7.都市伝説と奇妙なJC
「アミーって何?」
また専門用語だろうと思って広瀬は聞き返してみたが、なぜだか答える佐藤の口は少し重いように感じた。
「まあ、一種の都市伝説みたいなものなんだけどね」
「都市伝説?ツチノコみたいな?」
「コマンドール・コンピュータ創始者の中浦社長が学生時代に趣味で組んだプログラムなんだ。正式名称は人工知能アミー」
「人工知能、なんだか凄そうだな」
「いや、全然。単にキーボードから単語を打ち込んでやると(それはなんですか)って質問をしてくるんだ。
それに答えを入力してやるうちに語彙が増え、単語同士を関連付けて次に同じ単語が出てきた時に関連した単語で答えるプログラムだ。
最初はとんちんかんな受け答えを楽しむんだけど、それを繰り返して行くうちにアミーは段々受け答えが自然になって行って、そのうちに本当に会話をしているようなやり取りが出来るようになるんだ」
「ああ、育成ゲームでやったことがあるよ。あれだろ、犬っていうと“犬って何”って聞いてきて、それに対してかわいい動物とか返してやると、次に犬って単語が出たときに犬は可愛いって言い出す、今でも育てゲーなんかであるよ」
「そう、でも中浦社長は子供のころから20年間入力を続けて、彼が死んでからも10年以上、アミーは今度はネットから情報を入力し続けているっていう噂があるんだ、そうして最後にアミーはどうなったと思う?」
「電子辞書にでもなったか?」
「本物の女の子になったって話だ」
「ピノキオかよ!」
むちゃくちゃだ。きれいな落ちを付けようと思って訳が分からなくなっている。
「下らない、いくら言葉だけ覚えても人間の思考にはつながらないよ、オウムやインコが会話を出来ないのと一緒だよ」
「そうかい、でも人間だって受け取った言葉に今までの自分の環境、経験に基づいて判断した回答を答える。アミーと同じだと思うぜ?」
「全然違うよ、そんなのは知性とは言わないよ」
「でもこの娘を見てみろよ、この瞳、知性があるようにしか見えないよ」
佐藤はうっとりと広瀬のイソップを見つめた。
「あっ、そうだ」
佐藤は何を思い出したのか自分のポケットをまさぐってカードを一枚引っ張り出した。
「この子にこれを持たせてみてくれないか」
それは昨日佐藤が引き当てて大喜びしていたレアカードだった。
「別にいいけど、いいのか? レアなカードなんだろ」
「いいんだよ、命の次に大切な宝物だけど、ミミ子よりお前のイソップの方が似合いそうだ、装備しているところを一回見せてくれ」
命の次とか大げさだなと思いつつ、広瀬はカードを受け取るとイソップの顔の前に差し出した。
広瀬のイソップは2、3回瞬きをしてアイテムカード左下に印刷されたQRコードを読み取った。
するとイソップの周囲にノイズが走り次の瞬間、机の上の女の子は自分の顔の倍はあろうかという赤い大槌を抱えていた。
巨大ハンマーを持った赤いワンピースの少女、広瀬にはかなりシュールな光景に見えたが佐藤は大喜びだった。
「うわぁぁ、やっぱりものすごく似合ってる、それ明日まで貸してやるからさ、今晩それ持たせて俺の家にメール届けさせて」
どうやら広瀬は今日中にメールの設定まで終わらせないといけないようだった。
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放課後、部活に縁がない広瀬はいつものように授業が終わると真っ直ぐ裏門脇にある駐輪場に向かう。
クラスの連中は皆、何かしらの部に入っていて、あの佐藤でさえ、ああ見えて漫研の副部長だ。
いつも普通でありたいと思う広瀬にとっては少し問題であると思うのだが、ボッチの自分が他の人たちと何かしらの部活をしている姿を想像してみても悪い冗談にしか思えない。
広瀬は無意識に左手で自分の頭をかきむしった。
その拍子に指が耳のピアスに触れてしまったのだろう。
パチッというショックとともに指に軽い痛みを感じ目を閉じた。
再び目を開けた時、広瀬は違和感をもった。
なんだか見慣れた校舎裏の風景がいつもと違う色味を帯びて見える。
何者かが太陽を色つきのセロファンで覆った、そんな感じがした。
まばたきをして空を凝視すると、突然目の前がパッと明るくなり、先日見た風景がまた現れた。
