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狂信者

作者: うみゆき

「や、おまたせ」

一人公園で遊ぶ子供達を見ながら相手を待ち呆れる僕に向けて、彼女は遠くから声をかけて近付いて来る。鼠色の一風特殊なセーラー服に身を包んだ彼女を見て自然と頬が綻ぶ___なんて事はなく、逆に頬は冬日の冷風によって固まっていた。彼女は僕の右肩を優しく叩いてはにかむ。

「悪いね、いきなり呼び出しちゃって」

そう告げて作る笑い顔は少し寂しげに見えた。何か、悩んでいることがきっとある。そう訴えかけられている気がして彼女の会話での操り人形にならぬよう渋々彼女を睨み付ける様にして一言聞いてみた。

「何か、あったの」

彼女は眉間に皺を寄せ「むー」と戸惑いの唸りをあげる。今はこちらから放つ言葉もない。少しの沈黙を待った後、彼女は落ち着いて微笑みながら言った。

「私はこんなにも健康そうよ?」

クルリと一回転すると同時に彼女の髪から甘い匂いが零れた。ここに来る前にお風呂に入ってきたのだろうかと疑問が浮かんだが、すぐさま払拭する。彼女は朝風呂しか入らない。夕方から風呂に入ると体が火照って目が覚めると言っていた事を思い出してしまった。ああ、怖い怖い。ストーカーか、僕は。そして今は夕方の四時過ぎで小学生がすぐ側の公園で騒いでいた。

「そういうの、いいから」

彼女は表情を変えない。まるで何かの魔法によって固められてしまったかのように笑顔のままなのである。一言で表すなら、人形だろうか。人形は美しく可愛い姿でありながら、何をされても姿を表情を変えないような冷酷さを持ち合わせている。何をされても表情を変えない事ほど恐怖なものはない。それは十分に人間にも通用する話ではあるが_____今の説明は人形の怖さを語っただけであって決して彼女の怖さを語ったわけではない。彼女は才色兼備で表情豊かな人間なんですよ。多分。

「だから、君に会いたかったの」

そう言われても決して表情は変えない。変えてしまったら負けだと思う。昔に比べたら彼女は嘘を異様なほど付く様になった。口を開けば嘘が溢れ出てきて、表情で会話をしようなら彼女の無変化な笑顔で相手の内心を理解する必要がある。相当な超能力者でなければそんな事は不可能だ。勿論、ただの人間(人間だよ?)である僕にとって到底会話するには色んな意味で及ばないのだが、僕にとって彼女と話すことは苦痛や疲労を溜めるものであるが故に過去では至福でもあったのだった。「今はどうか」と問われれば黙秘させてもらう。

「取り敢えず喫茶店を予約しているからそこに行こう。今日は暇?」

小さく頷く。正直なところいつでも僕が暇である事は彼女自身分かっているはずなので、『今日は』と聞いたのはちょっとした皮肉か、僕に対する気遣いかどちらかだろう。まあ98%は前者だろう。残りの2%は何もわからず言ったというところだ。後者という選択肢は存在しない。

「茜はどうなの」

彼女の事を名前で呼ぶのは少々むず痒い。彼女は一瞬驚いた仕草を見せ、直ぐにいつもの作り笑顔に戻った。

「今のところは8時頃までに帰れたらいいなと思っているよ。もし話が続くようなら勿論残るつもりだけど、10時からは用事があるから君のお持ち帰りコースは用意されていないかな」

口元に手を当てて笑う彼女。どこかそんな彼女を酷く懐かしく思う自分がいた。いつまでも過去の幻想から離れられない醜い自分。まだそんな自分がいると思うと笑えてくる。いっそすべてデジャヴにして丸めてくしゃくしゃにして捨てることが出来ればいいものの、当然そんな事をする気力も勇気も握力もない。(握力はある)

「そんな事、僕に出来ると思った?」

「無理だろーね。君は甲斐性なしだし、なにより今も昔も私を*してくれなかったもの」

即答に真顔。返事なんて言えない。逃げるんだ。逃げないと、自分が壊れていく錯覚に襲われる。すぐに踵を返し、逃げるように彼女より先に歩き出した。すぐにコツコツといった乾いた靴音がついてきた。

この会話を出されると喉の奥が苦しくなって、何かが出てきそうなほど熱くなる。だから彼女が何かを言ってくれるまで僕は話すことなど出来なかった。ただ彼女の返事を待っていると、後ろから萎れた声が追いかけてくる。

「もう、いいよ」

彼女がそう言ったので振り返った。自分が卑怯なのは誰よりも分かっている。そしてその事実に誰よりも苦しめられている。僕という生命体は、彼女とは異なった嘘つきであるということも。知りたくなってしまうのだ。彼女は嘘つきで、僕も嘘つきなのだ。もし彼女を嘘つき人形と名付けるならば、僕は狂った嘘つき人形だ。狂って狂ってとち狂った、頭のおかしい無機物。その体は氷より冷たく炎より熱い____なんちてね。

「それで、何で私が君を呼んだかだったよね」

彼女が最初の僕の質疑に回帰する。珍しいなと思いながら素直に頷いた。ここで彼女に昔の思い出を思い起こさせる必要性など皆無だろう。いや、悪影響を及ぼす可能性の方が余程高い。

