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始まりのダンジョン 10

 石造りの素朴な鐘楼。

 その内部は螺旋階段が延々と続いている。

 四角い明り取りの窓から朝の光が差し、薄暗い塔の石階段を白く浮き上がらせている。

 トットッと軽快な足音を立てて白い子猫が階段を登っていく。

 ミントはこの螺旋階段がお気に召したらしい。

 本日の予定は、上階層へ続いているであろうこの塔を登ること。

 お弁当という名の昨日の残り物に、今朝多めに作ったサンドイッチもある。

 水筒には麦茶を作って入れてあるし、食べ物の心配はないはず。

 ワタシはひたすら壁沿いに階段を登る。

 ただ真っ直ぐ前を見て……。

 さっきうっかり上を見てしまって目を回しかけたのよ。

 高いところは平気なんだけれど、吹き抜け部分を覗き込んだのは失敗ね。

 とってもぐるぐるしているわ。

 いけない、あまり余所見をしないほうがいいわね。

 壁に手をついていったん目を閉じる。

 前を向いて階段を登ることに集中しましょう。

『ユーリ、大丈夫?』

 ゆっくり深呼吸して目を開ける。

「ええ、大丈夫よ。いま行くわ」

 なるべく吹き抜けを見ないようにして螺旋階段を登っていく。

 窓から外を眺めると、広大な草原が眼下に広がった。

 いいお天気ね。

 ふと、既視感を覚えた。

 あれは私がまだ独身だった頃、旅行先で……。

 そうよ!観光地にあった内部を登ることが出来る大きな仏像だわ!

 たしか吹き抜け部分にエレベーターがあったわね。

 友人達と謎のテンションのままエレベーターを使わずに階段を登りきって、足がガクガクになったんだったわ。そういえば、修学旅行のとき東京タワーでも同じことをしていたわね、私。

 そして途中で、エレベーターに乗ればよかったーと後悔してもいたわ。

 まあ、それも含めて楽しい旅の思い出なのだけれども……。

 つまり何が言いたいのかというと、エレベーターが欲しい!今すぐに。

 ……いえ、無理なことは分かっているわよ?

 この世界には転移装置という画期的な錬金術ギルドの発明があるもの、エレベーターが設置される可能性は低いと思うわ。

 いつか最下層まで冒険者が辿りついたら、きっとこの塔の周辺がセーフゾーンとして利用されるのだろう。

 転移装置が設置されればこの階段は使われなくなっていくのかしら?

 まあ、いつかの話ね。

 ところで少し疲れてきたわね。

 そこの踊り場で休憩しようかしら?


 そこは、緑の美しい空中庭園だった。

 白い石畳の小路と控えめな噴水のある広場に色とりどりの花がさきほこり、良く手入れされた低木が整然と並んでいる。

 踊り場に辿りつくと、こじゃれたフランス窓の向こうに絵画のような幻想的な光景が広がっていた。

 物語に出てくるような庭園が雲と共に空中に浮かんでいるのだ。

 塔から外側に突き出たちょっとしたスペースが、踊り場とつながっていた。

 ワタシ達はそこに腰を下ろして休憩がてら外の景色を眺めているの。

「綺麗ね……」

『お外には出ないの?』

「それはやめておきましょう」

 今外に出たら戻って来れなくなりそうだから。いろいろな意味でね。

 目の前のフランス窓の先には庭園につながっている石造りの細い橋がある。

 塔から伸びた蔓が橋に絡まって、まるで吊り橋のよう。

 窓を少しだけ開けて塔の様子を確認すると、古めかしい石造りの建造物が太い蔓に侵食され飲み込まれたかのように見えた。

 遺跡もどきの街にあった鐘楼とは別のものね。

 これは、空中庭園と何か関係があるのかしら?

 実際、鐘楼の高さよりも登ってきた階段のほうが高いはず。

 なにより遺跡もどきから空を見上げたとき、庭園なんて影も形もなかったわ。

 もしかして、下の草原とは階層が違うのかしら?

 あいかわらず地図のタイトルはマーテルダンジョン???階層だし、よく分からないわね。

 さて、そろそろ行きましょう。

 ワタシの目的は帰還であって攻略ではないのだから。

 うっかり好奇心に負けて外に出て、万が一入り口が無くなってしまっても嫌だし。

 そもそもクマの親子がお昼寝している庭園に踏み込む勇気なんて、ワタシにはないわ。

 そう、クマの親子よ?

