呪いを解かれた王子様は早く結婚式がしたい
「ねぇイザベラ。そろそろ俺たちも結婚式しようよ。兄上たちみたいに皆んなにお祝いしてもらいたいと思わない?」
互いの婚約者を入れ替えて、早二ヶ月。
アパル王太子とシャーロットが婚姻の儀式を挙行するまで、あっという間の運びだった。
ドレス選び、招待客選び、宝飾品選び、式のリハーサル等、挙げればキリはないが、覚えたり決めたりしなければならない事が山程あった。
毎日が忙しくはあったが、どれも幸せになる為の準備であったので、互いに苦と思ってはいなかった。
何故早く結婚式の準備が整ったのか。
それは、シャーロットとイザベラの知らぬ水面下で、それぞれ式の為の準備が行われていたというだけのこと。
アパルは一度婚約期間中にカロスを亡くしている為か、なるべく早くその期間を終わりにしたいと周囲に漏らしていた。
なので婚約期間が明けて直ぐに式が行える様、段取りを行っていたのだ。
式で纏っていたシャーロットのドレスは濃い青色にアパルの髪色と同じ金色で刺繍のほどこされたもので、普段はふわりと柔らかい雰囲気の彼女が、キュッと引き締まって見え、次期王妃の椅子に座す彼女にとても似合っていた。
雲ひとつない青空に吸い込まれてしまいそうな程、素敵な花嫁様だった。
城で姿をお披露目し、教会で皆に祝福され、街全体が、今か今かと待ち侘びていた王太子の婚姻で華やぎ、寿ぎの言葉で溢れかえる。
「ねぇイザベラ。そろそろ俺たちも結婚式しようよ」
その祝賀ムードに当てられてから。の、冒頭の言葉である。
シェリールは、少し頬を膨らませあまり機嫌のよろしくないらしい婚約者を覗き込む。
「いや」
「だって謝ってるじゃん。ごめんって」
あの告白以来、急展開で物事が進んでしまい、まるで自分だけがポツンと取り残されている感じのしていたイザベラは、最近、顔を合わせてもくれない。
「謝ったって言っても、納得できない」
「納得って」
彼女の部屋で出されたお茶はもうとっくに冷めてしまっている。
向かい合う婚約者はシェリールの方を見ることもなく、窓の外にひたすら首を向けている。彼はドレッサーの上に置かれてる小さなジュエリーボックスを一瞬見遣った。
あそこにはシェリールが贈った婚約指輪が入っている。
イエロートパーズを嵌め込んだ婚約指輪。
婚約式の時にはその細い指に嵌めさせてくれたが、今彼女の左の薬指にリングはない。
公の場に出る時はしていてくれているのに、普段はどの指にもアクセサリーを着けてくれない。
あろう事か、二人でいる時も、酷い時はそれ以外の時でさえ、顔を合わせてくれやしない。
いくら話題を振っても無言だったり、「そうね」と一言だったり、最近ではイザベラからの愛情も感じない。
シェリールは「はぁ」と深い息を吐くと、淹れてもらった紅茶を一気に飲み干し立ち上がった。
「ちょっと。どこに」
「……いくら謝っても許してくれないし、会話にもならないんだから、一緒に居ても仕方ないだろ」
「ッッ」
冷たい視線を送られ、立ち上がろうとしたイザベラは固まった。
スマートに部屋から去ってしまった彼を引き止める言葉が喉でつかえて出てこない。
シェリールから向けられる真っ直ぐな愛情表現にいつまでも素直になれず、彼が愛想を尽かしてしまう理由を作ってしまったのは、意固地になっていた自分。
自室に残されたイザベラは、シェリールの去った扉から目が離せない。
ずっと好きだった人とようやく気持ちが通じ合った時が一番幸せだった。
なのに夜が来る度考え過ぎてしまい、時間の経過と共に色々絡まって、拗れて、捻れてしまってしまった。
シェリールを素直に信じる事が出来ない自分が一番嫌い。
***
「シャーロット様」
扉をノックする音が聞こえた。
開けると、涙をほろほろと零し続けるイザベラ。
