繚乱のダンジョン 7
『約束通り、マキナの悪夢は回収したよ』
『君は大丈夫かな?』
『そろそろ、覚悟は出来たかい?』
『ああ、君自身の、ではないよ』
『君が司書に選ばれるずっと前から、君の言葉を待っているひとがいるんだ』
『知っていただろう?』
『覚悟が出来たのなら、一緒に図書館においで』
ワタシの、覚悟……。
焼きたての香ばしいパンの香り。
食欲を誘う甘いシチューの香り。
野菜を炒める軽快なリズム。
油のはねる音。
くぅ、とお腹がなった。
朝食にしては重いメニューは、夜間に探索に出ていらした冒険者の方々用の食事だ。
ワタシ達が目を覚ました時には帰還し報告を済ませていた皆さんは、今はゆっくりと寛いでいらっしゃる。
管理者ギルドのテントを覗くとお父様とお兄様が食事をなさっていた。
良かった。ふたりとも無事だったわ。
ワタシ達に気が付いたお兄様が食事を一緒にと手招いてくださった。
すでにワタシ達の食事を手配してくださっていたお母様が、ご飯にするわよぉと楽しそうにワタシの背中を押していらっしゃる。
やたらと恐縮する友人達を強引にテーブルへ着かせて、さあ、久々に家族との食事を楽しむことにしましょうか。
具だくさんのシチューに揚げたてのコロッケ、ガーリックのきいた野菜炒めにカットフルーツ。
ボリュームのある朝食は胃もたれとは無縁の十代の胃袋たちに、次々と収められていった。
「ダメだよ」
司書として夜間の探索に参加したい、というワタシの希望に対するノエルお兄様の返答は、極めて簡潔だった。
「何故ですか?」
「何故って、君は未成年だろう?参加させるわけにはいかないよ」
未成年。
確かにワタシは未だ学生だ。
けれど今回は、子供だからという理由で安全な場所で守られている訳にはいかないわ。
「ですが、この異変は悪夢によるものです。悪夢を回収できる司書は、今ここにワタシしかおりません。
それに、ワタシは変換期にも参加していたではないですか。
確かにワタシは未成年ですが、戦うことが出来ない程幼くはありません。
ならばワタシは王族として、前線に立つべきです」
言い募るワタシにお兄様は困ったようにため息をつかれた。
「うん、ユーリの決意は立派だし、その言葉を嬉しく感じてはいるよ。
だけど、やっぱり君は未だ子供なんだよ。
経験を積み重ねて、対処にマニュアルのある変換期と違って、この異変は未知の災害なんだ。
事前に準備の出来ていた変換期ですらトラブルは何度もあっただろう?
未成年者を予測不能な危険に晒すわけにはいかないんだよ。
今回のことは俺たち大人に任せて欲しい」
「ですが……」
「王族としての勤めを果たすというのなら、母上を手伝ってくれないか?
治癒師としては勿論、国を運営する立場としても十分、君のいい経験になる」
「何故ですか?
