パラサイトアイ その1
茶和田は焦っていた。とてもとても焦っていた。例えるなら会社の金の一億円が入った財布を落としたサラーリマンのようであった。
「どうしようか、アリス。やっぱり撃退するしかないんだよなぁ……」
どうやって敵が我が家を特定したのかは分からない。だが来てしまったものはしょうがない。そう茶和田は覚悟する。
アリスの能力で発見されている以上、能力者でないという線も消えた。間違えない、外にいるのは百パーセントアリスを捕らえに来た敵だ。というかそもそも
「敵の能力者の連中はみんなこんな格好なのか……」
この前のいかにもヤクザみたいな格好をした掃除機男、そして今外にいる黒ずくめの男。どいつもこいつも怪しいヤツばかりだ。職質されたらどうするんだろうか? 実はあいつらアホなんじゃないだろうか。
とはいえ、その格好も含めて作戦とも限らないのだ。それに茶和田にはまだ不安要素はあった。
それはあの時以来、まだ1度も自分の意思で能力を発現させてない事だ。あの時は深い湖に沈んだ中、水面を求めて必死に足掻くかのように本当に必死な思いで能力を発現出来た。細い糸を手繰り寄せるようなものだったのだろう、どうやって能力を使ったのかの記憶はほとんど残ってない。
「こんなんで俺は戦えるのか?」
このままでは戦いどころじゃない。逃げるべきなのだろうか?
アパートの裏は高い塀があるとはいえ今自分たちがいるのは二階だから上手く行けば乗り越えて脱出は出来るはずだ。
だが、もし失敗したらどうなるのか。茶和田の頭に様々な懸念が頭に浮かぶ。
アリスを見ても彼女も突然の来襲に自分たちが取るべき行動を計りかねてるところのようだった。
そんな時、窓の外から聞き慣れたサイレンが鳴り響いた。
「これは……パトカーだ!!」
ドップラー効果で高くなっていく音に不思議と安心感を覚える。
「パトカー……ですか?」
「誰かが警察を呼んでくれたんだよ、アパートの前に不審者が突っ立ってるってね」
それから少ししてアパートの前に警察は到着した。パトカーから1人の警官が降り立った。そして、敵の能力者と思しき不審な男に声をかけにいった。男は不思議と動揺してないが内心焦ってることだろう。
あの強い掃除機の男ですら警察を呼ばれることを過度に嫌がっていた。そんな恐れてるなら尚更あの格好はやめた方がいいと思うがそれはそれ。ともかく警察を呼ばれたくないのはめんどくさいということもあるだろうが、何より持っている銃という武器を恐れていたのだろう。能力者相手でも銃を持ち尚且つ普段から武道で鍛えている警察を怖がらないものはそういないはずなのだ。
今日のところはこれで帰ってくれないかな。そう思いながら茶和田とアリスは監視カメラの映像を見ていた。
警察官は男と長い間話している。何を話しているのかは分からないが恐らく事情聴取だろう。オッケーだそのまま逮捕してくれ。
2人がそんなことを考えていると男はパトカーに乗せられた。
「よかった、さすがに敵の能力者といっても国家権力に波風立てる奴はそういないってことかな。これから敵が来たら全部警察に捕まえてもらおうぜ」
「……」
茶和田はすっかり緊張感が抜けカメラの映像から目をとっくに話しているのだが、アリスは未だに真剣な面持ちをしてカメラの映像を見ている。
「まだ終わりじゃありません」
不意にアリスは叫んだ。チェックメイトではないのか?
「どういうことなんだ」
その時である。
ピンボーン
我が家のチャイムが押された。来訪者だ。こんな時間に誰だ? 茶和田は身構えた。そんな中声が聞こえてきた。
「警察でーす。不審者を逮捕しました。一応現場の確認をお願い出来ますか?」
良かった。警察かよ。そう思い出ようとした茶和田の服の裾をアリスはギュッと握りしめた。
彼女の顔を見る。何も言ってはいない。言ってはいないのだが、玄関に出てはいけないと警告しているのは茶和田にも理解出来た。
「分かったよアリス、居留守を使おう」
外の警官に聞こえないように小声でアリスに返事する。その一方で警官の声は未だに止まない。
「開けてくださーい。開けてくださーい」
あまりにも開けて欲しがりすぎていないか。自分の力でお菓子の蓋を開けられない子供でもこんなに騒がないだろう。また、普通は一般家庭に、それも犯人とかではなく現場検証のためにここまで協力を無理強いすることなんてあるのだろうか?
しかも今は深夜である。さっきから居留守を使っているのに警官はなぜ留守だとか寝ているだとかそういう可能性を考えないのだろうか? というか俺達がなんであの男に関係しているとわかったんだ、こういうのって警察を呼んだ人がやるんじゃないのか?
