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始まりのダンジョン 9

 静かね。

 あたたかい午後の日差しに乾燥した土の匂い。

 波打つ草の原。

 ここがダンジョンのなかだなんて、夢をみているよう。

 物陰に隠れてクロスボウを構えている今ですら、現実感が薄い。

 目標は通常サイズの角ウサギ。

 ワタシの放った矢は角ウサギの頭部を貫通し、角ウサギが光と共に消えると魔法石と毛皮がドロップした。

 まるでゲームのようね。

 ゲームのように、変なところでワタシに都合がいい……。

 血抜きをして毛皮を剥いでなめして、肉を切り分ける。

 この世界でこれらの作業を行う必要はない。

 家畜であれモンスターであれ、死ねばアイテムがドロップする。

 何も不思議なことはない。

 この世界はそういう風に出来ている。

 ただ……。

 日本の記憶のあるワタシのなかの私だけが、違和感を感じている。

 この世界はなんて手厚いのだろうと……。


『あ、お肉はでなかったね』

「そうね、でも大丈夫よ。だいぶお肉も集まってきたから」

 塔の見えるほうへ向かう道を進みながら、ときおり見かける角ウサギを狩ってきたのだ。

 ただサイズは上層階のものと同じで、初めに遭遇した巨大な角ウサギはあれから見ていないわ。

 もしかしてあれはフィールドボスのようなものだったのかしら?

 最下層のモンスターにしては弱い気がするのだけれど。

『ねぇユーリ、あれなんだろう?』

 ミントが指し示す方向を振り返ると、上空から何かが落下してくるところだった。

「モンスターかしら?」

 遠目ではっきりとは分からなかったけれど、どうやら二体のモンスターのようね。

『おおきいウサギとクマだね?』

 巨大な角ウサギがクマに角を突き立てているようだわ。

 けれど、一体どこから落ちてきたのかしら?

 そうこうする内に二体のモンスターは目の前の草原に墜落した。

 轟音と共に土煙が舞い上がり、激しく大地が揺れる。

 とっさにミントを抱きかかえると、風魔法で土塊から身を守りながら体勢を低くする。

 あの距離を落下して無事なはずはないけれど念のため、魔法の準備をしておくわ。

 轟轟と地響きが辺りを支配する。

 土煙の中で必死に目を凝らす。

 クマにしろ角ウサギにしろ、近接戦闘は避けたいところね。

 ようやく視界が開けてくると、草原だった場所にはクレーターが出来ていた。

 盛り上がった縁からすり鉢状になった窪地の様子を観察する。

「シュールだわ」

 窪地の中心に垂直に刺さっている角ウサギがいた。


 空がオレンジ色に染まっている。

 高い塔の影が草原を二分するかのように長く伸びている。

 石造りの円筒形の塔を囲むように街が形成されているそこは、酷く地上を彷彿とさせた。

 ここは他の遺跡もどきと違って、建物がほとんど崩れていないのね。

 整然として生活感のない廃墟を通り過ぎて塔の様子を窺う。

 鐘楼のようだわ。

 内部は壁に沿って螺旋階段が延々と続いている。

 そう、延々とよ。

 外から見た塔の高さよりもずっと高く階段が続いているわ。

 先が見えないくらいよ。

 おそらくここが上層階への階段。

 けれど……。

『すごいね!ここを登って行くの?』

 そう、上層階へ行くにはこの階段を登るしかないのよね。

 ただ……。

 今日はもう休みましょう!

 さすがに疲れたわ。


 塔の隣にテントを張ってミントと一緒に寝袋に潜り込む。

 ありがとうアルバート。

 あなたが持たせてくれたお陰で凄く助かっているわ。

 どんな事態を想定して用意してくれたのか、少し気になるところだけれどね。

 昼間に土埃で汚れてしまっていたから心情的にはお風呂に入りたかったのだけれども、さすがにそこは浄化魔法で済ませたわ。

 それにしても浄化魔法って便利ね。

 身体の衛生を保つことも衣類を洗濯することも夕飯の後片付けも、浄化魔法を使えば簡単に出来る。

 ミントの毛並みもフワフワよ!

 寝袋の中でもぞもぞと収まりのいい位置を探していたミントが、ワタシの肩を枕に寝息をたてはじめた。

 温かいわね。

 ミントがいてくれて良かった。

 海を越えることが出来たこともそうだけれど、なによりも今こうして一緒にいてくれることがありがたい。

 ダンジョンに到着してから何度か試みていた通信は、また失敗した。

 ノートに自動で記されていた地図のタイトルはマーテルダンジョン???階層だった。

 ワタシに出来る事は前に進むことだけ。

 それは分かっている。

 分かってはいるのよ。

 ただ、自分の今いる場所がどこなのかはっきりしないのは酷く心許ない。

 何だか迷子にでもなった気分よ。

 ……いえ、実際に迷子なのだけれども。

 この漠然とした不安の中で、この子猫の確かなぬくもりがワタシの頭を上げさせる。

 ワタシの大切な……。


 夢をみているのだと思った。

 やわらかな光の差しこむ廊下。

 整然と並べられた机と椅子。

 壁を埋め尽くす膨大な量の本。

 カウンターの上のクッションにお行儀良く座って毛繕いをする子猫。

 止まり木から首を傾げてこちらを見ているフクロウ。

『うむ、いかにもだのぉ。お前さん達は夢をみているのだのぉ』

 そう、夢なのね。

 それなら寝ましょうか。

『ちょっと待つのだのぉ』

 夢というのは本当らしい。

 寝ようと思った途端にワタシはパジャマ姿になって枕を抱きしめていた。

『お前さんが夢の中でここへ来られるか試してみたのだのぉ』

 そういえば今朝フックンがそんなことを言っていた気がするわ。

『上手くいったのだのぉ。ふぉっふぉっふぉっふぉっ』

 ここは現実の海底の図書館なのね。

 ふと、カウンターの上に新しい本が届けられたことに気が付いた。

『新しいご本だね?』

 ミントが興味深げに覗きこんでいる。

 異世界の料理に挑戦!料理人になろう下巻ビビラルバンのテリーヌ他。

 ぱらぱらとページを捲ると勢い良く本を閉じる。

 油断していたわ。

 ワタシやっぱり寝ぼけているのよ。

 この前この本の上巻を封印したことを忘れるなんて。

 これはあまりにも危険な代物だわ。

 地下に封印しなければ。

 ワタシはうっかり見てしまったビビラルバンの下ごしらえの説明を一刻も早く忘れるように努力することにした。

 


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