が良いのか、私に新品同様のストールをかけてくれた。
確かに温かいのだが、流石に貰ってしまうのは悪い気がする。
手触りから言っても、高級そうだし。
私が「大丈夫です」と突っぱり返そうとしても、彼は
「きみがこのまま風邪でも引いて、カフェに来られなくなってしまうのはいただけない。私はきみや他の常連客を含めたあの空間が好きなんだ。
それに、これをきみに受け取ってもらえないということは、私の好意が拒絶されたことになる。老いぼれの心は繊細なんだよ。家に帰ったら、あまりのショックにベランダから投身自殺をしてしまうかもしれない」
それだけ言い残して立ち去ってしまう。
最後の脅し文句に何も言えなくなった私は、ありがたくストールを頂戴することにした。
……私のせいで死んでほしくないしね、うん。
黒ずくめの男から貰ったストールが、実はビキューナという幻とも呼ばれる繊維100%で編み込まれた、うん百万はくだらない高級品だと知るのは、そう遠くない未来の話。
真っ黒男が去ってからも、しばらくそこに居続けていると、今度は、通りがかりの若い兄ちゃんたちに絡まれた。
見るからにチャラチャラしてるその人たちは、ニヤニヤと、ニヒルな笑みを浮かべて私を取り囲む。
「きみ、可愛いね。こんなところで何してるの?」
仲間に「コウ」と呼ばれていた男が、代表して私に話し掛けてくる。
後ろの人たちが、「コウがナンパなんて珍しい、雨でも降るんじゃねーの」と笑い合ってたから、名前に間違いはないはず。
でも、面倒なので、放置だ。
金目の物なんて、真っ黒男から貰ったストールしか持ってないから、恐喝されても一文も出せやしないもの。
「一人?それとも誰か待ってる?」
「……」
「お願いだから、こっち見てよ」
……恫喝にしてはやけに柔らかい物腰だな。
敢えて合わせていなかった視線を渋々男に向け、お望み通り観察してやる。
私に対して宣っている男は、周りの連中よりはギラギラを抑えた服装で、髪は茶色、なかなかに端整な顔立ちをしていた。
男が「もう日暮れになるし、いつまでもここにいるのは危ないよ」など私に親切心を見せる度に、周囲はゲラゲラとからかうように笑う。
早く立ち去ってくれないかなあ、なんてぼんやり思案していると、一番後ろにいた、ザ・チャラ男の代名詞を我が物にするような男が、私を見て顔色を無くしていた。
「ちょ、こ、コウ!この子ダメ!本当ダメ!劉さんのお気に入りだから、手ぇ出したら殺される!」
―――殺される?
チャラ男が“劉”という名前を出した瞬間、今まで馬鹿みたいに笑っていた男たちの空気が、ピシャリと凍ったように思えた。
そして、何故か、私に畏怖の念を向けてくるようにも。
「……劉の?」
コウだっけが分かりやすく眉を顰めて、チャラ男に聞き返した。
信じられない、といった様子だ。
私も訳が分らん。
人違いじゃないの?
少なくとも、私は、劉なんて人は知らない。
「ね、きみ、俺のこと覚えてる?何度か“デン”で会ってるんだけど。あ、俺、桃哉って名前。ちなみに字はね、果物の桃に、裁縫の裁の衣を口に変えるだけ」
“デン”とは、私がよく行くカフェの愛称だ。
うーむ、確か、常連客の中でも有象無象に紛れることのない、特異な人物……いつも店内二階の最奥を陣取る男がたまに連れる取り巻きの中に、この男がいたような気もするが……。
いささか記憶には自信がないため、曖昧に流しておく。
「何、劉のお気に入りなのに、桃哉と初対面なの?」
コウが訝しげに訊ねた。
「そだよ。コウだって、この子のこと知らないだろ?つまり、そういうことだよ」
「……ふぅん、孤高の虎と称されたあの劉の片思いなんだ。何それ、笑える」
会話についていけないのだけど、別についていく必要がないことに気づき、私はまたぼやっとする。
そろそろお腹が空いてきた。
「そっか、“デン”でね……。あそこの店主は苦手だから赴く気になれなかったけど、この子が劉に目を付けられる前に、行っておけばよかった。そしたら、俺だけのものにできたかもしれないのに。残念」