「勿論、君が答えたくないと言うなら強制するつもりはないよ」

「じゃ、お言葉に甘えようかな」

彼女は安心したように目尻を下げる。そんな表情をするなら元より話題を戻さなくてよかったものの、僕を気遣っているのだろうか。馬鹿だなあ、茜は。だって、それ位分かっているもの。

「どうせ君を問い詰めても、偽りしか返ってこないもの」

ハハハと彼女は笑い、乾いた笑みを貼り付ける。まただ、その笑みは腐るほど見てきた。不快感。もう二度と見たくない。見たくない見たくない見たくない。

何時の間にか立ち止まっていた僕の表情を見て、彼女は笑みを作ることを止めた。

「そんな怖い顔、しないでよね」

怒っていたのだろうか、自然に。笑える。本当に笑える。僕が僕自身を扱えずに一体誰が扱えるというのだろうか。誰が扱いたいと思うのだろうか、こんな屑を。反語。いや、扱わない。

「ごめんごめん、君の美しすぎる顔を見ていたら、今では君を狙う蠅たちに腹が立ってね」

「あら、ありがとう。それ程私の美貌に見惚れているなら10000円ポッキリで遊んであげてもいいわよ」

「学生には辛い値段だね。デートを申し込むことは無料でいいかな?」

「デートは20年後まで予約満タンなの。10000円ポッキリ払えば君も絶頂に浸れるよ」

会話が弾む。別にエロ会話になったからではない。元よりエロなんてものに一ミリも興味なんてないし、彼女を相手にするなどもっての他だ。まったくけしからん。(エロには興味がある)

ただ、お互いが嘘を付き合う様になったから。嘘をついていれば、安心する。茜も、僕も、安心してお互い話し合うことが出来る。嘘に依存することによって、僕らは故意に自分を保っているのだ。

「じゃあ20年後以降はずっと予約ということで」

「プロポーズに聞こえる発言だね」

「そう受け取ってもらっても構わないよ」

彼女はゆっくりと僕の前を歩き出した。背中を見失うことは決してないが、遅れないように付いていく。途中、高層ビルに設置された巨大テレビで放映されているニュースが目に付き、「可哀想だねえ」と一つ嘘をついた。

彼女は振り返ることなく乾いた返事だけを僕に送り返す。

「そうだね」

ニュースの内容は三人の児童殺害の事件の事だった。民間人は児童や親族が可哀想と思うようだが、狂人である僕にはそう思えない。余程児童を虐殺した殺人鬼の方に興味が寄せられていた。

___殺人によって何が得られた?

___人を殺して良かったと思えるか?

___死体を上から見下ろす景色はどうだった?

狂った怪疑が溢れるように現れて、脳の外へ皮膚を伝って零れていく。正気じゃない。知っている。だけど、狂っているからこそ聞きたかった。どうしても。


___死体は、美しかったか?


当然殺人鬼は僕の傍にはいない為、返事が来ることはない。だけどもし会うことが出来たら、この命が消される直前に聞いてみたい、そう思えた。

「ずっと生き続けることができるなんて幻だよ。現実ではこんなふとした瞬間にあっさり死んでしまうんだから」

彼女は歩くのを止めない。無視されたかなと疑ったが、やがて彼女の口からぽとりと言葉が零れ落ちた。

「だけど人は何かを残して死にたいと願うよね」

それは誰でも思うことだ。流石に僕も何もない人生に満足してケラケラ笑いながら生き続けるような真似はしたくない。だれでも人間はそう思うだろう。よって殺された児童もそう思っていたことになる。突然の事件に巻き込まれ、その思想が創造と化すことはなかったわけだが。

「財産?子供?愛?そんなものを残しても本人は死んでいるわけだから意味はないのじゃないかな。人は死ねばその人自身の人生の時計の針は静止し、時間が半強制的に止められる。時間が止まった変化のない暗い世界でずっと第二の人生を生き続けることになるんだよ。それが如何に可哀想であるとか、そんな本人の主張は介せずにね。それが本人にとって幸せかどうかは置いておいても、ほとんどの人がつまらない人生であると吐くんじゃないかな」

「それは単に君の考えに過ぎないよね。私は死後、そんな世界に行くとは思っていないよ。死んだ後に行く世界は決まっていて、私たちは天国ってその場所のことを呼んでる。そして、人は天国に行きたいと現世でも言っているよね」

天国という概念が必ず存在していないとは思っていない。だが当然だけど、存在すると確信しているわけでもない。天国なんてあるはずないのにあってほしいと思う自分。コントラストか何だかが僕の中で交差していた。だけど天国があってほしいと思う自分が嫌で反対意見を述べることにする。これも、逃げなのだろうか。自分からの。

「天国なんて安楽死の証明要素でしかないよ。それに、存在すると証明されたわけでもないよね。あんなものは人間の妄想の世界に過ぎなくて、結論死後が怖いから怖くて未知なものを明らかにして防ぎたがる人間の本能に従った分かりやすい人間達の逃亡先だと思えるよ」

