十九話:地蟲の変化
春も深まり、暖かな天候が続くこの頃。今日は少々暑く感じるような天気の良さである。
天気が良いと、ジムシちゃんがはしゃぐ。目覚めて第一声は「筋トレ日和だー!」だった。何時からこんな筋肉娘になってしまったのだろうか。『鉄挟虫』には蛋白質が多分に含まれているとみた。
ジムシ曰く筋トレ日和な今日のメニューは、片腕立て伏せ3セット、片腕懸垂5セット、片腕ランニング1セットだ。1セットが何回かは想像にお任せするが、筋トレだけで半日潰れるような回数だ。ドン引きである。
黙々と逆立ち片腕立て伏せを続けるジムシは、汗でびしょびしょだ。顎や鼻から垂れる汗で、地面が濡れて黒く変色している。
『良い顔してるよな。筋トレ中は』
「まあ、ね。汗をかく、のって、気持ち、いい!よね」
『………そうっすね』
喋る余裕があるのに驚きだ。一体どんな身体の作りをしているのやら。
『あれ?ジムシってさぁ』
「ん?」
『髪、短くなってない?』
「おそっ」
初めて会った時は背中の辺りまであったはずの黒髪が、今は耳を隠す程度になっている。いつの間に切ったんだろう。春先に来た時は……短かった気がする。
ということは、俺はジムシの髪型が変わったことに二ヶ月近く気付かなかったことになる。まるでとても気遣いの出来ない奴みたいじゃないか。
『いや、あれだ。あまりに似合ってるから、ほら、違和感がなかったみたいな』
「別に、いいよ。私、なんかに、興味は、持たないでしょ」
参ったな。こんな微妙な空気になるくらいなら言わないでおくべきだった。下手に何でも口に出すべきじゃないな。口に出したわけではないけど。
『なんで短くしたんだ?綺麗な髪だったのに』
「追われてる時に、燃やされた。チリチリに、なったから、切った。私も、気に入ってた、けど」
『あー……そうっすか』
なんか次々に踏む必要のなかった地雷を踏んでいる気がする。きっと春の陽気に当てられて、思慮が浅くなっているんだ。
そうに違いない。そうでなければ、こんなに空気が悪くなるはずがない。最近やっとジムシと打ち解けた会話が出来るようになってきたのに。
どう言い繕おうか悩んでいると、ジムシが右腕で跳ねて移動を始めた。俺は゛気分的に゛冷や汗が止まらない。
「川で水浴びして来る。今日の筋トレは終わり」
『あぁ……と、うん。気を付けてな。ベノムローチとか、特に』
俺の言葉に反応を返さず、ジムシはテンポよく跳ねて行く。右腕での感覚も大分掴めたようだ。あっという間に川に向かって消えてしまった。
しかし、非常にマズイことになった。いくら何でも今日の俺は配慮が足りなかったと思う。だが、それを踏まえても、だ。あのジムシの反応は少し過剰ではないだろうか。
髪のことに触れて厭な過去を思い出させてしまったのは確かに悪かったが、そんなこと俺が知っているわけないのだから、目くじらを立てすぎな気がする。いや、俺もちょっと配慮が足りなかったことは自覚しているが。
悶々と悩んでみたところで、ジムシの過剰反応の理由なんてわからない。髪が短くなったことに気付かなかったくらいで、普通はあんなに怒らない。髪が長い状態を見たのだって一回だけだし。
そんなことより、ジムシは川に行って大丈夫なのだろうか。この時期はベノムローチが活発化しているはずだ。下手をすれば、ジムシもマリアのように戻って来ないなんてこともあるんじゃなかろうか。心配だ。
意識してしまうとどうも落ち着かなく、そわそわと゛気分的に゛貧乏揺すりが止まらない。マリアに続けてジムシまでいなくなるなんて、あって欲しくない。
俺は大切な友人(?)を失う悲しみには慣れていないのだ。マリアのことだって無理して割り切った気になったに過ぎない。
久しぶりにマリアのことで感傷に浸っていると、いつの間にかジムシが戻って来ていた。どこか嬉しそうに跳ねるジムシを見て、ホッと無い胸を撫で下ろす。俺は結構過保護なのかも知れない。
「カイっ、カイ!凄い!凄いことを発見した!」
水浴びに行って来たばかりだと言うのに、興奮と激しい運動でジムシは汗をかいている。一体どうしたのやら。
「見ててよ」
そう言うとジムシはいそいそと服を脱ぎ始める。確かに見ているのは唯の木である俺だけだが、もう少しくらい恥じらうべきだと思う。ここは野外だし。
ジムシは脱いだ服を頭に巻き、その隙間から左目を出す。どうやら、手放しで右目の穴を隠す方法を見つけたことが嬉しいようだ。
「これで常に両手が使える!攻撃力も俊敏性も二倍になったわ!」
『ええと、あぁ……うん。凄いな、ジムシちゃんは』
特に惜し気もなく曝されている肉体美が。肩回りの筋肉や胸筋、腹筋が半端ではない。可愛らしい顔でキラキラと水を滴らせる女性なのに、色っぽさが全くない。肉体的な意味で残念美人だ。性格も顔も悪くないのに。
むふふ……と色っぽい笑みを浮かべるジムシだが、首から下の女らしさは慎まし過ぎる胸だけだ。マニアックな趣味がないと発情出来ないだろう。
「両手使えるからカイに登れるわよ!」
童女の笑いながら、ジムシは俺の幹に腕を回し、腕力と握力だけで登ってくる。両腕パワー半端ないな。
『ちょっとは胸を隠そうとか思わないのか。一応だが、お前は女で俺は男だろう。俺の性別ほど曖昧なものもないが』
「いいのいいの。カイは木だし。どうせ私の身体に色気が無いとか思ってるんでしょ?」
自覚は有るのか。自覚した上でこれだと、救いようがないな。自覚が無いなら無いで救いはないが。
「あ、これ以上は枝が折れそう。ってことで、この枝は私の特等席ね。見晴らし良いし」
ジムシの筋肉質な体重を支えられるギリギリの太さの枝に跨がり、幹に凭れ掛かる。楽しそうに鼻歌を歌うジムシは色気はないが可愛らしい。肉体と精神のギャップが大きい。これがギャップ萌えというやつだろうか。
「カイの上は、寝心地いいね。暫くは、ここで寝ることにするわ」
言うが速いか、ジムシはすやすやと夢の中だ。可愛い奴だ。
しかし、寝るのが速くて言いそびれたが、布で穴を隠す程度の考えは、もっと早く思いつかなかったのだろうか。大して奇抜な案ではないと思う……。そういう抜けたところも可愛らしいけど。