始まりのダンジョン 20
背の高い両開きの白亜の扉には葡萄のモチーフの繊細な彫刻がなされており、複雑な魔法陣の輝きが神秘的な雰囲気を醸し出している。
ここはこの世界の最大の図書館だ。
この図書館はマーテルの王家が代々管理していて、王宮に併設されているの。
そのため、この図書館を利用するには厳しい審査を通過しなければいけない。
つまり、この図書館に入館を許されること自体がちょっとしたステータスなのよ。
そんな図書館の扉を塞ぐかたちで招かれざる客?がいたの。
それは、半人半獣の黄金の禍々しいモンスターだった。
黒く歪に曲がった角を生やした金髪のヤギの顔をしたそれは、地を這うような低い唸り声を上げた。
「ゆぅうううりぃい・らぁぴすぅうううううぅ!」
何故この金髪のモンスターは、ワタシの名前を知っているのだろう?
「げぇぇえええんんんんじゅぅうをぉおおお」
ザッとワタシの退路を塞ぐように数人が武器を構えて取り囲んでくる。
「よぉおぉおおおぉこおおおおぉぉせぇえええええええ!」
何故、彼等はミントを奪おうとするのだろう……。
「おい、無能の王子。幻獣をこちらに渡すんだ」
「おとなしく言うことを聞けば、手荒なことはしないでおいてやる」
「貴様のような無能に幻獣は相応しくない!」
「それは翼の姫君のように高貴なお方にこそ相応しい」
「分をわきまえろ!この無能がっ!」
「さっさと幻獣を献上しないか!この愚か者!」
見通しが甘かったわね。
このマーテルの王宮で、こんな暴挙に出るひとがこんなにいたなんて……。
「お断りするわ。このこはワタシの家族なの」
周囲の殺気が膨れ上がる。
ピリピリとした空気が肌を炙る。
「なぁあああらぁあばばばばぁあああっしぃいぃいいねぇっ!」
獣が蹄の音を響かせ躍り掛かって来る。
これは、悪夢だ。
この世界に、力尽くで他人からなにかを奪おうとするひとが現れるなんて……。
『 』
フードから囁くミントに頷く。
力任せに振り回された獣の腕を掻い潜って回避する。
「しぃいしぃぃてぇぇぇえ、つみぃいぃをぉおおつぅぐぅうううなえぇぇぇええっ!」
罪?どういうことかしら?
「ライアン様は新たな祝福を授かったのだ!正しき行いを広めるためになっ!」
「無能が幻獣を持つなんて馬鹿な話があるか?」
「そもそも、貴様のような無能たちはこの世界に必要ないのだ。大人しく処分されないかっ!」
「無能は存在そのものが罪。そんなことも分からないとは嘆かわしい」
「われわれはこれから世界を正しい姿に変えるのだ」
「ライアン様やフィリア様たちは、そのために新たな祝福を授かったのだ、お前らの如き無能を粛清する為になっ!」
……解説ありがとうと、いうべきかしらね?