「君は誤解しているね。別に天国は私たちにとって幸せな場所だとは思ってないよ。だって大切な人を残して死んだら、それだけでその人はきっと不幸せだから。不幸せなのに幸せだなんて矛盾してるでしょ?だから私は天国とは人生を再起する為の大切なスタート地点であると思っているんだ」

彼女は語尾を強くして話を切り立ち止まった。また立ち話が始まるのだろうかと思ったが、彼女が喫茶店を指差していることから目的地に到着したことを知る。案外彼女との会話に話し込んでしまったのか、思った以上に早く感じてしまった。なんか若返った気がしてすこし嬉しい。

彼女は喫茶店の前に立てられたメニューの看板を見詰めながら呟くように言った。

「君は紅茶が好きだったかな」

「ああ、紅茶でご飯を炊く事が大の趣味で大好物でもあるんだ」

「あら美味しそう、今度お邪魔しようかしら」

当然だが僕にはそんな狂った趣味も味覚もない。

あるのは女の子に対する狂った執着心だけだ。まあ嘘なのだが。うん。本当に嘘なのだ。信じてほしい。

また思い返してみると彼女と昔よくこういう名も知れていない喫茶店でよく紅茶を飲んだものだ。まあ彼女は糖分の塊が丸ごと溶かされたような飲料水を飲んでいたのだが、たとえ飲み物は違うくても彼女と話した日々は陽だまりの様に胸の奥に残っている。

「そういえば、この喫茶店は一度訪れたことがある気がするよ」

デジャヴに襲われている可能性があるから聞いてみた___なんて事はなく、根も葉も覚えていないのだが彼女がせっかく連れてきたのだから一度は行った事があるだろうと思ったので聞いてみた。案の定、彼女は胸の前で両手を合わせて満足するように笑う。

「私達が始めて行った喫茶店だよ。私もその時だけはストレートティーを頼んで口の中に広がる不快なすっぱさに吐きそうになってたよね」

「紅茶の旨みが分からない茜はまだ子供だね。それだから甘ったるいジュースばっかり飲むようになってしまうんだよ。体に良くないよ?多分だけど」

「人にしかわからない味はあるよ。それに若くいたいと思うのは、人間の本性だよ」

なんか違う気がする。まあ反論なんてしないけど。

「まあここで世間話をしていても埒が明かないし、入ろうよ。丁度喉も渇いてきたところだった」

「そうだね」

彼女がドアを開くと、ギィといった老化した音が鳴り響いた。全体的に古びた部屋が天井の真ん中に吊るされた白熱灯によって神秘的な空間を作り出している。客は2、3人といったところか。コーヒーの朗らかな匂いが壁自体に染み付いているかごとく香りの良い部屋で、素直に喫茶店として出来上がっているなと感心した。

「いい店だね」

彼女は僕を見て小さく笑った。

「君、よくそんな事言ってたよね。店に入って注文もしないうちに『ここのコーヒーは絶対美味しいはずだ』やら『全体的に出来上がってる』やら」

そんな事言っていたのか。無自覚って怖い。

「でも間違えた感想を言った事はなかったはずだよ」

「いや、あったね。私が肩に垂らすポニーテールで括って来た時は、『うなじに出来物でもできたのか』とか意味分からない事言ってきたし」

「ははは、懐かしいね本当に。その次の日は君の髪型はセミロングってやつになってた」

店員に促されるまま席に向かう。彼女は驚いたような表情になった後小さな笑みを浮かべた。

「案外覚えているんだね。君にとって私との思い出なんてどうでもいいものだと思ってた」

そんな事はないに決まってるじゃないかと笑い飛ばす___ことは残念ながら出来ず、片頬を引き攣らせながら曖昧な笑みを浮かべることしか出来なかった。

「そうだね。僕の人生は退屈で楽しくなかったから君と時折出会い話すという一風変わった思いでは覚えてしまっているのかもしれない」

「君にとって、私は特別だったってこと?」

彼女がすぐに聞き返してきた。僕は返事に悩む素振りだけ見せる。

「特別、というものが何かはよくは分かっていないんだよね。だけど茜は数少ない僕の知り合いでもあったから、特別でないというなら嘘になるかな」

「私は、そういうことを聞いたんじゃないんだけど」

彼女の独り言には返事を出さない。この会話は僕にとっては苦痛でしかない。続けるようなら胸が痛み続けるだろう。だから無言で席に座って、メニューを眺めた。彼女も僕の前の席に座る。

彼女は腰を下ろしてすぐに、目線を合わそうとしない僕に向かって一息ついた後にゆっくりと話し始めた。

彼女が今まで溜めてきた黒い何かを吐き出すように、深い息を吐いて。

「驚かないで、聞いて欲しいのだけれど」

メニューから目を離して彼女と目を合わせる。彼女はずっと僕の事を見詰めていたのか、自然と視線と視線がぶつかった。よくよく見ると、整った顔立ちだなあと思う。まあそれはずっと昔から思っていたことなのだが。

「僕を驚かせるという事はホラーかサスペンスかのお話をするという事かな」

恥ずかしながら僕はホラー映画などが苦手だ。幽霊とかお化けとかは大丈夫なのだが、突如出てくる物体などは本当にビビらずにはいられない。映画などを平然と見れる茜はそこは羨ましいと思う反面、脳がもうイッちゃってるんじゃないかと心配にも思えてきた。