 それもかなり大きな。

 それに、さっき窓を開けたときに聞こえたの。

 モンスターらしきものの唸り声や、何かが激しくぶつかる音が……。

 ええ、ワタシ絶対に窓の外には出ないわ。


 どうやらここの空中庭園は塔の周りに螺旋状に展開しているようね。

 まるで植物が葉を広げるように、広大な庭園が幾層にも重なっている。

 そして、それらの庭園にはワタシが今まで見たこともないような巨大な角ウサギやクマがいたの。

 彼らは縄張り争いをするかのように戦っていた。

 激しい戦闘の末に庭園から落下するものもいたわ。

 そう、昨日遭遇したクマと角ウサギはここから落ちたのよ。

 最初に見たお昼寝するクマの親子は珍しかったのね。

 お昼ご飯に晩御飯の残りのホイル焼きとおにぎりを食べていると、赤みがかった凶暴そうなクマが角ウサギのドロップキックを受けて庭園から落下していくのが見えた。

 ここは依然最下層なのよ。

 草原で一番危険なのは落下してくるモンスターということかしら。

 ワタシ達は、運が良かっただけなのね。

 昨日の角ウサギはここから落ちて即死しなかったのだから。

 角が地面に突き刺さって動けなくなるなんて不幸な事故が起こらなければ、まだ戦えたかもしれないのだから。

 何だか今になって怖くなってきたわ。

 実感したということなのかもしれない。

 ここがこの世界で一番大きなダンジョンの最下層だということを……。

 おそらく外にさえ出なければ危険はないでしょうけれど。

 上の階層がおかしな所でないことを祈りましょう。


 明り取りの窓から差しこむ光が赤みを帯びてきて、徐々に塔内部をオレンジ色に染めていく。

 日が暮れてからの移動は危険ね。

 結構疲れているし、あの踊り場で一夜を明かすことにしましょう。

 夕焼けに染まる空に美しい庭園が黒々と浮かび上がる。

 白い石畳が朱に染まって血を流したかのようだ。

 ゾッとするような独特の美しさはやがて薄闇に潜み、静謐を湛えた夜が顔を覗かせる。

 一瞬の静寂を破って狼の遠吠えが響く。

 すると神秘的な空中庭園は瞬く間に昼間以上に戦いの喧騒で溢れ返った。

 戦闘は夜間のほうが激しく行われるようだわ。

 ところで、この階層に狼っていたのね?

 さて、晩御飯にしましょう。

 本当はカップラーメンにしようと思っていたのだけれど、思いのほかミントがおにぎりを気に入ったようなのでご飯を炊くことにしたわ。

 これにアルバートお薦めのダンジョン用レトルトパウチのおかずを温めればいいかしら?

 なんでもダンジョンでは偏りがちになる食事の栄養をバランスよく摂るために開発されたものらしい。

 パッケージの魔法陣に触れると適温になるという優れものよ。

 開封してそのまま口を付けて食べることもあるらしいけれど、ワタシはお皿に盛り付けたいわね。

 ところでワタシ、ご飯が炊けるまでにどうしてもやりたいことがあるの。

 実は、お風呂に入りたいのよね。

 今日はずっと階段を登っていたでしょう?

 足が疲れたのよ。

 治癒師になるなら魔法でどうにかしろなんていわないでね?

 気分の問題なの。

 それに今ワタシのポーチの中にはバスタブがあるの。

 お母様が入浴剤と一緒に入れてくださったのよ。

 そして、このフランス窓の前にはちょうどいいスペースがある。

 これはお風呂に入るしかないわね。

 さて、バスタブに水を出して温度を38℃に調節する。

 ノエルお兄様の特訓がこんなところで役に立つなんて!

 ラベンダーの香りの入浴剤を入れて完成よ。

 脱いだ服に自分ごと浄化魔法をかけるとさっと畳んで入浴する。

 一見子猫に見えるミントは実は猫ではなく幻獣だ。

 幻獣のようなものだったかしら?

 とにかく、一般的な猫と違ってお風呂が大好きなミントは翼を広げて気持ちよさそうに湯船に浸かっているの。ふふ、とても可愛らしいわね。

 ああ、温まるわ。

 全身の血行がよくなって、リラックスしていくのが分かる。

 魔法で回復するほうが効率がいいことは知っているわ。

 でも、気分の問題なのよ。

 そう、気分のね。

 気分の問題というのは重要なことなのよ。

 お湯の中で軽く伸びをする。

 身体から疲れが抜けていく気がするわ。

 今夜はよく眠れそうね。



 次の日、上の階層に辿りついたワタシ達を迎えたのは一面の花畑だった。

 色とりどりの可愛らしい花が揺れて風が甘い香りを運んでくる。

 それはとても……

 おぞましい光景だった。

 

 

 

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