繚乱のダンジョン 6
荒々しく削り取られた岩盤。
無骨な照明。
広い檜の浴槽。
たっぷりのお湯に身を沈めて、ゆっくりと息を吐き出す。
じんわりと指先から温まってくるわ。
強張った身体から疲れが抜けていくのが分かるようよ。
ここがダンジョンの中だなんて嘘のようね。
支道の奥には立派な洞窟温泉が造られていた。
かすかな硫黄の香りのするお湯にはこのダンジョンで採れた岩塩が使われているらしく、身体を温める効果も得られるそうだ。
避難所でこんな素敵な温泉に入れるなんて最高だわ。
2階層は変換期を経て巨大な洞窟へと姿を変えていた。
事務的に設備が整えられていた1階層と違って、2階層にはお洒落な街が出来上がりつつあるわね。
無数にあった支道は洞窟レストランや洞窟温泉といった施設に利用され、避難されてきた住民の方々が笑顔で行き交っている。
サウナに岩盤浴、プールまである!
一見するとテーマパークやリゾートに来たと勘違いしてしまいそうよ。
まあ、所々に資材が積み上げられてはいるけれどね……。
ラピスには優秀な職人が多いけれど、この短い時間でこれ程のものを造り上げるとは!
『学園の生徒さんたちや冒険者の皆さんが、大勢手伝ってくれたのよ』
お母様はそうおっしゃっていらしたけれど、それでもこれがどれだけ稀有な出来事なのかはワタシにだってわかるわ。
もちろん、これだけ早く避難所に生活の基盤を築けたことには理由がある。
この世界には、ワタシ達が普段身につけているウエストポーチ、これの容量が巨大な倉庫ほどもある国家規模の非常時持ち出し袋があるのよ。
袋といっても実際には鍵の形をしたペンダントで、アクセス権限を持っている国王をはじめとした各ギルド長が、常に身につけているものなの。
この巨大倉庫の中には、組み立てるだけのテントやコテージ、家具類、寝具、衣料品、薬や食料、その他様々な日用品が十分に用意されている。
ちなみにこれらの物資は定期的に見直されていて、必要とあらば新しいものと入れ替えられるの。
入れ替えられたものは格安で売りに出されるのだけれど、デザインが少し古くなっただけの新品が手に入るということで、その時はちょっとしたお祭り騒ぎになるわ。
さて、この錬金術ギルドの画期的な発明である倉庫、これはこの世界では一般に普及していて、商人ならリュック型の倉庫を持っているのが常識。
この異変の最中でも商人たちはしっかりとリュックを持ち出せたようで、抜け目無く商売を始めているわ。
そう、今のこの世界の倉庫街は商品の保管には使われていない。
リュック型倉庫が普及してからは、売買のために一時的に品物を広げる場所として使われているわ。
ローカーシッドに襲われた倉庫は商談の最中だったのでしょうね。
皆、無事だといいのだけれど……。
…………。
……ええと、つまり倉庫へのアクセス権限を持っているひとが、鍵を持ってさえいれば避難先での物資に困らないということ。
現在は、鍵を副ギルド長に預けた冒険者系のギルド長たちがパーティーを組んで、外を探索しているそうよ。
ただ、斥候ギルドはトマス先生がワタシ達と一緒にいたため、副ギルド長が外に出ているみたいね。
うちの副ギルド長は優秀ですからとはトマス先生の談だけれど、留守番を任された受付のお姉さんは緊張で真っ青になっているわ。大丈夫かしら?
お父様は……、お父様も鍵をお母様に託されて、お兄様と共に街に出てらっしゃるそうよ。
有事にこそ先頭に立つのが王だ。
普段どれだけ書類仕事に埋もれていたとしても、王とはその国で最も強い者だ。
そしてその強者は国が危機的状況に陥ったときに、その強大な力を示し、その民を守る。
それがこの世界の王であり王族だ。
だからこそ、王や王族は尊敬されている。
そして本来、管理者ギルド直属の冒険者は王と共に戦うためにある。
尊敬する王と共に戦うということは、とても名誉なことだ。
だから実力のある冒険者は直属になることを目指す。
けれどワタシは……、彼らが実力を示す機会など無ければいいと思っていた。
それで王族が軽んじられることがあっても構わない、とさえ思っていた。
いつも書類仕事に追われていて、
いつも会議で頭を悩ませていて、
いつも雑用を押し付けられていて、
いつも人材の無駄遣いだと笑われていて、
けれどワタシは、その日常がずっと続けばいいと思っていた。
王が、その武器を手にとって戦うということは、その国の民にとって幸せでないことが起こっているということなのだから。
「お父様達は夜明け前には戻られるはずだから、今日はもうお休みなさいね?」
いつもの優しい笑顔のまま、お母様は有無を言わさずワタシ達をテントに押し込んだ。
けれど寝袋にもぐりこんだワタシは疲労困憊していたにもかかわらず、なかなか眠気が訪れない。
煙の這う瓦礫の街、襲いかかってくる複眼、轟音と共に弾ける火球。
それらがちらついては消えていく。
何度か寝返りを打ったところで諦めて目を開く。
寝息をたてつつあったミントの邪魔をしないようにポーチから本を取り出す。
マーテルで回収した悪夢が20%から40%になっていた。
つまり……
「あれ、回収率が増えているね?」
ごめんなさいクラウス、起こしてしまったかしら?
「眠れないんですか?ユーリ」
大丈夫よアルフレッド、疲れているでしょう?もう寝なさい。
「いつ悪夢を回収したんだ?」
ああリオン、これはワタシではなくて……、ところでどうして皆ワタシの背中に乗ってくるの?
「どういうことだ?」
ずしり。
アルバート、あなたわざとやったわね!
「重いわよっ!」
耐え切れずに潰れたワタシがうめくように叫ぶと、騒ぎに目を覚ましてしまったミントまでが何故だか嬉しそうに頭に飛び乗ってきた。
そして、そろそろ限界なワタシに止めをさすかのように、何時の間にかフラスコから出ていたミケがべちゃあとじゃれついてきた。うおぅ……。
バサリ。
テントの入り口が開くと、見回りの先生もといお母様に笑顔で雷を落とされた。
「キミたちぃ?元気なのはいいことだけれど、そろそろ寝なさいねぇ?」
素敵にビブラートを効かせて釘をさすと、お母様は颯爽と立ち去った。
どさり。
突然の王妃様の登場に固まっていた悪友達が転がり落ちて、ようやくまともに呼吸が出来たわ。
ええと、回収率の話だったかしら?
多分マキナのことだけれど……明日で、いいかし、ら……。
何だか急に、眠く、ナッテ、キタ、ワ。