「うーん、すこし違う気がするな」

彼女はそう言って笑う。初めて見た気がする笑い方だ。無理やり作っているようにも見えず、本心からの笑みにも見えない。まるで誰かを嘲笑うような不敵な笑み。自然と僕の顔も強張る。そんな僕を見て、彼女は目を細めて肩を揺らした。

「そんなに気を張らなくていいんだよ」

気を張っているつもりはないんだけどね。そう言っても信じてもらえないだろうと思って小さく頷いた。

「今までのような哲学的なお話?それなら驚くも何もないと思うんだけどな」

「それは違う!」

拳を作って空に上げて断言する彼女。子供か、と突っ込みたくなるがカウンターが怖いので決してそんな事はしない。ところで、本当に無邪気な子どものようだ。頭を撫でてとせがまれたら撫でてしまいそうである。(そこは理性保てよ)

僕は、本当に彼女が無邪気な子どもであると思っていたのだ。彼女がまるで僕に注文したいジュースの名称を述べるがごとく、軽率に言ってのけるまでは。

彼女は作り笑いでさえなさそうな普通の笑顔で、僕に向けてこう言って笑った。


「ニュースでやってた、児童を虐殺したのは私なんだ」


感想を述べることなど出来ない。

時が止まったかのような錯覚がした。

彼女が犯人?そんなバカな。は?どういうことだ?は?

狼狽えたら負けだと思い、なんとか一言ぽつりと口から言葉を漏らした。

「___ダウト」

「はは」と彼女は声に出して笑う。こちらとしては、笑えない。

「ダウト失敗、カードは全て持って返ってね」

そう言ってメニューのクリームソーダを指差す彼女。店員を呼び出すボタンに手を伸ばして、何とか押した。乾いた音が店内に鳴り響き、若い女の子の店員さんがトレーを胸に抱えて小走りでやってくる。

速やかに紅茶とクリームソーダを注文した。その間も、ニコニコと無邪気な笑みで茜は僕の表情を眺めている。まるで、彼女が僕の反応をうかがっているように。

その程度で、本性を現す僕ではない。

店員さんがカウンターに戻っていくのを横目で眺めて、一言彼女に言った。

「君の嘘も笑えなくなってきたね」

「嘘と判断するか本当と判断するかは君しだいだよ」

児童を何だと思っているんだ、と怒りがぐつぐつ込み上げてきた___というのは嘘だけど、彼女が殺人鬼であるなど想像しようがないじゃないか。それに、殺人鬼なら僕は聞きたいことが山ほどある。どうして殺したのどうして決断したのどうして自分の良心が痛まなかったのどうして君はどうして僕はどうしてどうしてどうしてどうして???

「信じろと言われても、信じれるわけないじゃないか。同級生が殺人鬼だなんて」

「その気持ちは分かるよ」

じゃあこんな嘘はやめろよ、と言いたくなるのを必死に堪えて曖昧に笑い飛ばす。彼女はひじを机に付きながら一息置いてもう一度強く復唱した。

「その気持ち、死ぬほど良く分かる」

ああ、そういうことか。なるほどなるほどなるほど。

だから、彼女は、僕を、呼んだのか。

全てが腑に落ち、彼女の頬を優しく包んだ。

「むぎゅ」と可愛らしい声を上げて彼女はたらこ唇を作り出す。妹とかいたら、こんな感じなのだろうか。うーん、分からない。

「殺人した気分はどうだった?」

周りに驚かれないように小さな声で彼女に聞く。彼女は指を遊ばせながら興味なさげに返事した。

「人ってあっさり死ぬんだなって思った」

うん、正論。人はあっさり死ぬ。何年後とか何十年後とか考えることは出来ても、死ぬときは一瞬だ。人は死んでしまえば、その先の妄想していた未来は全て消える。何もなかったかのように、死んだ当人を嘲笑いながら消えていく。

「殺人鬼さんに一つだけ聞いてもいいかな」

彼女は首を傾げる。店員さんが飲み物を持ってきたので一時会話は中断。「これ、次回来た時のクーポンです」と言いながらオドオドと渡してくれたクーポンは机の裏でくしゃくしゃにしてポケットに無造作に突っ込んだ。

置かれた紅茶に口をつける。うん、なんの変哲もない紅茶だ。それだからこそ美味しいのだが。

スタンダードなレモンティー。冷やしたらリプトンの紅茶と大して変わらないのだろうか。まあホットティーを冷やし紅茶になど決してしないが。

「死体って、どんな感じだった?」

彼女は一瞬言葉に詰まったようだったが、平然と僕に言った。

「冷たかった。命がない、灯火がないってことが直ぐに分かる位。自分は今いけないことをしているという実感がすぐに湧いてきた」

「君が殺した児童たちは」

一度言葉を切って続ける。

「死んだ児童たちは君が言う天国に行ったと思う?」

「行けてたらいいね。現世に残って私の事恨んでなかったらいいんだけれど」

恨まれてたら怖いよね。僕も一度そう思ったことがあります。

というか茜は死者に恨まれた程度でビビるような輩じゃないでしょ___と突っ込みたくなるのを喉に手を突っ込む勢いで止める。ここで彼女を刺激するのはいい案とは呼べない。暴れ狂われたりしては彼女を規制するのがさらに難しくなってしまう。

