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4.不思議な羽虫と灰色の我が家

 何万、何億という羽虫が広瀬の周囲を飛び回っている。

 ガラス細工のような透き通った体に体長と同じくらいの大きな羽を持ち、体の表面には無数の棘が生えている。

 そんな異形の虫たちが周囲に充満していて、薄く光る体で部屋全体をうっすらと明るく照らしている。

 その姿は広瀬が知る地球上の昆虫とは明らかに違って見え、そもそも本当に生き物なのかもわからない。

 もっと異様なのは、その羽虫が肉眼で捉えることができないほど微小だということだ。

 もちろん広瀬には見えているのだが、彼自身、自分の目で見ているのではないことを自覚していて、ヒューマノイド端末が周囲をスキャンした際に拾ったノイズかと思った。

 あまりに異様な光景に広瀬は眩暈がして椅子から転げ落ちた。


「おいおい、貧血か、時々居るんだよね、こういう根性無しが……」


 店主が苦笑いを浮かべながら腕を掴んで助け起こしてくれた。

 広瀬が椅子に座りなおしたとき、既に羽虫たちは見えなくなり、周囲は薄暗い元の店に戻っていた。

 また病気の発作が出て、ちょっとの痛みでパニックを起こしたのだろうか、それともヒューマノイド端末が神経系と接続したことによる一時的な副作用なのだろうか。

 広瀬は深呼吸をして、改めて周りを見回した。

 さっきは慌てていて気が付かなかったが、周囲の風景は先ほどとは明らかに変化していた。

 店の棚の至る所からフローティングタグが飛び出し、商品名や値段などを半透明の蛍光色で表示している。

 耳のヒューマノイド端末が広瀬の脳とリンクを開始したのだ。


「落ち着いたか、それじゃあ左の手のひらを上に向けて出してみな」


 広瀬がその通りにすると手のひらにソフトボール大の黒い球体が現れた。

 重さは感じない。ホログラムで実体はないのだろう。


「8時間くらいでヒューマノイドOSのアクティベートが完了する。そうするとその卵は羽化してイソップが生まれるはずだ」


 今、ヒューマノイド端末が広瀬の脳から微弱な信号を読み込み、自分の使いやすいイソップを組んでいるのだが、そう言われても広瀬にはあまり実感できず、なんだか卵の中で小さな人形が本当に育っているように感じられた。

 その後、佐藤がアイテムカードをもう2枚買って店を後にした。


 広瀬の家は東京からJRで1時間ほどのところにあった。

 田舎の割にはそこそこ立派な駅舎を出るとロータリー以外は何もない寂しい駅前に出る。

 時間はすでに午後8時半。

 さすがにあたりは真っ暗だった。


 ドブ川沿いの細い道を少ない街灯の明かりを頼りに進む。

 ところどころ舗装が剥がれている箇所があり、つまずかないように下を向いて歩かなければ危ない。

 しかも、至る所に犬の糞が落ちているのでそれを踏まないように注意して歩かなければならない。

 犬の糞など東京ではほとんど見ることもないので、この辺の人間のマナーがなっていないのだろう。

 ただ、今の季節はまだましな方だ、これが夏になると川の蛙どものボウ、ボウと不気味な大合唱を聞かされるし、川から上がってきた大量のザリガニが人や車に潰されて道に隙間なく張り付く、それはまるで汚いオレンジ色の絨毯みたいになる。

