電車通学は大変だ! 〜救世主(メシア)を求めて場所取り合戦〜
路線バスを降りると、人々は迷う事なく階段を登り始めた。駅の改札に繋がる階段だ。
僕もそれに続いて、階段に足をかける。
「……ととっ」
少しぶかぶかの制服ズボンを踏んづけそうになったので、太もも部分の布地を軽く摘みながら歩みを進めた。今日がデビューの履き慣れない靴も、サイズがあっていない為、かかとに力を入れないとすぐ脱げてしまいそうである。
だが、こんな所でまごついている訳にはいかない……既に僕の後ろにも大きな人の波が、列を成して向かってきているからだ。
「……やっぱり、もう一サイズ小さい方が良かったよ」
僕は誰にも聞こえないくらいの小声で、そっとひとりごつ。
母親が「どうせまだ成長するんだから、少し大きいサイズのを買いましょう」と言って選んだ制服の上下セットは、やはり僕の身体には大きすぎたようだ。そもそも、もう僕の成長期は終わりを告げようとしているのに……。
僕、新生 活雄は今月からピカピカの高校一年生になった。
中学までは地元で過ごした僕であったが、見事都内の有名進学校に合格したのを機に、今日から学校まで約一時間ほどの電車通学となったのである。
未知の環境……新たな仲間……不安は多いけど、それ以上に楽しみな部分が多くある!
これまで以上に充実した学生生活を送るんだっ! ついでに(初めての)彼女も欲しいっ!
大きな期待を胸に秘め、僕は定期を自動改札に翳して揚々とゲートを通過した。
◆◆◆
『間もなく二番線に……電車がまいります……』
機械的な女性の声で、アナウンスが流れる。
僕は前から二両目の乗車位置に並んで、電車を待っていた。
吹き抜ける風と共に、速度を落とした電車が流れ込んでくる。
程なくして完全に停車した電車は、プシューっ……という音を鳴り響かせ、扉を一気に開放させた。
僕は誰も降りない事を確認してから、一歩中へと進入する。
うわ……席、空いてないか……。
さっと辺りを流し見た感じ……立っている乗客はほとんどいないものの、席は全部埋まっているようである。
降車駅まで立ちっ放しかもな……。そんな事を考えつつ……僕は車内の中ほどへと歩みを進め、新聞を読んでいる男性の前にポジションを取った。
どんっ!
「うわっ!?」
「きゃっ!!?」
次の瞬間――不意に横から現れた女学生が、僕の身体にぶつかってきた!
危うく体勢を崩しそうになるも、何とか両足で踏みとどまる。
「あ、すみません……」
僕からぶつかった訳ではないが、反射的に謝罪の言葉が出た。
だが……
「…………っ」
物凄い剣幕で、その女学生は僕を睨んでいるではないか。
え……? 僕……何か悪いことしたのか ……?
「え……あの……ごめんなさい……」
僕は彼女に向けて、再度謝罪の言葉を投げるも……
「…………」
相手は睨みを利かせるだけで、一向に口を開こうとしない。どう見ても許して貰えているようには思えなかった。
ええ……ど、どうすりゃいいんだよ……。っていうか、そんなに怒っている理由は一体……?
「……あn」
「――話しかけないでっ!!」
ついに口を開いたかと思えば、それは僕を罵倒する言葉である……。
な、何なんだよ……訳分かんないよ……。
「……」
結局、僕はそれ以上何かできる訳でもないので、ただただ前を見据える事にした。
だが、その間も女学生は絶えず隣で僕の顔を睨み続けている……。そちらの方を向かなくても分かるくらい、圧が凄い……。
ダメだ……気にしちゃダメだ。僕は心の中で何度も繰り返す。
だって僕は本当に何も悪い事をしていないんだもの。
気にしない……気にしない……そんな事を考えているうちに、電車は僕が乗ってから二駅目に到着しようとしていた。
すると……目の前に座っていた男性が荷物を抱え、立ち上がる。
「降りまーす……」
僕をするりと交わし、ドアから外へ出て行く男性……。
よっしゃラッキー! と、僕は空いた席に腰を下ろした。
「はぁ~……」
思わず安堵の溜息が出た。残りの乗車時間を考えると、こんなに序盤で座れたのは幸運だと思う。
徐々に車内も混み始めてきたところだ……でも一度座ってしまえば、これからいくら混雑しようが関係ない。
これならもう周りを気にすることなく、スマホのゲームをやってもいいし、仮眠してもいいのである!
