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陸上特別高校  作者: 二夜原 霞
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教え子たち

初めてチームとなった生徒たちに挨拶をするためグラウンドへと向かうと、既にトラックで走る選手たちの姿が見えた。

応援する同じチームであろう生徒たち、そして走るその中で俺の目を誰よりも引いたのは先頭を走る彼だった。


脚に翼が生えているかのように軽やかな走り。

上体がぶれることも一切なく、フォームを乱すことも無い整った走りはほんの数か月前まで中学生だったとは到底思えない完璧なものだった。

そして、何よりもその横顔は――田井中 昇一本人と見間違うほどにそっくりだった。

ゴールを走り抜けて減速していき息をつくその姿に俺が言葉を失っていると、その少年は顔を上げて俺と視線があった。

田井中 陸。 先ほど校長室のファイルで見た人物であることは疑いようも無かった。

父親と違うところといえば、田井中選手が常に笑いながら走っていたのに対して彼はどこか張り詰めたような真剣みを帯びた表情だということくらいだろう。

まだあどけない表情、さっぱりとしたショートカット、そして背丈に対してまだ華奢に見える体格は成長途上の少年らしく思えるが、あの走りに自分が何か教えることがあるのか、という疑問がわきそうになった。


「田井中さん……やっぱりすごいですね!」


かなり遅れて走り終えた選手の一人が息を切らしながら声をかけていた。

青い横じまのヘアバンドをしたスポーツ刈りの少年だ。

彼は確か、ファイルで確認した沢口、という生徒だろう。

そばかすの散った頬を紅潮させて汗をぬぐい、震える膝に力を込めてなんとか歩いている状態だ。

彼は筋力、スタミナ共にまだまだ不足しているということか、と考えながら俺は彼らの集団に近寄っていった。


「新しい教官の方ですか?」


少年特有の少し高い声で聞いてくる田井中に俺は一度頷いた。


「ああ、君たちのチームを担当する吉松 隆だ。 ここにメンバーは全員集まってるのか?」


少し見回してみるとファイルで確認していた小川、寄木の姿は見えた。

寄木は癖のある黒髪を少し長く伸ばしており、紺色のヘアバンドをはめていた。

小柄だがランニングパンツから見える脚はかなり筋肉質であり、既に相当のトレーニングを積んでいるように見える。

そして田井中をじっと見ていた小川は俺の視線に気付いてから、ようやく顔を向けた。

目元にほくろがある少年で、後ろ髪を長く伸ばし、一つにまとめていた。

背丈もあり、手足も長く、陸上に向いているという印象は確かにあった。


「……松葉 はやて、くんの姿が見えないな。 トイレにでも行ってるのか?」

「……すみません!」


俺が松葉、と名前を出すと唐突に田井中が頭をさげた。

その唐突な行動に唖然としていると田井中はわなわなと拳を握り締めて顔をあげた。


「はやては……朝から、勝手に校外に出てしまっていて、ケータイも連絡がつかず……!」


一瞬、事故にあったとでも言われるのかと思うほどの迫真であったが要は無断外出という内容だ。

確かに陸特高では外出時は事前申請をする習わしがあるが、俺の学生時代にも無断外出をする生徒はおり、自主練としてクロスカントリーに向かう生徒も少なからずいたためそこまでの問題ではない。

田井中は真面目な性格なんだろうな、と苦笑しながら俺が宥めようとしていると、不意に小川が口を開いた。


「松葉が外に出たのは昨日の夜からだが」


その言葉に俺以上に早く、田井中が振り返った。

いい瞬発力をしている、などと現実逃避をしかけそうになった。


「なんでその時に先生に報告にいかないんだ!」

「いつものことだと思って」

「いつものことだが……!」


頭を抱える田井中を見ながら小川は無表情のまま首を傾げていた。

松葉の御曹司が素行不良というのも問題ではあるが、ひとまずはここにいるメンバーだけにでも自己紹介をするか、と一度咳払いをした。

田井中を落ち着かせようと声をかけていた沢口も俺の方へと視線を向けていた。


「無断外泊の件は俺からも指導しておこう。 先に、君たちの自己紹介をしてもらえるか?」


俺がそう声をかけると少しあってから、田井中が胸を張った。


「田井中 陸です。 東京の陸特付属中学から来ました。 今までは家のコーチから指導を受けていましたが、成長期で大きく体格も変わってくるので専門の教官に指導を仰げるこの陸特の環境に感謝しています」