それは昨日見たのと同じ透明な羽虫の大群だった。
空一面を群れを成して縦横無尽に飛び回る。
まるで学校という生物の体内をめぐる血液のように何千、何万という隊列が広瀬の視界すべてを飛び交っていた。
「いったい何なんだ、これは」
手で頭や顔を覆っても自分の周りの空間は羽虫で満たされているので息をする度に大量に吸い込んでしまうし、目の中にも遠慮なしに飛び込んでくる。
だが、どうやら羽虫は広瀬の体をすり抜けてしまうようで、特に虫の味もしなければ目も痛くはならなかった。
イソップと同じように何の害もない立体映像みたいなものなのだろうか。
だからといってこの気味の悪さは耐えられるものではない。
「いけ、向こうへ行けよ!」
広瀬が、なんとか羽虫を追い払おうと手を振り回すと突然バッタ達が一斉に動いた。
それまでどの集団もバラバラの方向へ跳んでいたのだが、広瀬の周りにいた羽虫達が皆、揃って腕を振った方向へ向きを変えた。
羽虫たちに実体はなくそれが動いたところで何の影響もないはずなのだが、羽虫たちの集団飛翔の結果、なんだか空気が動いた気がした。
何だか羽虫たちは広瀬が腕を振る方向に動いているように感じる。
ためしに反対方向に手をかざしてみると、今度はそちらの方向に羽虫が一斉移動し、少し風が吹いた。
間違いない。
「自由自在に風を操れる? 超能力が付いたのかな? 僕って風使い?」
少し格好をつけて右手を強く突き出すと、やっぱり思った方法に少し強い風を起こすことができた。
すっかりテンションが上がった広瀬は、右へ左へと羽虫を動かして自分の能力に酔いしれた。
だが、少し調子に乗りすぎたようで、その突風はあろうことか広瀬の胸ポケットに入っていた借り物の赤い大槌のアイテムカードを飛ばし、巻き込み、上空に持って行ってしまった。
「ああっ! ちょっと! まずいよ」
あれをなくしたら佐藤はたぶん怒り狂う、もしかしたら殴られるかもしれない、広瀬は大慌てでフワフワと逃げて行くカードを追った。
カードは学校の裏庭奥まで飛ばされ、今は使われていない古い焼却炉の脇で広瀬やっと追いつきカードを拾い上げることが出来た。
溜息を一つついて立ち去ろうとすると、なにやら話し声が聞こえてくる。
広瀬は中学時代は音楽をやっていたので聴覚は人より優れているのだ。
ボソボソという声は焼却炉の崩れかけたブロックの壁の向こうから聞こえる。
「だからお前なんか死んじまえばいいんだよ、クラス中のみんなが言っているぞ」
若い女のハスキーな声だ。何だか物騒なことを言っている。
その口調からしてどうやら誰かを責めているようだ。
「私は別に2人の邪魔なんかしません」
言い返す細く高い声が聴こえる。恋愛関係のいざこざに端を発したいじめだろうか。
いじめはされる側だけでなく、見る者にとっても気分が悪い。
広瀬のように経験者には身につまされる思いだ。
「いじめ……か」
広瀬は胸が重くなるのを感じた。
決して関わりたくない話なので、広瀬は回れ右をしてそっとその場を離れようとした。
1,2歩歩いて立ち止まる。……何だかやっぱり、少し気になる。
少し躊躇したが広瀬は結局覗いてみることにした。
巻き込まれるのは嫌だったが、単に人が通りかかれば、人目があればいじめを止めるかもしれないと思ったからだ。
なるべく音をたてないように近づいて、あからさまに見ないように顔を前に向けたまま塀を通り過ぎ、焼却炉が見える正面まで来た。
そのままスピードを変えずに通り過ぎるつもりだったのだが、横目でちらっと現場を見て、そのあまりにも異様な光景に不覚にも立ち止まってしまった。
焼却炉の階段に小柄な女子が座っている。
紺の上着に水色のスカーフの制服、中等部の生徒だ。
いじめられている方の女だろう。痩せた体、青白い不健康な顔色をしている。
肩まで伸ばした髪の右側に付けた白いレースのリボンが風になびいている。
今さっきまで泣いていたであろう潤んだ瞳を大きく見開いて驚いた顔で広瀬を見ている。
そこまでは想定内だった。
だがその隣に立っている女、いじめていたであろう女は、想定外どころか理解を超えた格好をしていた。
その女は裸だった。
広瀬より少し年齢が上に見えるその女はまさしく一糸まとわぬ、すっぽんぽんだった。