しかし、ふと顔を上げると……
「――げ」
先ほどの女学生が、いつの間にか僕の目の前に移動しており、矢のような視線を向けているではないかっ!?
「な……なな……」
「……っ」
何故かその目には涙まで溜め込んでいる……。
待て待て落ち着け……。一旦冷静になって考えるんだ。
僕は改めて今までの流れを脳内でおさらいしてみる――
まず、僕は電車に乗って、この男性の前に立った。そしたらこの子が僕にぶつかってきた。そんでもってなんか怒ってる。そのうちに僕の前の男性が席を立った。僕は空いた席に座った……。
………………。
…………。
……。
あ、もしかして……! この子はこの席に座りたかったのかな?
さっきの男性がこの駅で降りるのを知っていて、目の前のポジションを狙っていたって事……!?
もしそうだったとしたら、僕がそれを阻止してポジションをキープしたと思われているのかもしれない。
それは全くの心外だし、そもそもあの男性が途中下車するなんて僕には知る由もないしね。
「……」
僕は少し悩んだが、意を決して立ち上がる。彼女に席を譲ろうと決めたのだ。
「あの……よろしければ、座ります?」
「……!?」
僕は優しく微笑みながら彼女に声をかけた。それでこの子は喜ぶだろうと考えていたから……。
「――ふざけないでよっ!!」
「え……?」
だが……返ってきた反応は、予想したものとは全く正反対のものであった。彼女は僕の眼前に思いっきり人差し指を突き出し、暴言を飛ばし始める!
「馬鹿にするのもいい加減にしてっ! 敗者のあたしに……これ以上の屈辱を味合わせようというのっ!?」
「ええっ……は、敗者って……」
この子は何を言っているのだろう? 彼女は目を真っ赤に充血させ、震える両手で僕の身体を席に着かせようと押し戻してくる。
「え……いいの? 座らなくて……」
「当たり前よっ! この席を勝ち取ったのは貴方っ!! 勝者は胸を張って鼻高々と誇らしげに座るべきだわっ。それを何よっ……あたしに情けをかけたつもり? 逆に腹が立つわっ! あーもーホントむかつくっ!」
堰を切ったように、次から次へと罵声を浴びせかける彼女……。
とりあえず、言われるがままに座り直してみたものの、僕には貴女が何を言っているのか……サッパリなんですけど……。
そんな僕の困惑した姿に疑問を抱いたのか、女生徒は険のある表情を崩さないまま顔を近づけてくる。
「そういえば貴方……見ない顔ね。――まさか、新参者!?」
新参者……きっとこの流れから言うと、初めてこの車両に乗ったのか……と聞いてきたのだろう。
いちいち聞き返すと色々面倒くさそうなので、僕は「ええ……まぁ……」と小さく頷くと、女生徒の言葉にそっと耳を傾ける。
彼女は「新顔にやられたっていうの……悔しいっ」と歯を食いしばった後、「……いいわ、じゃあ説明してあげるっ!」と僕に向かって(かなりの上から目線で)語り出した……。
「いい? この通勤電車はね……戦場なのよっ!」
「せ、戦場……?」
「そうよ。日々、“救世主”の恩恵を受けようと、能力者達が競い合っている場なのよ」
「メシアの……恩恵……?」
理解に苦しむ言葉が続く為、思わずおうむ返しをすると、女生徒は「もう……本当にニブチンねっ!」と嫌味を一つ挟んできた。
「“救世主”……ここでは、“席に座った、途中下車する乗客”の事をそう呼んでいるのよ」
「は、はぁ……」
「そして……あたしのような一部の“能力者”達は、その恩恵を受ける為……救世主の真ん前のポジションを確保しようと日々競い合っているの」
「はぁ……」
「それなのに……今日はライバルがいなかったから、ようやくあたしが勝ち取れると……思っていたのにぃ〜っ!」
きーっと彼女は歯茎を剥き出して威嚇してくるが、僕には言っている意味がさっぱり分からない。
「ちなみにあたしの能力は【認識】よ。車両内にいる救世主を判別する能力。……まぁ、能力者の中では基本となる能力だけど」
「そ、そうですかー……」
うん、やっぱり意味が分からない。能力って、特殊能力って事? 超能力? それともただ頑張って途中下車する人を覚えただけ……?
