始まりのダンジョン 12
ビビラルバンの群れの中を突破すると、小高い丘に建つ洋館に辿りついた。
物語に出てくる農村の素朴でこぢんまりとした洋館、それが実際にあったらこんな感じかしら?
辺りにモンスターがいないことを確認して、ワタシは自分を守っていた魔法を解除した。
ボコボコと沸騰する水の壁の中にいると、自分がボイルされているような気分になってくるのよね。
程よく手入れされた芝生に丸い小さな花壇のある可愛らしいお庭。
二階建てのレンガ造りの洋館。
ここに上層階への階段があるといいのだけれど……。
建物の中を確認する。
リビングにダイニングキッチン、バスルーム、二階のベッドルームに屋根裏部屋まで探したけれど、それらしい階段はなかったわ。暖炉の中まで見たけれど煤だらけになっただけで収穫はなし。
とりあえず、浄化魔法ランク1。
木陰でサンドイッチを食べながら考える。
角ウサギのお肉で作ったカツサンドが美味しい。
けれど野菜が足りていないわ。どこかに葉物野菜はないかしら?
いえ、そうではなくて。
ここに階段がなかった場合、あの群棲するビビラルバンの中を探索することになるのよね。
それだけは避けたい。
コーヒーの香りを楽しみつつ空を見上げて溜め息をつく。
抜けるような青空の下爽やかな風が梢を揺らしている。
このまま、木陰でお昼寝したいくらい素敵な陽気だわ。
ん?
木陰?
後ろを振り返ると心地よい木陰を提供してくれていた背の高い木を見つめる。
登れそうね。
一番下の枝にジャンプして取り付くと反動をつけてよじ登る。
『ユーリ、木登りするの?』
ミントがスルスルと登っていく。
さすがは猫ね!
いえ、猫ではないのだけれど……。
「ええ、もしかしたらここが上の階層につながっているかもしれないわ」
楽しそうに、まるでそこに道があるかのように進むミントを追う。
木登りなんて久しぶりだわ。
子供の頃以来かしら?
アイシャお姉さまはあれでけっこうお転婆なお姫様で、ワタシに木登りを教えてくださったの。
ノエルお兄様は魔法で飛べばいいだろうと参加なさらなかったのだけれど、今にして思えばワタシ達がうっかり落ちても大丈夫なように見ていてくださったのかもしれないわね。
どうやら、この木が上層階へ繋がっている階段?で正しかったようね。
床に大きく穴の開いた部屋に出たわ。
板張りの床が太い木の枝に突き破られて半壊状態のこの小屋は、森の中にひっそりと打ち捨てられていた。
鬱蒼とした森の中、小道とも獣道ともつかない道が、草に埋もれて見え隠れしている。
あら、キノコが生えているわ。
シイタケかしら?
シメジもあるわね。
採集したキノコをポーチにしまうと、ノートを確認する。
あいかわらず地図のタイトルはマーテルダンジョン???階層だわ。
この細い小道が道として地図に記載されたし、道なりにいきましょうか。
それにしてもこのノートとても便利ね。
さっき採ったシイタケとシメジが自動で書き込まれているわ。
錬金術ギルドで記録されているアイテムは、こうして採集場所が自動で書き込まれるの。出現したモンスターなどもそうよ。
ゲームでよくあるマップ機能に似ているわね。
いえ、似ているというよりは異世界のゲームのシステムがこの世界に反映された結果、なのでしょうけれども。
ワタシが海底の図書館に落ちる前の情報なら、ノートに記載されるようね。
ちなみにビビラルバンやビビラルバンのドロップ品は???になっているわ。
本来ならこの世界の冒険者が初めて遭遇したモンスターやアイテムは『!』マークが付くのだけれど。
…………。
今のワタシって、ゲームでいうところの同期が取れていない状態なのかしら?
……。
いえ、深く考えるのはやめましょう。
ここは現実の世界であって、ゲームの世界ではないのだから。
いきなり巻き戻ったりなんてしないはずよ!
