四話:男の木の妄想
俺の目覚めは早い。天候に関係なく、日の光が世界をうっすらと染め始める頃に自然と目覚めるのだ。光合成を止めた夜型の体から、光合成を行う昼型の体に変わる為だ。
因みに、冬の間は日光で目覚めることはないが、日の長いうちの早起きに慣れた体は、冬でも暗いうちから目が覚める。冬の早朝の雪に埋もれた森は、なかなか綺麗に世界に映える。今は関係のないことだ。
今日も暁の空を見上げて伸びをする。気分的に。
今日はどうやら梅雨の晴れ間のようで、空を見渡しても雨雲は見えない。が、三年間ひたすら肌で感じながら天気を気にしてきた俺の予測だと、午後には雨が降りだす。当たる保証は全くないが。
さてさて、俺は目覚めてからというもの努めて平静を装おっていたが、そろそろ限界だ。今日は俺の命日なのだ。余計な思考に時間をとられたくない。
とはいっても、死ぬ前に何か出来るわけではないのだが。やはり頭を使うしかない俺の専売特許゛気分的に゛だ。
いい言葉だ。これから俺の口癖にしてやろうか。どうせあと数刻でこの世を去るのだから、口癖も何もないのだが、゛気分的に゛言ってみたかった。
とにかく俺は゛気分的に゛何かを成した気になりたいので、この世界では口癖があったという事実を作りたい。口などないから口癖も何もないのだが、それこそ゛気分的゛だ。
そうこうしているうちに、側にあった山がもそっと動いた。もちろんそれは比喩で、動いたのは暫定的に俺が猪と呼ぶ生物だ。
長い体毛を揺らし、四本の脚で大きな体を持ち上げた猪(暫定)は、ぐぐっと体を伸ばす。長い鼻をブンブン振って、まるでラジオ体操でもしているようだ。
「お腹減ったー」
目覚めた第一声がこれである。俺の命など風前の灯火どころか、胃の中の蛙だ。誤字ではない。
我ながら少々上手いこと言ったのではないかと自画自賛するが、評価してくれる存在はどこにもいない。俺は脳内言葉遊びをするのが関の山だと言うことか。
バカにしやがってこのヤロー。だったら最後くらい、お前を使って遊んでやる。もちろん゛気分的に゛。
ということで、俺は一人で恋人ごっこをすることにした。もちろん恋人役は目の前の猪(暫定)である。寝起きの彼女とか、状況としてはグッドだ。
だから俺は『おはよう』と言う。それに対して彼女も『ん、おはよう』と返すのだ。当然ながら俺は喋れないので全て゛気分的゛なものだ。
…………あぁ、なんだ。飽きたというか……恥ずかしい。いくら自棄になったからといって、自分を食べようとしている猪(暫定)を脳内で恋人に変換するのはアウトだろ。そもそも相手は生物としての分類すら不明なのだ。恋人にするならせめて名前くらい知っておくべきだ。
そういう問題ではないのはわかっている。でも、折角転生したのだから、彼女の一人や一匹や一本くらいは欲しかった。出来ないのはわかっているから゛気分的に゛だが。
「いただきます」
空気の読めないお馬鹿な彼女が大口開けて襲い掛かってきた。いや、大体この化け物はオスなのかメスなのか?勝手に彼女扱いしていたが、もしかすると彼氏だったのか?それは本当に辛いことだ。
『男の木×大猪の雄』とか、よっぽど特殊な趣味の人間でも思いつかないだろう。俺はよっぽど特殊な領域を踏み外してしまったのではないか?何故だろう。目から汗が溢れる。
色々と省略した挙げ句に゛気分的に゛と言っておこう。それすらも゛気分的に゛。
ぎゃー。貴重な枝が一本むしられた。
大猪の長い鼻が、若木の枝に撫でるように絡み付き――とか書くと少しはそれっぽく聞こえるだろうか。もちろん『男の木×大猪』の話だ。
あ。マジで鼻を絡みつけてきた。残念ながらなのか、有難いのか、エロい意味ではなくへし折る為だが。俺の細い棒は大猪の口に含まれる。
馬鹿じゃないのか俺は。誰か俺を殺してくれ。変な妄想をしすぎて恥ずかしい。妄想が止まらないのだ。
再び大猪の鼻が俺に伸びる。こういう時、普通というと可笑しいが、殺されかけた時はどう反応するものなのだろうか。
やはり「ぎゃー、助けてー」とわめきたてるのだろう。少なくとも男同士がLOVEする妄想なんてしないはずだ。そもそも一体何がどうなればあんな思考にたどり着くというのだ。
とにかく、飽くまで生物で在りたいと願う俺は、助かる望みなどないとわかった上で喚くのだ。もちろん゛気分的に゛。
『ぎゃあああぁぁ!!助けてええぇ!!』と。割りとマジな感じになってしまったのはご愛嬌。俺だって別に死にたいわけではないのだ。諦めが早いだけで。
やっぱり死ぬのは怖い。だから俺は馬鹿な妄想に走ったりする。妄想の方が現実よりも恐ろしかったのもご愛嬌だ。
『死にたくねぇぇぇ!!』と゛気分的に゛叫んでみるのだって、仕方がないことだ。だって本心なのだから。
「うわっ!!喋った!?」
…………。
…………世の中何が怒るかわからないものだ。世の中なんてほとんど知らないけど。
・・・・・・・・・・・
side 大猪
とても甘美な薫りに惹かれ、向かった先にあったのはとても美味しそうな若木だった。実際に食べてみると予想以上に美味。
だから直々に一晩中他の動物に盗られないように護衛した。この若木は本当に美味しいのだ。誰にも渡したくないと思えるほどに。
朝目覚めると、あの若木は誰にも盗られていなかった。巣穴を離れて護衛した甲斐があったというものだ。
そんなことを考えていると、どこからともなく『おはよう』という声が聞こえてきた。不思議に思ったが、この辺りに住む精霊の声だろうと無視をした。
未だ甘美な薫りは衰えず、むしろ雨に掻き消されていない分、芳香は強くなっている。味も少し濃く感じる。
鼻を近付けて嗅ぐと、頭の中が蕩けるような気持ちになる。そのまま鼻を巻き付け、薫りを嗅ぎながら食す。本当に旨い。
もう一度、と鼻を近付けると、『ぎゃあああぁぁ!!助けてええぇ!!』と断末魔のような声が聞こえた。音源は不明だが、今はそんなことより食事だ。
そう思って鼻を近付けると、今度は『死にたくねぇぇぇ!!』と叫び声が聞こえた。「うわっ」と声が漏れてしまう。しかも、音源は目の前の若木。どう聞いたってこの若木から聞こえた。つまり、若木が
「喋った!?」
飛び上がるほど驚きの出来事だ。