約束をしていた訳ではなかったが、今にも幼い子どもの様に声を上げて崩れてしまいそうな彼女を放ってはおけない。
憔悴した様子の彼女の肩を抱き、ソファに座らせてから、お茶の準備をしに調理場へ行こうとする侍女に甘いお菓子も頼む。
音もたてず零れ落ちる涙は彼女のドレスを濡らし、湖を作る。シャーロットは背筋を伸ばして落涙するイザベラの頭を優しく撫で続ける。その手の柔らかさは小さい頃、母親から無条件に与えられた温もり。
「あ……」
それに気付いた途端、喉を閉じていたイザベラの唇が音を出す。一度漏れてしまえばそこからはあっという間だった。
「あ」
息を吸っているのか。それとも吐いているのか。
撫で続けてくれる温もりに縋り付く。
「わあぁぁぁぁぁん」
いきなり胸に飛び込んできたイザベラに驚くでもなく、シャーロットは更に彼女の身体を自分の方は寄せ、背中をとんとん、と、丁寧にあやしてくれる。
どうしてこんなに優しく触れてくれるのだろう。
こんな風に何も聞かずに全てを受け止めてくれる人だから、アパル様もシャーロット様に惹かれたのだわ。と、イザベラは更に素直になれない自分が不甲斐なく思えてならない。
「あぁぁぁぁん」
恐らくシャーロットの部屋の外にまで届いているだろう彼女の泣きじゃくる声は、落ち着くまでにしばらく時間を必要とした。
***
「それでどうしましたの?」
たくさん泣き、そのお陰で少し気持ちも落ち着いた。
そのタイミングを見計らってシャーロットはようやくここまで大泣きするに至った原因を尋ねる。
「素直になれない自分が嫌です」
「……」
シャーロットから離れると、彼女の胸の部分がイザベラの涙により更にキラキラ輝き、受け止めきれない雫が下の方へ垂れている。それに気付いたイザベラが「申し訳ありません」と、慌ててハンカチーフを差し出そうとすると、首を振られ押し留められてしまった。
はしたない事をしてしまった。と、俯くイザベラの両目は、泣き過ぎて赤く腫れぼったくなっている。
涙は枯れたと思うほどに泣いても、堪えようとすると逆に再び涙が溢れてしまう。
「これ使って」
シャーロットは侍女から受け取っていた、手触りの良い少し大きめのハンカチーフを彼女の両手に握らせる。
「嗅いでみて下さい」
優しく誘われたイザベラは、おずおずとそのハンカチーフに鼻を近付ける。
「爽やかな香り……花?の匂い?」
言われた様に香りを吸うと、身体が少し軽くなった気がしてきた。
「ネロリという精油を染み込ませてみましたの」
赤く腫れた目を彼女に見られてしまうのは恥ずかしい事だが、イザベラは既にそれ以上の醜態を晒してしまっている。
しばらくそのハンカチーフで両目を押さえさせてもらい、おずおずと顔を上げる。
「ありがとうございます」
目の腫れは引かないが、その香りを身に纏った為か、先程よりも気持ちが落ち着いた。
「喧嘩でもしましたか?」
「喧嘩というよりも、私が素直になれないのがいけないんです」
それを皮切りに、ぽつりぽつりと、イザベラが言葉を紡ぐ。
「シェリール様の事は勿論お慕いしております。けれど、どうしても騙されていたという感覚が拭えなくて。思い返せば本来婚約を結んだ時に行われる婚約式もアパル様とはしませんでした。先日シェリール様と儀式を行うまではそういったものがあるという事自体知りませんでした。私がここへ呼ばれる前からきっとみんなで口裏を合わせていて、アパル様との婚約は一時的なものだから、そんな事にわざわざ時間を割く意味もないという事ですよね。幾ら外部に漏らしてはいけない秘密事項だったとはいえ、巻き込まれた私たちの気持ちはどうなるんですか?私はあの時、頑張ってアパル様を好きになろうとしていました。なのに、呪いが解けたから、はい、元通り、と言われてもどうしても気持ちが落ち着きません」
イザベラの抑えていたものが爆発した。
