トライアングル・ラブ
僕は、緑色の三角形のマークが刻まれたドアをノックする。
「どうぞ、入ってちょうだい」
ドアを開くと夕焼けが、部屋を赤く染めていた。
「あら、いらっしゃい、今日はリアンが来てくれて嬉しいわ」
先に来ていたアカネ先輩はテーブルの上に何冊か本を置いて、一人静かに読書をしていたようだ。
テーブルと三人分の椅子、ゆったりと過ごすのに必要な調度品の数々。
ここは僕と先輩、そしてあともう一人が放課後を過ごすためだけに用意された部屋だ。
「お茶、入れましょうか?」
「ええ、お願いするわね」
備え付けの色が剥げた電気ケトルで、僕はいつものようにお茶を三人分用意する。
ティーポットにお茶っ葉とお湯を入れて、砂時計をひっくり返す。
その間も、アカネ先輩は読書を続けていた。今となっては貴重なハードカバーの本だけども、この学校にはそういう本が山というほど集められていた。
「先輩って、読書が好きですよね」
僕はアカネ先輩の好みならなんでも知っている。好きなお茶の銘柄、好きな食べ物、学校の好きな場所、好きな本……そして、好意を持っている男性の名前も。
「ええ、親が書庫を大事に保存していたから、そこで色んな本を読んでいたの」
それも知っている。アカネ先輩がこの学校に入学したのを機に、その書庫の全てを寄付したことも。
砂時計が落ちきった。僕は紅茶をカップに注ぐと、先輩の前にすいっと出す。
「お待ちどうさまです」
「うふふ、いつもありがとうね」
そして一口。ティーカップに付いた桃色の唇は、この世界でも最も健康的な色だ。
「あの、僕も本を読んでいいですか?」
「いいわよ、そこに積んであるのから好きなのを取っていってちょうだい」
そして二人で、本を読みながらただ静かに過ごすことになった。
アカネ先輩は、色白で線が細くメガネの似合う女性だ。長くてさらさらの茶色の髪の毛は後ろで纏められていて、細い指で後ろに撫でつける。時折見せるその仕草が、僕は大好きだった。
ふと、目が合ってしまう。ちょっと見過ぎてしまったようだ。
「ふふっ……リアンの肌って、いつ見ても綺麗よね」
「……そんなことないですよ」
僕は、自分の肌が嫌いだ。アカネ先輩とは全然違う、だってこんな……
「何言ってるの? シミもホクロも全然無くって……学校で見かけるたびにいいなーって思ってるのよ?」
「本当にそう思ってくれたのなら……嬉しいです」
アカネ先輩に褒められたとしても、やっぱり嫌いなものは嫌いだ。
「髪の毛もさらさらで、特にリアンは女の子達に人気あるんだからね」
「う、嘘です……ぼ、僕なんかとてもとても……」
「えー、とってもかわいいのになー」
ずいっと顔を寄せられる、息が掛かる。アカネ先輩の白い肌が眩しい。ああ、肌も髪も、アカネ先輩達の方が絶対にいい、僕なんかとはとても比べられるものじゃない。
「ねえ、今度は私達のお茶会に来なさいよ、リアンなら大歓迎なんだからね」
噂には、男子禁制の女子達だけのお茶会だと聞いていたのに、やはり僕らは例外らしい。
「手作りお菓子を色々と持ち寄るんだけど……ねえ、私と一緒に作らない?」
その綺麗な白い手が僕の手に重なる。暖かい、ドキドキする。
「そ、それはとても嬉しいお誘いですけど、でもやっぱり僕は……」
行けません、と答えようとしたときだった。
「なんだお前ら、もう来ていてたのかよ」
ノックも無しにドアが開いて、三人目の男子が入ってきた。
ずかずかと入り込むと、勝手にティーポットから紅茶を注ぐ。
「ふん、いかにもお前ら好みなお上品なお紅茶かよ、ジュースにしろよな」
ぐいっと一口飲んで舌打ちをすると、アカネ先輩の隣りの席にどっかと座った。
「ゲンゾウ君、私達には一言の挨拶も無いのかしら……ひゃあっ!」
大柄のゲンゾウの太い腕が、アカネ先輩の肩をぐいっと抱き寄せた。
だけども僕は、それを黙って見ていることしかできない。
なぜならゲンゾウは……アカネ先輩の配偶者候補だから。
「へへへ、お前が相手だってメッセージが届いてから、放課後が本当に楽しみだったんだぜ」
今日のマッチングはよりにもよってこいつとだなんて……
僕はゲンゾウみたいな無作法で粗野なヤツが大嫌いだ。こいつが嫌いなものも僕は全部知っている……教科、食べ物、人物……ああくそ、こいつの嫌いな虫でも投げつけてやりたい。
