呪いの波紋(黒い水溜まり)
「呪いの箪笥」
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毎年の公式夏のホラーのお題に則った1話を紡いで連載になっています。
1 拾った箪笥 (帰り道)
2 呪いの箪笥が出来るまで (エピソード0)
3 箪笥を祓った拝み屋 (噂)
今回は時系列としては「拾った箪笥」の少し前のお話です。
この1話でもお楽しみいただけますが「呪いの箪笥」を先にお読みくださると、細かいところが全て繋がり怖さが倍増するように紡いであります。
よろしくお願いします。
カタリ…
ズ…
ズズ…
ズズ…
深夜になると聞こえるこの音。
昨日も一昨日もその前も。
もうずっと。
カーテンの隙間から漏れる街灯の明かりを頼りに、眠い目を擦りながら音の主を確認する。
「ああ…やっぱりまた出てきちゃった」
ガムテープでぐるぐる巻きにして閉じ込めたはずなのに。
ビニール袋に入れて、新聞紙で包み、さらにゴミ袋、そして段ボールに入れ、その段ボールもガムテープでぐるぐる巻きにしているのに。
「どうやって這い出てくるのかな。もう嫌になっちゃう」
暗い部屋の中。
夜中になるとズルズルと這い回る小さな黒い影。
闇より黒いその影が、それの存在を示している。
このままほっといてもいいのだけれど、一晩中動き回られるのも嫌。
「はぁ…めんど」
ベッド脇のテーブルの上、放置したカップ麺の食べ残しに刺さったままのフォークを手に取ると、ドロリとしたカビと一緒にすぐそこまで来ていた黒い影に刺す。
「んぎゃ…んぎゃぎゃ…」
小さなうめき声が聞こえたが、これも毎度のこと。
フォークから外れないようにそっと持ち上げると、ベッドから数歩ほどの冷蔵庫まで行き、フォークごと野菜室の中に投げ入れた。
「勘弁してよ…」
ベッドに戻り、ずり落ちた毛布を拾って包まる。
私、いつからこんなふうに暮らしているんだっけ…
部屋中に散乱した服やバッグ、コンビニ弁当の残りやビールの空き缶、ペットボトル…少し動けば一斉に飛び交うたくさんのハエ。
前はもっとキラキラしていたと思うのに……なんで…?
誰のせい?
ふと思い出した男の存在。
その男は目の前にいる。
「ねぇ、こんな事になったのはおじさんのせいでしょ?なんとかしてよ」
男の体を蹴っ飛ばす。
蹴飛ばした足がどぷりと男のカラダにめり込む。
開けっぱなしのクローゼットの中で揺れる紐。
その下に横たわる男の体。
男は体液という名の、黒い水溜まりの中にうつ伏せていた。
。。。
「今日からここで働く愛羅ちゃんだ。可愛いだろう?…お前等は手ぇ出すなよ」
「橋下愛羅です。よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げて上目遣いの甘えた声でそう言えば、だいたいの男性はチヤホヤしてくれると知っている。
働いていた田舎のスナック。そこに客で来ていた建物解体屋の矢橋社長と肉体関係になっていた。
社長には奥さんがいるけれど、別居しててもう何年も前から冷め切った関係だそう。
社長は私にベタ惚れで、おねだりすればなんでも買ってくれた。
「お前、ホステスなんか辞めて俺のところに来いよ」
ある日社長がそんな事を言ってきた。週二日、社長室に居るだけでお金をくれるって。
こんな美味しい話ある?私はすぐにスナックを辞めて、社長が用意してくれた部屋に引っ越した。
最初は楽しかった。
でも、しばらくすると社長にしか構ってもらえない事に退屈になっちゃって、ゆるい婚活サイトに登録して出会いを探した。
「独身」と言う男の左手の薬指。さっきまでそこにあったはずの指輪の痕に気づかないふりをする。
後腐れない、カラダだけの関係で暇を潰す。
もちろん会社の男性にも関係をねだった。
解体現場の下見について行き、2人っきりのところで「私たちの事は絶対内緒ね…特に社長にはバレないようにして…」ブラウスのボタンをはずしながら甘えるようにそう言えば、秘密を漏らす男はいなかった。
望まれるままに抱かれる事に悦びを感じていたある日、当たり前のように生理が止まっていた。
「1…2…」前回の生理があった日を指折り確認してみると、堕胎出来る時期はとっくに過ぎている。
いつも通り父親が誰かなんてわからない。それでも…当然父親は一人。
「ねぇ、社長に隠していた事があるの。私ね、赤ちゃんが出来たみたい」
恥ずかしそうに、嬉しそうにお腹に手をあててそう告げれば、社長は馬鹿みたいに喜んだ。
それから少しして、社長は奥さんと離婚が成立したと教えてくれた。離婚条件の一つとして、息子を会社で働かせる事を約束させられたそう。息子に自分を「社長」って呼ぶように言ったり、陰で息子の事を「馬鹿」なんて呼んでる。