おかげでこのひと達がワタシを本気で殺すつもりなのは分かったわ。
それを正義だと信じて疑わないということもね。
『あのひと?もうほとんど夢に溶けているね』
……やっぱり、あの人語を話すモンスターは、行方不明のライアン先生なのよね。
半ばモンスターと化していても、どこかに以前のイケメンの面影があるもの。
「以前の姿には、もう戻れないの?」
『無理だよ?モンスターでなくするなら祝福も消えるよ?』
「祝福も?」
『夢とのつながりを全部、無くするからね?』
祝福というのは、幼き光の夢の一部が生まれてくるときに身体にくっついてきたもの。
だから、祝福を持って生まれればその分幼き光に近くなって、祝福を持たない子よりは魔法の源の力を感じ取りやすくなりはするわね。
けれど、その優位性は子供の頃しか意味を持たない。
何故ならこの世界の子供たちは、学園の初等部で魔法の源の力を感じ取る訓練をするからよ。
そして、卒業するまでに何らかの形で魔法の源の力を引き出せるようになっていくわ。
それが魔法にしろ剣技にしろ錬金術にしろ、本人の鍛錬によってのみ、磨かれていくのよ。
決して生まれ持った祝福が才能を与えているわけではないの。
なのに……
ライアン先生は今まで努力してきた自分を蔑ろにして、夢の一部である祝福こそが自分自身の証であると思い込んでしまった。イメージで魔法を使うこの世界で。
自分自身を否定して夢に落ちていく魔法を、自ら行使してしまったのね……。
ライアン先生がモンスターと化しているように見えるのは、ゆっくりと夢に溶けているからなの。
あれは新たな祝福なんかじゃない。
何れ先生の意識は夢に溶けて、あのモンスターが残ることになるわ。
何の思想もない、ただ力任せに暴れるモンスターが……。
それを阻止するには夢との繋がりを無くすしかない。
幼き光の夢との繋がりが絶たれれば、もう魔法を使うことは出来なくなる。身体能力も随分落ちるでしょうね。
今まで当たり前に出来ていたことが、何一つ出来なくなるわ。
もちろん、夢との繋がりを絶つなんて簡単に出来ることではないわ。本来なら。
けれど、そう、ミントなら出来てしまうの……多分フックンもね。
「おおおおにぃいいふけぇえをぉおはぁたぁああらぁくぅうう、きぃいいいぃいいさぁあああぁぁまぁぁぁあをぉお、しゅぅうぐぅうううぅぜぇええいぃいいぃいずぅううぅうぅうう」
先生は夢をみているのね。
王家の騎士になった夢を。
けれどワタシは、殺されるつもりは無い。
況してミントを渡す訳が無い。
なによりこれは、悪夢だから。
ワタシのではなく、幼き光の見た悪夢。
そう、ワタシはここに仕事に来たのよ。
楽しい夢を見ているところ申し訳ないのだけれども、ワタシはそろそろ仕事をしなければならないの。
ワタシはずっと抱えていた本をゆっくりと開いた。
本を開くと『悪夢を回収しますか?はい・いいえ』という冗談のような文章が浮かび上がる。
そう、この本はカーティスが作った海底図書館の司書用のアイテムなの。
『はい』をタップすると悪夢を回収する魔法が発動する。
ワタシを中心に赤い魔法陣が広がり、ライアン先生と強盗団を光の環が捕らえる。
やがて、魔法陣に沿って静かに風が流れると、黒い靄が先生たちから引きずり出されてくる。
靄はワタシ達の周りを旋回するとそのまま本へと吸い込まれていった。
『回収が終了しました。図書館に転送しますか?はい・いいえ』
これ、選択する意味ってあるのかしら?
そんなことを考えながら『はい』をタップすると、赤い魔法陣はスッと消えた。
開いたままのページに『転送が完了しました』の文字が追加される。
ドサドサッ、と、襲撃者達が倒れこむ。
囚われていた悪夢から開放されて、意識を失ったのだ。
ただ、これだけの人数が悪夢に囚われていたのだ。おそらく、他にもこの悪夢の影響を受けたひとがいるはず。
残念だけれど悪夢を回収できても、その影響までは消せないの。
いずれこの世界にも、今まで存在しなかった強盗が出現するかもしれないわね。
そんなもの、この世界には、いらなかったのに……。
酷く後味の悪い気分でワタシの司書としての初仕事が終わったわ。
重苦しい空気の中、トコトコとミントがライアン先生に近寄っていく。
そして、意識のない先生にフウッと軽く息を吹きかける。
すると、糸が解けるようにモンスターの身体がサラサラと崩れていき、そこには祝福をなくしたライアン先生が力なく横たわっていた。
…………。
……。
いけない、さっきまでモンスターだったから気にしてなかったけれど、ライアン先生、衣服を何も身に着けていなかったのね。
うつ伏せに倒れているからいくらかマシかも知れないけれど、何か掛けておいた方が良いわよね?
ポーチから毛布を取り出そうとして、響いた足音に手を止める。
「ライアン先生に、何をしたんだ?」
キツク両手を握り締めたアランが、泣き出しそうな瞳でこちらを見つめていた。




