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繚乱のダンジョン 20

 レイク・カーティスという男がいる。

 数百年前に起こった変換期での悪夢、アンデッドの大量発生に遭遇し、海底の箱庭に辿り着いた錬金術の天才だ。

 

 稀有な魔法使いであった彼は、自らの魔法をひとびとの役に立てるために錬金術を学んだ。

 彼の錬金術は大勢のひとびとの生活を豊かにし、大勢の冒険者の助けになった。


 だが、変換期のダンジョンにおいて彼は無力だった。

 どれほど偉大な魔法使いであっても、どれほど優秀な錬金術師であっても、尽きることなく押し寄せるアンデッドの群れの前で、彼は、そして彼らは、為す術が無かった。

 

 箱庭に降り立った当初、彼は唯一無二の親友も命を預けあった仲間も全て……亡くし、ただ、呆然としていた。

 おもちゃ箱の中に放り込まれたかの様な異様な光景のなか、親しげに話しかけてくるフクロウに驚きながらも、彼はただ、絶望していた。

 自分達に恵みを与えてくれる存在。そう信じて疑わなかった魔法の源は、同時に恐ろしい悪夢をも運び、自分の大切なものたちを奪い去ったという事実に、彼はただただ、打ちのめされていた。


 しかし、絶望の只中で失意に苛まれていても彼はこの世界を愛していた。

 家族と、友人達と、共に過ごしてきたこの世界を、彼は、レイク・カーティスは心の底から愛していた。


 彼は守りたかったのだ。

 自分を育んでくれたこの世界を。大切なひとと過ごした、思い出の地を……。

 悪夢から守りたかったのだ。


 そして彼は、海底の箱庭に図書館を創った。

 たくさんの夢を、悪夢を、本の形に変え書架に収めた。

 そのための魔法も錬金術も研究を重ねて形にしていった。

 たったひとりで……。否、ひとりと一羽で。


 月日が過ぎて海底の図書館は滞りなく機能するようになったが、彼は忘れていなかった。個人でできることには限界があるのだと。

 どれほど優れた人物であったとしても、その手が届く範囲は限られているのだと。

 それ故、彼は故郷に求めたのだ。協力者を……。


 幸い、彼はすぐに協力者を得ることができた。

 レイク・カーティスがダンジョンで行方不明になり十数年が経過していた。既に死亡していると思われていた彼の帰還を幼馴染の少女は心の底から喜んでくれた。

 

 長い年月の間にその少女はマキナの王になっていた。

 錬金術師の国になりつつあったマキナは、レイク・カーティスの報告を検証することにした。どれほど受け入れがたい事実であっても、頭ごなしに否定することは錬金術師としての矜持に反すると……。

 そう、レイク・カーティスの話は受け入れられたのだ。ただし、それはマキナという国での話だ。

 魔法の源が悪夢をもたらすなど、本来受け入れがたい話なのだ。

 

 この世界において魔法の源は、神のような存在なのだ。

 

 この世界に神を信仰するという概念が存在しない為宗教にこそなってはいないが、それに近しい心情がひとびとの心のどこかに、確かに存在していた。

 ゆえに、レイク・カーティスの訴えは他の国々には退けられた。

 ただ、過去にそのような訴えをしたものがいるという記録が、それぞれの王家に残るばかりとなったのだ。ノエル王太子がレイク・カーティスについて知見を得ていたことは、彼の勤勉さによるところが大きい。


 神に等しい存在が何の意図も無く悪夢を齎す。

 その事実はマキナの王族以外に受け入れられることはなかった。

 しかし、受け入れられなかったからといって悪夢が無くなるわけもなく、レイク・カーティスは悪夢の封印に奔走することとなった。

 錬金術師達の検証結果を受けてマキナ王家の協力を得られたとはいえ、各国の協力の得られない状況下での司書としての活動は困難を極めた。

 

 それでもレイク・カーティスはこの世界を悪夢から守るため、生涯闘い続けた。

 

 いえ、天寿を全うしてなお、彼は悪夢と闘い続けている。草臥れたローブを身に纏い長い黒髪を無造作に括って、どこか困ったように微笑む丸眼鏡の青年。


 それがワタシの知っている、レイク・カーティス。

 ワタシの左腕で、虹色に鈍く輝く宝石。



 

 そのレイク・カーティスが十数年前にこのロサを訪れていたらしい。




「アレは、どこか作り物めいた容貌の男だったの」

 

 じぃじ先生はどこか遠くを見ているようだった。


「ヒルダが成人した頃だの。

 マーテルから商人が来たんだの。

 大した商才のある男での、様々な事業ば立ち上げでは成功してだの。

 その腕に娘は惚れ込んでしもうての。そんどぎはワシも反対さしながったの。

 ロサの発展さ必要な男だど思ってたがらの」

 

 そう言うとじぃじ先生は小さくため息をついた。


「ただ、祝福ばもだねこらさあだりがきづぐでの。

 それが、気になるってなら、気になっだの。ただ、それだけだの。

 んでもの、ワシが気をつげでやればそのうぢ良ぐなる、そう思ってだの。

 まあ、良ぐなんねうぢに娘ど婚約したんだげどもの。

 ワシはそごまで気にしてねがったの」

 

 有名な話ね。ロサの今日の発展は彼の活躍なくしては語れない。

 ただ残念なことは、彼が無能差別者だということが、より有名だということね。


「あれは、ヒルダの結婚式の準備ばしてる頃だったの。

 妙な男がワシば訪ねで来たんだの。

 娘婿が悪夢さ取り憑がれでるがら会わせろなんていうけの。

 大事な娘婿さなんてごどいうど思っで追い返したの。

 じゃが、それがら毎日あの男はワシば訪ねできての。

 海底の図書館だの司書だのどわげのわがらんこどを……」


「あの頃はヒルダも祝福ばもだねこらば差別なんてしてねがったの。

 ユーリ、お前さんが生まれだどぎにラピスが打ち出した政策ばヒルダが非難しだごどあっだの、知ってるがの?あれは、強引だっだごどもあっけども、どっちがっでいうどそれで渦中さ立だされるお前さんば心配してたんだの」

 

 ……っ!


「ワシもお前さんが心配での。

 ラピスさ行ぐこどさしたんだの。

 ヒルダも賛成してくれでの。

 んだげども、この十年で変わっでしまっだの。

 祝福ば持だねぐてもどごも劣ってなどね。そげだワシの言葉は聞がれねぐなってしまってだの」


「あのどぎ、あの男……レイク・カーティスの言うごどさ少しでも耳ば傾げでだら、何が変わったなべがの。

 じゃが、もう遅い。

 ワシが悪がったんだ。

 ワシのせいだ。

 申し訳ね。

 申し訳ねの……」


 じぃじ先生が弱弱しく謝罪を繰り返す。

 急に小さくなってしまった先生に、ワタシはかける言葉が見つからなかった。

 いえ、ひとつだけ、お聞きしたいことならあるの。

 ただ、口に出すことができないだけで。


 アルマン陛下が本当に謝りたいのはどなたなのですか……と。

 

 



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