五 戦うお話
「助けてッッ!! ネメシア君!!!」
その言葉に、考えるよりも何よりも先に体が動いた。木の枝を思い切り蹴り、滑空するように今正に凶刃を振り下ろさんとするゴブリンの腕に向かって、腰布で括り付けてある木刀を抜き放ち、打ち据える。
ゴシャッ!! という肉が潰れる音とほぼ同時に地面に着地。
「ギギィッ!?」
相手がたまらず俺たちから距離を取ったところで、姿勢を正す。
振り返ると、少女と目が合った。どうやら細かい擦り傷はある物の他に外傷は無い。間に合ったようだ。
「呼んだ? アイリスちゃん」
「うんっ」
「あははっ」
少し冗談めかして聞いてみると、アイリスちゃんは頬を紅潮させながら頷く。その反応の良さに少し笑ってしまう。
それに釣られてか、彼女も段々表情が和らいでいく。口角が段々上がっていき、眦が下がる。アニメや漫画で見るような本当に可愛らしい笑顔。だが緊張が解けたからか、段々眦には涙がたまっていく。
それが一筋、つぅっと頬を伝っていく。そこまでが限界だったのだろう。段々口角が下がっていき、泣くまいと結んだ口も開いていく。
「うっ……ひっく、うぅ、う……」
嗚咽を漏らし、擦り傷と泥まみれの腕で頬をぬぐい、眼を覆う。
ギリッと音が鳴った。鳴ってから自分は歯ぎしりをしたのだと気付く。それほど腹が立っていた。重なるのだ、目の前のゴブリンどもが。俺はそのクズの姿を知らない。どんな奴らなのか知らない。何人だったのか知らない。
それでも、目の前のゴブリンどもが、俺の幼馴染みを乱暴しやがった姿も知らない男に重なるのだ。
だからだろう。自然と言葉が出た。
「もう、大丈夫だよ。――助けに来たから」
言葉が届いたのか、後ろの少女が子供らしく泣き叫ぶ。冷静な頭はこのままだと敵の増援が来るぞと叫ぶ。
構わない。何匹だろうと来るなら来いよ。全部殺し尽くしてやる。もうこれ以上奪わせてたまるものか。
右足を一歩下げ、スタンスを下げる。木刀は脇に持って行き、切っ先は後ろに。所謂脇構えと呼ばれる構えの変形だ。
此方が構えたことに反応してか無傷のゴブリンは何やら笑みを浮かべながらナイフをちらつかせる。最ももう1匹は少し退き気味だが。
脅しているつもりだろうか。……彼女もこんな感じに脅されたのだろうかと思うとさらに怒りが煮えたぎる。
「来いよ、とは言わねえよ。……こっちからぶち殺しに行くッ!!」
数m離れているとは言え、今の身体能力なら、ゴブリンどもの元へ行くのに何歩も走る必要は無い。
一歩。たった一歩地面を蹴る。たったそれだけでナイフをちらつかせていたゴブリンは俺の間合いに入った。
相手は一瞬の内に目前に現れた俺に驚き、手に持ったナイフで俺を刺そうとしてくるが......。
(遅えンだよッ)
ソレよりも速く、脇に構えた木刀を逆袈裟に振り抜く。ゴブリンは肋の下から抉るような木刀の一撃に耐えきれず、ナイフを落としながらそのまま数mほど吹っ飛んでいく。
地面に落ちたゴブリンは折れたであろう肋を手で押さえギィ……ギィ……と息も絶え絶えで呻いている。既に立ち上がることすら出来ないだろう。
視線をもう1匹に移すとそのゴブリンは、俺と地面に伏したゴブリンを一瞬見比べ、脱兎のごとく逃げだした。
追うことも一瞬考えたが今回の目的はクズの掃討じゃない。後ろの少女を護ることだ。一つ舌打ちをして、さっき吹っ飛ばしたゴブリンの元へと歩み寄る。
「ギィ……ギィ……」
木刀を振り上げる。相手は最早動く事すら出来ない。外すことも躱されることもない。このまま木刀でその頭蓋を砕けば間違いなく殺せるだろう。
……それでも俺は木刀をそのままゆっくりと下ろす。
こいつはこのままほっといても死ぬだろう。精々苦しめ。
なんとなくむしゃくしゃする気持ちをため息と一緒にはき出し、彼女の元へ歩み寄る。どうやら彼女の泣き声を聞きつけて出てくる追加の奴らはいないようだ。
アイリスちゃんの方へ歩み寄り、立てるように手を差し出す。
「もう大丈夫だよ」
「うん。ありがとう……」
彼女が手を握ったので立たせてあげる。これで一旦彼女の安全は確認できたな。見たところ擦り傷はあれど大きい怪我は一つも無い。
