記憶喪失の姫と心配そうな騎士
目の前にいるこのどこにでもいそうな少年があの強力な能力者を撃破したというのか?
にわかには信じられない事実だ。しかし彼女は自分が生きているということ、それと彼から伝わってくる能力の気配から総合的に判断して彼の言うことを信じることにした。
「君の名前は? 何処から来たの? なんで追われていたの? 能力について知っていることは? あとあとそれから」
彼の口からひっきりなしに質問が飛んでくる。仕方が無いことだろう、平和な日常を送っていた人間が急にこんな異常な事態に巻き込まれてしまったのだ。少しでも多くの情報を欲しがるのは当然だ。
目覚めたばかりの人間に質問を矢継ぎ早に浴びせるほど普段の茶和田は空気が読めない人間ではない。しかしこんな状況ではそんなことも言ってられないのだ。
「私の名前は……月島アリス、年齢は17歳です」
一瞬彼女は頭を抑えるような素振りを見せた。だが鈍感な茶和田は彼女に見とれていて気付かなかった。
月島愛里寿と名乗る彼女は美しかった。否、美しいの一言で片付けるのは冒涜に値するだろう。すらりと伸びた銀髪は鮮やかに光っている。こんな美しい髪はテレビのタレントでも見たことがなかった。全日本髪コンテストとかやったら多分優勝するレベルだ。床屋さんが逆に金を払うレベルだ。髪の毛を切ってカツラを作ったら孫の代まで遊んで暮らせるレベルかもしれん。いやそれは言い過ぎた。とにかく美しい髪をしていた。
澄んでいて大きな瞳に整った顔立ちはまるで美術品のようだ。触れてしまえば今にも壊れてしまいそうな儚さ、そして生まれたばかりの子供のような純粋さ、そして比類なき美しさが彼女の顔の上で調和しているように感じられたのだった。まさに天使がラッパを吹いていて、キリストがDJをして、その裏で美の神のアプロディーテーが豚カツを揚げたりでもしない限りこんな美しい娘は生まれないだろう。彼が何を言ってるのか分からないと思うが茶和田本人にも分からなかった。
「俺と同い年じゃん。月島さんって言うんだ。よよよよ、よろしく」
茶和田はものっそいべっぴんさんを前にキョドってしまったが、一方アリスの頭の中には葛藤があった。本当なら彼の質問にもっと答えてあげたいのだ。だがそれはできなかった。名前を教えるだけで彼女には精一杯だったのだ。
なぜなら
「アリスってできれば呼んでくれたら嬉しいです。 それでこういう事を言っても信じてもらえないかもしれないんですが…… 今の私には記憶が無いんです。自分の名前と能力に関する少しの記憶を除いて一切の記憶が」
「記憶喪失……だって!?」
この時の茶和田の衝撃は相当なものだった。豆鉄砲を食らい慣れた鳩が今日も豆鉄砲が来るのだろうと身構えたらサブマシンガンだったくらいの驚きだ。
「自分が何処で生まれたのか、何処から来たのが、どうして記憶を失ったのか…… 本当に何も覚えてなくて……」
申し訳なさでアリスの心はいっぱいになってた。自分を救ってくれた人にほとんど有用な情報が与えられないなんて……
それにこんな状況で記憶喪失になっていると言っても隠し事をしている風にしか思われないだろう。アリスは覚悟したが返答は茶和田の意外なものだった。
「そんな!! 大変じゃん何とかしないと。それってさっき高いところから落ちたから頭を打って記憶障害になっているってこと?」
目の前にいる茶和田という男の子は自分のことを信じてくれたのだった。疑いもなしに。
もはや純粋を通り越して馬鹿の領域だ。見ず知らずの他人を助けるために命を張って強大な能力者に挑んだり、そして自分のことをこんなにすんなりと信じてくれるなんて……
記憶がある範囲では誰も信用できる人間に会ってこなかったが、この人は信じてもいい気がする。アリスはそう思えたのだった。
まあ茶和田の方はと言うと純粋に可愛い子だったから何か信じたくなったというのとさっきから色々と変な状況に巻き込まれすぎて疑う感情が麻痺していたからなのだが……
異能力者を目にした後で記憶喪失者を見ても別にそういうのもあるんだろうなくらいにしか思わないのが人の心情である。
「そういう訳ではなくて…… 数日前に気付いた時にはこの街に立っていて、それで以前何処で何をしていたのか一切の記憶がない状態になっていました。それから不思議な力を持った多くの人間に追いかけられてたわけなんです」
「えっ君を追っていたのはあの掃除機使いの男だけじゃなかったの?」
茶和田は驚きつつ質問した。これはとんでもないことに首を突っ込んでしまったのかもしれないと思った。
「私が確認できた上では他に3人いました。それに彼らの話ぶりからして私を追っている者には巨大な組織のようなものがあるみたいで実際はもっと多くの人が私を追ってるのだと思います……」
「なるほど、それから逃げてる途中で屋根から落ちて倒れてたってわけか」
だいたいの事情は掴めてきたなと茶和田は思った。そして、改めてこの子はなんて過酷な運命の中にいたのかと痛感した。記憶喪失で何がなんだか分からない状態で色んな人間から追いかけ回されて……
記憶喪失というのは気になるが、ふとした瞬間に記憶を取り戻すことが多いと聞くし希望が無いわけではない。乗り掛かった船だ。俺が何とかして彼女を元の家族の元に返さないといけないのかもしれないと茶和田は思った。
これは親切心や同情心、そして何より元々彼はかなりのお人好しだったということによる。また、彼はさっき強力な能力者を1人倒して自信がついていたところもあったのだった。
「うーんどうしたらいいんだろ」
彼女を守るためには襲いかかってくる能力者達から何とかして倒さないといけないわけか。
勿論、彼もどこまで自分に出来るかは分からない。本当に恐ろしい能力を持った敵と相対した時、自分は命を捨ててまで彼女をかばえるのか? 彼女の記憶が一生戻らなかったらその時はどうするのか?
