繚乱のダンジョン 2
爆音と共に、またひとつ、火の手が上がる。
レンガ造りの建物の壁が破壊され、熱気と衝撃に身体が揺らぎそうになる。
煙と土埃で酷く視界が悪い。
散乱した瓦礫で足場も悪い。
躓いて転びかけた少女を支えたところに、稲妻模様が飛び込んでくる。
とっさに女の子を抱えて地面に転がると、黒い影が光の粒になって消えるのが目の端に映った。
転がった勢いのまま起き上がると、挫いたらしいその小さな足を癒していく。
手当てをするワタシを虚ろな目で見ているこの子は、もう、いろいろ限界なのだろう。
両手に短剣を構え油断なく辺りを警戒しているトマス先生を横目に、ワタシは精一杯の笑顔を作る。
「ねえ、あなたにお願いがあるの」
「……?」
もう子猫とは呼べない大きさに育ったミントを抱き上げ、その小さな手に触れさせる。
「みんなの所に着くまで、このこを守って欲しいの」
「……えっ?」
おずおずとミントを抱っこすると、不思議そうに聞き返してくる。
「……わ、たし、が……?」
ワタシはにっこり笑うと、ミントを託した。
「そう、あなたにしか頼めないの。お願いね?」
ワタシの言葉に泣くことすら出来ずにいた少女は、しかし、しっかりと頷いてくれた。
その異変を知ったのは、マキナからラピスへ向かうはずの船がマーテルに寄港した時だ。
その時は、船の調子でも悪いのかしら?程度にしか思っていなかったの。
けれど、港に着いて自分の考えの甘さを思い知らされたわ。
あわただしく行き交う冒険者や商人の方々の緊迫した、ただならぬ様子に、初めて大変なことが起こったのだと理解が追いついた。
ロサ、ネムス、ラピスで異常事態が発生。これにより、定期船は全て欠航。
マーテルでも同様の異変が起こる可能性を鑑みて、現在厳戒態勢が布かれている。
「詳しいことは不明ですが、街中に大量のモンスターが現れたとか。それが、変換期によるものかは確認を取っているとのことです」
暫くは、マーテルに留まるより他はないでしょうとのトマス先生の話に、やり場の無い焦燥感だけが募ってくる。
唯唯もどかしい時間をもてあましていた折りに、救援に向かう冒険者の船が出ることを偶然耳にしたの。
ワタシ達は無理を言って、ラピス行きの船に乗せてもらうことに何とか成功した。
静かな夜だった。
船が波の上を滑る音が響くだけの、怖いくらいに静かな夜だった。
「眠らないのか?」
青髪の青年がフードから顔を出した白い猫を優しく撫でている。
ミントも随分、リオンに懐いたわね。
初めはこんな風に触れられるのを嫌がっていたのに……。
「眠るわよ。……もう少し、したらだけれどね」
「……そうか」
手すりに凭れる姿が妙に様になるこの美青年は、ワタシが戻るまでここにいるつもりらしい。
そう、眠らなければならないことは分かっているの。
冒険者なら、休めるときに休めるようでなければならない。
けれど、今のワタシにはいろいろあり過ぎて……。
ほうっとため息をついたワタシの頭をいつものようにべしっと叩いたリオンは、面倒そうに渋面をつくってこう言った。
「クラウスがイヤーマフを調整してくれただろ、戻って寝るぞ」
叩かれたおかげでイヤーマフがずれると、途端に爆音が耳に飛び込んでくる。
百戦錬磨の冒険者の方々のイビキ砲はなかなかに強烈だわ。
ワタシはイヤーマフを直すとそそくさとリオンの後を追ったのだった。
久々に見る故郷の島は、蠢く黒い霞に覆われていた。
船が近付くにつれ、その正体が判別できてくる。
アレは、虫、だ。
私の脳裏に『蝗害』という言葉が浮かぶ。
蝗霞に遮られて島全体の様子は分からない。
間近に迫った港の惨状に、ただ、呆然と言葉を失うだけだった。
あちらこちらで火の手が上がり、レンガや石造りの建物は倒壊し、街路樹や木造の施設は黒光りする虫に食い荒らされていた。
あの活気に満ちた美しい港の風景は、どこにも見当たらなかった。
ふつり、ふつりと、腹の底から怒りが込み上げてくる。
いったい、誰の許しを得て、こんなフザケタ真似をしているのかしら?
ガシッと力強く肩をつかまれた。
いつになく乱暴なリオンは、険しい表情を崩さず港を睨みつけている。
ワタシの肩にあるその手は、何かを押さえ込むように震えていた。
スッと無表情で剣と盾を構えるアルバートの隣で、目を見開いて耳を後ろに反らせたアルフレッドがジャマダハルを握り締めている。
「あれは、ローカーシッドの変異種だね」
望遠用の片眼鏡をかけたクラウスが目を細めて説明してくれた。
ローカーシッドというのは50cm位のバッタの姿をしたモンスターよ。
黒い光沢のあるからだに黄色い稲妻模様が特徴なの。
ダンジョンでは基本ノンアクティブで群れを作らないモンスターなのだけれど、稀に群れで襲ってくるタイプに遭遇することがあるわ。それを変異種と呼んでいるの。
このバッタのモンスターは体当たりや噛付き攻撃の他に、火球を放ってくる。
しかも食い意地が張っている。
連中にとって港は絶好の餌場だったでしょうね。
木造の桟橋は食い尽くされたか見当たらなかったので船から飛び移ろうと皆が準備をしていると、倒壊を免れた建物から女性がなにやら叫びながら飛び出してきた。
いけない!
ローカーシッドが彼女を見逃す訳がない。
バッタの群れが向かって来ることに気が付いた女性は、悲鳴を上げて立ち竦んだ。
せめてもう少しこちらまで走って来てくれていれば……!
冒険者達が駆けつけるも、まだ距離があった。
体当たりの攻撃をまともに受けた彼女は倒れ伏して動かない。
必死で駆け寄ったワタシ達は彼女を抱きかかえると、彼女が飛び出してきた建物へと走った。
「すまんな、あんたらの船を見た途端、止めるまもなく飛び出てっちまってよ」
古い倉庫らしいがらんとしたこの建物は、荷物を運び出した後だったおかげか、被害が少なかったようだ。
その数少ない無事な建物に農業区から避難してきた方が先程の女性を含め四名いらした。
そのうちのひとりはまだ小さな女の子だ。
かわいそうに、よほど恐ろしかったのだろう。傍らの男性にひしりとしがみついて微動だにしない。
「仕事してたらな、急にでかい虫がわらわら湧いてきたんだよ」
「城に行こうとしたんだがよ、コイツら数が多くてな」
仕方なく海沿いを走って港に避難してきたというわけね。
そして、港に押し寄せてきた虫から隠れているところに船がやってきたものだから、思わず飛び出して助けを求めてしまった、というところかしらね。
彼女は身体を強く打っており骨にも数箇所ひびが入っていたが、なんとか命を繋ぎとめることができた。
幸いなことにワタシの治癒魔法で何とか治療できたわ。ただ……
「しばらくは安静にしておきたいのだけれど……」
「無理だ」
「そんなに長くはここに留まれないぞ」
「セーフゾーンを作るアイテムも目くらまし程度にしか役に立たないよ」
「俺たちで運ぶしかないですね」
危険を伴うが、それしか方法はない。
連中は、ここに餌がいることに気付いてしまった。
ここに留まり続ければ、いずれ数で押し切られる。
助かる為には移動しなければいけない。一刻も早く、安全な場所へ。