小道を歩いていると近くでブォンという独特の音がきこえてきた。
手前の木の向こうからカチカチという音と共に、オレンジ色の逆三角形の顔に黒い大きな複眼のモンスターが飛んできた。
大きい。
ワタシの身長と変わらない体長だわ。
ゆっくりと後ずさりながら魔法の準備をする。
森の中で火魔法は危険ね。
モンスターを中心に範囲を固定して水魔法を使う。
水球に閉じ込められたモンスターが激しく暴れる。
無駄よ。あなたはそこから出られない。
このまま、溺れてちょうだい。
けれど抵抗が激しく、魔力がどんどん消耗されていく。
冷や汗が頬を伝う。
こんな風に魔力が底を突く感じは久々だわ。
ミントがマジックポーションを渡してくれる。
ありがとうミント。助かるわ。
ポーションを呷ると、魔法を安定させることに集中する。
放たれた毒針が水球を突き破って飛来してくるのを何とかかわしていく。
攻撃が滅茶苦茶だわ。
それだけ追い詰められているってことかしら?
けれどそれはお互い様ね。
もう、魔法を維持するだけで精一杯なのよ。
毒針を回避する為に奥歯を噛締めて地面を蹴る。
やがて、モンスターは力尽きたように動きが鈍くなり、動きを止めると同時に淡い光となって消えた。
詰めていた息を吐き出し、荒く呼吸する。
どっと疲労が押し寄せ、座り込む。
足がガクガクする。
身体の震えが止まらないわね。
さすがは下層階のモンスターだわ、倒せてよかった。
まだ学生の、治癒師科の生徒であるワタシが単独で戦える階層ではないのだもの。
運が良かった。
あのモンスターが一匹で、良かった……。
目を閉じて深呼吸をする。
怖かった。
そう、とても怖かったの。
だから、気持ちを切り替えよう。生きて皆のところへ戻る為に。
『ユーリ、これ落ちたよ』
ミントがドロップアイテムを拾ってきてくれたわ。
ハチミツ?
あれミツバチには見えなかったわよ?
まあ、いいでしょう。疲れたときは甘いものが欲しくなるのよね。
ミントとふたりでつまみ食いをしたところで、先を急ぎましょう。慎重にね。
薄暗い森の小道を歩いていると三叉路に行き当たった。
「どちらに進もうかしら?」
ノートを開いて地図を確認しても森の中の三叉路ということしか分からない。
けれどなんとなく、左の道が明るい気がするわ。
左に進んでみようかしら?
辺りを見回しながら慎重に歩く。
ミントがフードの中から後ろを見張ってくれているわ。
ときどき『異常なしだよ、ユーリ』と報告してくれるのが可愛らしいわね。
さて、また分かれ道だわ。
このまま真っ直ぐに進む道と、右に進む道。
そうね、真っ直ぐ進みましょう。
この道の先が明るく開けているのよ。
道もしっかりしてきて、歩くたびに草が足を擦るということもなくなった。
おそらく森の外に続いているはずよ。
『ユーリ、右見て!』
薄暗い木立の間にオレンジと黒の縞模様がフヨフヨと浮かんでいる。
さっきのモンスターだわ。
ワタシ達は音を立てないよう気をつけながら、木の陰に身を潜めて様子を窺う。
微かに羽音が聞こえるわね。
じっとりと汗が滲んでくる。
息を殺して敵の様子を窺う。
ゆっくりと円を描くように飛んでいるわ。
どうやらワタシ達に気付いていないみたいね。
お願い、そのまま何処かに行ってちょうだい。
けれど願いも虚しくゆっくりとこちらへ飛んでくる。
大丈夫、まだ気付かれていないわ。
モンスターがフヨフヨと円を描いて移動している。
そしてそのまま、森の奥へと消えていった。
モンスターの気配が完全になくなると、ふっと体の力を抜いた。
『いっちゃったね?』
額に浮かんだ汗を拭う。
「ええ、そうね。ありがとうミント、助かったわ」
『うん、どういたしましてだよ、ユーリ』
森を抜けると大きな湖があった。
夕日が湖面に映ってまるで燃えているようだわ。
この森に囲まれた湖の中心に小さな小島があって、そこに桟橋と小さな小屋が見えるの。
そしてこちらの岸辺には小船が係留されている。
この小船であの小島と行き来しろってことでしょうね。
ただ、何か引っかかるのよね?