何かがおかしい。それに声のトーンがさっきから一切変わってない。俺達が出ないからと言って焦る様子も一切ない。
茶和田は沢山の違和感に気付いた。これはヤバい、絶対にドアを開けてはいけない。そう決意させるのに充分な量の判断材料が揃った。
それに加えてアリスも違和感に気付いた。
「さっき私が見ていた限りでは不審者の男の人を車に乗せた時拘束をしていませんでした。拘束をしないで犯人を車の中に放置してくるなんてありんるんでしょうか……」
小声でそんな話をしていると、ついに警官はドアを叩き始めた。
「開けてくださーい。開けろくださーい。開けろ。開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ」
ドアの外の警官はさながら同じ音を繰り返す狂ったラジオのようだっだ。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
茶和田はそう叫びドアの前から跳ね退いた。警察という味方が駆けつけてくれた安心感から突如叩きつけられた絶望。彼は耐え切れず思わず声を出してしまった。
「くそ居留守作戦は失敗だ。なんだよあれ同じ言葉繰り返して…… ハローキティのポップコーンかよ…… ハローキティこんにちは、キティはみんなの人気者。わんぱく、意地悪、怒りん坊も釣られて優しくなぁちゃうな破ァ!!」
「茶和田さんしっかり!!」
アリスは釣られておかしくなぁちゃった茶和田を正気に戻した。
「はぁはぁごめんアリス、俺どうかしてた。落ち着いたよ」
「無理もありませんよ…… とりあえず私は戸締り確認しますね」
「それは大丈夫なはず。さっき確認したし。ドアも窓も鍵は閉まってるから入ってこれないよ。慌てる必要は」
彼が言い終わらぬうちにキッチンの方から銃声が聞こえた。
「まさか」
キッチンに駆けつけると、窓ガラスの破片が散乱している。案の定窓を見るとガラスがバラバラに砕け散っていた。まさか銃弾で窓ガラスを破壊したのか。茶和田が驚愕している最中、警官は割れた窓から手を出し窓の鍵を開けた。
「やばいやばいやばい、どうにかしないと……」
彼の焦りをよそに警官は開けた窓から頭を突っ込み体を入れようとしていた。キッチンの窓は小さい。子供ならともかくこんな隙間に大柄な男が通れるわけもないだろう。
茶和田もアリスもいやこの光景を見る人間は誰であろうとそう思うのだろうが、どうやらその考えは楽観的すぎたようだ。
「関節を外してる……!?」
ゴリゴリゴリゴリ、関節が外れ骨の砕ける音が聞こえる。警官の顔は最初から何も変わらない。表情は薄く生気のないままだ。
「くっこのままじゃ……逃げるぞアリス」
彼がアリスの手を引っ張ってキッチンを後にしようとしたその時だった。
警官は手に握っていた拳銃を発砲した。
突然のことだ。もはや避けることも出来ない。銃弾はアリスの方へ飛んでいく。
「うおおおおおおおおおおおおおおおお止まれええええええええええええ」
ここからの事はあまり覚えてない。茶和田はただ無我夢中で願った。彼女を守ることを、そしてその為に必要な力の発動を。
カキーーン 鈍い音が響き渡る。
「やった……」
アリスを狙った銃弾は作り出された刀によって阻まれた。刀に弾かれた銃弾は力なく床に転がったのだった。
「やっとだ……やっと能力を発動できた」
茶和田は刀を握りしめる。恐らくこの警官は操られているだけなのだろう。それでも……やるしかない。彼を止めなくては無理やり窓を通ろうとして死ぬ可能性すらあるのだ。
だが、刀で殴る場合も命の保証はできない。鉄でできた鈍器で殴られたら当たりどころが悪ければ死ぬかもしれない。
(あれ、じゃあ俺はどうしてそんな鈍器を軽々しく持ち運べるんだ?)
そんな疑問を持ちつつ茶和田は警官の前に立った。
「峰打ちです…… どうか許して」
彼は刀を警官の頭に叩きつけようとしたその時だ。突然警官は意識を失った。
「これは!?」
それを見ていたアリスは考えてから言った。
「恐らくこの警官を操っていた能力が解除されたんでしょう。確証はないですけど」
「なるほどじゃあこの人をどうにかしないと。ここに放置しとくのは危険だ」
「中に上がらせるんですか?」
アリスの懸念はもっともなものだ。この気絶しているのも演技かもしれない。目覚めたらまだ能力の影響が残っているかもしれない。そもそもこいつが警官の服を奪った敵かもしれない。
だが茶和田の意思は固かった。優柔不断なところもある彼だがこういう時は一度決めたら譲らないのだ。アリスも折れて警官を部屋に上がらせた。勿論外に敵がいないか確認してからだが。
警官は少しの応急手当をして布団で眠らせておいた。本当は救急車を呼びたいが二次被害を恐れてできなかった。
一息ついたところで茶和田は言った。
「そろそろ警官が俺たちを仕留め損ねたと気付いてるだろうし、あいつを先手で倒しに行きたいところだけど、何が能力発動のトリガーになっているのかが分からないのが怖いよな、無策で言っても返り討ちに合う気しかしない」
「確かに能力の考察をしてから行きましょう」