……まぁ、深く考えても仕方がない。
これ以上説明をされても理解できなさそうなので、僕は疑問に思っていた事を問うことにする。
「あの、何でそこまでして……席に座りたいんですか?」
「ふっ。ここまで無知とは……呆れるわね」
彼女は額に手をかざし、やれやれとため息をつく。
「恩恵を受けられなかった敗者には――」彼女はトーンを落とした声を車内に響かせる。「この先で……地獄が待ち受けているのよ」
「地獄……?」
すると、電車はとある駅に到着する。ここは多くの路線が交差する接続駅だ。
「刮目なさい……これから始まるのが、その地獄よっ!」
彼女の甲高い声と共に、車両のドアが開いたっ!
次の瞬間、どぉっ……と人の波が押し寄せる。今までの駅の比ではない……外で列を成していた群衆が、あれよあれよと雪崩れ込んできたのだ!
「くにゅ……うきゅぅぅぅ……!」
僕の目の前にいる女生徒は、みるみるうちに乗客に押し潰されていく。
可愛らしい顔が圧迫され……口先はタコみたいになり、髪も身に纏った制服もくちゃくちゃに……手足もあらぬ方向へとグイグイ持っていかれている……。
「あ……ああ……これが、地獄……」
今の彼女はジョ○ョ立ちのような、あり得ないポーズとなっていた……。
「ど、どう……こりぇは“死の津波”……。身体は押しちゅぶさりぇ……くにゅにゅ……息もまともにできじゅ……ふにゅぅ……残りの乗車時間を耐え続けなければ……にゃらにゃいの……」
両頬に隣の人の肘や肩がぶつかり、まともに話せない状況にも関わらず、女生徒は僕に向けて言葉を振り絞る。
「あ、あたしのにゃまえは……吉川 美南。お、覚えてなひゃい……こにょ借りは、かにゃらず……」
『はい、もっと奥に詰めて下さ〜い!』
その時……吉川さんの声を遮るように駅員が大声を上げ、入り口付近にいた乗客を車内へと無理やりに押し込んだ!
ぎゅうう……
「かにゃらず返すんだからぁぁ……! ふにゅ……きゅぅぅぅぅ…………」
断末魔をあげながら、吉川さんは人の波に飲み込まれ、目の前から消え去ってしまった……。
「…………ごくり」
なんかよく分からないけど……色々凄かった。
僕はその後、他の乗客が悶え苦しむ様子に戦々恐々としつつも、降車駅に着くまでの間……持参していたイヤホンで音楽をガンガンに流し、必死に目を瞑って外界との接触を遮断するのだった……。
◆◆◆
次の日。
僕はまた駅の前まで到着していた。
だが、僕は改札内へ踏み込むのを躊躇ってしまう……。
「……」
どうしようかな、昨日と同じ時間に来ちゃったけど……また前から二両目に行ったら、吉川さんがいるような気がする。
面倒な事に巻き込まれるのはゴメンだ……僕は後方側の階段からホームへと降りようと決断をする。
――も。
「あ、お姉さまっ! いましたっ! あいつですよ、あいつっ!!」
「マジかよ……」
なんと改札内に入ったところで、吉川さんは仲間を連れて待ち伏せしていてのだ!