「そこで君がいうにはその子たちは新しい命に生まれ変わるんだよね。何度も何度も生まれ変わって、記憶を忘れさせられて、新たな人生を強制的に歩まさせられる。僕の言うように時間が止まって永遠を刻み続ける方が余程いい気がするんだけどな」

「そうかな?何度も色んな人生を歩む方が楽しいと思うよ。決定された道より、新たな道を開拓していく方が余程楽しい。それなのに、子供の進む道は楽しさだけでなく嘘に深く覆われた大人の世界が回避不可避なんだよね。その大人の世界に入り込む前に殺してあげて、もう一度人生を歩ませてあげたかった。違う?」

どうして僕に聞くんですか。

「違うも何も僕に聞かないでよ。それに僕なら僕の思考に乗って他人を永遠の暗闇に陥れてることになるよね。そんな何の得にもならないような行為を僕がして何になるかな。それに君にとっては子供を救えたと思って優越感に浸る事が出来る事が出来ても、子供の親族は君を知ったら誰だか怒り狂うかわかったもんじゃないね。君はただ自分の良心に従って突き進んだだけだ。政治の元ではただのテロだし、具体的に授業中に置き換えても授業妨害という肩書きしか残らない。君は自己満足の為に誰かの幸せでできた花をいくつも踏み潰した、違う?」

僕に嫌味を言われても彼女はなんら気にする様子はない。寧ろ、純粋な笑みを浮かべていた。褒められていると誤認しているのだろうか。それなら相当頭が可笑しい。

彼女はストローに口をつける。お嬢様のような礼儀正しい飲み方に昔は惹かれたんだっけな。ああ、何昔の事なんて思い出しているんだろう。とっくの前に忘れ去ったはずのことなのに。

「私は、君は『死』という概念を最も理解している人だと思っているんだ」

突然の告白。いや、意味わからん。話題の折り方が明白すぎて逆に複雑だ。

「僕は死の妖精かなんかになった覚えなんてないんだけれど」

ふふふと彼女は声に出して笑う。こちらとしては適当に言ったことがウケたようで複雑な気持ちだ。どうせなら必死のボケのときに笑って欲しい。

「君は、『死』が怖い?」

「いえす、ベリーマッチ」

嘘じゃない。死んだら今の体から問答無用に引き剥がされるのは分かっていることだし。自分が自分じゃなくなったらどうなるか。それに確かに興味は湧くけれど、流石に恐怖心に打ち勝つ興味を持つ自信はない。逆に知欲が勝てば恐ろしくて自分が何なのかわからなくなる。

「死んだら、僕の昔の大切な人や思い出や君とこうして紅茶を飲んでいる現実そのものまでが僕の中では泡沫のように消えていってしまう気がするんだ。だから、老人になったら腐るほど走馬灯とか蘇って来て辛いんじゃないかな」

「じゃあ自殺ってどう思う?」

彼女は微笑を崩さない。

「自殺は自分で決断した死の事。そこに他人は原因面で関与するにせよ決定面では全く関与しない。死ね死ね耳元で囁かれ続けて狂い泣いて飛び降りたりしたらそれは自殺じゃないからね。他殺だよ。だから、自殺は本人以外が苛めていると思っていなくても本人の自己認識が苛められている、死にたいと判断して飛び降りることになっちゃうよね。じゃあどうして死ぬのかな?君が言うように時間が永遠に止まる世界の事を死の世界と呼ぶのなら、誰が自殺してまでそんな世界に生きたいと思う?答えは誰も思わない。君も含め誰もが天国の事を否定しながら天国があったらいいななんて願望を抱いてる。まず死んだらどこにいくかとか考えてる時点で天国に似た世界の事を想像している事になるんだけれどね」

「自殺した人は、今よりは死んだほうが楽だと思っているんだよ。死んだ後の世界は何もない世界。誰もいない世界。一人で、感傷に浸っていればいい。誰と話す必要もないんだ。自由だよ。僕だってそんな世界に行けるならば行きたいね」

「時が止まった世界で何かを思うことが出来ると思う?今この瞬間、君は私か私の問いの事をきっと考えているよね。それは当然の事。だからこの時間が永遠のX軸に引き延ばされるというなら、君は永遠に私の事を考えていなければならないことになるよ」

「幸せだよ」

「そりゃどうも」

今度は返事がそっけない。まじめな話をしている時はふざけてはいけないのだろうか。それならその規則に従う事にしよう。

「君がどうだとしても、いじめで自殺した人はそのことをずっと考えておきたいと思う?私ならそうは思わない。残りの人生を生き続けて、新たな幸せがやってくることを待つよ。辛い瞬間を永遠だなんて、拷問と変わらないじゃない」

筋が通っている。台詞を家で既に何度か復唱している並にぺらぺらだ。まさか、本当に___なはずがないので単純にコミュ力が高いのだろう。陰キャには到底かなわない。不戦敗だ。無念。

