アールとノーマン
屋敷内では、アールをリードに繋ぐようなことはしない。だけど、屋敷の外ではそうはいかない。いくら元軍用犬で利口な犬とはいえ、パッと見は大きな銀色の狼に見える。周囲の人は驚くに違いない。
バートのお蔭で、王立公園はすぐにわかった。
気候と天気がいいお蔭で、この日もずいぶんとたくさんの人で賑わっている。みんな、それぞれ思うようにすごしている。
犬や猫や小動物を連れてきている人間も多いみたい。動物たちも、ご主人と思い思いにすごしている。
王立公園には、美術館や図書館や博物館もあるらしい。
王宮には、古から受け継がれている絵画や彫刻や古書がたくさんある。だけど、王立の美術館や図書館は、この王国だけでなく他国のそれらも展示している。
鑑賞してみたいわね。
そうだわ。そういうところに行くのも自由なのよ。
近いうちに行ってみましょう。
広大な芝生や森やたくさんの花壇で咲き誇る花々を見ながら、そんなことを考えている。
アールとのんびり歩きつつ、公園に来ている人や動物たちを観察するのも楽しい。
飼い主と飼い犬が瓜二つなのに笑ってしまったり、逃げだした飼い猫に手を焼いている飼い主を気の毒に思ったり、仲睦まじい老夫婦をうらやましがったり、大ゲンカをしている若いカップルに驚いたり、そんな調子で公園をズンズンと歩いて行く。
気がつくと、ずいぶんと歩いていることに気がついた。
ダウリング侯爵邸の敷地内だったら、とっくの昔にへばっていたに違いない。
「環境がかわったからね。ものめずらしいというのもあるかも」
アールに笑いかけると、彼の狼面がニンマリと笑った気がした。
そういえば、アールの強面は侯爵に似ているわね。
頭の中で彼らの顔を並べてみた。
おもわずふきだしてしまった。
そっくりすぎたからである。
「初日に張り切りすぎて足を痛めたら洒落にならないわよね。今日はこの辺にしましょう。毎日、少しずつでも散歩したら、いつかは王立公園を一周出来るかもしれないわね」
この日からひどい天気以外、毎日の散歩は欠かせなくなった。
驚くべきことに、毎日の積み重ねが功を奏したみたい。
そんなにかからず、広大な王立公園を一周出来るようになった。それどころか、ジョギングを始めた。このわたしが、ゆっくりのペースとはいえ走れるようになったのである。
アールは、もっとはやく走りたいに違いない。だけど、辛抱強くわたしのペースにあわせて走ってくれている。
走るだけではない。体力がついた。食事が美味しく、お通じもいい。いいことづくしである。
だけど、侯爵はあいかわらずどこかのレディにご執心で、一日たりともまともに屋敷にいることはない。
そのことだけが気がかりだけど、彼によく思われていない以上、こちらからどうアプローチしても関係を悪化させるだけ。だから、気に病みつつもそっとするしかない。
そんな彼との関係は最悪、というよりかは関係すらないのだけれど、王立公園で知り合いが出来た。
王立公園には、いつもだいたい同じ時間に行く。それは他の多くの来園者も同様である。その為、同じ時間帯に顔を合せる人たちと挨拶をしあったり犬談義や雑談をするようになった。
そして、そういう人たちとは別に貴族など上流階級の人たちにマッサージを行ったり健康管理の相談にのっているという、ノーマン・グリーンウッドと親しくなった。ノーマンは、伯爵子息だという。
グリーンウッド伯爵の名は、きいたことがある。伯爵に子息が何人いるのかまでは知らないけれど。
彼は、わたしの自己流のジョギングの仕方について様々な指摘やアドバイスをしてくれた。それが始まりだった。そして、ちゃんとした走り方や体のケアについて適切なアドバイスをしてくれ、公園のベンチでマッサージをしてくれた。
だけど、アールは初対面のときからノーマンのことが気に入らないみたい。そして、ノーマンもまた犬が苦手である。だから、ノーマンとすごすときにはアールには悪いけれど近くの木やベンチにリードをくくり付けなければならない。
それがアールにとってもわたしにとってもストレスになってしまう。
しかし、親切で面倒見がよくて専門的なことだけでなく様々な話題にことかかないノーマンは、わたしにとって刺激的だった。彼は、ある意味で憧れだった。
気がついたら、彼に毎日会っていっしょにジョギングをし、ジョギングの後にはマッサージをしてもらいながらジョギングの話をして同じときをすごした。
いつしか、そのときに夢中になっていた。
その間、アールは近くの柵にくくりつけられて怒っているようだった。
アールは、もう何十回もノーマンに会っているというのに彼に気を許そうとはしない。それどころか、ノーマンが近づこうとするとうなり声を上げ始める。
不思議なことだけど、アールは王立公園で会う他の人々にはそんなことはいっさいしない。尻尾を振り、他の可愛らしいワンちゃんのように振る舞
っている。
それなのに、ノーマンのときだけどうして不愛想になるのかしら? 違うわね。敵意むきだしにしているといった方がいいかもしれない。
とにかく、不思議でならない。
それでも、アールを連れて行かないという選択肢はない。だから、ぜったいに彼を連れて行った。だって、王立公園に行くのは、アールとすごす為だから。二人で散歩をしたり、走ったりすることが第一の目的だから。
そう思ってはいるけれど、結局、彼を遠ざけてノーマンとすごしてしまう。
ノーマンと会う回数を重ねるごとに、自分で自分がわからなくなってしまう。
わたしはただ、走る距離を伸ばし、機嫌よく走り、故障しないようにしたいだけ。
なにせ素人。せっかく親切なトレイナー兼マッサージ師に出会えたのだから、いろいろ教えてもらいたい。いつか自分一人でも実践出来るように、彼の言葉の一つ一つを噛みしめ、記憶していく。それが難しいときは、メモにとってでも把握する。