「ほぅ……君が噂の男か……」
吉川さんの横で、彼女の先輩と思わしき女生徒が腕組みをしている。
僕の身体を下から上にかけて舐め回すように眺めながら、ふんっ……と軽く鼻で笑った。
「本当にこの男が? まるでオーラを感じないのだが」
……なんかいきなり酷い事言われた気がする。
「お姉さまっ、見た目に騙されてダメっ! 確かにぱっと見はポンコツだけど、昨日あたしが勝利を確信した次の瞬間……あいつにポジションを奪われていたんだからっ! 音もなく奪取するその技術……きっと忍の末裔か何かに違いないわっ!」
「ほぅ……忍ねぇ」
「うん、違いますよ」
忍の末裔って……僕は平凡な学生ですってば……。
「まぁいい。私の名前は海士 有木。君、昨日は私の妹分を随分と可愛がってくれたそうじゃないか」
「いや……僕は別に何もしていないですけど……」
「嘘をつくな。美南から全て聞いているぞ」
「そうなんですぅ……お姉さまぁ! こいつが乱暴してきてぇ……」
「お、おいおい……」
吉川さん……都合のいいように伝えやがったな! あからさまな泣き真似に騙される、このお姉さまもお姉さまなのだが。
「まぁいい、突然だが……今日は君に決闘を申し込みたい。私と君、どちらに救世主が微笑むか……勝負しようではないかっ!」
「――お断りしますっ!!」
「なんでよっ!?」
声を荒げたのは、吉川さんだった。
「あたしに一度勝ったからって……調子に乗りやがってぇ。こんなやつ、お姉さまがギッタギタのメッコメコにしてやるんだからぁ〜っ!」
「いや、ならばせめて吉川さんが僕に挑んで来てくださいよ……」
吉川さんはいつの間にか“お姉さま”の後ろに身体を隠し、ヤジを飛ばすだけの存在に成り下がっている。
典型的な雑魚キャラ……僕はそう言いかけそうになるも、寸での所で何とか言葉を飲み込んだ。
「大体……そんなに座りたいのなら、逆の電車に一旦乗って、三つ先の駅から出てる始発に乗ればいいじゃないですか」
「な……っ!?」
「ひいっ……!?」
僕の言葉を聞き、瞬間的に顔を青ざめさせる二人。
え、何……? なんでそんなに怯えるの……?
「お、お姉さま……こいつ……今、とんでもない事を言ったわ……」
「……ああ。信じられない。私も悪夢を見ているのではと頰を抓ってしまった程だ」
「え……? え……?」
そ、そんなにとんでも無い事を言ったのか?
理解に窮していると、見兼ねた海士さんは「アレを見てみろ」と、壁のポスターを指差した。
そこには……でかでかと大きな文字で《折り返し乗車厳禁!》と記載されていた。
「あ……」
「見ての通りだ。折り返し乗車する場合は、例え改札を出なかったとしても……その駅までの乗車切符が必要なんだ。つまり君は今、私達に“犯罪者になれ”と唆したようなものだ」
海士さんは冷たく言い放つ。「知らなかったでは済まされないぞ。これは極刑レベルの大罪だ」
「す、すみません……」
僕は素直に頭を下げた。いくらなんでも極刑は言い過ぎだと思うが、やってはいけない事に違いはないから……。
僕の謝罪行為にようやく怒りを静めた海士さんは、ため息混じりに肩をすくめる。
「そもそも、そんな事で“楽園”を勝ち取ったとして、なんの意味があると言うのだ?」
「……エデン?」
僕は吉川さんに説明を求め、ちらりと目線をやる。
彼女は軽蔑した眼差しを向けつつ、「“空席”の事よ」とぶっきらぼうに答えた。
“楽園=空席”……。救世主の時もそうだけど……なぜ、いちいちカッコいい言葉を付けるのだろうか……。
「……やはり君は、一度痛い目にあってもらわねばならないな。勝負しろ、逃げる事はもはや許されない」
海士さんは僕の方へ一歩にじり寄る。
「君が負けたら、この路線を使う事を……今後一切禁ずる!」
「ええーっ!? そんな理不尽なっ!?」
この電車使えなかったら、どうやって学校まで通えばいいんだよ……。
「……分かりましたよ。やります、やりますから……」
僕は渋々、彼女との決闘を承諾した……。
◆◆◆
今日は少し風が強い。風に煽られ制服の端が靡く。
僕と海士さんは乗車口の両サイドに対峙し、その時を待っていた。
びゅおおっ……と風の流れが変わる。それは自然に巻き起こったものではない。電車がホームに入って来た事を示していた。
徐々に速度を落とす電車。僕らが乗り込む予定のドアは、もう目の前に迫って来ようとしている……。
僕は車内の様子を確認する……ぱっと外から見た限り、楽園は見当たらない。
「……くっ」
僕の目論見は外れた。もし楽園があれば、扉が開いた瞬間にダッシュで確保しようと考えていたからだ。
だが、それが無いとなると……救世主の恩恵を受ける他なくなる。救世主の判別ができない今の僕では、勝利できる確率は限りなく無に等しいと言えよう。
「ふふっ……残念だったわね。この駅で楽園があるのは奇跡に近い事……。一縷の望みに賭けていたみたいだけど、そんな幸運あり得ないわ」
僕の横で吉川さんがほくそ笑む。解説役という事で、僕側に付いてくれているのだ。
(正直、邪魔なんだけど……)
そうこうしているうちに、乗車ドアが正面に止まった。束の間の静寂が訪れる……。
――刹那、プシュッという音と共に扉が開く。
「お先にっ」
「――なっ!?」
早い……! 海士さんは扉が開ききる前に、身体を車内へと進入させていた!