好きな人と結ばれて良かったね。
側から見ればその一言で済んでしまう事が、彼女にとっては違うのだ。
それは恐らく同じ様に巻き込まれたシャーロットにしか理解出来ない感情である。
「だから今、イザベラ様は婚約指輪をしていらっしゃらないのですね」
指摘されたイザベラは、本来それが嵌められている筈の指に静かに触れる。
「シャーロット様は悔しくないのですか」
真っ直ぐ向けられる感情に対し、嘘は不要。
しかも、悪く言えば国家に上手いこと利用された令嬢二人。
偽りは必要ない。
「悔しいわよ」
初めてお淑やかな彼女が言葉を強めた。
「だって何も知らされないまま。わたしなんてアパル様を諦めようとして二年よ。悔しくない筈ないじゃない。しかも、アパル様の婚約者に貴女が来てからは気が気じゃなかったわ。だってイザベラ様、魅力的なんですもの」
普段あまり声を荒げないからか、シャーロットは少し息が上がってしまっている。加えて、本人は気付いていないが口調も砕けてしまっている。
「けれど、それでもやっぱりアパル様が好きなのはどうしてもやめられなかった」
「……」
「だから、怒っていても許したくなくても、全てを受け入れてしまって……。そうして今に至ります」
柔らかく微笑むシャーロットの姿はとても美しくて眩しい。
「イザベラ様も、勿論今は怒りが表に出てしまっていても仕方がないと同じ立場を経験した私は思います。けれど、いつかきっと全てを受け止められる時期が来る筈ですよ」
「来ますか?」
「ええ。けれど、それより前にシェリール様に愛想を尽かされてしまえば、そこで終わりですけどね」
「……え?」
最後の最後に優しく笑うシャーロットが爆弾を投下する。
「早く素直にならないと、シェリール様の方がイザベラ様から離れて行ってしまうんじゃないですか」
***
「お前さ。あれ、イザベラの泣き声じゃないのか?」
奇しくも同じタイミングで、イザベラはシャーロットに、シェリールは兄であるアパルに助けを求めに来ていた。
話を振られ、シェリールはムスッとした顔で頬杖をつき、自分の顔半分を隠す。
「だって幾ら好きだって言っても捻くれてて受け止めてくれないんだもん」
「しょうがないだろう。あの二人は俺たちの事情で振り回しすぎた。お前も少しは大人になったらどうだ。あれを全部受け止めてやるだけの懐がないと、イザベラも可哀想だぞ。好きなんだろ」
「当たり前だろ」とは素直に言葉に出来ず、だが、その膨れっ面が肯定を意味している。
「なら気持ちを伝え続けろ。もし愛想を本当に尽かされて他の男の所へ行かれたらどうするんだ。俺たちは彼女を自分たちの都合で迷惑かけ続けた。これで拒まれたらもう引き止める術はないからな」
言われてもシェリールは微動だにしない。
兄のアパルは大袈裟にため息を吐くと、弟を自分の部屋に残し、自分はそこから出て行った。
「まったく。どうしていいか分からないから相談してるんだろぉ」
シェリールは机に突っ伏し情けない声を上げる。
他の事なら上手く立ち回れるのに、イザベラの事となると狼狽えてしまって要領よくいかない。
アパルが居なくなり一人になった途端。
静寂な部屋に先程響いていたイザベラの泣き声が幻聴となって聴こえてくる。
「好きだけじゃいけないのかよ」
***
あの日以来。
お互いのタイミングが合わず、会えない日が続いていた。
あれを喧嘩と表現してもいいのだろうか。
顔を合わせにくかった二人にとっては、それが良いのか悪いのかわからない。
時間が空いてしまえば、更に謝るタイミングを逃し、素直になりにくくなってしまうという事を知らないのだろうか。
廊下ですれ違っても二、三言、言葉を交わすだけで、シェリールも今までの様にわざわざ時間を割いてイザベラの部屋を訪ねる事も無くなってしまった。
