繚乱のダンジョン 1
早朝のいとけない青空に白い雲がふんわり浮かんでいる。
手を伸ばせば届きそうね。
塔の人気スポットであるこの空中庭園のカフェは、まだ早い時間だというのに景色を楽しみながら朝食をとろうとするひとの姿が疎らに見えている。
パリッと糊の利いたシャツにおそろいの柄のスカーフとエプロンのウェイター達がお茶を運んできた。
「お茶です」
ええ、そうね。確かにお茶ね。
カンッと高い音を響かせて目の前に叩きつけられたお茶の缶を見つめながら思いをめぐらせる。
まさかこんなところで、あの有名なシチュエーションを体験できるなんて!
……いえ、そうではなくて、ええと、この缶ごと頂いたらお店の方が困るわよね?
べしっとリオンに頭を叩かれた。
「そうだね、それは店に返そうよ?」
「さっき俺たちが支払った代金じゃ買えませんものね、ソレ」
「赤字だな」
「……」
「店長、気の毒なくらい動揺してるし」
衝撃に揺れるワタシ達をよそに硬質な美貌の三体のウェイターは颯爽と踵を返し去っていく。
ダンジョンから帰還した翌日、フィリア達は人形の身体で無事目を覚ました。
いえ、其れを無事といっていいかは分からないわ。
こんな風に目を覚ましたくなかったって思うかもしれない、それはワタシ達だって考えたわ。
けれど、敢えて、彼女達には目を覚ましてもらったの。
これからどうするかを、自分自身で決めてもらう為に……。
今さら謝罪して欲しいわけじゃないし、ましてこれから仲良くしていきたいだなんてことは考えていない。
ただ、自分の現状を理解したうえで身の振り方を決めて欲しかった。
結局、彼女達のご家族は、彼女達の進退をアイシャお姉さまに一任したの。
一見冷たく感じるその対応は、彼女達の将来を思うならある意味理に適っている。
もっとも、彼女達がその想いを受け取れるかは分からないのだけれども。
このまま夢に溶けてしまうか、ぬいぐるみのまま眠り続けるのか、人形の身体で生きていくのか。
簡単に答えなんて出せる訳がないわ。
実際、恐ろしくて仕方がないでしょうね。
その不安をワタシにぶつける気持ちも分からなくはない。
ワタシは彼女達の日常を破壊するきっかけになったのだから。
それでいて、彼女達が何も知らないまま永遠に眠り続けることを是とするほど、偽善者でもなかったからね、ワタシは……。
それを知ってか知らずか、この場でワタシを罵倒しない彼女達はまだ冷静なのかもしれない。
ただ気の毒なのが彼女達を雇った店長さん。
カートさんがここの常連だったばかりに、何だか申し訳ないわね。
フィリア達、ちゃんとここでやっていけるのかしら?
ふと、視線を感じてそちらを見遣ると、ロウのご両親、そしてアランのご両親とそのパーティーの皆さんが、こちらをみて微笑んでいらした。
この時間から優雅にワインを嗜んでおられるイケメン集団を背に、レイカさんが力強く頷いて胸を叩く。
そう、ね。そうよね。
フィリア達には幼馴染のロウとアランがついている。
それにこんなにも頼もしいお父様お母様方が見守ってくださるんですもの、ワタシが気を揉む必要なんてないわよね。
この世界で養子を育てているひとは、国が認めた人格者といえるの。
そして恋愛のパートナーと子育てのパートナーは別のものだとされているわ。
それは、育児中に命を落とすひとが少なからずいるということよ。私の知っている国のように男女の夫婦であることを前提にすると、養親が不足するぐらいにはね。
いくらギルドが支援していても、いくら本人が気を付けていたとしても、不慮の事故というものは必ずおきる。
アランのご両親もそうだった。アランのご両親は子供が初等部に入って時間に余裕が出来たので、ギルドの手伝いをしていたのだそう。
日帰りで出来る救護所の常駐業務。
小さいお子さんのいる冒険者が普段よく就いている仕事のひとつね。
ただその日普通でなかったのは、フィールドボスが新人冒険者のパーティーの間近に湧いた事。
アランのご両親たちはすぐさま出現ポイントに駆けつけ、十代の冒険者たちを庇い、……宝石となって帰還した。
幼いアランにとって家に帰れば両親が待っているという日常は、その日、崩壊した。
この年まで両親の庇護下で過ごしてきたワタシには、幼い彼の心中は想像に絶する。
幸いなことにこの世界での常識は、子供は守るもの、大切にするものだ。
まあ、ワタシのような例外は、一部あるけれども……。
家族を亡くした子供は国が全力でサポートする。
養親の候補者が日常の生活を支えつつ、カウンセリングの資格を持つ管理者ギルドの職員が様子を見ながら養親を決める話を進めるのよ。
この世界で養親になるには各国共通の厳しい審査に合格しなければならないの。
まず、所属ギルドのマスターに推薦をもらうのよ。
そして、管理者ギルドと治癒師ギルドの講習を受けながら、共に子供を育てる仲間を見つけるの。
そうそう、養親になるのに性別は問われないし、人数もふたり以上なら問題ないわ。
ただ、お互いに信頼できる相手ならいいの。
アランに確認してはいないのだけれど、あのイケメンパーティーのメンバー全員がアランのお父様だということも普通にありえるのよ。
まあ、養親以外に子供が相談できる人物がいることが望ましいとされているから、あのオジサンと呼ばれていた冒険者の方は、本当に知り合いのおじさんの可能性が高いのだけれどね。
ついでに、子育てのパートナーは厚い信頼で結ばれているので、そこから恋愛関係に発展することはよくある話だけれど、別に夫婦や恋人同士である必要もないわ。子供に信頼されるに足る人物であればいいのだから。
最後に、管理者ギルドの所属冒険者になるより難しいともっぱら評判の座学と実技のテストを合格し、子供の了承を得られたら、晴れて新人養親になれる。
つまり養親になるということは、国に、こいつにならあのこを任せられるという信頼を得たという証。
それはこの世界ではとても名誉なことなのよ!
我こそはと思う方は今すぐ所属ギルドマスターへ申請を出しましょう!
………………。
…………。
……。
ええと、……そう!つまり彼らに任せておけば心配ないということよ!
そう、きっと大丈夫だから、帰ろう。
ワタシ達も、ワタシ達の家族の元へ。
帰路の船上にて、彼方の島影に暗雲が漂っているのが見て取れた。




