始まりのダンジョン 19
葡萄のモチーフの繊細な装飾がなされた白亜の壁に、カツン、カツン、と硬い足音が響いていく。
白い石の回廊は鏡のように滑らかだ。
優美な曲線を描くアーチの向こうには、大きな噴水のある中庭が広がっている。
幼い頃に何度か訪れたことがある、マーテルの王宮だ。
ダンジョンを出て予想外に熱烈な祝福を受け続けるワタシを見かねたアイシャお姉さまが、問答無用で王宮での静養を決めたのよ。
お陰でアイシャお姉さまたちと一緒に幼い姫君と過ごす時間が持ててとても楽しいわ。
姫は一目でミントが気に入ったらしく終始ご機嫌なの。
ミントも満更でもないようで『ボクとおそろいだね?』と翼を広げて見せていた。
なんて幸福な光景だろう!
もっとも、このことで一番喜んでいたのはアイシャお姉さまね。
姫は背中に翼があるためにベッドに仰向けて寝ることが出来ないのよ。
だからオネムのときはアイシャお姉さまか、お姉さまの旦那様のリュート様が抱っこするしかないそうなの。
姫は現在絶賛人見知り中で、お爺様お婆様の抱っこでもむずかるのよ。
しょんぼりするマーテル国王を王妃様が宥めていたわね。
ワタシに抱っこされてミントと戯れていた姫がそのまま寝息をたてたのをみたお姉さまは、驚喜するとおもむろにお昼寝をはじめたわ。
ダンジョンを出てすぐに、ワタシは皆に新しいワタシの家族を紹介したの。
とても驚いていたわね。
ノエルお兄様でさえあっけにとられた顔をしていらしたもの。
この世界で幻獣とは伝説上の存在で、実在はしないと考えられていたの。
伝説の中で幻獣は、魔法の源の力や祝福そのものといっていい存在とされているわ。
もっともミントは幻獣のような存在?だけれどね。
魔法使いや錬金術師たちの、研究のために幻獣を提供して欲しいという申し込みがひっきりなしにされているわ。
当然断ったけれども。
ミントはワタシの家族よ。何故ワタシが快く応じると考えたのかしら?
現在その不愉快な申し出はマーテル王家とノエルお兄様がシャットアウトしてくだっさている。
王宮での静養を命じてくださったアイシャお姉さまに感謝しないといけないわね。
中庭の蔓薔薇をはわせた東屋にドレスアップしたレティシアさんと彼女によく似た妖艶な美女が座っている。アイシャお姉さまの旦那様のリュート様だ。
リュート様は艶やかな長い黒髪をゆるく纏め、前髪を一房右肩に垂らしている。よく見るとレティシアさんとは反対側の目の下に、輝く銀の鱗があるわ。
リュート様はその鱗の他にも父親にも母親にもなれる祝福を持っていらして、『お兄様』や『お姉さま』という呼び方がしっくり来なかったワタシは『リュート様』って呼んでいるの。ちなみにマーテル王家の内輪では『リュートパパ』という呼び方が定着しつつあるわ。
レティシアさんとリュート様は姉妹で、アイシャお姉さまとは学園時代からの付き合いらしいわ。
今日はおふたりにお茶会に招かれたの。
ワタシが行方不明になって悲嘆に暮れていたアイシャお姉さまを見かねたレティシアさんは、ドーンさんに頼んで捜索隊に参加してくださったのだそう。その間リュート様はずっとお姉さまに寄り添って支えてくださっていた。
アイシャお姉さまのお元気な様子しか知らないワタシは、感謝の気持ちでいっぱいになったわ。
お姉さまはワタシの前ではいつも通り、強いアイシャお姉さまだったから……。
「いいえ、感謝するのはこちらのほう。あなたが無事に戻って、私はようやくアイシャの笑顔を見ることが出来たのだから。……それに、今回のことは我々の落ち度だ。改めて謝罪させて欲しい。申し訳なかった」
リュート様はそう仰って、深々とワタシに頭を下げた。
マーテルの王家は民の選民思想と差別意識の深さに頭を悩ませていた。
マーテルへの観光客は年々数を減らし、差別に嫌気のさした優秀な人材は次々にラピスへ移住していくのだ。このままでは本来の意味での無能の国に成り下がりかねないと……。
そんな時にラピスのダンジョンの変換期の話題が流行っていることを耳にされ、当事者のワタシをマーテルに留学させることを思い付かれたのだ。
ワタシと交流することが、学園の生徒達の意識を変えるきっかけになることを望んで……。
もちろんワタシが差別を受けて辛い時期を過ごしていたことはご存知よ。
ただ、ワタシはラピスの王族で、いずれは国王になられるノエルお兄様を補佐する立場になるの。
来年には学園を卒業するのだ。
守られる側ではなく、守る側の者にならなくてはいけない。
お父様達も、これはワタシにとって世界を知る良い機会になるとお考えになったのだろう。
数日前に、ワタシは公の場で当初の予定通りマーテル国王より謝罪を受けた。
マーテルは始まりのダンジョンを有する、他の国よりも歴史の深い国だ。
そしてそのことに、マーテルの民は誇りを持っている。
そして、その誇りの象徴ともいえるマーテルの王家を特別視している。
しかし、いつしかその誇りは驕りとなって、他国を見下すようになった。
そして、数十年前に祝福を持って生まれたことに選民思想を持つものが現れた。
当初は成長過程による一過性の精神状態だと考えられていたが、ある時を境に急激にその思想が広まってしまった。
祝福を持たずに生まれたものを見下すという、根拠の無い差別意識と共に。
持てる者が持たざる者を見下す。
愛国心と祝福を持つことの僅かな優越感が悪い意味で強固に結びついた結果、マーテルでは王族崇拝と祝福を持たずに生まれた者への差別が罷り通るようになってしまった。
そして、その思想は他の国へと広まっていった。
そんなマーテルの民にとって、敬愛する国王が他国の祝福を持たない者に公の場で頭を下げるという行為はどれほどの衝撃だったことだろうか。
ただ、幸いなことにダンジョンの下層階を探索する高ランク冒険者の方々にはこの差別思想を持っているひとが少ないのだそう。
ワタシの生還を喜んでくださった冒険者の皆さんは、もともと差別に否定的だったのだとか。
むしろラピスのダンジョンの変換期で殿をつとめたワタシに対する評価は高いものらしい。
その評価を得るのはワタシを抱えて脱出したリオンの方が相応しいと思うのだけれども。
ワタシがそういうとリュート様が意味深な笑顔でレティシアさんに目配せした。
レティシアさんによれば、あの時ワタシと一緒に撤退していた冒険者の方がちょっとした美談として酒の肴にした話が、いま人気の物語として世間に広がっているらしい。
そういえば学園の一部の女子生徒のワタシ達を見る目付きがおかしかったわね。
気付けば、レティシアさんとリュート様もワタシを見てニヤニヤしている。
違うのよ!ワタシ達はそういうのではないからね?
久々に顔から火の出る思いをしたわ!
夜の帳が下りて、朝の清涼さとはまた違った趣の静けさが辺りを包む。
ワタシは黒いローブを纏うと読みかけの本を持って廊下に出た。
壁の装飾に組み込まれていた魔法陣がワタシを感知して明かりを灯していく。
歩みに合わせて複雑な文様を描いてゆく白亜の壁に、カツン、カツン、と硬い足音が響く。
美しい装飾のなされた重厚な背の高い扉の前で、ワタシ達は足を止めた。
扉の前に、場違いな獣が待ち構えていたのだ。