「確かに君の理屈は通っているよ。だけどそれは自殺する人に限った話だ。自殺しようだなんて考えない人の中に僕のような感覚で生きている人もいると思うな」

「そうして生きて、君は楽しかった?」

彼女は首を傾げる。素朴な疑問のようだ。なら僕の答えは決まっている。

「楽しいよ、人生楽しんでる。パリピ感出まくり。幸せの絶好頂」

「悪いけど、そうは見えなかった」

何が言いたい?そう口に出そうとすると、彼女は直ぐに言葉を続けた。

「今日待ち合わせした時に遠くから眺めた君の瞳は、明らかに死んでいたよ。人でも殺していそうなほど___そう、まるで私のようだった。すぐに出てったら私も殺される気がして、なかなか出れなかったんだけどさ」

「ダウト」

「はい、またカード全部持っていってね」

インチキは嫌いだ。

「私は、児童たちの他に大切な人を殺してしまっていたんだ。そう、君だよ。君の命を、気づかぬうちに握りつぶしてしまっていた」

「ジョークがすぎるよ。君に殺された覚えはない。僕は生きているしね」

「だって私は、君を殺そうとしたから_____」

彼女の鼓動の振動音が、僕の紅茶の波を打っていた。


「______私はこうして生きているんだから」


僕の死と、彼女の生。一見何も関係はないように見えて、関わりがあるようなそんな間。

それは、僕にはわからない。彼女は、きっとそうなんだ。

昔の僕の。


恋人であり、彼女は僕の『狂信者』でもあったんだった。


狂った壊れた頭のおかしい僕を支える律儀な少女。

彼女がいたから僕がいた、といっても過言ではない。

忘れていた。大切なものを。どこかに。死んでしまったんだ。僕は。一度死んで、また生き返ったのか。いや、生き返ってはいない。じゃあ僕は___?

疑問が嘔吐するかのごとく溢れ出て来て口先を垂れる。

「まだ夜まで長いよ。少しだけでも、最後のお話をしよう」

最後なのか、最期なのか。どちらかは全く分からなかった。

彼女の口から香る甘いクリームソーダの匂いが、昔の記憶を擽って来て、酷く懐かしいもののように感じた。

錯覚だと信じたいと思う自分は、もうどこにもいなかった。




「ふぁー!もうすっかり夜だねえ!月が綺麗だーー!」

茜さん、それ何気に告白文句っすとか気軽に言える自分はもういない。代わりに彼女の頭を優しく撫でると彼女は擽ったそうに笑った。子どもだ。

「これは告白文句だね」

同じことを考えていたらしい。彼女は意地悪そうに目を細めた。

そして僕を横から覗き込むようにして言った。

「私は、君の事*しているよ」

突然の告白。耳が痛い。覆うわけにも行かないので必死に無視した。賢明な判断だと自画自賛してみる。

「だから、君も私の事*しているって言ってよ」

彼女の熱い声が僕の耳の中を何度も何度も反響し、切り傷を付ける様に痛めつける。リピートリピート。狂った玩具のように台詞は繰り返し絶え間なく再生された。

そんな時、胸の中から何かが込み上げてくるのが分かった。胸焼け?んなわけあるか。

吐き気か。それとも憎悪か。飲み込まなくては。飲み込まないと、自分の大切な何かが失われてしまうような気さえした。(別に下ネタではない)それに前者であっても後者であってもそれらを吐き出すことは許されなかった。前者を吐き出すと街と周囲のみんなに迷惑だし、後者を吐き出した際には自分がきっと壊れてしまうだろう。何かが失われるとか以前に、僕という存在自体が、ぐしゃぐしゃに壊れていく。

壊れてはだめだ。冷静を保たねば。

「ジョークだよ、君がそういうことを言えない事は知ってる」

彼女がまた助け船を出してくれる。僕はまたこの船に悠々と乗っかるのだろうか。いや、乗っかることしか出来ないのだろうか。悔しい悲しい辛い苦しい痛い。だけど僕は反論なんてしない。

元より彼女のそうで壊されてしまいそうなのだ。僕の中の何かが。今まで無表情の中に押し留めてきて二度と出そうとしなかったものが、ぼろぼろと握りつぶされたように零れ落ちてくるような錯覚。怖い。僕の守ってきたものが平気で潰されていく原型を留めなくなる死んでいく。


彼女に僕が、壊されていく。


彼女が僕を、狂わせていく。


「だってほら、君はね________」

長い沈黙の末、彼女は笑ってこう言った。彼女の目から一筋の星屑が流れ落ちる。

見てはいけないと咄嗟に悟ったけど、視線を外す事は出来なかった。

彼女は笑いながら泣いていた。

何かを苦しむ様でもなく、何かを恨む様でもなく、何か愛するものを失ったことを嘆くように。

美しく、華麗に、泣いていた。

その姿は彼女が人間という醜い存在とは思えないほど神秘的で、たやすく触れてしまったら簡単に壊れてしまいそうなほど繊細であった。

人間じゃないのかな___と僕は冷静に思っていた。


「君は、命を失った___死んだものしか、*することが出来ないんだから」


あの日の満月は優しく微笑む彼女の手に乗るほど小さかったのに。

その日の満月は静かに泣く彼女を喰べてしまいそうなほど大きかった。




「君は今からどうするの?」

横を静かに歩く彼女にそう聞くと、彼女は口元に手を当てて考える素振りを見せた。どうしてか楽しそうな彼女の表情が怖い。

「あそこに用事があるから行くつもり」

指差したのは新築の高層デパート。自然と僕の目が鋭くなったのを見て、彼女は一層嬉しそうに笑った。

ちなみにその高層デパートはゲームセンターやフードコート、映画館など様々な種類の店が並んでいて花の女子高生には夢の国のような場所であろう。しかし、茜の目的がそれらのどれでもない事は分かっていた。