「馬鹿はどっちか…」やっぱり親子だな。
。。。
その頃社長が大きな仕事を引き受けた。
他のどの業者も解体を請け負わないという古い大きなお屋敷。報酬は通常の4倍。破格値のその仕事。
何度も解体しようとしたけれど、その度に関わった解体業者が死んじゃう曰く付きのお屋敷らしい。
「愛羅もそのお屋敷見てみたいな」
私は解体とか関係ないし、この時代に曰く付きなんてヤラセでしかないと思う。
「今回行くのはうちの社員じゃねーんだよ。向こうさんがどう言うか…」
下見に行くのは社長がお願いした別会社の菊池さん。
そこの社長とは昔馴染みで、唯一、下見だけ引き受けてくれたそう。
派遣された菊池さんに「連れて行って」とお願いするが「何かあったら責任はとれない」と断られた。それでも「責任はうちで取るから」と社長が半ば強引にお願いしてくれて、車から降りない事を条件として一緒にお屋敷に行ける事になった。
大きな道を逸れ、両脇は休耕田の細道をしばらく進む。
周りに民家などはなく、この辺り一帯はすでにお屋敷の一部だと気付く。
やがて見えてきた大きな門。そこをくぐると広いお庭があり、母屋の近くに車を停めた。
長く放置されていた屋敷のはずなのに、不思議と庭に草など生えていない。
まるで時間が止まったかのように、無音の中に佇む威圧的な大きな屋敷。
そしてその奥にひっそりと控える石造りの倉。
「うわぁ、大きなお屋敷!あっ!蔵がある!面白そうっ!」
「いや…これ……マズイだろ…」
菊池さんは、フロントガラス越しにお屋敷を見上げて眉を顰めた。半袖から出ている腕には鳥肌がたっている。
「何がマズイの?」
「……いや…なんでも…」
ふと見るとお屋敷のお庭に大きな穴が見えた。
「あれ?あの穴は?水溜まり?」
少し水があるのか、その水面は樹々の黒い影を映していたため、黒い水溜まりに見える。
「え?…ええっと…」
菊池さんが見取り図を指でなぞる。その指先はかすかに震えているようだった。
「…ああ、本当は大きな池があったみたいです。水が干からびたんでしょう」
それからしばらく黙っていた菊池さんは「…やっぱ裏も見るか… 中は…ちょっと無理だな…すぐ終わるんで絶対そこで待って下さいよ」そう言って車を降りた。
「はぁ〜い」
屋敷に向かう菊池さんから目を外し、奥にある蔵に目を向ける。
母屋とは異なり、鬱蒼とした木々に隠れるようにひっそり建つ蔵。
「昔のお宝が残ってたりして?」こんな大きなお屋敷であればお宝の一つや二つはあるだろう。
すると、蔵の二階の窓からこちらを伺い見るような女の人影が見えた。その女は胸に何かを抱えているように見える。
「泥棒?」
確認するために車から降り、蔵に向かった。
ひんやりとした蔵の中が気持ちいい。
「さっき…人が居たのは2階よね…」
2階に上がるための梯子に手をかける。
「痛っ!」
古い梯子がささくれていたのだろう。手のひらを切ってしまった。
少し深く切れたのかもしれない。みるみるうちに傷口に血が滲んでいく。
「もうっ!最悪!」
やっぱり車に居れば良かった。でも、ここまで来たなら二階も見たい。
切れた右手を握りしめながらゆっくりと梯子を上がると、そこは埃だらけの空間。ポツポツと古びた物が散乱しているだけだった。
「なんだ。ゴミしかないか……せっかく登ったのに。つまんないの」
先程下から見上げた窓に近寄る。母屋が見渡せるその窓からは、菊池さんがメジャーを持ちながら電話でだれかと話しているのが見えた。
「あ。降りないように言われたんだっけ。見つかる前に戻らなきゃ」
窓から離れて梯子に手を掛けた時…
「え?」
何かが腰を引っ張った気がした。
振り返るが当然誰もいない。その代わり小さな箪笥のその奥に、隠すように置かれた包みが目に入った。埃に塗れ、黒くなったそれはまるで赤ん坊のように見える。
「えっ?赤ちゃん??………なわけないか…」
確かめようと伸ばした手からポタポタと血が滴るのも気にせず包みに触れる。
乾いた包みは求めるように、まるで腹を空かした赤子がこくこくと乳を飲むように、落とされた血を吸い取っていく。
「……何が入ってるのかな…?」
ボロボロの塊を開けようとしたその時、首から下げた会社用の携帯が鳴り出す。
「きゃっ!びっくりした!」
画面には「菊池」の名前。
「やばっ」
急いで包みを元に戻し、階段を降りた。
「どこ行ってたんですか!降りない約束したじゃないですか!」
いきなり怒り出した菊池さんの剣幕にちょっと引く。
「うるさいなぁ!そんなに怒る事ないじゃない!ちょっと車から降りただけなのに!」