『シェリール様に愛想を尽かされてしまえば、そこで終わりですけどね』
イザベラの頭の中にシャーロットに言われた言葉が、ふとした瞬間に浮かぶ。
遠くから姿を見つけて追い掛けても、当たり前だがシェリールはそこにはいない。
話したいと決心し、シェリールの部屋をノックしてもそこに彼の姿はなく、書類が山積みの机がその忙しさを物語っている。
このまますれ違いが続いたらどうなるのだろう。
イザベラは自分が部屋にいる時には、誰がやって来ても良い様に、と、いつも以上に身なりを整え、本を読もうと見繕って持ってきても、同じページが開かれているだけで進まない。
部屋にいる事がこんなにつまらないと思ったのは初めてだ。
この狭い空間を見渡すだけで、シェリールと過ごした思い出があちこちにある。
毎日毎日、飽きもせず好きと言ってきてくれた。
互いに読書が好きだから、持ち寄った本をこのソファで読んでいる日もあった。
アパル王太子との兄弟喧嘩について愚痴を聞く事もあった。
どこもかしこもシェリールの形跡しかない。
イザベラはドレッサーの上に置きっぱなしの小さな箱を手に取り、蓋を開ける。
そこには太陽の光を受けて輝くシェリールの髪の色と同じ宝石。
イザベラの髪色が向日葵色に染まったから、太陽の方を見て。と、贈られた婚約指輪。
今まで、公の場に出る時以外は頑なに身に付けるようとしなかったそれを、イザベラは左の薬指にはめた。
『左の薬指には、心が宿る心臓に繋がる太い血管があるんだって』
婚約式の時、指輪をはめる前にシェリールが言っていた言葉が頭に浮かぶ。
『だから、イザベラの心を俺にちょうだい。すっごくすっごく大事にするから。ずっと大切にする』
口の軽さは普段と同じなのに、差し出した左手の薬指に指輪を通す時、周りの誰も気付かない程、緊張で彼の手が震えていた。
あぁ。
私はもうずっと、彼に大切にされていたのに。
と、その時、改めて実感した事を思い出した。
イザベラも幼い頃彼を見た時からずっとずっと好きでい続けていたのに、いつから捻くれてしまっていたのだろう。
イザベラは自分の薬指からそれを外し、ジュエリーボックスに仕舞うと、そのまま部屋を後にした。
彼に会いたくてたまらない。
好きな人と婚約出来たのに、突然、理由なく突き放される苦しみを味わった。
彼のことを忘れられない日々を過ごし、再び城へ呼び出されたかと思えば、その兄と婚約を結ばされ、自分の気持ちを断ち切らなければならないという葛藤も経験した。
当時はそれぞれみんな、素直な気持ちを口に出来ず、もがいて、苦しんで、そうしてようやく幸せになれるところまでこぎつけた。
アパルとシャーロットは、互いが素直に想いを伝え続けていられるからこそ、結婚式を行い愛を誓った。
では、イザベラとシェリールは?
彼はその性格も相まって、呪いが解けてからは彼女の顔を見る度に、自らの気持ちを心のまま口にしてくれる。
いつだったか、それが恥ずかしくてやめてほしい、と懇願したが、「呪いが解けて、やっと好きな人に愛を伝えられるのにどうして我慢しないといけないの?」と首筋にキスを落とされながら言われた事があった。
アパルもシャーロットもシェリールも、みんなが素直になれたのに、一人だけ置いてけぼり。
「やっ」
ふと視線をやった先に居たのは、会いたくて仕方のなかったシェリールの姿。
前は見掛けて追い掛けても追いつけはしなかった。
けれど今、それを言ってはいられない。
会いに来てくれないという事は、既に愛想を尽かされているのかもしれない。
自分で導き出した答えに背筋が凍る。
あんなに毎日会いにきてくれていたシェリールだから、他の女の影が出来るなんて気に留めてもいなかった。
婚約者がいるのだから、女遊びなんてしないと思っていた。
では、何故あんな場所で女の人と抱き合っているの?