彼女はふと僕から視線を外して呟くように言う。

「今日は、楽しかった」

彼女は咲う。僕は咲わない。

もしここで笑ってしまうともう二度と彼女には会えない気がして。そしてそうなってしまうのがただ怖くて。

だから笑いたくなかっただけだ____本当は、ただ純粋に笑うことが出来ないんだけれど。

笑えないんだ。何が楽しくて、何が辛くて、何が苦しいのか。全部全部そんな事を思う感覚が麻痺してて。

気づけば意味もないのに笑っていた。そんな腐った笑いに誰かが満足して。その全てが嘘だなんて言えなくなって。いつしか死んだ笑みばっかり浮かべていた。そんな自分も怖かったけど、僕が信じられない他人が一番怖かった。

彼女も僕の事を信じてくれていないと思うと辛くて。

僕は無意識に彼女にこんな言葉をかけていた。

「アカネは、知っていたんでしょ___?それなのに、どうして僕なんかの元に来たの?僕の元に来て茜は何か得られた?自分が殺されてしまうなんて考えたりしなかったの?」

声はまるで怪物に会った時の様に掠れてしまっていた。それでも彼女は聞き取れたようで小走りで僕の前に近づいてきて腰に手を当てて歯を見せて笑う。再度言うが本当に整っている顔立ちだなと思えた。

「だって辛いでしょ?精一杯生きて、その後が苦しい世界だけだなんて。死んだ後位は幸せでいたいと願うのはおかしいことかな」

死んだ後位。彼女は僕の記憶が正しかったら学校ではずっと笑っているような僕とは異なる陽キャとして分類される人間だったはずだ。それなのに、辛かったのだろうか。僕には彼女がわからなかった。

昔から彼女はいつも周りに友達がいるにも関わらず僕に声をかけてきた。正直、鬱陶しかった。だけど鬱陶しいと思えることが、どこか僕が人間でいることを証明しているようで嬉しかった。彼女の存在よりも、彼女に感情を抱いているという真実に___それも愛情でも友情でもない自己満足を抱いていただけなのだが___隷属して離れることが出来なかった自分が馬鹿みたいだなと思えた。人間であるという事実を渇望していた昔の僕。僕が正常な人間じゃないことくらい分かっていたはずなのに。ずっと人間になりたいなんて望むつもりはなかったのに。初めて人を殺したときから、自分は正常な人間じゃない事は知っていた。死体に、*を感じた。性*を、友*を感じてしまったのだ。今までは死体が気持ち悪いと教育のまま認識していたはずなのに、初めて仕方ない場面で殺傷に至った死体を見て美しいと感じた。物神崇拝を感じざるを得なかった。それがいかに愚かで狂っているかなどは認識していた。

だけど、それだけが僕の喜びであったのだ。他は何もかも舞台の裏で踊り続けるくだらない花でしかない。

それに彼女に話しかけられるまで人間に話しかけられたり話しかけたりすることは一切なかった。彼女に話しかけられるまで、他人がずっと怖かったからだ(別に今他人超大好きピーポーというわけでは決してないのだが)どれだけ仲良くしても僕はどうとも思うことはできなかった。僕にとってはみんな同じ。独自性も何もない人形に過ぎなかったのだ。

怖かった。みんながみんな同じ顔した人間が同じように笑い泣き叫び朽ち果てていく。

それでも一人一人は見えないどこかで輝いていて。僕はそんなに輝いてないだなんて一人長い夜を泣き果たした事もあった。人間になりたい、そう思っても叶わないことを悟って、いつしか願うのをやめ努力するのをやめ娯楽に満ちた世界で生きようと決意した。誰にも関わらず、自分という殻に閉じこもって姿を現すことはなく、人を殺して、動物を殺して、鑑賞し見惚ける。

「茜は、この世界と死の世界。どっちの方が辛いと思う?」

そしてそんな僕に初めて声をかけてくれたのが今僕の前で笑顔を浮かべている茜だった。

初めて会ったのはどこかの電車の中だった。学校への行きか帰りかは覚えていないが、お互いが制服だったのは覚えているからどちらかだったことは覚えている。彼女はいきなり僕の事を賞賛し始め、僕が人を殺した現場を目撃したとまで言い出した。殺さなくちゃいけないと思った。元より顔が整っている彼女を殺せば本気の性愛対象になるのではないかと僕にとっては戯れ言を頭のどこかでその時は思っていた。焼くか煮るか殺し方を考えているときに、彼女は僕に笑顔でこう言ったのだった。

