錬金術師のダンジョン 10
素材集め三日目の昼下がり、殺伐としたダンジョンの部屋の中には香ばしいバターと甘いメープルシロップの香りが漂っていた。
今日のおやつはパンケーキよ。
テキパキと手際良くパンケーキを焼いていくワタシ達を、トマス先生が紅茶を用意しながら温かく見守ってくださっているわ。
……と、砂時計をひっくり返したアランが、意を決したように口を開いた。
「どうしてリオンは、調理器具を使わないの?」
それは、魔力調整の鍛錬の為よ。
「それ、料理するときにやる意味ある?」
それは、……ないわね。
「生地作るときぐらい、ボールと泡立て器使えばいいのに」
リオンは、ノエルお兄様をリスペクトしているのよ。
「どういうこと?」
昔、お兄様がおやつの時間に魔法でパンケーキを焼いてくださったのよ。
お兄様が指揮を振るように指先を操るのに合わせて、空中でくるくると小麦粉と卵と牛乳が混ぜ合わされ焼き上がっていく様子はとても心躍るものだったわ。
「ユーリの兄貴って何者?」
ラピスの次期国王よ。
「ユーリって、王子様だったんですよねー、そういえば……」
アルフレッド、それ、どういう意味?
どうして皆そういえばって顔しているのかしら?
「いや、オレが言いたいのはそういうことじゃなくて……」
ビシリっとリオンを指さしてアランは叫んだ。
「そこで疲れきってられると、食べづらいんだよーっ!」
イヤーマフのおかげで静かな体育館に、優しい治癒師の声がこだました。
香りの良いストレートティーに、フルーツと生クリームをトッピングしたパンケーキ。
ワタシ達が優雅にお茶を楽しんでいられるのには理由があるの。
そう、素材が集まったのよ。
目標のモンスターを狙撃し続けたのが功を奏したわ。
やはりこのバリケードを用いた戦闘方法は有用だと、クラウスがものすごい速さでノートになにやら書き込んでいるけれど、……そっとしておきましょうか。
明日の朝には胸を張って撤収できるわね。
余った素材はギルドに買い取ってもらって資金に出来るし、問題は……
「後は、彼女達のご両親次第だな……」
そう、アルバートの言うとおりなの。
どれだけ準備が整っていても、彼女達のご家族の同意が得られなければこの計画は進められない。
アイシャお姉さまが対応してくださっているのだけれど、どうなったのかしら?
「でも、どうして、フィリア達の家族のひとは……」
アルフレッドの疑問に、リオンが痛ましそうに顔を俯けた。
「親にも、事情があるんだろ。いろいろとな」
「そんな……、家族、なのに」
悲しそうなアルフレッドの頭をアルバートがわしゃわしゃと撫でている。
「…………」
「でも、フィリア達の親のことも分かんなくはないよ」
どこか自嘲気味にアランが苦笑した。
「ミラのお父さんは結構大きな商会で仕事してるし、フィリアとリリアんところは冒険者で、今、管理ギルドの審査受けてたはず。この審査通ったら王家の依頼を受けられるってアイツ自慢してたし」
確かにどちらも信用が第一のお仕事よね。
けれど、この世界では仕事の為に子供を蔑ろにしても、評価されることはないわよ。逆はあってもね。
「一緒に仕事している仲間のこと考えたら、下手に動けないっしょ」
顔をゆがめるアランの口に、たっぷりと生クリームの載ったスプーンを突っ込んだロウは、不機嫌そうに口を開いた。
「おまえは、まだそうやって義理のご両親に遠慮しているのか」
「オヤジたちのパーティーはマーテルで王家の依頼を受けてるんだ、一緒にマキナに来てくれなんて、言えるわけ、ないだろっ」
無理やり生クリームを飲み込んで静かに言い返したアランの言葉は、少し震えていた。
アランのご両親は冒険者で、アランが初等部の頃に亡くなったそうよ。
今のご両親はその当時から高ランクの冒険者で、養子になった当初は気後れしたのか、幼いアランはなかなか馴染めなかったのだそう。
今も、マキナでフィリア達を助けたいと思いながら、そう言いだせないでいるのね。
本当は、マキナにいるロウが羨ましくて仕方がないのに……。
マーテルの国民は王家に心酔しているものが多い。
そして、祝福を持たないワタシがアイシャお姉さまや姫と血縁関係にあることに嫌悪感をいだくものも多くいた。
だからこそ、アイシャお姉さまがワタシを大切に思っていることを知って動揺したのね、彼らは。
ワタシの存在を王家の瑕だとした自分達の考えを後ろめたく感じたのよ。
だから、フィリア達のことは彼らにとって都合が良かった。
知らなかったとはいえ、フィリア達はマーテルの王家に連なるものを害したことになる。
それは、彼女達を責める正当な理由になる。
自分達を棚上げして正義を振りかざすのに、彼女達は丁度いい生贄だった。
フィリア達を批判する世論に逆らって、彼女達に寄り添うことにはリスクがあるのだろう。
ひとにはそれぞれ、立場というものがあるのだから。
そして、ワタシの立場だからいえることがひとつある。
「あまり、アイシャお姉さまを見縊らないほうがいいわ」
キョトンとするロウとアランにクラウスが声をかける。
「アイシャ王女は、ユーリのはとこだよ?」
クラウス、ひとを指でささないの。
「ユーリって、王子様なんですよね」
アルフレッド、そんなことしみじみと呟かないの。
「……」
アルバート、そんな疲れた顔で頷かないで?
「…………」
リオン、どうして溜め息ついてるのかしら?
「ユーリ様に今回の依頼を出されたのはアイシャ様なのですよ」
トマス先生がさりげなく助け舟を出してくださったのに、いまいち伝わってないわね?
お願いだから『ユーリ様?』なんて不思議そうに呟かないでちょうだい。
アラン、あなた本当にワタシがラピスの王子だって実感がないのね。
ワタシがここにいる時点で王家への忖度なんて必要ないのよ!
澄み渡る青い空。
早朝の凛とした空気を吸い込む。
この時間帯には珍しく、冒険者のパーティがダンジョンの前に集まっていらした。
白銀の統一された装備を身に纏った彼等は、ひと目で高ランクの冒険者であることがうかがえる。
「お、父さ、ん……?」
目を見開いて驚くアランを壮年の美丈夫達が捕まえて頭をぐりぐりしだした。
「アーラーンー、悩み事があったらパパ達に相談しなさいって、何時もいってるだろう?」
金髪碧眼の髪と髭を短く刈り込んだ戦士風の男性は、楽しげにアランを拘束している。
「う、うわっ。ご、ごめっ、てか、放し、て……」
栗色の癖のある髪に狐耳の魔法使い風の男性が、もがくアランの前で書類を振って見せている。
「急な話で悪いんだけどさ。父さん達、マキナで仕事することになったんだ。アラン、転校してくれないかな?」
どうやらこのおふたりが、アランのご両親みたいね。
「くれないかなって、それ、決定事項じゃ……」
ようやく解放されたアランが書類を見て騒いでいる。
「うん、そういうことだからヨロシク」
「じゃあ、オジサンたち手続きにいってくるから」
「またね、アラン君」
イケメンパーティーの皆さんはアランを揉みくちゃにすると、嵐のように去っていった。
「え、ウソ、マジか」
ひとり呆然としていたアランは突然笑い出すとロウに飛びついた。
「オレ、このままマキナにいられるみたいだ!」
珍しく優しげな表情をしたロウは、涙を流しながら笑い転げるアランの肩を力強く叩いた。
「ああ、そうだな」




