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滝壺に水が落ち打つように空気が揺れる。ドクンドクンと重低音が響くように風が抜けていき、やがて中央の地面に亀裂が走る。亀裂は徐々に大きくなり、範囲が広がっていき……闇が覗く。
冒険者達は、各々警戒。王国騎士団も警戒と観測機器を設置し、備えていた時だ。
コポコポと水泡が弾ける音と共に、巨大な手と腕が2本突き出てくる。全長5メートル、幅だけで3メートルある巨椀。青白く、血管が無数に見える腕は、まるで深淵の悪魔の剛腕のようで、冒険者の心に畏れが入る。純粋に、怖いと。
天に向けられていた腕は関節で曲がり、ドンっと地に叩きつけられて両手で地面を押さえる。それだけでとてつもない風圧と埃が舞った。そして、自身の身体を引き抜こうとしているように見える。
アイゼンの判断は早かった。
「魔法使いは遠距離攻撃!! 冒険者諸君は各々に任せる事になるが、基本逃げても構わない!! 魔物ではなく、不明敵対存在と認定!! 記録係は距離を取れ!! 私も前線に出る!!」
初めての迷宮における、真なる化け物の誕生に恐怖する心。そこに叩きつけるように放たれたアイゼンの言葉ば全員を奮い立たせ動かした。
「俺たちも魔法使いは攻撃に移ろうぜ!!」
「近接戦が主武器のやつは王国騎士団と合流!! もしくは、勇気ある奴はあの気色悪い手に攻撃だ!!」
こいつをここから出してはならない。全員の心が繋がる。それだけは確かだと。
そのとき、風が吹いた。柔らかで、心地良い風に冒険者は笑みを浮かべる。
リアはルナと空を飛び、直線上に到達すると。
「合体魔法って久しぶりだな」
「う、上手く合わせられるか……」
「大丈夫、俺とルナは相性バッチリだからな」
ルナの顔が朱に染まるが、別段口説いているつもりのないリアは深淵から伸びる腕と手を見ていた。
(うーん、役に立たねえ前世知識)
この世界に来て、なんだかんだで名称が1発で分かる魔物が多かった。しかし、ここに来てマジモンの化け物を見た気がする。何だこいつ、本当に不気味だ。ドラゴンと対峙した時とは別の怖気を感じた。純粋に、心のどこかにある恐怖を突くような感覚。
(ほんわか平和な世界だから、と油断してたか? 確かに……俺は迷宮に関しては本当に無知だからなぁ)
まぁ、でも大丈夫。
俺、最強だから。
「発動は任せるぜ? 俺はルナに合わせるよ」
「はい!! いきます、炎の渦より来たれ、我が名を冠する炎剣よ!! 《神の炎剣》!!」
「《黒風魔法》」
魔法陣からズズッと姿を現すのは、灼熱に光る一本の大剣。刀身だけで4メートルはあり、幅は2メートルもある大剣は、太陽のように赤と白の炎を吹き上げ、空気を焦がしながら顕現した。その周囲を補助するように黒い風が包み込み、より火力を上げる。
ルナとの合体魔法の一つであり、発動までにめちゃくちゃ時間がかかる上に、顕現まで30秒かかる大技。言うなれば、ルナの炎の全ての火力であり、火力なだけで出力が無い。つまり飛ばせないしルナは動かせない。それを補助するのがリアの《黒風魔法》だ。
黒い風が刀身を掴むように纏わりつくと、魔法陣から引き抜いた。刀身だけで持ち手の無い炎の大剣は、まだルナが未熟である証拠でもある。
じっとりと額に汗を滲ませたルナが息を吐く。それを合図に、炎の剣は加速する。
熱が空を焦がす。冒険者は全力で距離を取る中で、熱に気がついたのか腕が動いた。
「うぉ!?」
がっしりと両手で《神の炎剣》を掴む。風が散る。肉ではないが、嫌な焦げ臭さが充満する中で、しかしリアの風は容赦ない。
「【叩きつけてやれ】」
1発の空気弾が、深淵にぶち込まれる。瞬間、風に気を取られた腕が揺らぐと同時に《神の炎剣》は巨椀を引き裂いて突き抜ける。鋒は暗闇、腕が伸びる深淵で止まった。グジュグジュと音が鳴り、深淵への入り口が沸騰する。
引き裂かれた巨椀は、痛いのか暴れ回り冒険者は近づけずにいる。唯一、空を飛んでいるリアとルナだけが俯瞰できる状況だ。
「リア……」
「うーん、困ったなこれ」
ルナだけならば、風で護り切る自信があるが。今は他の冒険者と王国騎士団員がいる事を忘れてはならない。リアの風の拡散性が少々厄介ではあった。それに、下手に魔力を使うのは不味いと第六感が告げている。この腕で終わる訳ないだろ? と。
どうするか空中で話し合っていた時だ。地面に墨汁を落としたかのように無数の闇が広がっていく。最近、その闇の厄介さを痛感したリアは思わず呼びかけた。
「アイゼン隊長!!」
闇の中は無敵だ。だが今、不明敵対存在の周囲は高温度になっている。どうするのだろうかと見守っていると、闇の中から無数の大きな鎖が飛び出していく。銀色に光る、数多の犯罪者を捕らえてきた鎖。見間違うはずもない。
「エスト!!」
「アデルの魔法補助もかかっていますね」
若干、鎖の表面に金色が見える。よくアデルが武器にエンチャントしている、強化系の魔法だ。
鎖は蛇のように《神の炎剣》に纏わりつく。そして、形勢が傾いた。釘をハンマーで打ち付けるかのように、ぐんっ、ぐんっ、と深淵に剣が沈んでいく。腕は必死に抵抗しているがそれでも徐々に沈んでいった。
皆が、その光景を見守る。果たして、このままあの巨大な炎の剣を突き刺して終わるのだろうか? 一抹の不安が脳裏を過った。そして、その不安は的中する。
腕が、まるで熱せられた鉛のようにドロリと溶けた。そして周囲の行動から学習するかのように細長い鎖へと変貌していく。
(こいつ、魔物かは分からないが、もしかして産まれたてのナニカなのか?)
学習している。なら、次に考えることは。赤子が最も恐る存在は。『最初の敵』。
鎖の先端が、ジロリとリアとルナを見る。そう来るよな、とリアは思った。