みっもともない事をしていると自分でも分かっている。
王子の婚約者らしく振る舞えていない事も分かっている。
自分からシェリールを遠ざけてしまった事も分かっている。
けれど、今は彼以外どうでもいい。
廊下を走り、階段を降り、二人が抱き合っていた場所へ向かう。
「シェリール」
イザベラは久しぶりにその名を呼んだ。
「イザベラ?どうしたの。そんなに慌てて」
今まであまり口をきいてくれなかったシェリールが何事かと、心配してくれるのが、とてつもなく嬉しくてくすぐったい。
「あの女性はだれ?」
「え?」
「廊下で抱き合っていたでしょう?」
息が切れ切れの中、聞いてみても彼にはピンと来ないようで、誰だろう、と、首を傾げるばかり。
「私、あそこから見えたんです。あなたと女性が抱き合っている所を」
そう言ってイザベラはさっきまで自分のいた辺りを指で示す。
「シャーロットだよ」
「え?」
「いつもより少し踵を上げた靴を履いているからって、たまたまつまづいた所を支えてあげただけ」
「え?」
あまりにも呆気なく種明かしをされ、イザベラは力が抜ける。膝からガクリと崩れ落ちそうになる所を、すんでのところで腰からグイッと引き寄せられ、二人は近寄る。
「あんな遠い場所から、俺のこと見つけて走ってきてくれたの?」
「なっ」
ついいつもの反射で反論しようと、彼を見上げる。
「っっ」
しかしシェリールの顔はとてつもなく素敵で、満面の笑みのまま自分を見つめていては、出かけていた言葉を飲み込むしかできない。
「今の俺にはそれで十分だよ。ここまで走って来てくれてありがとう。愛してるよ。イザベラ」
「や」
流れる様に甘い言葉を吐くシェリールは、これまた流れで彼女のおでこに唇を寄せる。
「やだって」
わざわざ走ってきてくれてまで会いに来てくれた事が嬉しくて、本当ならこれだけでは済まない。
たくさん抱き締めて匂いを嗅いで、その肌にたくさん口付けを落としたい。
会いたかったけれど、どんな顔で扉をノックすれば良いのか分からなくて、何を話せば喜んでくれるのか分からなくて、いつも壁一枚隔てた向こうで待ちぼうけをしていた。それを続ける内に、本当に顔を合わせにくくなってしまったのだ。
だから今、イザベラが目の前に現れてくれて言葉にできない程嬉しかった。
彼女のこの必死な表情を見てしまえば、自らの気持ちを素直に表現できないイザベラを許してしまえる。
「あの」
愛情表現をしても、逆に押し返されてしまうシェリール。
だがそれでも、会えなかった期間はあったが、今までのやり取りが出来ている様で楽しい。
「これ」
その幸せが一転したのは、イザベラが取り出したのは見覚えのありすぎる小箱を視界に捉えてから。
おずおずと渡され、シェリールは嫌な予感で心臓が締め付けられる。
え?
返されるの?
愛想尽かされて?
また俺から離れていくの?
脳裏を考えたくもないもしもが、ぐるぐると回る。
「え?これ?なに?どうしたの?」
上手く言葉が繋げずシェリールは狼狽える。
俯くイザベラの方も同じ様に口を結んだまま、目を合わせてくれない。
「あのね」
互いに空気を読み合い、あと一歩が踏み出せないまま、向かい合わせの時間が続く。
この廊下を誰も通り掛からない事は、幸か不幸か。
二人にとってはあまりにも長い期間、顔を合わせる事がなかった為、互いの出方が分からなくなる。
「自分勝手で本当に申し訳ないと思うんだけど」
言葉を絞り出したのはイザベラの方だった。
自分勝手?
何それ?
突き返されるってこと?