「ねえ、いきなりこんな風に抱き寄せてくるとか馴れ馴れしすぎるでしょ。コミュニケーション講座の単位、ちゃんと取ってるの?」
先程までの和やかな雰囲気など、欠片も残ってない。
アカネ先輩はゲンゾウをキッと睨み付けていた。
「そんなのどうでもいいじゃねえか別に、俺達は遺伝子的に相性バッチリだってお墨付きが出てたんだからよ」
だが、か弱い女子にそんな目つきをされてもなんともないとばかりに、ゲンゾウはニヤニヤ笑いを浮かべる。
それどころか、アカネ先輩の細いうなじに鼻を寄せてクンクンと臭いを嗅ぎながら、あの柔らかな茶髪を乱雑に掴む始末だ。
「性格の相性は最悪よ! ねえ、やめなさいよ、あの子が見てるじゃない!」
「ハッ! トライなんかに見られてるからってなんだってんだ!」
新世代の男子は、大事に大事に甘やかされて育てられたせいか、こんなワガママな子供が多いらしい。僕は思わず溜め息を吐く。
ゲンゾウの目がギロリとこちらを睨め付けた。
「なんだぁ、そのツラはよぉ……お前らはグリーンスキンで気味が悪いったらありゃしねえ」
人間にはあり得ない緑色の肌に緑色の髪、それが僕達『トライ』だ。
「ゲンゾウ君! それはトライへの差別発言よ!」
「いいんですよ、アカネ先輩」
そんなのは言われ慣れている、眉毛一つ動くことはない。
ただ、人類はひたすらにあそこまで追い詰められても、こんなことすら克服できてないことが悲しかった。
「念のために言っておきますがゲンゾウ先輩。いくら遺伝子的に最適で最有力の候補者だとしても、アカネ先輩と僕が正当な理由で拒否をすれば、あなたとはもう二度とマッチングされないんですよ?」
性格の不一致は不幸を呼ぶ、それは今後の新世代の生活と人類の生存のためにも避けなければならないことだった。
「そうよ、そもそもあなたと話すのだって、私はまっぴらごめんだわ」
「チッ、なんだよお前らはよぉ……俺がせっかく相手をしてやろうっていうのにさぁ」
世界でも何十年ぶりかに新築された学校。放課後に三人で過ごすために作られた部屋は、つまりはそのためのものだった。
この部屋の奧にあるドアを開けば……ベッドが用意されている。
二〇二七年――突如として全世界を襲った不妊化ウイルスによる大混乱で、一〇年も経たないうちに世界の人口は半減した。
人類の存続のためにありとあらゆる生命倫理は無視された。
クローン技術の解禁、遺伝子組み替え技術の投入、バイオドロイドの生産開始、そしてあらゆる動物実験と人体実験の末に……人類は第三の性「トライ」を作り出すことに成功した。
男女の性にトライを仲介することによって新たな子孫を産めるようになったのだ。
ユーラシア大陸の東に位置する弓状列島に建てられたこの学校には、慎重に選ばれた男女とトライが百人ずつ在籍している。
僕達は、そのトライの仲介によって生まれた最初の世代であり……学生時代のうちに一人産むことが最低限の義務となっていた。
「ハッ、俺だってベッドに勝手に潜り込んでくるグリーンスキンと一緒にいるなんざまっぴらごめんだぜ」
「きゃっ!」
ゲンゾウは、アカネ先輩をドンと突き放して部屋を出て行った。
これから寄宿舎まで戻って一人寂しくベッドに潜り込むのか、それともトレーニングルームにでも籠もるのか、まさかこっそり出会う相手がいるのか……どちらにせよ、今日はこの部屋に戻ってくることはないだろう。
「先輩、大丈夫ですか?」
「こんなの全然平気よ……ああ、私はやっぱりあなたに仲介して欲しいわ」
乱れた制服を直しながら椅子に座り直して、そんなことを言ってくれた。
嬉しい、僕も先輩に仲介したい。
「あの、髪の毛もぼさぼさになってますよ」
「まったくアイツったら……鞄の中に櫛があるから、それを使ってくれないかしら?」
「はい、喜んで」
長髪にゆっくりと櫛を入れて、アカネ先輩の髪の毛を綺麗に整えていく。
「ねえ、三つ編みにしてくれないかな? やり方分かるかしら」
「は、はい……一応、教えて貰いましたので……」
「まあ、いったい誰に?」
「あ、そ、それはその……お母さんに……」
緑色の指が、茶色の髪の毛を掬う。
綺麗に三つ編みを作れたのでアカネ先輩に褒められた。
そうして今日は予定された時間まで、アカネ先輩を独り占めすることができた。
そして次の日、僕はまたゲンゾウとマッチングして、一緒に放課後を過ごすことになった。
今度は、一晩中。