菊池さんは険しい表情で私を見ると「……いや、もういいです…」そう言うだけで黙ってしまった。
帰りの車の中の雰囲気は最悪だった。
帰ったら社長に文句を言おう。菊池さんの会社とは関わらないでとお願いしよう。どちらが上かわからせてやらなきゃ。
会社に着くと、全ての書類を社長に渡した菊池さん。
「この書類は全て差し上げます。母屋や倉の中は見れていないのでお金はいりません。うちが関わるのはここまでです」
きっぱりと強い口調でそう言うと、さっさと帰ってしまった。私の出る幕はなかった。
「クソッ。たかが噂でこんな美味しい仕事を請け負わないなんて馬鹿げてる」
菊池さんに断られ、社長は怒っているのか足元にあったゴミ箱を思いっきり蹴っ飛ばした。
そして「しゃーねーな…」そう言うと携帯を取り出して誰かに電話しはじめた。
「おう、親父。何?」
「親父じゃねーだろ、社長と呼べと言ってるだろが」
なんだ息子さんか。
「お前、友達何人か集めろや。日当5万で仕事させろ」
「え!日当5万?俺も貰えんの?」
「ああ?……ああ、お前にもやるわ」
「現場どこよ?」
「………その日になればわかるだろが。とにかく人を集めておけ」
。。。
あの日から数日すると、社長が家に帰らなくなった。
私も会社に来るなと言われているので事情はよくわからないけれど、キャンセルが続いたとか、事故が…とか言ってた気がする。
現場に行かせた息子とも連絡が取れなくなったって怒鳴り散らしてた。
電話してもノイズが酷くてよく聞こえないし。
私は社長と連絡が取れない事をいい事に「妊婦でもオッケー」とか言う男とずっと遊んでた。
連絡が途絶えてからそろそろ1週間。
家に帰ってない事がバレたら面倒かなと、一度部屋に帰る事にした。戻ってみれば、かけたはずの部屋の鍵が開いている。
やばい。社長いつ戻ったんだろう。
「…社長?帰ってるの?」
靴を脱ぎながら声を掛けるが返事はない。
「ねぇ?いないの?」
電気をつけようとスイッチに手を伸ばした時、とてつもない痛みが腹部を襲った。
え?陣痛?まだ早くない?
「痛い…」冷や汗と震えが止まらない。「痛い!痛い!痛い!!!!」
動けずそのまま蹲っていると、破水したのか足元に大量の水が流れ出す。
「ぐっ…」どれくらい経っただろう。何度も襲う痛みの波を乗り越えた時、最大の痛みに意識が遠のく「つっっ…ぐっ…あああっ!」強烈な痛みに叫んだと同時に、痛みが切れた。
「はぁ、はぁ………産まれた……?」
足元に転がる泣かない塊。
「はあぁ…どうしよう…」
いつもは誰にも言わないでなんとかしていたけれど…
そんな事を考えながら動かない塊に手を伸ばす。
ぐったりとし、濡れたままの小さな顔。持ち上げると不意に瞼が大きく開いて眼球がぐるりと動いてこちらを見た。
「ひっっ!!」
思わず遠くに投げ捨てる。
ゴトリと音を立てて転がるそれ。
顔はこちらを向いているが、目は閉じている。
見間違いかもしれない。…でも確認するつもりはない。
「……疲れた……」少し眠ろう…
今、産み落としたそれはそのまま放置し、寝る事にした。
とにかく疲れていた。
だから気が付かなかった。
少しだけ開いたクローゼットの中で、揺れる影がある事に。
あれから何日経っただろう。風呂にも入らず寝て起きて、起きたら寝る日々。
お腹が空けばモバイル注文して、玄関先に置かれた物を取りに行く。
「そろそろあれを片付けないと…」投げ捨てたまま床に転がる赤子。
宅配のフードが入っていたビニール袋を手に取り、床に転がる黒い塊に近づく。
「オエ…きも…」触らないように気をつけてビニールの中に入れる。
「…とりあえずクローゼットに入れておこう」
そう思ってクローゼットの扉を開けると、中からたくさんのハエが飛び出してきた。
「やだっ!…何??」
クローゼットの中には、見慣れた男が紐で首を吊ったままぶら下がっていた。
いつからここにいたのだろう。ガスが溜まり膨らんだ手、足、顔…体。
そこからポタポタと滴る液体が、男の足元に黒い水溜まりを作っていた。
いると思っていなかったものがいた事に驚いたが、幼い頃に工場の裏の木で見た父親の姿を思い出しただけで、それ以外は何とも思わなかった。
「……邪魔…」
男を手で払うと、首が紐からズルリと抜け、男は一度膝をついてバタリと倒れた。
横たわる男を跨いで、ビニール袋をクローゼットの奥に置く。
「ふぁ……ほんと、眠い…」
どれだけ寝ても体が重い。
「喉乾いた…」
コップ一杯水を飲み、落ちていた携帯を拾うとベッドに潜った。
そして眠りに落ちるまで、光る画面を見続けた。
拙い文章、最後までお読みくださりありがとうございました。