真面目な表情にいかにも優等生という雰囲気の言葉。

やはり最初の印象通り、かなり真面目な性格だということがよくわかる。


「松葉選手と親しいのか?」

「彼は僕のいとこです。 父親同士が友人だったようです」

「友人……」


俺の記憶にある田井中選手は確かにかなり人懐っこい人ではあったが、松葉の同時期の選手といえば松葉(まつば) (かなで)だ。

あの人は田井中選手にかなり敵対心を持っていて試合の後に睨んでいたのも見たことがあるが、卒業後には仲良くなっていたのだろうか。

俺はそういった疑問は伏せて、田井中の隣にいた沢口へと視線を移した。

沢口はまだ息を切らしていたが、視線に気付くとびっと背筋を伸ばした。


「沢口 昇太です! えっと、走ることが好きで……その、親も陸上が好きで、僕も陸上選手になりたいと思い、陸特高を受験しました!」


いきなりの自己紹介で緊張しているのか少しばかりとぎれとぎれながらの挨拶だった。

入学時の記録も学内でさほど足が速い方ではないのが分かるものだったが、彼は体もメンタルもまだまだこれから作っていく段階ということだろう。

背丈が低いというのも陸上をする上では不利になるかもしれないが、成長期の彼がここから化けるかもしれない、という校長の考えが当たっていることを祈ろう。

俺が隣に視線をやると寄木はおずおずと口を開いた。


「寄木……叶、です。 沢口くんと同じように、走るのが好きで……陸上選手を目指しています」


俯きがちで内気な印象。

寄木本人も体格に恵まれた方ではないが、それにしても気が弱そうな印象が気がかりになる。

しかし、彼の体格は俺の中でうっすらと一人の選手をよぎらせていた。

現役時代の田井中 昇一を唯一破った相手、沢城選手もまた小柄だが抜群の粘りを見せる選手だった。

彼がそうなるかはこれから次第だ。 俺の指導で彼が伸びてくれるように信じよう。

そして、最後になった小川に視線を向けると小川はまた田井中を見つめていた。


「……小川くん。 君は?」


声をかけると小さく、ああ、と言ってからこちらに顔を向けた。


「小川 薫。 東北の榛東(しんとう)中学からきました」


短く、それだけを言うと彼は無表情のまま俺を見つめていた。

入学時の試験でのタイムは田井中 昇一の入学時レコードを越える3000メートル6分ジャストという化け物じみた速度だったが、マイペースなのだろうかとにかく表情も変わらなければ口数も少ない。

自分のペースを保てるというのは中距離以上の走者としては理想的な性格だが、これではコミュニケーションが難しそうだ。

俺は一度改めて生徒たちの顔を見た。

体格に恵まれている、といえるのは田井中、小川。

体格には恵まれていないがこれからの成長次第という印象があるのが沢口、寄木といったところだろう。

チームメンバーとして指導するに辺り、中々実力差を感じる面々ではあるが彼らを受け持つ責任を噛み締めていると、不意に背後から声がした。


「陸ちゃーん! ただいまー!」


振り返った先にいるのはまだ15歳だろうに身長170はある青年だった。

両手にお菓子のつまった紙袋を持ち、にやにやと笑いながら歩いてくる。

グラウンドであるにも関わらず、運動用の服装とは言い難い恰好で、あまりにチャラチャラしたその姿に絶句していると田井中は声を上げた。


「はやて! お前、どこに行って……おま、ああ! もう! 教官が来てるんだぞ!」


慌ててその青年に駆け寄っていく田井中の言葉で俺はようやく、この青年が自分が受け持つ生徒である松葉 はやてであることが分かった。


「……」

「え? せんせー? ふーん」


松葉は一瞬俺の方に視線を向けたが、大した興味は湧かなかったのか、そのまま紙袋からごそごそとパッケージに入った大福を取り出していた。


「ほら、陸ちゃんが好きなあまやの大福! この近くで売ってないからさ、隣町まで行ってきた」

「出してる場合か! ほら、しまえ! 挨拶をしろ!」


優等生の田井中とあからさまな問題児の松葉。

そして他のメンバーはそのやりとりに慣れているのか、ことさら松葉に対して非難の声を上げるものはいなかった。


「え~めんどくせえなあ。 松葉 はやてです。 たるい練習とかは嫌いなんで、ゆるくお願いしまーす」


俺自身、絶句していた。

これがあの松葉 奏の息子? 父親とは正反対だ。

俺の知る松葉選手は気性は荒かったがその一方で異常なまでに勝利への執念を燃やしていた人だっただけにギャップの大きさに言葉を失っていた。


「あ、あの、教官……松葉くんは悪気はないんですよ。 ただ、その、誰に対してもああいう態度なだけで、裏表がない人で……」


寄木が場を取り持とうとしているのか、弱弱しい声で発言していたが、俺はもう苦笑しかでなかった。

これから俺はこの生徒たちを指導していくのか、と若干遠い目になりながら、この学校での生活は想像以上の濃度になりそうだと空を見上げていた。

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