今は様々な不安点はあるがそれでも前に進むしかない。こんな可愛い子が困ってるのにほっておけるかよ。そう思い、茶和田は決意を固めようとした。
「そういうことですね…… ごめんなさい何もわからなくて。ただ一つ自分にも彼らと似たような能力があることは分かってまして」
「なんだって!? 聞かせてくれ。もしかしてその能力がむちゃくちゃ有用で、それで君を狙ってるのかもしれない」
他にもいくつか理由が考えられるがまず真っ先に思いつく理由はそれだろう。例えば偽札を作れる能力とか変身できる能力とか犯罪に悪用できる能力ならその手の組織に狙われるのも納得できる。
まずは彼女の能力を知りたい。ひょっとして記憶喪失になった原因に関係があるかもしれないし。まずはこちらの能力を教えて警戒を解こう。
「君の能力を教えて欲しい。先に俺の能力を言うけどイマイチよく分かってないんだ。刀を出す能力みたいなんだけど今も出そうとしてるのに全然出てこないし。実は能力なんてないんじゃないのかなって思っている頃だよ」
茶和田は最後に軽い冗談を挟んでみた。重い空気になっているアリスが少しでも笑えばいいが……
「それはないですよ。だってこんなに強い力を感じるんですから」
彼女は真面目に食いついてきて、むしろ場の空気はもっと変になった。
アリスはなんというか少し生真面目な面もあるのかもしれないな、そう思った。それが元来の性格なのか記憶喪失で空気を読むという能力が欠けてしまったからなのかは分からないのだが。
それより今一つ気になるフレーズを彼女は呟いた。
「力を感じる?」
「はい。私はどういうわけか、近くに能力者がいるとその気配を感じることが出来るんです。あまりの人混みになると誰が能力者か分からなくなっちゃうけどそうでも無ければ大体百メートル圏内にいる能力者を識別できます」
「凄く便利な能力だ……!! 道理で狙われるわけか。こんな便利な力、誰だって欲しいと思うはずだよ」
茶和田はアリスが狙われる理由について納得した。
異能力バトルものの少年漫画をよく読む茶和田には能力者とそうでないものを見分ける能力の便利さはすんなりと理解出来たのだった。
例えば、能力者同士の戦いにおいて無能力者に紛れてる能力者を嗅ぎ分け、どいつが敵なのか判別できれば圧倒的に情報アドバンテージを得ることが出来る。上手く行けば初っ端から奇襲をかけることにも可能になるだろう。つまり能力者同士の抗争において、アリスの能力は砂漠の中に現れた補給物質にも等しい。
また、敵にしてしまえばこれ程恐ろしい能力も無いだろう。例え彼女を殺すことになっても敵の手に渡らせないようにしようと考えることもあるかもしれない。
「でも疑問が生じるよな」
「疑問……ですか?」
「ああうん、どうして君の能力のことを敵の能力者達が知っているんだろうと思って」
「私の記憶にはありませんが、私が過去に彼らに何かをしたのかも知れません」
かつてアリスが記憶が戻る前に何か能力者の間で有名になるような事をしたのかもしれない。あるいは、彼女を知る者が能力者達に捕まえるように契約や命令だったりをしたのかもしれない。色々可能性は考えられる。
だが、まずはアリスの記憶が戻らないと確証は取れない。もしかしたらその彼女の言う組織を追っていけば彼女の記憶の糸口も見つかるかもしれない。
「真相は全ては闇の中ってわけか」
闇の中に浮かぶ無数の真実はまるで拾ってはこぼれ落ちる砂のようだ。だがそれでも前へ進むしかない。茶和田は強くこぶしを握り締めた。