……後半はなんだか寒気がしたから気にしないことにしても、あのカフェの店主が苦手とは珍しい。
いつも人の良さそうな笑顔を浮かべる、体面は完璧に取り繕われた人なのに。
大概、人は彼に好印象を抱くので、圧倒的少数の、珍奇な部類にコウは含まれる。
私も店主が噂の聖人君子には思えないけれど。
「きみ、名前は?」
コウに髪を撫でられ、堪えきれず威嚇すると、「毛を逆立てた猫みたいだ」と目を細められてしまった。
そうじゃない、手を離せ。
「名前は?」
「……」
「ねえ」
「…………梨衣」
「そう、りぃ。可愛い名前だね。良かった、これで答えなかったら手籠めにでもしちゃおうかと思ってたよ」
ぶるっと背筋に悪寒が駆け巡った。
モモ(覚えやすかったのでチャラ男はモモと呼ぶことにした)が、「おい!」と宥めてくれるも、コウにはどこ吹く風。
次の刹那には、夕食の誘いを貰ってしまった。
「おい、コウ、やめろって。劉だってりぃとマトモに話したことないのに、俺たちが抜け駆けして、しかも夕飯を共にしたなんてことが知られたら、マジで生き地獄を味わう羽目になる!」
「その時は桃哉が犠牲になればいいよ。それに、こんな場所にりぃを一人残す方が、劉の怒りを買いそうだし。
ね、りぃ、もしかして今、家に帰れず露頭に迷ってるんじゃない?」
特にこだわりはないが、私の呼び名は“りぃ”で定着したらしい。
コウの問いに、重たい首をコクンと揺らす。
「え、嘘、マジ?よし、なら今日からこの俺がりぃの保護者になってやるよ!」
「それこそ劉に絞められそうだね。ということで、夕飯は俺たちと食べよう。劉に連絡するのはその後でいい」
私の意見はどこへやら、強引なコウに否応なしに引っ張られ、私は彼らと食事を摂ることになった。
連れて行かれた先が、この街でも有名な高級中華料理店だったのは、本日一番の驚きである。
チャラチャラ集団のどこに、そんな軍資金があるのか不思議でたまらない。
親のスネかじりか。
そうなのか。
店の駐車場でSPらしき人たちを引き連れたナイスバディのお姉さんを見掛けた時、これまた既視感を覚え、追想してみると、“デン”の常連客の女性に酷似していることが分かった。
彼女はよく、トイレに一番近い席に坐し、眼鏡を掛けてパソコンと格闘していて、たった一度だけだが話したこともある。
てっきりOLさんかと思い込んでいたのだが、黒塗りの運転手付き高級車に乗車するところを見ると、的外れにも程があった。
私が不躾にも彼女を凝視していたものだから、すぐ隣にいた、いくばくも間がないほど至近距離に詰めていたコウが、わざとらしく顔を殊更に近づけて教えてくれた。
「彼女はこの街の女帝。水商売の総本山だよ」と。
耳に息が触れて、居心地の悪いこと悪いこと。
すぐにペイっと引き剥がしてやった。
彼女が車で去ってく際、半分ほど開いた車窓から、こちらを覗く流し目と視線が絡まり、蠱惑的に微笑まれたのは私の思い違いだろうか。
確かめる術もないから、深慮のしの字も悩まなかったけど。
コウがその時、「それにしてもりぃ、彼女にも気に入られてるんだね」と呟いてたような。
それから高級料理を心ゆくまで堪能し、チャラチャラたちは彼らだけで勝手に盛り上がり、まさに宴会さながらの晩餐となった。
他のお客さんには大変迷惑なものだっただろうが、従業員に至るまで誰もかれも文句を訴えてこなかったので、チャラ男どもの権力の重圧が顕著に見て取れる。
やっぱり金を制するものが世を制するんだねと、悲しい事実が浮き彫りにもなった。
店を出た後、モモはどこかへ電話すると言って数分姿を晦ませ、戻ってきた頃には、何やら血相を変えていた。
コウに言わせれば、「やっぱり」だそうで。
「い、今から、“デン”に行こう」
切羽詰まった様子で汗をだらだら流すモモが、とても小さく可愛く見え、私はコウにつられて笑ってしまうのを必死に耐えた。
