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三話:梅雨の大猪


梅雨。雨が沢山降るのだから、蓄えて置かなければならない。梅雨が明ければ夏になる。その間雨の量が減ったりすると、乾燥で衰弱することもある。その可能性を僅かでも減らす為、雨量の多いうちに備蓄する。


これは経験でなく本能だ。態々意識しなくとも、梅雨の間は水を蓄えようと体が動く。


水を蓄えるというのは、幹や枝や葉に水を詰めることともう一つ。根で地中の水を抱え込むのだ。意識しても動かない体が、この時ばかりは僅かに意思で動く。本当に僅かだが。


こうして貯めた水を、夏の暑さに対抗するように蒸散したりして使ってゆく。


ただ、恐ろしいのは、水を大量に蓄えることが出来ないということだ。水を抱えている根は、栄養を吸うことが出来ない。だから無駄に水を抱えていると栄養を地面から吸えず、下手をすれば枯れる。所謂、根腐りというやつだ。


その夏の暑さや自分の体の栄養状態を考えた上で行動しなければならない。ただここに生えているだけの木も、ちゃんと努力して生きているのだ。意識した生命活動とは、なかなかに大変だ。


これだけ自己管理を行っていれば、人間の体でのダイエットなど、簡単に出来るだろう。自分の必要な栄養より下回る栄養を摂ればいいだけなのだから。人間は運動が出来るからな。そう考えると更に簡単だ。


いや、人間は俺と違って自分の栄養を感覚では測れないか。意外と難しいのかも知れない。生命維持に必要な栄養素とかあるし。


俺の場合は葉緑体が勝手に栄養を生成してくれるからな。食事の時間がない分、効率的な生を送れる。そもそも動けないから時間が余って仕方がないけど。


それでも、まぁ、折角転生したのだから、この木生を楽しんでみてもいいと思う。元はのんびりと異世界ライフを楽しみたかったのだが、今ではすっかり弱肉強食の世界の中だ。しかも、弱肉強食の世界の中に立っていながらにして、傍観者を極め込める。


よくよく考えてみると、実は俺って結構な役得ではないだろうか。面倒なことは一切なく、ファンタジーのど真ん中に立てるのだ。


自分が無双出来ないのは残念だが、傍観者という言葉は地味に魅力的だし。


そんなことを考え続けて、俺は弟の死を乗り切った。まだ生まれたばかりの弟だったから、正確には自分の無力さを乗り越えたというところか。理論武装して、何も出来ないことの言い訳は完成。


別にそれで構わない。いくら悩もうが苦しもうが、俺が何も出来ないことに変わりはない。ならば早々に諦めて傍観者を気取る方が幾らも有意義だ。


前世では『諦めるな』とかなんとか言っていた奴もいるが、今の俺の状態を見て同じことを言える奴などいるだろうか。俺は何も成せないぞ。




今日も雨降り、正しく天の恵みを体で受ける状態だ。とはいっても、ただただ雨に打たれているだけなので、気持ちよさなど有りはしないが。


そういえば、俺は野外で全裸だ。もしも俺が変な趣味を持った人間だったら、妙な気になったりしたのだろうか。人なんてほとんど通らないからそうでもないのか。


俺は露出の趣味なんてないからわからないし、どうでもいい。むしろ知りたくない。


更に言うなら、森中の動植物が全裸だからな。動物の方は体毛で覆われているから、全裸とは少し違う気もするが。言うなれば、ピンポイントの露出だろうか。社会の窓を故意に開けているような。


「旨そうもの見っけ」


男の子らしい変な妄想をしていると、嫌な気配がムンムンしてきた。どっかで聞き覚えのあるセリフ。いや、その何処かは此処だが。動けないし。


「いただきます」


現実逃避に耽っていると、枝が一本食い千切られた。別に痛くはないが、恐怖感がヤバい。


「うまっ。若木は柔くて旨い」


そんなグルメな感想要らんわ!と内心愚痴りつつ、俺を食った無礼者に目を遣り、血の気が引いた。いや、血は無いけど。気分的に。


また一本枝がむしられる。枝を折られた傷口が痛くはないがスースーする。傷口が空気に晒されたような感覚。傷口が空気に晒されているのだから当然か。


目の前にいるのは、体長三メートルは有ろうかという大猪。それなりに成長した俺と同じくらいの高さがある。横幅は猪の方があるが。


猪と言っているが、正確に言えば猪っぽい生物だ。猪のようにどっしりした体に、象のように長い鼻、牛のような太い角、固そうで長い体毛を持つこの生物は、猪っぽく象っぽい生物だ。俺のようなひょろい木など、突進一度で粉砕できるだろう。


ぎゃー!また一本食われた!このままだと全部食われる!この猪(暫定)の巨体なら、俺くらい余裕で食ってしまうだろう。


俺の命もここまでか。こういう時、既に諦めていると楽に受け入れられるな。無駄に喚く気概もない。喚く口もない。


「あー、今日はもうお腹いっぱいかなぁ。毛玉食べたし」


流石は猪(暫定)。雑食か。


「この木は明日に置いとこ」


………………。嘘だろ。生殺しかよ。やるなら一気にやれよ。死刑宣告なんて辛すぎる。


そのままノシノシと猪(暫定)は森に消えていく。あ、近くの木にマーキングした。俺が引っ掛けられなくてよかったと地味に安堵する。流石に動物の糞尿を直接掛けられるのは嫌だ。


それにしてもマズイことになった。あのまま食い散らかしてくれればよかったものを、下手に生かされるから生き残りたくなったじゃないか。この世に未練が残ったらどうしてくれるんだ。


まぁ、友達どころか知り合いの一匹だっていないし、財産すらない世界に未練なんて残しようがない気もするけど。弟が食われた時点でその辺りは麻痺してしまったから。


ボンヤリと雨に当たっているうちに、辺りはすっかり暗くなり、虫と鳥の鳴き声が響き始める。雨も次第に勢いを弱め、気付けば雲間から星空が姿を見せていた。


べちゃべちゃと暗闇の森から音が鳴り、そちらに目を凝らすと、あの猪(暫定)がこちらに歩いてきた。気が変わって今日食べることにしたのだろうか。野生動物なのだから、腹が減って気が変わることなんて不思議ではない。


そう思ったが、どうやら猪(暫定)は俺が他の動物に食われないか見張りに来ただけのようで、俺の側に足を折って座り込んだ。こんな怪物がいれば、確かに俺は襲われないだろう。この猪(暫定)以外には。


心の中で溜め息を吐き、空を見上げると、曇っているが澄んだ空気が目に映る。何も出来なかった世界だが、明日には命が尽きるのだと考えば、僅かな悲しみが芽生える。


寂寞とした森に、大声を上げて駆け出してみたいと思った。



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