繚乱のダンジョン 23
深き水底に眠りし母なる光
揺りかごにまどろみし幼き光
この偉大なる光に形作られたこの世界の海底には、それは美しい箱庭がある。
その箱庭には多くの夢を納めた図書館があり、本に纏められたソレらはこの世界に影響を与えるべく異世界より幼き光の夢を通して渡ってきたものである。
よい夢もあれば、当然悪いものもある。
ゆえに、悪い影響を齎す夢は地下室に封印されている。
悪夢がこの世界に影響を与えないように……。
さて、この図書館の地下室には悪夢を封印する部屋の他に、もうひとつ特殊な部屋がある。
悪夢を封印している部屋と瓜二つではあるものの、決定的な違いのある部屋だ。
一言でいうなら、納められている本の中身がスカスカなのよ。
そう、これらの本は回収しきれなかった悪夢の入れ物。
この世界に定着してしまった悪夢が、本来なら収められるはずだった表紙だけが保管されているの。
この表紙だけの本のなかに『選民意識』というタイトルのものがある。
この『選民意識』という悪夢のおかげで、ワタシをはじめ、随分多くのひとが苦しんできたわ。
この悪夢は、自分は選ばれた存在だと思い込み、選ればれていないと思う相手を見下したり攻撃したりするものなの。
そう、祝福を持って生まれたひとが持たずに生まれたひとを蔑む。この差別文化を生み出した悪夢よ。
本当に、嫌よね。こんなものがやってくるなんて。
差別なんてなかったこの世界に、こんなものが定着するなんて……。
救いがあるとすれば、必ずしも地上に迷い出た悪夢が定着するわけでは無いということね。
悪夢には、回収しやすいものとしにくいもの、定着しやすいものとしにくいものがあるの。
基準は下地の有無ね。
フラグといっていいのかしら?
ゲームで、ロックが解除されるのに前提条件があるでしょう?
前提条件が満たされていると、夢は定着しやすいのよ。
反対に、条件が揃っていないと夢は定着しない。前にフックンがいっていた未実装の夢というのがそれね。
夢を受け入れる下地が整っているからこそ、夢は現実になるの。いい夢も悪い夢も、ね。
この『選民意識』が定着してしまったのは、この世界にもともと『選民思想』という考え方があったせいなのでしょうね。
自分は選ばれた存在だから、選ばれなかったものを導かなければならない、それが『選民思想』。
自分は強いから弱い者を助けよう。
自分は必要以上に持っているから必要としているひとに分けてあげよう。
自分は大人だから、子供を守ろう。
……別に悪い考え方ではないわよ。悪いことでもないし、いえ、むしろ良いことだわ。
ただ、この二つには共通点が多いの。
まず、自分が選ばれたものだと思っているということね。
次に、他者に影響を与えるということ。良くも悪くも、ね。
そして必ず、選ばれなかった者が必要だということなの。
真逆を向いている様でいて共通点の多いこの考え方は、十分に下地となったのでしょう。
他人事のようにいっているけれど『選民思想』をこの世界でもっとも体現しているのは、ワタシたち王族なのよね。
この世界の王は例外なく優秀だ。圧倒的といっていいほどの実力を有している。
遥かな昔から現在に至るまで、弱い王がいたという記録はない。
そして、王の身内である王族もまた、実力者が揃っている。
平時は国民の生活がつつがなくあるように働き、有事の際は先頭にたって戦い民を導いてきた。
王はもちろん、王を支える王族もそう、昔から、ずうっと。
ゆえにこの世界の王族は、国民に尊敬されている。
羨望の的になったり、崇拝の対象になったりさえする。
けれど、王だから王族だからといって何でもできるわけじゃないわ。
どれだけ努力しても完璧になんてなれないの。
助けを必要としているひとを見落としてしまうことがある。
平等さを欠いてしまうこともある。
風邪を引いて寝込む事だって当然あるし、戦闘中に負傷することも珍しくない。
けれどそれは、国民の望む王の王族の姿ではないの。
王への期待が大きい分、うまくいかなかったときの失望は大きい。
望みが叶わなかったときの怒りは激しい。
不利益を被ったときの憎しみは深い。
そんな国民の負の感情は、なぜか王よりも王族、とりわけ王太子に向かいやすい。
そう、残念なことに王太子を叩かないと死ぬ呪いにかかっているひとはこの世界にも一定数いるの。
ホント、迷惑な話よね。
期待して裏切られるのが怖いからと石橋を叩いて割る、もとい渡るにも限度があると思うの。
言葉には力があるの。
どんなに立派な船に乗っていても、これは泥の船だと言い続ければいつか本当に泥の船になる魔法が発動するわ。『ほら、私の言ったとおりダメだったでしょう?』そういって自慢げにしているひとってたまにいるけれど、誇れるところは何処にも無いの。
当たり前のことだけれども、壊れるまで叩いたら壊れるのよ。物も、ひとも、ね。
さて、この災禍の最中で特大の爆弾を爆発させたダフィット殿下は、ロサの国民に相当な失望やら怒りやら憎しみやらを買ったはずなのだけれども……悲壮感が欠片も見られないわね。
騒動がひと段落して天幕で休憩しているのだけれど、むしろ優雅にお菓子を楽しんでおられるようにさえ見えるわ。
「それはそうさ。共にこの重荷を背負って歩んでくれる伴侶を得たんだ。ひとり嘆く理由は無いさ」
「そういうものか?」
「ああ、そういうものだ。落ち込んで下を向いてるときに尻を蹴り上げてくれるツレがいるのは良いものさ」
新婚のダフィット殿下が既婚者の余裕を見せて不敵に笑うと、ノエルお兄様は疲れたようにため息をついた。
「ユーリの──未成年者の前でそんな性癖を暴露しないで欲しいな」
…………。
「……いや、ものの譬えだからな?」
…………。
……………………いえ、深く考えるのは止めましょう。
渋い顔をしたダフィット殿下がピンクのマカロンを齧るとブラックのコーヒーをくいっと飲み干す。
ユミル先生お手製の色とりどりのマカロンはサクサクとした食感と程よい甘さが絶品なの。
お兄様たち甘いお菓子が大好きだから早めに自分の分を確保しておいて良かったわ。
大き目のお皿に盛り付けられたお菓子がどんどん減っていくもの。
じぃじ先生とアーデルハイト殿下が微笑ましげに見守っておられるけれど、ふたりとも気が付いているのかしら?
「まあ、あれだ。そろそろ良い相手は見つかったのか?ノエル」
「いや、縁がなくてね」
誤魔化す様に話を振られたお兄様の返事はずい分とそっけない。
「ふぅん?お前さんなら共にラピスの未来を担いたいっていう相手なんていくらでもいそうだがな」
「あの政策の後だからかな、むしろ敬遠されてるよ。自慢じゃないけれど、俺と結婚したいなんていったのはユーリとリオンくらいのものだよ」
あら、懐かしいわね。
「リオンっていうと、ああ、エミリアさんの子か。ところでユーリ、それいつのことだ?」
入学前だから4歳くらいかしら?
「大きくなったらパパと結婚するってやつじゃないか」
弟と弟分を数に入れるなよ、とダフィット殿下が呆れるとアーデルハイト殿下がふふっと笑みをこぼされた。
バレンタインにチョコを貰うときだけ、私を親戚のおばさん枠から外していた従姉妹の子供の顔が一瞬浮かんだ気がしたのは──きっと気のせいね。




