繚乱のダンジョン 21
大きな背中だと思っていた。
大きな手だと思っていた。
力強くて優しいその手はいつだってワタシを守ってくれていた。
この方の側では何も恐れることなどないのだと、そう思っていた。
久しぶりにお会いしたじぃじ先生は、思い出よりも随分小さくなられていた。
弱々しくうな垂れるその様子は、かつての泰然自若とした姿と重ならない。
アルマン陛下のその様子に、ワタシは今まで気付こうともしなかった陛下の苦悩を突きつけられた気がした。
悩みを持たないひとなどいない。
不安を感じないひとなどいない。
傷つかないひとなどいない。
傍からはどんなに平気そうに見えたって、誰しも心に抱えているものはある。
それは、当たり前のことだ。
そんな当たり前のことに、ワタシは思い至らなかった。
幼かったワタシには、じぃじ先生は完璧で強い大人のひとだった。
けれど、大人のひとだからといったって完璧な存在なわけじゃない。
完璧であろうと努力することはできても、完璧になんてなれない。
嫌というほど知っていたはずなのだ、私は……。
なのに、肝心なところでワタシは大切なひとを思いやることができなかった。
じぃじ先生はヒルダ陛下を愛しておられた。
そして、その変節に心を痛めていらした。
当然のことじゃないの……。
じぃじ先生の人柄を思えばすぐに分かることだわ。
なのになぜ、ワタシは……。
ワタシがアルマン陛下に報告した司書と海底図書館の話は、かつてレイク・カーティスが奏上したものと同じだったのでしょう。
以前は撥ね付けたカーティスの言葉。それと同様の言葉をワタシの言としてじぃじ先生は受け入れてくださった。
そう、じぃじ先生はワタシを信じてくださったの。
だから、今こうして苦しんでおられる。
過去にレイク・カーティスの言葉に真摯に向き合っていたならば、最愛の姫君との関係もきっと違ったものになっていた……かもしれないわ。
ワタシを信じたからこそ、じぃじ先生は今、後悔の念に苛まれている。
堪らず駆け寄ろうとしたワタシの腕を有無を言わせない強さで掴んで、ノエルお兄様は静かに首を振った。
「まったく、どいつもこいつも……」
お兄様の呟きは間近にいたワタシにすら聞き取れないほど小さなものだった。けれど、ワタシたちと向かい合わせたダフィット殿下の唇は『すまない』と、音もなく模った。
アーデルハイト殿下がアルマン陛下を支えるように膝を折る。
そして、ダフィット殿下も洗練された動作で跪く、そう、ワタシに向かって……。
「ユーリ・ラピス王子。件の責は全て我らロサ王家にある。ロサを代表し次期国王ダフィットが謹んでお詫び申し上げる。
我が国へ救援に駆けつけてくださった殿下に対する我が国民の度重なる非礼、決して許されるものではない。本来であるならば厳罰に処するところではあるのだが、この災禍でそれもままならない。
差し当たり、首謀者とその賛同者たちの親権を剥奪した上で隔離することにした」
野戦病院と化していた慰霊碑の広場に動揺が走った。
「以前にラピス王が強行した政策は、確かに成果を挙げているとアルマン陛下より報告を受けている。
我が国も貴国に倣い学園を全寮制のものとし、学園と各ギルドによって正しく国民を教育していくことをここに誓う」
悲嘆のさざなみが広がっていく。
ひしと我が子を抱きしめる大人たちに、まだ幼い子供たちは困惑しているようだ。
ワタシが生まれた頃にお父様が行った政策。それは、各国の王や王族、そして多くの国民の批判の的になった。
祝福を持たない者を差別する風潮が高まっていることに危機感を覚えたお父様たちは、国民の意識改革をすべく早急に手を打たなければならないと考えたそう。
けれど、差別をなくすために指導する上で思いもよらない障害に遭遇したの。
それは、家庭……だった。
各ギルドの指導では個人の意識の差までは埋められなかった。職場では指導に従ったように振る舞うけれど、家に帰ればその指導を悪しざまに言う。それは一般的な家庭において、よく見られる光景だった。
学園で指導を受けた生徒達は、その親達の有り様をしっかりと見ていた。
そして、それをしっかりと学園に持ち込んだ。
意識改革は遅々として進まなかった。行き詰ったお父様たちはある極論に達した。
子供たちを親から引き離そう、と……。
せめて、子供たちだけでも正しく教育しようと……。
ありえない暴挙だ、私の生まれた世界では。
そしてそれは、この世界でも同じ。
けれど、この世界なら、この世界の王なら、できない事ではなかった。
全寮制の学園を建て直し、各ギルドに根回しを済ませ、指導に必要な人員を確保し、その横暴な王命は発令された。
それは、多くの怒り、悲しみを生み、ラピス王家は糾弾されることとなった。
ワタシが生まれた、一週間後のことだった。




