2.ヲタク広瀬とホログラム人形
「広瀬、お前もいいかげんヒューマノイドを買ったほうがいいよ」
佐藤があきれ顔で忠告してくる。
「僕は別にいいよ、これでもそんなに不便じゃないから、それにお小遣いがほとんど残ってないんだよ」
今さっき、味わったばかりの不便を無かったことにするのはさすがに強がりなのだが、広瀬にはどうしてもヒューマノイド端末を導入する踏ん切りがつかない。
お金が無いのは本当だが、本当の理由は他にある。
まず、ヒューマノイド端末はピアスになっているので、装着するには耳に穴をあける必要がある。痛いのが人一倍苦手な広瀬にはハードルが高い。もちろん注射も大嫌いだ。
それと、動物の顔をした人形に話しかけることには何故だか強い抵抗を感じてしまう。
こいつら、動物の顔をした小人たちは、自分の相棒としてなんとなくふさわしくない気がするのだ。
「いや、それがさあ、昨日秋葉原でムチャクチャ安いジャンク屋を見つけたんだよ、なっ、行こうぜ」
今日の佐藤はなんだか押しが強い。
「で、でも……ジャンク屋って」
広瀬がどうやって断ろうかと悩み、タブレットを盾代わりに構えて佐藤の猛攻を防ごうとしていると、彼の目のすぐ前を何かがフワフワと通り過ぎていく姿がタブレットのカメラに映り込んだ。
体長15センチのストライプ模様の馬、どうやら誰かのイソップだ。
シマウマを模したそのイソップは着ている服もストライプで、黄色と赤の組み合わせが派手すぎて目がちかちかする。
なんだか競馬の勝負服みたいだけど、そもそも勝負服は騎手が着るもので馬自身は着ないと思うのだが……。
などとツッコミたいところではあるが、そもそもで言うなら、シマウマは競馬に出られない。
とにかく広瀬と佐藤は、そのシマウマ顔をした誰かのイソップに気を取られ、会話を中断しその行先を目とタブレットのカメラでそれぞれ追っていった。
廊下側の窓から入ってきたらしいイソップはフワフワと教室を横切り窓側後方の席の一団に近づいていった。
たどり着いたのは3人のクラスメイト、クラスの人気者グループで中心人物というべき奴らだった。
窓側の一番後ろの席に座っているのが秋月裕作。
性格の良さがにじみ出た明るい笑顔をいつも絶やさない人気者で、女子から絶大な人気を集めていた。
その反面、男子からは猛烈に妬まれている主人公タイプの人物だ。
もう一人は秩父孝治。
身長180センチ、巨漢のスポーツマンで、両親は有名な冒険家だ。自分も冒険家を目指しているというアウトドア野郎で、時々何の前触れもなく冒険旅行に出てしまうので年に数回は所在不明になる。
そして最後が千石みちるだ。
美しい黒髪をシュシュで束ねた長めのポニーテール、整った目鼻立ちにスレンダーなボディ。制服のグレーのスカートからどこまでも伸びる細長い足。
その華やかさは本当に彼女と自分が同じ種として分類されることが許されるのかと疑問に思うほどだ。
小さな顔に配置された大きな瞳には意志の強さを示す力を持って見える。
彼女の容姿はモデルか女優のレベルだと言って差し支えないと思う。
この3人を取り囲む男女を問わないその他大勢の生徒たちや、廊下を通る生徒までが向ける憧れの熱いまなざしは、彼女、千石みちるがこのクラスだけでなく、この学園の中心物であることを物語っている。
広瀬や佐藤などはモブにもなれない。部外者は遠目に眺めるのみだ。
そんな彼らに果敢に向かっていく飼い主不明のシマウマ型イソップは、ゆらゆらと3人組へ接近し、その中の千石みちるの顔の真ん前でぴたりと静止した。
そこでみちる達はようやくそのイソップの存在に気づいた。
「このイソップ、誰の?」
みちるの疑問に答えるように、シマウマは身振り手振りを交えて何かを話し出す。
当然、広瀬には何を言っているのかはわからない。
「千石さんがデートに誘われているみたいだね」
音声にスクランブルはかかっていないようで、ヒューマノイド端末装着者の佐藤には聞こえたようだ。
どうやら他のクラス、または他の学年の男子生徒が千石みちるをデートに誘っているらしい。
いや、もしかしたら他の学校か意外と女子という可能性もありうる。
みちるは、それくらい、見境なく人気がある。
放課後にだれかのイソップが千石みちるをデートに誘うのは、もはや放課後の恒例行事になっている。
「あれはサッカー部2年、小野のイソップだな、小野は1年生の入部時からレギュラーを勝ち取った有望株だぜ」
佐藤がつぶやく。その豆情報の出どころは佐藤自身かミミ子のどちらだろうか。
シマウマのイソップは伝えることだけ伝えると来た時と同じルートをフラフラフワフワと出て行ってしまった。
「ねえ、クルーズって何?」
シマウマの背中を見送っていたみちるが突然振り向いて秩父に聞いた。
横文字に弱いことがクラス中に露見したが誰も驚かない。
千石みちるの低学力は周知の事実だ。本人は除いてだが。
入学早々秋月達を集めてオカルト研究同好会なんて物を発足させるなどというエピソードが彼女の知性な無さを如実に示している。
「クルーズっていうのはねえ、船に乗ることだよ、みちるちゃん」