 広瀬はこの自分が生まれ育った町が大嫌いだった。


 暗い道を20分かけて家にたどり着く。

 豆電球のように暗い門灯が灯った辛気臭い家、広瀬はこの家のことも大嫌いだった。

 よくもこんな家に1年もの間、引きこもっていたものだと考えると逆に感心してしまう。

 玄関の扉を開けると居間の方から楽しげな笑い声が聞こえる。

 母親と妹が夕食を取っているらしい。

 広瀬は『ただいま』の代わりにバタンと大きな音をたてて玄関の扉を閉める。すると居間の声がぴたっと止んで静かになった。


「すみませんね、家族の団欒をこわしちゃって」


 広瀬は小声で嫌味をつぶやいて廊下の奥にある洗面所に向かった。

 途中、ふすまの閉まった和室の前を通ったが、なるべくそちらを見ないようにして洗面所に入り手を洗う。

 そして階段を上がり自分の部屋で中学時代のジャージに着替えると5分くらい時間を置いて、食事のため再び居間へ降りていった。

 しかしタイミングが少し早すぎたようで、居間から出てきた妹の唯と階段で鉢合わせしてしまった。

 失敗した、と思って横目で凛の顔を見ると相手も同じように思ったらしく、それが表情にありありと出ていた。

 慌てて顔をそらし、お互いに目を合わせないようにしてすれ違う。

 そして凛と入れ違いに居間に入っていった。


「ああ、お兄ちゃん、今、お肉を焼いているから先にそれを食べてて」


 母親が能天気な声で言う。

 テーブルの上には、もやしとビーマンが入った野菜炒めが置いてある。

 この家では実の妹は広瀬の事をお兄ちゃんと呼ばずに、妹ではない母親が彼のことをお兄ちゃんと呼ぶ。

 唯も昔は広瀬の事をお兄ちゃんと呼んでいたのかもしれないが、生憎広瀬は昔のことはほとんど覚えていない。

 いつものように母親に返事もせず、今日もただ黙々と食事を済ませて部屋に戻るのだった。


 広瀬の部屋にはアニメのフィギュアやポスターで満ち溢れている。

 佐藤の影響も勿論あるが、彼自身、ヲタクはこうあるべきだという強迫観念じみたものに毒されて集めまくっている。

 お世辞にも片付いているとは言えない部屋だが、ヲタクだから大丈夫……だと彼は思っている。


 ベッドの上に脱ぎっぱなしにしていた制服の上着を洋服ダンスにしまい、ついでに戸棚の中から熱帯魚の餌の容器を取り出してテレビの横の水槽の前にしゃがみ込む。

 水槽の中には熱帯魚のネオンテトラが20匹、群れを成して泳いでいる。

 水槽の明かりを吸収したその透明な体が赤く、青く蛍光色の光を放つ。

 その幻想的な光が先ほどのジャンク屋で一瞬見えた幻覚と重なって見えた。

 多分、あの暗くて汚い店内で舞い上がったほこりの粒に夕方の木漏れ日が当たって虫のように見えたのだろう。

 広瀬は調味料の粒みたいな餌を一つまみ水槽に落とす。途端、ネオンテトラの隊列が崩れ各々が思い思いに餌を追う。


「ふん、ダメなやつらめ」


 美しい隊列が崩れてしまったって台無しだ。

 テトラの魅力は、その群体のような一体感だと思う。

 だからそれが崩れると何の魅力もなくなってしまうのだ。

 水槽の底には白い魚がじっとしている。コリドラスジュリーという熱帯魚だ。一匹まるで置物のようにじっとその白い体を沈めている。まるで頭上の騒ぎを迷惑がっているように見える。


 広瀬はベッドに横になって左耳のヒューマノイド端末をそっと指で撫でてみる。

 ピッという僅かな電子音がしてヒューマノイドOSが起動したのが分かる。

 左手のひらを上に向けるとホログラムの卵が現れた。

 ジャンク屋を出て2時間足らず。当然ながらまだ羽化する気配は無い。

 手を顔の前に持って行き、じっくりと観察してみる。

 ためしに指で卵をつついてみるとホログラムなのに触れている感触が指に伝わってきた。

 ヒューマノイドOSのセットアップ作業が進んで触覚にまで接続が及んだのだろうか。

 広瀬はおもしろがってしばらく卵を撫でたりつついたりして遊んでいたが、そのうちに眠くなってそのまま眠ってしまった。

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