一刻も早くこの事態を収拾するためには、司書であるワタシが悪夢の回収に向かわなければならないのに……」
「理由は、君が未成年者だからだよ、ユーリ」
ノエルお兄様の言葉に言い知れない苛立ちが込み上げてくる。
「この状況で、子供か大人かなんて拘っている場合ではないでしょう!」
お兄様はいつだってワタシを守ろうとしてくださっている。
けれど、ずっとそれに甘えていてはダメなのよ。
お兄様だって、それは分かっていらっしゃるはずなのに……
「この状況だからこそ、拘らなければいけないことなんだよ」
静かに、まるで教え諭すようにノエルお兄様は言葉をつむいだ。
分からなかった。
お兄様がどうしてそんなことをおっしゃるのか、全く理解できなかった。
コトリとワタシ達の目の前に、お茶とお菓子が置かれた。
「ふたりとも、一息入れましょう?」
口論寸前のワタシ達をご覧になるお母様は、何故だかとても嬉しそうだった。
お菓子はもろこしだった。
丸い花のモチーフの一欠けらを口に放り込むとぼきりと噛み砕く。
途端にサラサラと崩れて程よい甘さと独特の風味が口の中に広がっていく。
これが緑茶にとてつもなく合うのよね。
お茶を飲み干してほうっと息を吐いたところで、おもむろにお父様が口を開かれた。
「先程の話だがね、私はひとりの父親として、我が子達の成長をとても誇りに思っている。
出来ればユーリの申し出を聞いてやりたい。
いかし、王として、王族として、違えてはならない法があるのだ。
それは、未成年者は子供であり、子供は大人が守るべき存在だということだ」
「ユーリ、いや、ユーリ・ラピス王子。
王子のその気概は良い。
だが、王族の振る舞いというものは良くも悪くもひとびとの規範となってしまう。
未成年者の王子がこの非常時に、司書としての特殊な力を行使して、状況を打破する。
それは素晴らしいことだろう。
おそらくは美談として語り継がれるほどのな」
「しかしそれは、未成年者が状況によって守られる側から守る側へと立ち位置を変えた前例にもなるだろう。
前例があればそれに習うものもでてくるだろう。
そうなれば、子供を大人が守るという当たり前の法が揺らぎかねない」
お父様の、国王陛下のお言葉はもっともだった。
けれど、ワタシは、子供とひとくくりにされるほど幼くはない。
「うむ、確かにユーリ王子は高等部の生徒だ。
大人に混じって戦うことだって可能だ。
だが、もし、特別な力を授かった者が本当に幼く、戦うだけの心身の成長を伴っていなければどうなる?
未だ自分の足で立つことすら出来ない幼子を、特別な力を有したという理由だけで戦いの矢面に立たせようとする輩が、今後出てこないとは言い切れない」
「例えばアイシャ王女の幼い姫君。
司書となったのがそなたではなく、あの姫君だったならどうだろう。
あの国の民に限ってそれはないとは思いたいが、窮地に陥って赤子の背に隠れようとする愚か者がいないとも限らない。
王族だから、司書だからという理由だけでな」
それはさすがにありえないわ。
言葉も話せない赤ん坊に縋るなんて……。
「なるほど確かにこれは極端な例えであった。
ならば、初等部の生徒ならどうだ?中等部は?」
陛下の問いかけにワタシはハッとなった。
「ノエル王太子が『この状況だからこそ、拘らなければいけない』といったのはそういうことなのだよ。
非常時ゆえの例外を一度作ってしまえば、それはいつしか慣例になってしまうことだろう。
ひとは時折り、自らの責を忘れ、己の都合のよいところだけをすくいあげることがある。
そなたも嫌というほど知っておるだろう」
浅はかだった。
自分の見識のなさに唇を噛み締める。
今、子供のワタシが悪夢を回収に行けば異変を収めることが出来るでしょう。
けれどその事実は、いつか何処かで幼いひとが戦地に赴く理由となって、その小さな背を押すことになる。
前例を作るということは、そういうことなのね。
けれど……
「ワタシの考えが足りませんでした。
しかし、司書として悪夢の回収を止めるわけにはいかないのです。
このままこの状況が長引けば、変換期のようにこの悪夢が定着してしまうのです」
ふむ、陛下がもったいぶった様子で首をかしげる。
誰しもが緊張した面持ちで王の言葉を待っていた。
突然、ノエルお兄様がフッと吹きだした。
「ふふっ、ああ、ごめん。
ユーリがちゃんと状況を理解した上でそういうならこちらも妥協する。
表向きは『調査のために探索パーティーに同行する』ことにしよう。
戦闘ではなくて街の様子を記録する為に行くんだ。
もちろん後でレポートも提出してもらうよ」
……。
もしかしなくても、ワタシのお勉強のために一芝居打ったのねお兄様たち……。
何だかどっと疲れたわ。
けれど、お兄様の次の言葉に脱力しかけていた体が再び緊張に強張った。
「クラウス、アルバート、リオン、アルフレッド。
君たちも同行を望むかい?」
「もちろんです」
当たり前のように頷く友人達を、ワタシは振り返ることが出来なかった。
冷たくなった指先を誤魔化すように組みかえる。
怪訝そうな顔をしたリオンが……
「そうそう!
お話がまとまったのなら、紹介したい子達がいるのよぉ」
お母様がパンッと手を叩くと、テントの中に客人たちを招いた。
一糸乱れぬ動作で整列した彼女達は、何故かそろいのメイド服を身につけていた。