……とはいえ泥だらけだな。とりあえず顔についている泥を持っていたタオル代わりの布切れ(昼の後に変えたのできれいな奴)でアイリスちゃんの顔や腕などをやさしく拭う。ちょっと染みるかもしれないが付けたままよりはいいはずだ。拭い終わったところで小声で「ありがとう……」とお礼を言われる。めちゃくちゃ可愛いのでこちらこそありがとうと言いたいところだがそれをグッと堪え笑顔で返す。とはいえ休憩は終わりだ。
顔と意識を引き締めて話しかける。
「取りあえず、さっさと森から出よう」
「う、うん。わかった……」
ほんの少し、虫の息となったゴブリンの方を見て、直ぐさま来た方向へ歩き出す。とは行っても、来たときと違って地面を、だが。流石に木の上はアイリスちゃんには厳しいだろう。
と、そこでアイリスちゃんが「あっ!!」と大きな声を上げた。
何事かと驚いてアイリスちゃんの方を見ると、自分のバッグに手を突っ込んで何かを取り出していた。
「よかった……潰れてないや」
本当にホッとしたのかふー、と年に合わない大きいため息を一つつき、その果物のようなモノを再度バッグにしまい込んだ。
「それ何?」
「これ? これはね、お母さんのお薬なんだ!!」
少し空いた距離をてててっと走りながら、さっきとは打って変わって、年齢相応なとても愛らしい笑顔を浮かべながら喋るアイリスちゃん。
追いついたアイリスちゃんを見て、再度歩き出しながら聞いてみる。
「それが、この森に来た理由?」
「……うん」
自分でも少し後ろめたいところがあるのか、アイリスちゃんは少し下を向いて言う。
「アイリスちゃん」
「……何?」
下を向いたまま、返事が聞こえた。
「ここは、絶対に行っちゃいけないところだって言われてなかった?」
声音はけして変えず、あくまで怒るのは俺じゃないから。
「……うん」
「フィンさん凄い心配してたよ。帰ったら一緒に謝ろう」
「……一緒に謝ってくれるの?」
「いや、俺も誰にも何も言わず来ちゃったから……。きっと父さんからメチャクチャ怒られるんだろうなぁ……」
実際に想像して少し凹む。まぁそうだよなぁ。こんなの冷静に考えれば只の蛮勇だしなぁ……。
「じゃ、じゃあマックさんに一緒に謝る!!」
「ほんと? ありがとうアイリスちゃん」
そう言いながら笑いかけると、アイリスちゃんも釣られて笑う。
取りあえず俺のすべきことはここまでだろう。笑顔でアイリスちゃんが村に戻れば、フィンさんも安心するだろうし。
……もしかしたら少しは説教減るかもだし……。
そこまで考えてフッと笑う。なんだか子供に戻ったみたいだ。
「どうしたの?」
「いや、何でも無いよ」
そこを丁度見られてたようで、アイリスちゃんが俺の顔をのぞき込むように問う。まさか、ここで本当に子供に戻ったみたいで感慨深いなんて言うわけにもいかないだろう。
無難に返したところで、森の入り口の方から二人の声が聞こえた。
『メシアー!! アイリスちゃーん!!』
『アイリスーー!!! ネメシア君!!』
恐らく前者が親父で後者がフィンさんだろう。
どうやら二人で話しているうちに結構戻ってこれたみたいだ。良かった良かった。
と、俺の手がぎゅっと握られる。見てみると、怒られる時が近づいて少し不安になったのか、アイリスちゃんが俺の手を両手で握って下を向いていた。ホント妹みたいで可愛らしいな。妹いたこと無いけど。居たらこんな感じなのだろうか。
握られていない方の手でアイリスちゃんの頭を撫で、笑いかけてあげると、安心したのかアイリスちゃんも笑顔になってくれる。
「じゃ、帰ろうか」
「うん!!」
満面の笑みを浮かべながらアイリスちゃんは頷く。
「父さーん!! フィンさーん!!」
「お父さーん!!」
『聞こえたか!?』
『こっちから声がしたぞ!!』
そのまま少しすると、茂みの奧から二人分の人影が飛び込んできた。
「アイリス!!」
「メシア! 無事か!?」
片方はそのままアイリスちゃんの名前を叫びながら、アイリスちゃんに抱きついた。
「うん、無事だよ。アイリスちゃんも擦り傷とかはあるけど大きい怪我はなし」
「ったく……。そうか。じゃあ家に戻ったら説教するからな、メシア」
「うっ……。わかった……」
「おう。フィンさん、続きはまた村に戻ってからにしましょう」
「あ、ああ。そうだね。ありがとうマックさん」
フィンさんが涙を拭いながら言う。
「アイリス、もう少し歩けるかい?」
「うん、大丈夫だよお父さん!!」
「よしじゃあ行きますか。メシアもしっかりついてくるんだぞ」
「うん!!」