この世界について私が思うこと
エネルギー危機、環境問題、戦争、紛争。人種差別、不景気、領土問題。エトセトラ。
かつて、私達人類には数え切れないほどの問題があったらしい。
それは今から2000年以上も前のこと。
世界は1500年も前に一度限界を迎え、無事に文明は滅んだ。私にとってはそこで終わってくれたほうがよかったんだけど、人類はそう簡単に死滅しなかった。
1000年の時を経て、人類はかつて以上の世界を手にいれた。科学者たちが頑張ったようだけど、正直なところ私はまったく興味がない。
そんな私の両親は科学者なのだから私にとって世界というのは非常に面白くない。
これ以上技術を発達させてどうしようというのだろう。私は両親も含めて、科学者はバカじゃないかと思う。
現時点の技術で、人類が生活する上で労働は必要がない。義務でもないし。
私の両親は趣味で科学者なのだ。
食糧となる家畜や野菜の栽培、エネルギーを生み出すための装置の管理、さらには家事全般、医療的なこと、遊び相手、子守り、育児、話し相手、果ては喧嘩の相手まで、全て機械だのロボットだのメカだの、私の大嫌いなもので世界は動いている。
大人、という抽象的なくくりに−−14歳の私から見て−−入る人達は皆、口を揃えて便利になったという。
私にとっては生まれた時点で当たり前だったし、そもそも100年も前から確立されているシステムなのだから、貴方達も何一つ不便な時代を知らないだろうと思うんだけど。大人なんかに構っているのはそれこそ時間の無駄だ。
なんだかんだ嫌いだの苦手だの言いながらも、結局私もこの機械だらけのシステムを使って生活しているのだし。
それはそうだろう。こういう生き方しか私は知らないから。ブタがライオンのように生きるなんて、毛頭無理な話。
人類はみな、自由に、怠惰に、贅沢に過ごしている。私はそんな世界がつまらない。
私が1日ですることと言えば、食事と排泄と入浴、それから睡眠。あとは趣味として『過去文明の記憶』を読み漁ったり。当然ながら呼吸もしている。
たまに、友達のレベッカと外に出かけることもある。外に出るのは不本意だけど。
それでも、どうせ暇なことに変わりないのだし、人が楽しそうならば、私も多少は楽しいし。
なんだかんだで私は生きていたのだ。