この台詞は今でも覚えている。

「私は、君の『狂信者』になるよ」


彼女は躊躇う事無く誰に聞かせるという目的でもないようにただ独り言のように言い放った。

「君のいない世界ではどこでも辛い気がする。だから私はずっとずっと退屈な世界から逃げ続けるんだ。君のそばにいられる世界を求めてずっとずっと歩き続ける。目的地なんてないよ。ただ君といれたら私は幸せだったから。だけどそんな事実にも気づかぬふりをしていた。だって、君は私といたらいつも辛そうだったから。それに心のどこかで殺人鬼に従う自分を愚かであると認識していた。君はよく唇を噛み締めて私を睨んできたよね。私はすごく辛かった。私も唇を血が出るほど噛み締めたくなった。胸が痛かったんだ。君に嫌われると思うと。うん、私は君のことを心から*していた。本当に*してる。*してるの。*してたらダメ?*してたら____」


「____ごめん」

彼女は何も言わなかった。泣くこともなく、砂漠のように乾いた瞳で僕を見詰めている。「そっか」と淡白な返事が返ってきたことに僕のせいながら内心苦しかった。僕はすぐに自分から声をかけた。そうしなきゃ、彼女に悪いと思った。自分にも、悪いと思った。

「___僕を信じたことを後悔しないの」

「だって私にとっては君が全てだったから。今でもそう。君が微笑み君が悲しみ君が狂い君が他人を殺し君が*す。その全ては私にとっては無邪気な子供が見る大きな夢に違いなかったの」

彼女は僕に背を向けてゆっくりと歩き出した。彼女が望む目的地に向けて。その背中は一歩一歩踏みしめるようにしっかりと直立していて。手を伸ばしても届かない気がした。届いて欲しいと思っていた。昔も今もこうして自分を騙しているのかと思うと僕は自分がさらに嫌いになりそうだった。唯一信じてくれた人間を苦しめるのだ。嫌だ厭だイヤダ。彼女を必死に見つめていると、彼女は暫く歩いて不意に振り返り僕を見て言った。

彼女の表情は僕にとっては眩い、北極星のような微笑みだった。


「君の『狂信者』であれて本当に楽しかった。それでも悔いがあるとしたら_____うん、君に最期まで*してもらえなかったことかな」


僕は走って彼女の前に向かった。彼女が眼を見開く。彼女の目の前まで行くと彼女は不思議そうに首をかしげた。すこし嬉しそうだ。思春期特有の自意識過剰だろうか。そうでないと信じたい。

彼女が何もしない僕を少しの間見つめて「もう行くよ」と言っ__________た刹那、僕は狼狽する彼女の唇を強引に奪った。

最後に映った彼女の表情が、特徴的でカメラに意味がないながら収めたいなあと思ったのは別の話であろうか。

僕らはそのままゆっくり唇を何度も繰り返すように合わせる。周りの目など気にするつもりはない。僕は彼女しか見えていないし、彼女は僕しか見えていないのだろう。その事に優越感は抱かないし、もう悲観も抱くつもりはない。彼女の小さい唇が薄く開く。僕も合わせて彼女の唇に乗るように薄く開けると彼女の柔らかく温かい舌が僕の口の中に入ってきた。温かい舌が同じもう一つのものと優しく絡みつく。そして僕の口の中を泳いだ。目を開くと、目を閉じた彼女の恍惚な表情が映る。だからまた目を閉じて彼女に向いた。ただ僕と茜だけの世界が広がっていた。

そんな世界も悪くないんじゃないかな、と思う自分がどこかで笑っていた。


それからどれぐらい経っただろうか。僕は彼女の二の腕を掴んで彼女と見つめあっていた。彼女は泣きそうな、それでも嬉しそうな、よくわからない表情をしている。僕は我に返って、なんとか湿った唇から言葉を一つ放り出した。

「______ごめん」

僕はそう残して反対側に走り出した。ずっとずっと走り続けた。

途中、曲がろうとした際に一瞬彼女はまだいるだろうかと思って後ろを覗いたが、彼女の影はずっと前からなかったように消えてしまっていた。

『ごめん』といった言葉の目的語が何を指すかと問われれば、今まで彼女に迷惑をかけ続けた僕という存在がこの狂い踊る世界に生まれてしまったこと自体を指すんじゃないかなあと僕はまだほんのり手のひらに残った彼女の温もりを両手で摺り合わせながら馬鹿みたいに考えていた。



僕はそのまま交番に駆け込んだ。中にいた警察官のお姉さんが僕のことを目を丸くして見つめているのが分かる。ごめんなさい、お姉さんと早めに謝罪しておいた。あながち嘘ではない。

「ど、どうしたの僕」

「すみません」

僕は何も現状を理解していないだろう彼女に深く頭を下げて、こう言ってのけた。


「僕が児童を殺したんです。今ニュースに上がっている殺人鬼は僕なんです」


「これでいい」と僕の中の狂人が暗い空を見上げながらケラケラと乾いた笑い声を生み出していた。

その横では、『狂信者』が優しく微笑んでくれている気さえした。

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