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繚乱のダンジョン 22

 深い青色の高い空に、入道雲が聳えている。

 水を撒かれたアスファルトがしゅんしゅんと鳴声を上げ、蝉の合唱に飾りをつける。

 たらいの中で手拭を被ったスイカが湧き水に浸かり、玄関に飾られた動物を模した野菜の頭上には、提灯が明かりを灯される時を静かに待っていた。


 緑に囲まれた平屋の縁側で、私はラムネのビンを片手に従妹たちとおしゃべりに夢中になっていた。

 遠くに見える塀のような山々の裾野から、青青とした水田が何処までも広がっている。

 この時季に田舎のおばあちゃんの家で過ごすのは、私達にとって毎年のことだった。


 久しぶりに会った従妹たちと花火で遊ぶのも毎度のことで、私達はおばあちゃんの仕立ててくれた揃いの浴衣を着て夜になるのを今か今かと待ちわびていた。


 早めの夕飯を済ませ、早くもお酒の回った親戚の大人たちが大声で話すのを避けるように、私達子供は縁側に集まっていた。

 この時期、酔っ払った大人たちの話の内容は毎年似たり寄ったりで、たいていは彼等の子供の頃、戦争中の出来事を繰り返し語らっている。

 やれ、鉄砲の弾を作るために寺の鐘まで持ってかれただの、やれ、畳を剥がしてまで刀を探して持っていっただの、ほとんどは愚痴だ。ただ、その愚痴のなかには貴重な文化遺産が戦争で失われたことを嘆く様も感じられた。

 

 戦争なんて碌なものではない。


 要はそういう話だった。

 戦争は人を貧しくさせる。生活も、心も。

 お前たちの代では決して戦争なんてしてはいけない。

 そんな言葉を繰り返し繰り返し……。


 戦争の悲惨さは、学校でも習っていた。

 教科書でも、学校で開かれる映画鑑賞会でも、テレビの特番でも。

 おじいちゃんたちに言われるまでもなく、戦争は嫌なものだと知っていた。

 けれど、実際に戦争を経験したおじいちゃんおばあちゃんの話は、知識として知っている話よりも数段、生々しく感じた。

 だから当時の私は思っていたのだ、戦争のない時代に生まれてよかったと。

 私にとって戦争とは、遠い過去の話か、遠い国の話でしかなかった。

 自分には関係のない、忌避すべきもの。それが私の戦争に対する認識だった。




『あなたたち、兵隊さん万歳って言いなさい』

 花火をしようと縁側に集まっていた私達に、顔を赤くした親戚のおばあさんが命じてきた。

『兵隊さんって誰?』

『自衛隊の人?』

 突然のことに私達は呆気にとられてお互いの顔を見合わせた。

『違う。あなたたちが毎日無事に過ごせるのは兵隊さんのおかげなのよ!』

『おまわりさんのことじゃない?』

 混乱する私達におばあさんは怒りだした。

『何でこんな大切なことを知らないの?いいわ、おばちゃんの真似しなさい。兵隊さん万歳!』

 そう叫んで万歳をするおばあさんのことを、私は酷く不気味に感じた。

『ほら、何やってるの!早くしなさい!兵隊さん万歳!』

 あまりの剣幕に、私達も酔っ払いのおばあさんに合わせてやるべきかと考えていると、騒ぎに気付いた父が駆けつけて来た。

『何をしているんだっ!』


 その後、酔っ払ったおばあさんは叔父さんたちに連れて行かれた。

『このことは、忘れなさい』

 そうそう忘れることのできないような出来事ではあったけれど、父に促されるまま、私達の関心は花火へと移っていった。

 

 それから、そのおばあさんとは会うことが無かった。


 ただ、大人になってふと思い出して思い至ったことがある。

 ああ、あのおばあさんは、子供の頃、そう教わったのだろうと。

 過して飲んだお酒が、おばあさんの心をその当時まで巻き戻してしまったのだろうと。

 

 そう考えれば思い当たる出来事がいくつもあった。

 普段温厚なおばあちゃんが、テレビに映った外国人のタレントさんを見るや人が変わったように口汚く罵りだしたのだ。その時はおじいちゃんがおばあちゃんを嗜めてその場は納まったけれど、幼かった私は酷く驚いたことを憶えている。

 都会から来た観光客の人を『泥棒が来た』と陰口を叩いたおばあさんもいた。

 理由を訊くと、戦争中都心の工場で働いていたときに田舎の親戚からお米や野菜を送ってもらっていたことを近所の人に知られて、自分に成りすましたその人たちに駅で荷物を奪われることが度々あったのだという。

 それは確かにいけないことだけれど、その一部の人の行いを見てその地域の人全てを悪く言うことだっていけないことだと思う。

 その時代を生きていない私が言っても、綺麗事でしかないのだろうけれど……。


 ただ、これが、戦争が人を貧しくするということなのだろうと、おばあちゃんもあのおばあさんも、子供の頃に教わったこと体験したことを、今もしっかりと胸のなかに懐いているだけなのだろうと、そう、悲しくなった。




 今までずっと続けていたのだから、これからもそれを続けることが正しい。

 今まで間違っていたのかもしれないけれど、今さら変えるのも面白くない。

 今まで深く考えずにやってきたことは、間違ったことなのかもしれない。それなら間違ったことは正さなければならない。

 普段は優しいおばあちゃんたちがお酒に誘われて口にした言葉は、曲がることなく真っ直ぐに飛んでいった。

 そして、幼かった私はただ、飛んでいく言葉を見送ることしかできなかった。




 当時の私にとって幸いだったのは、あのおばあさんの行為を、今はもう正しくなくなったことなのだと、教えてくれる大人が近くにいたことだろう。

 時代と共に正しい行いは変化していくものだという考え方を、実感は無くても知っているということは私にとって大きなことだった。

 そう、大人になった私には、とても大切な考え方だった。




 ダフィット殿下の口から飛び出した決定は、ロサのひとびとにとって思いもしなかったことでしょう。その心中はさぞかし複雑なことでしょうね。

 間違いに気が付くとき、変化が訪れるとき、それにはきっかけが必ずある。

 そして、このロサに広がる動揺を齎したきっかけは、間違いなくワタシね。


 きっとワタシはロサのひとびとに恨まれることになるでしょう。

 マーテルで王の謝罪を受けたときのように、ワタシが生まれたばかりのラピスで新しい法が執行されたときのように……。


「まったく、どいつもこいつも……」

 ノエルお兄様の苦々しい呟きは、ワタシの耳にしばらく残っていた。

 


 

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