シェリールはイザベラの為なら常に笑顔でいようと、勝手に決めていた事がある。
それは、彼女を見守る太陽でありたいと思っているから。
自分の光を浴びて次第に開花する向日葵の様に笑ってもらいたいから。
「……」
つぅ……と、一筋。
その頬に雫が流れる。
「え?」
顔を上げた途端、視界に入り込んだのは瞳から涙を零す婚約者の姿が飛び込む。
「やだ。シェリール?どうしたの?」
あたふたするのはイザベラの番だった。
触れてもいいのか戸惑いながら、勇気を振り絞ってその頬に手を伸ばす。
「……」
伏し目がちの瞳はそのまま下を向いたまま。
「それ」
決定打を打たれたくなくて、シェリールは瞳を固く閉じ、身体に力を込める。
自分に触れるイザベラの手が少し震えているのは気のせいだろうか。
「……」
みて。
見て。
私を見て。
心を込めて触れ続けてもシェリールの瞳はイザベラを捕まえない。
「……」
イザベラは踵を上げた。
シェリールと顔が近くなる。
けれど、まだ届かない。
頬に触れていた手を肩に回し、もう少し背を伸ばす。
「……っっ」
閉じられた瞳は、唇に触れた柔らかさに見開かれる。
たった一瞬。
ほんの一瞬。
それは触れるだけの口付け。
初めてイザベラからシェリールの唇を求めた。
長い間つま先立ちする事が出来なくて、それは唇を掠めるだけのキスだったかもしれない。
けれど、それは二人の間ではちゃんとキスだった。
「またこれはめてくれる?」
むずむずとくすぐったい気持ちを誤魔化すように、ぶっきらぼうに指輪の入ったケースを突き出す。
もっと可愛い言い方が出来ただろうに、こんな感じでしか表現出来ない自分が嫌になる。
「?何て?」
「また指輪はめてって言ったの」
ほら。
また可愛くない言い方。
今度はイザベラの視線が下を向き、自分を見下ろすシェリールの視線を浴びる。
「いいの?」
真っ直ぐ向けられた声に小さく頷く。
彼がジュエリーボックスを受け取り蓋を開けると、そこにはイエロートパーズが台座に座る婚約指輪。「イザベラは俺が幸せにする」という気持ちを込めて宝石を選んだ。
すらりと綺麗な指にこれを嵌めるのは二度目になる。
「なんだか緊張するね」
「ええ」
自分からお願いしても、恥ずかしいものは恥ずかしい。
何か言いながらつけるのも違う気がして、静かな時間が流れる。
「素直になれなくてごめんね」
触れてくれる手は昔から変わらず優しい。
指輪が定位置に嵌められても、シェリールは彼女の手を離さない。
「俺の方こそ」
まだお互いに互いの顔を見れず、視線は指輪の着いた手に向けられる。
「いろいろ焦ってたんだ。イザベラが俺の気持ちを受け入れてくれたのが嬉しくて。でも、それだけじゃ足りなくて。兄上たちの挙式も終わったし、じゃあ俺たちも。……ていう流れでさ。イザベラの気持ちも聞かずにごめん」
「私も一人でウジウジと考え過ぎてしまったので。確かに怒っていないと言えば嘘になります。その気持ちをいつまでも引き摺ってしまうのも自分。けれどそれを上手に消化して向き合うのも自分だと分かりました」
イザベラが言葉の終わりと共に顔を上げると、少し気まずそうに微笑むシェリールと視線がぶつかる。
「もう仲直り?」
「ですね」
イザベラの言葉で、緊張していた二人の間にようやく柔らかい空気が流れる。
「じゃあ、もう外さないでずっと着けててくれる?」
長年の想いが実ってからというもの、婚約指輪も何が彼女に似合うか一人でずっと悩んでいた。
婚約式も終わったというのに、イザベラの指にそれが着けられる事は数えられる程度。
「嫌です」
「え?」
すれ違いの日々を過ごし、顔が見れなくて淋しかった。
話せなくて毎日退屈だった。
忙しくもあったが、イザベラに会える時間を捻出する為に頑張った。
扉の前でイザベラに会いたくて立ち止まっていた数日に終止符が打たれたと思ったのに。
再び項垂れるシェリールに、イザベラは言葉を続ける。
「今度は違う指輪を着けて下さい」
「え?」
「二人でお揃いの」
「え?」
言葉の意味が分からず、情けなくもシェリールは何度も聞き返す。
「シェリール。わたしと結婚して」
「え?」
「結婚しましょう」
そう言いながらイザベラは彼の首に手を回し、抱き着いた。
けれども、シェリールにとってはあまりにも突然の事過ぎて処理が追いつかない。
とても嬉しい言葉を言われた気がする。
シェリールは抱き着いてきた婚約者の身体を軽々と抱き上げ、彼女の顔を見上げる。
「ずっと一緒にいよう」
イザベラのプロポーズにシェリールは満面の笑みで返事をし、イザベラが静かに瞼を閉じたのを合図に、彼はそっとその唇に自らのそれを重ねた。
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