さてそんなことで敵の能力の考察を始めることにしたのだがそれは困難を極めた。そもそも情報が少なすぎるのだ。発動条件、発動できる対象、効果時間、能力者が離れても能力は発動できるのか、1度に何人までどこまで細かい命令ができるのか等知りたい情報は沢山ある。というか可能性は低いが他人を操る能力だとも限らないのだ。
そんな中、警官がムクっと起き上がった。警戒する2人を見て彼は言った。
「確か私は不審者がいるとの通報を受けて現場に来たはずだ…… ここは一体?」
「僕は茶和田俊、この子が月島アリスです。さっきまであなたはあの変な男に操られて意識を失っていたんですよ。記憶に残ってないですか? 何をされたかとか?」
「はい? 私が操られていた……だって?」
警官は周りを見渡す。発砲された跡のある拳銃、転がる銃弾、割れた窓、傷だらけの体……
そして少し考えてから言った。
「今この状況を見るに君たちのことを信じるしかないみたいだね」
警官は全身が痛んでることやキッチンの惨状を見て不思議な力で操られたのだと判断した。その上で必死に思い出そうとした。自分がどうやって操られたのかその一部始終を。
「目だ。彼は私に目を見るように言ったんだ、そして彼の言うとおり目を合わせて…… そこからの記憶が無い」
「目ですか? なるほど目を合わせること、それが能力のトリガー……」
なるほど本当に強力な能力だ。さっきの窓を通ろうとしたのを見ても本人が怪我する場合でもお構いなし、かなり無理矢理な命令も通せるのだろうし。警官が起き上がってくれてよかった。もし知らないで戦っていたらと思うと茶和田は背筋が凍った。
目を合わせた相手を一定時間コントロールする。シンプルながらも凶悪な能力だ。こんな初見殺しみたいな能力者ともこれから戦うことになるのか。
まあ初見殺しって言ったらどんな能力もそうなんだろうが。自分の刀だって奇襲して相手の背中に突き刺したら人を一人殺せるし、掃除機の男は言わずもがなだ。
能力発動条件が分かっただけでこちらの状況は一気に好転した。あとは目を合わせなければ……
その時、ドアの鍵を開ける音が聞こえた。
「え……!?」
ドアを開けて中に入ってきたのは飯田に金を叩きつけられてアパートの権利を手放した元大家さんの佐々木さんだった。顔はぼんやりとしている。
「佐々木さん、ひょっとしたらあなたもですか?」
「茶和田くん、あのねあのねあのねあのねあのねあのねあのねあのねあのねあのねあのねあのねあのねあのねあのねあのねあのねあのねあのねあのねあのねあのねあのねあのね……」
確かこの建物は飯田財閥のものになったがまだ色々手続きが終わってないのかまだ佐々木さんはアパートの管理室に出入りしていた。そこに当然マスターキーはある!!
これは……間違えなく操られている。
「くっやるしか…… ってえっ!?」
彼女の後に20人以上もの人が続いていた。彼らは皆同じアパートの住民だ。見たことのある顔もある。全員が操られているのだろう。
警官が傷だらけの体を引きずって彼らを抑えに掛かろうとするのを見て茶和田は言った。
「警官さんは彼女を守っててください、俺が行きます」
「しかし……」
警官は目の前で少年が一人で巨大な悪に立ち向かおうとしている。そんな中自分が戦わなくていいのかという葛藤がある。
だが彼の手に握られている刀を見た瞬間それは消えた。これは自分のような人間がどうにかできるものでは無いのかもしれない。不思議な力を持つものの専売特許だ。なら今自分ができることは何か警官は考えた。そして
「茶和田くん君は目を閉じててくれ。スイカ割りの要領だ。私が指示を出す」
警官は茶和田に指示を送る。右へ左へ前へ後ろへ彼の指示通り茶和田は刀を振るった。当然峰打ちだ。必要以上の怪我をさせないように細心の注意を払う。
そして15人を殴ったところで警官の声が聞こえる。終わったのか?
「もう大丈夫だ。目を開けて」
茶和田が目を開けるとそこには先程の皮ジャンを着た怪しい男が倒れていた。
「やったぜ」
茶和田は勝利の踊りを踊った。刀をくるくる回し腰を振りファンファーレを口ずさむ。
倒れた能力者の男の後ろには大家さんの佐々木さんを初めてとして何人もの人が呆然と立ち竦んでいた。
「能力者本人が突っ込んでいくのか……」
茶和田は驚愕にも呆れにも似た感情を吐露した。
「もう大丈夫ですよ」
三人で分担して操られていた一人一人に声をかけ揺らしていく。するとすぐに皆意識を取り戻した。術者が気絶したから命令が解けたのだろう。
そして残りあと3人と言ったところで茶和田は一人の女性に声をかけた。
「あなたももう大丈夫ですよ」
しかしどういうわけか揺らしてもポンポンと叩いても意識が戻らない。ただ目も半開きで口をポカンと開けて棒立ちをしている。
「大丈夫ですか?」
茶和田が顔を覗き込んだその時、彼女の目が大きく開いた。そして頭を動かせないようにガッシリと手で掴まれる。
「え……」
「やっぱりあなたも能力者は私のダーリンだけだと思い込んでたみたいね」
その時気づいた。彼女はこのマンションで見たことがないということを。
「さようなら可哀想な騎士さん」
茶和田の視界は途絶えた。