どうやら、劉という人物に会いに行くみたいだが、たったそれだけのことにどうしてここまで怯えるのだろう。
私の予想が正しければ、“劉”は、“デン”の常連客の、いつも最奥に居座るあの男だ。
風変わりな人物が多い常連客の中でも一線を画す男。
だが――モモに「冷酷非情の鬼」と揶揄されるには、少しばかり迫力が足りないというのが、私の正直なところの見解である。
「りぃ!!」
“デン”の店内に足を踏み入れた瞬間に、私は正体不明の影に抱き締められた。
加減ない力の強さに思わず、痛い、と声が漏れる。
「ああ、悪い、りぃ。お前をこの手に抱ける日が来るとは思わなかったんだ。愛しのりぃ、もう離さない」
私を抱き締めるこの男こそが、“劉”。
甘ったるい視線と、蕩けてしまいそうな表情は相変わらずだ。
周囲の男たちは、そんな劉に、信じられないといった様子で目を見張る。
私が“デン”で時間を過ごすうち、こちらが焦げてしまいそうなほど熱っぽい視線を感じるようになったのは、いつからだったか。
初めは大して気にしてはいなかったのだが、あまりにもねちっこいそれにとうとう業を煮やし、視線の正体を探ると、行き着いたのが彼だった。
見るからに凡庸とは無縁の男に自ら関わるのは億劫だったので、その後は知らんぷりを突き通したが。
瞳の奥底に滾るような熱を持ち、人目も憚らず終始私を見詰めてくるこの男が、他人から畏敬される人間だと言うのだから、とんだ失笑ものだ。
彼のどこが恐れに足るという。
「りぃ……」
「離して」
ほら、私が冷たく言い放つと、途端に悲痛に歪んだ表情を見せてくれる。
それでも私の言葉に従ってくれるのだから、なんてまめまめしい男だろう。
「りゅ、劉さん……」
モモが見るからにぎこちない笑みを携えて、声を振り絞る。
そんなモモに、劉は、剣呑な一瞥をくれてやるだけで、それで輪をかけてこの場の空気に緊張が走った。
私に振り返ったやつは、そんなのお構いなしに、満面の笑顔だったけど。
「りぃ。俺がどれだけこの日を夢見たことか……。ああ、郷野の爺さんからストールを貰ったのか?あの人は遠国に石油会社を持ってるし、りぃのこともだいぶ気に召してるようだから、好きなだけ金を搾取してやればいい。りぃのためなら、喜んで差し出すだろう」
……喜劇王もどきの男の正体も明かされたところで、質問したいのだけど、この店には一体どれだけの権力者が集ってたわけ?
何も知らず同じ空間で過ごしていた自分に拍手を送りたい。
よくもまあ、場違いな常連客の中に紛れていたことで。
「なあ、どうしてりぃは家を飛び出してきたんだ?あの男がそう簡単にお前を手放すとは思っていなかったから、俺としては好都合なんだが」
「……あの男?」
「っ、りぃの惚け声……っ!やばい、興奮する。キスしたい。ていうかしよう」
「は?ちょ、っ!」
やられた。
抗議の声は掻き消され、劉の小綺麗な顔が視界いっぱいに広がると同時に、唇を奪われる。
しかも、舌まで挿し込んできて、まるで獣のように荒いそれに、私は必死に抵抗を繰り返すがいずれも意味を成さず、思う存分に口内を犯された。
くそぅ!
最後にちゅ、と音を立てて唇を啄まれ、ようやく長い長いキスが終わる。
酸素不足で上がった息を必死に整えながら、劉を睥睨したが、それも彼にとっては甘美なものらしく、うっとりと見つめ返されてしまった。
うわあ……。
「劉、せめて、そういう行為はもうちょっと順序立てないと」
ぐいっとコウに肩を引っ張られ、まるで劉から隠すように、コウの背後に追いやられる。
少し、怒気を含んだ声だったが、言っていることは至極正当だ。
会って数分で接吻とか、恋人同士じゃないんだし、下手したらセクハラだよね。
「は?コウ、お前だって出会ってすぐ、りぃと楽しく飯を食いに行ったんだろ?人のこと言える口じゃねえだろ」
「ご飯を食べに行くのとキスが同等の扱いだなんて、まさか本気で思ってないよね?」
二人して一触即発の空気を醸し出すのは構わないんだけど、これ誰が止めるの?