秩父は笑顔で答えた。
「船? 船なの。クルーズなんて言うから飛行機かなにかだと思っちゃったわよ、……何か、トップガン的な」
みちるは大きなため息をついて自分の左耳たぶを指先で触った。
耳の赤いピアスが薄い光を発して肩にイソップが現れた。
白い猫の顔をしたイソップだ。
青いホットパンツ姿だが、まつ毛が長いのはメスの証ということだろうか。
「それにしても船? この寒いのに海? バカなの? 信じられない!」
どうやら冬のクルージングはお嬢様のお気に召さなかったようだ。
「ワンプス! メールを書いて」
みちるは自分のイソップに向かって一気にまくしたてた。
ワンプスという名前らしいイソップは、ネコミミをヒクヒク動かしてメール送信モードになる。
「何考えてるの? この寒いのに海? 頭おかしいんじゃない? なんで会ったこともない人とそんな所へ行かなきゃなんないのよ! ……って送って!」
伝言を受け取った猫は180度回転するとフワフワと窓から教室を出て行った。
サッカー部の期待の星もあえなく撃沈のようだ。
「まあそうだろうな、先週はバスケ部のキャプテンがデートに誘って玉砕してるんだ、小野ごときじゃとてもとても……」
佐藤が回想するが、その現場は広瀬も目撃していた。やはりその時も速攻で断られていたのを覚えている。
取り付く島もない、というヤツだ。
「断るにしてももっと優しく言えばいいのに」
毎日、多い日には2人以上の人がデートに誘って断られ、知性も品もない罵倒を聞かされるのは気分のいいものじゃない。
しかも彼女の悪口のレパートリはそれほど多くないので、同じような悪口を何度も聞くことになる。
「仕方がないよ、こう毎日じゃ、告白される方も嫌になるさ」
「こっちだって転入してから約2年間、ほとんど毎日こんな場面を見せられていい加減、うんざりだよ」
広瀬の声には嫌悪感がにじみ出ていたが、佐藤はへらへらと笑っていた。
「お前は転入組だからまだマシだよ。俺たちエスカレーター組は中学からこの風景を見てきたんだぞ。いい加減慣れたよ。もはや日常だよ」
私立淀橋学園高等部の生徒の大半は付属の中等部から上がってくる。
千石も佐藤も付属中学出身者であり、そうなると彼らは5年間もこの行事を毎日繰り返し、また見てきたことになる。
もはや感じることは何もないのかもしれない。
「みちる、もうちょっと相手の気持ちも考えてやれよ、彼らだって真剣なんだから」
秋月が千石を優しく諭しているようだ。さすがは人格者、理想の男といったところか。
「真剣?ハッ、全然真剣味が伝わってこないわ。」
「みちるちゃんは裕作に操を立てているからね」
秩父が冷やかすとみちるは真っ赤になって否定した。
「ちょっと、馬鹿なこと言わないでよ! 本気にする人がいたら困るじゃない!」
そんな下らないラブコメを広瀬が醒めた目で見ていると不意に千石みちると目が合った。
その瞬間、照れ笑いをしていたみちるの目がみるみる険しくなり、まるで便所のカマドウマを見るような嫌悪感丸出しのものになった。
そう、彼女は広瀬を見るときはいつもこんな嫌悪とも憎悪ともとれる視線をぶつけてくる。よほどオタクが嫌いらしい。
「いいなー、千石みちる、できればお付き合いしたいな」
「何がいいんだよ、あんなの」
広瀬にとっては本当なら千石どころかクラスメイト全員や家族とだって交流をもちたくはない。
できることなら毎日どこへも出かけずに部屋の中で一日中ゲームをして過ごしたいと思うし、実際半年間そんな生活を送っていた。
快適とは言わないが、人と関わらない分、精神状態に乱れはなかった。
カウンセラーの三波先生に出会わなければ今だってそんな生活を続けていたかもしれない。
「かわいいじゃん、性格も明るいし」
「目は確かか?あれはゼッタイに性格が悪いよ、僕らヲタクはいつも凄い目で睨まれているじゃないか」
それでも佐藤はいつまでも唸っている。
「中等部に居る妹がまた可愛いんだよな、美人姉妹、たまらん」
「だいたい僕たちはオタクじゃないか、リアルの女子なんて興を持つなんて邪道だよ」
広瀬がそう言うと、佐藤は深いため息をついて、彼の肩をポンポンと叩いた。
「広瀬、お前オタクのくせにヲタクにどんな偏見持ってるんだよ、オタクだってかわいければリアル女子もウエルカムだぜ」
どうやらオタクとは広瀬が思っているほどストイックなものでなないらしい。
「それにしたって公衆の面前で公開告白で振られるなんて、僕だったら死んだほうがマシだよ」
「死ぬほどイヤだなんておおげさだな、俺は5回は経験したぜ。機会があればまた挑戦したいね。……それで、お前はどうするんだ?」
「えっ!僕?」
「端末だよ、今日ジャンク屋に行くんだろ?決定だからな」
一瞬何を言われたのか分からなくて怯んだのが良くなかったのか、反論のタイミングを失い、結局行くことになってしまった。
半ば強制的だったが、ともかく見るだけ見てみようと思い放課後佐藤と一緒に秋葉原へ行くことにした。
そしてこの決断が後に人生最大の危機をもたらすことを彼はまだ知らなかった。