ワタシは小船にロープがしっかり繋がっていることを確認すると、トンっと小船を押し出した。
そして湖面を滑り出した瞬間、小船は大きな破裂音と共に木っ端微塵に砕け散った。
「うおっ」
『わあっ』
四散した小船の残骸は湖に沈んでいった。
そしてすぐにリポップした。
「今の見た?」
『うん、おっきなお魚だったね』
そう、巨大な細長い魚が湖から飛び出し小船を貫いたのだ。
湖を渡ろうとすると襲ってくるということかしら?
困ったわね、この階層の階段はあの小島にありそうな気がするのよ。
どうにかして渡れないかしら?
少し試してみましょう。
その前に、灯りが欲しいわね。
もうだいぶ暗くなってきたもの。
ワタシは魔法で火球を飛ばし湖を照らそうとしたのだけれど……。
ザンッ。
巨大魚が飛び出し火球を通り過ぎると、弧を描いて湖に落ちていった。
あんな高さまで飛べるの?
火球に照らされた巨大魚は、鋭い歯がたくさん生えた長く尖った口が筒状の長い身体に付いていた。それが水中から高速で飛び出してきたのだ。
あれ、魚なのかしら?
クロスボウの矢みたいだったわよ。
湖の上で動くものを攻撃する、ということかしらね?
小石をいくつか拾うとまとめて湖の上空へ放り投げる。
…………うわぁ。
一瞬、水族館のイルカのショーが過ぎったわ。
いえ、これはそんな可愛らしいものではないわね。
複数の巨大魚がいっせいに空中へ躍り出て、小石を噛み砕くと水中へと戻っていく。
巨大魚が水面を叩く爆音と激しい水しぶきに、しばらく言葉を失った。
いったい何匹いるのよ?
なるべく多くの土塊を作って風魔法で湖の上に広範囲にばら撒く。
どおぉんと水柱が轟音と共に上がり、巨大魚たちの鱗が火球に照らされて鈍く輝く。
どこかのカジノの噴水ショーみたいだわ。
物凄く生臭いけれどね。
高さはどうかしら?
火球を上に移動させるとある程度の高さで進めなくなった。
そして、火球目指して飛び上がっていた巨大魚の一匹が見えない天井にぶつかり、落下しながら光の粒になって消えた。
あれがこの階層の高さの上限か……。この様子だと飛んで湖を渡るのは無理ね。
ちなみにアイテムがドロップしているけれど、拾いにいけない。
魚の切り身らしきものが、湖に沈んでいくわ。
さてと、空は飛べないしリポップの時間が分からない以上闇雲に攻撃するのも無駄だ、ワタシの実力では回避も無理。
頑丈な橋を作るしかないかしら?
試しに湖の水温を下げて小島まで氷の橋を作る。
どうやらこの氷には反応しないようね。
小船を氷の橋に押し出し滑らせてみる。
数匹の巨大魚がすぐさま反応して橋を突き破ると、小船を破壊する。
あなたたちこの小船に恨みでもあるの?
何度か氷の厚さや範囲を広げて試すうちに、氷山が出来上がっていた。
そう、意外と飛距離のある巨大魚の突進を防ごうと橋の欄干を強化していたらこうなったのよ。
小船を滑らせても巨大魚が氷の橋?を突き破ってくることもなくなったし、小島まで渡ってしまいましょう。
そして、なにかがひっきりなしに氷山に衝突する振動は感じられるものの、無事に到着。
ええ、少しやり過ぎたかなとは自分でも思っているわ。
すっかり身体が冷えてしまったもの。
運良く橋?の上で力尽きた巨大魚の、魚の切り身らしいドロップアイテムを拾えたから、これで何か温かいものが食べたいわ。




