繚乱のダンジョン 5
夜明け前のうっすらと赤みを帯びた空を閉じ込めたような、不思議な揺らめきを見せる液体の入った小瓶。
仄かなきらめきを宿したその紫色を一息に飲み下す。
炭酸の刺激と共に桃のフレーバーが口内を満たしていく。
……?
色と味が合っていなくて脳が誤作動を起こしているわ。
これは錬金術ギルドが新しく考案した桃のフレーバーのマジックポーションよ。
甘さと香りは控えめで、とても飲みやすい。
炭酸はもう少し弱いと戦闘中は助かるわね。
真剣な表情でクラウスがワタシの感想をメモしている。
そんな真面目にメモするようなことかしら?
まあ、邪魔はしないでおきましょうか。
かじかんだ指先に血がめぐっていくように、魔力が身体の中を満たしていくのが感じられる。
魔力が不足したとき特有の、胸とこめかみの締め付けられるような痛みが引いていく。
こわばっていた肩の力が抜けて呼吸が楽になったわ。
ほうっとひとつ、息を吐き出す。
やっぱり範囲浄化魔法の連発はキツイわね。
今はへばった治癒師達の回復のために小休憩を取っているの。
それにしても、この使い捨てセーフゾーン便利ね、どうしてもっと普及しないのかしら?
「コストが高いからかな?」
「ダンジョンの探索だと移動してしまって勿体無いですものね」
「拠点を作るなら有用だがな」
「攻略するダンジョンにもよる……か」
なんにせよ、初心者冒険者には気軽に手の出せるアイテムではないのよね……。
「しかしよぉ、浄化魔法をこんな風に使うとはな……」
「これ、ダンジョンのモンスターにも効くのかい?」
「街で火事にあったときもさ、怪我人だけじゃなく鎮火も出来るってことだろ?」
「おぅ、大活躍じゃねぇか、エディ?」
「無茶いわんでくださいよ、ボス」
小柄で鳥の巣のような茶色い髪の熟練治癒師は、愛嬌のある顔で疲れたように笑った。
慌ててこの使い方は今回の異変に有効なだけだと説明すると、熟練冒険者の皆さんは笑って了承してくださった。
もしかしなくてもからかわれたのね、ワタシ。
そう、この方々は『悪夢』という漠然とした説明にもかかわらず、ラピスへの救援に駆けつけてくださったのだ。
こんな不確かな情報しか無いのにもかかわらず、この異変の中に同行してくださるなんて……。
ワタシが申し訳なく思っていることに気付いていらっしゃったのか、何の安全の保証も無いダンジョンに挑むのが俺達の日常だからなと豪快に笑うその様子はなんとも心強いものだった。
威風堂々たる王城。
懐かしき我らが学び舎。
煤けたダンジョン前の広場から臨む我が故郷の象徴は、崩れ落ち、未だ煙を燻ぶらせていた。
たなびく煙は夕闇に溶けて、より一層、不安をかきたてられる。
静かだと、思った……。
昼間の喧騒が、嘘のように、静かだと思った。
刃のようにシンとした夜の空気は、不気味な緊張感をはらんでいた。
ダンジョンの入り口は簡単に瓦礫が片付けられ、小さな明かりが灯されている。
ひとの手が加えられているそれに、張り詰めていた心が少しだけ和らいだ。
石造りの背の高いアーチはところどころ煤けてはいたが、崩壊は免れたらしい。
通い慣れたはずのダンジョン。
だいぶ様変わりしていたけれど、この入り口の重厚な存在感は今もって健在だった。
ダンジョンの中は小洒落たキャンプ場のようだった。
広い坑道を模した1階層は星のように明かりが灯り、その下ではお洒落なコテージで皆、銘銘に寛いでいる。
緊急の避難所とは思えないほど設備が充実しているわね。
すでに救護所や食事処が開かれ、時間帯もあってか活気に満ち賑わっている。
想像していたような悲壮感が感じられず拍子抜けしたというか安心したというか……、地に足の付かない心持ちで階段をおりきると、管理者ギルドの職員の方が救護所へと誘導してくださった。
「ネコちゃん、おにいちゃん、バイバイ」
途中からアルフレッドの背中で寝息をたてていた少女はいくぶん元気になったのか、去り際に手を振ってくれた。
こんなに笑顔の可愛らしい子だったのね。
ミントと一緒に手を振り返しながら彼女達の今後が平穏であることを祈る。
「ご家族に、会えるといいですね……」
「ええ、本当に」
道中で保護した彼等は大事をとって2階層の治療院に一泊するらしい。
無事、といっていいのかは分からないけれど、送り届けることが出来てホッとしたわ。
「お疲れ様、ミント。あなたのおかげで助かったわ」
『どういたしましてだよユーリ?』
ミントはパチンと片目を瞑ってみせた。
『ユーリもおつかれさまだよ?』
うっ、なんて可愛らしいんでしょう!
いつの間にウィンクなんて覚えたのかしら?
……そういえばクラウスがよくやるわね。
ミケとも仲良くなっていたし。
……。
…………。
まさかミケもウィンクできたりするのかしら?
いえ、けれども、スライムに目なんてあったかしら?
ワタシの思考が明後日の方角に飛び立つのを留めるように、優雅なソプラノが懐かしく響いた。
「あらあらあら、可愛らしいこねぇ!あなたがユーリ君の新しいお友達なのね?」