モモに助け舟を求めたが、顔を真っ赤にして視線を逸らされてしまった。
……どうやら私と劉とのキスシーンは、彼には刺激が強過ぎたらしい。
意外とピュアなチャラ男は役に立ちそうにもないので、仕方なく、私が二人の間に割って入った。
面倒臭がりな私が仲介人を買って出るなんてそうないことだから、感謝しろ男ども。
「ねえ、それで、あの男って誰?」
まあ劉の場合、私が話し掛けてやるだけでオーケーみたいなので、苦労はしないけど。
こういうのを鶴の一声と言うんだなあ。
劉は、忠犬よろしく、即座に私の前にやって来た。
「りぃの騎士気取りのあいつだよ。名前を出すのもおぞましい。あいつ、りぃに関わるなと俺に脅してきたんだ。
表向きは一介の会社役員のくせして、ムカつくことに俺らと同等、もしくはそれ以上の力を持ってるし、なんとか、俺からりぃに話し掛けないという妥協案で手を打ってもらったんだけど、見つめるだけの日々は死生観すら生じるほどに、身を焦がすもんだった」
真摯な、それでいて深淵にうっすらと気迫を滲ます劉に、私はさしむき「へえ」と相槌を打っておいた。
率直な感想、どう反応すればいいか分からなかったのである。
「自分はりぃが幼い頃より外敵から守ってきた、事実上、りぃは俺が育てたようなもの、つまり俺のもの、だあ?ロリコンもいい加減にしろっつーの!あいつの隙に付け入ろうと、密かに毒牙を研ぎ澄ませていれば、幸運にもりぃの方から俺のもとへ転がってきてくれた。ハッ、あの男の悔しがる様は想像に容易い」
私から、というより、母に家を追い出されたから今ここにいるのだけど。
それよりも、“あの男”の正体が分からない。
……ん?
でも私が幼い頃から、ってことは……?
母の男遊びは私が自我を持つようになった頃から盛んで、その美貌を武器に男を取っ替え引っ替えだったが、唯一、現在まで続いている男の人がいる。
彼は多額の融資を我が家に費やしてくれ、おまけに容姿も良く、母の方も最高のパトロンだと、彼にべた惚れだった。
かと言って、数多の男と枕を共にすることはやめなかったけど、私が今こうして生きていられるのは、彼の融資の条件が「娘さんを15歳になるまできちんと育てること」だったからに他ならない。
今日も確か、母はその彼と会っていたはずだが……。
「でも大丈夫だよ、りぃ。俺たちの将来への布石は粗方整えられたから、あの男がりぃを返せと言ってきても、追い払うだけの力はもう十分持てた。潰すことができないのが、遺憾極まりないが」
ちなみに、私の誕生日までは、あと四時間ほど。
つまり明日で、私は15歳になる。
さらに言えば、母と出掛けるために我が家を訪れた後援者の彼が、「ようやくですね、これからは今よりもずっと近くにいられます」と私に意味不明の挨拶をしてきたことが、今朝の出来事。
あれ……?
―――そして、普段は温厚な彼、布瀬さんが攻め込む勢いで店にやって来て、私の親権?を巡って劉といがみ合うことになるのは、わずか数分後。
そのいざこざを店主によって嗜められ、結果、折衷案として、私は二人の用意する寝床を行き来する生活になった。
で、劉の正体がヤのつく組を束ねる人で、モモやコウたちがその傘下だと知る。
さらには、馴染みのカフェの店名が【Den von Dämonen】、意味は“魔物の巣窟”だとも分かった。
カフェの二階にはいつも同じメンバーしかいなかいことを不思議に思ったことはないかい、と店主に訊ねられ、首を横に振ると、二階には自分が気に入った人間しか上がらせないようにしていることを教えてくれた。
お溢れを狙って、主に財力者の憩いの場にしていたらしいが、そこにスパイスとして私を投入してみたんだって。
結果はチョベリグ、だそうで。
母とはあれから会っていないが、布瀬さん曰く、一生遊んで暮らせるだけの金はやったそうなので、何も心配はいらないだろう。
布瀬さんは母に対する特別な感情はないらしく、当分彼のロリコン疑惑が拭えることはない。
私?
私は今、それなりに慊焉たる生活を送っているよ。
女帝とは会えば女を磨かれるほどに仲良くなったし、喜劇王は何かと私に至れり尽くせりだし、時には知識不足な私のために啓蒙してくれる。
なんか、モモまでもが劉と同じ瞳をするようになっちゃったけど、これはよく分からない。
この街を支配するみんなに、他に目移りできないほどの愛を注がれながら、私はゆっくりと、彼らの作る囲いに囚われてゆく。
彼らの愛が重たすぎるのは、玉に瑕だけど、それなりに充実した日々を過ごしてると思う。
あ、最後に一言。
顔見知りって、すごいね。