「ふふっ……出たわ。これがお姉さまの能力の一つ、【電光石火】! テニスのスプリットステップの技術を取り入れ、他人より早く足を出すと共に、身体を横向きにして狭い隙間に滑り込ませる。まさに高度なテクニックよ!」
「な……降りる人がいたらどーするんだよっ!」
「ふっ、青いわね。この時間帯、この駅で降りる者は皆無よっ! ましてや階段から遠いこの場所なら……尚更ね」
得意げに語る吉川さん。彼女に「それはそうと……随分余裕なのね」と言われ、はっと我に返る。
そうこうしているうちに……海士さんとの距離は、もう二歩ほど離れていた。
「……くそっ!」
僕は慌てて後を追うも、その距離が縮まる気配はない。
やはりダメだ……場数が違う。知識も経験も……向こうの方が遥かに上なんだ。
海士さんは何人か立っていた乗客に対し、重心を波状に移動させながら軽やかに交わしていく。
(吉川さん曰く、【円舞曲】という能力らしい)
一歩、二歩、三歩……そこで彼女は歩みを止める。
目の前には、フレッシュなスーツを身に纏った青年が座っていた。
「――チェックメイト」
海士さんは振り返り、僕に向かって静かに微笑む。
「終わったわ。お姉さまの勝ちね」吉川さんも続けて僕を嘲笑う。
ど、どういう事なんだ……。ま、まさか……?
「彼は……救世主なのか!?」
「そうよ……彼は二駅先が最寄の大学に通う学生なの。お姉さまも【認識】の能力は当然身に付けているわ。貴方が先に気付いて彼の前に立てれば良かったのだけど……それも無理だったようね。ふふっ……もはや貴方が勝つ為には、次の駅で救世主が降臨する事に賭けるしかないけど……果たしてそんな人がいるかしらねぇ?」
嫌味ったらしく言い放つ吉川さんに少々イラっとしたが……確かに彼女の言う通りだった。
次の駅はどの電車とも接続していない単独駅で、駅の周りには特出したショッピングモールもない……。
乗る人はいても、降りる人など……いるはずがなかった。
電車はその駅に到着する。扉が開いても……やはり誰も席を立とうとしない。
「ふっ……これで私の負けはなくなったな」
海士さんは勝ち誇った表情で腕を組む。
「――まだだっ! 僕は諦めないっ!」
何とか打開策を探るべく、僕は周囲を見渡す……。
誰か、誰か次の駅で降りそうな人は……いないのか!?
「……!?」
僕はふと、あるものに注目した。
――これだ、もうこれに賭けるしかないっ!
僕はそっと歩みを進め、書類に目を通しているサラリーマンの前へとポジションを取った。
「……くくっ。そいつか……」
「お姉さま……笑っちゃダメですわ……」
「……何がおかしいんですか?」
「だって……よりによって……“守護者”の前に立ってるんだもの。ぷふふーっ」
吉川さんは堪え切れず、吹き出してしまう。
守護者……どうやらここでは“終点までずっと席に着いている人”を指すらしい。
海士さんに「どうする、ポジションを変えたらどうだ?」と勧められるも、僕は「このままでいいです」と答えた。
「意固地になったか……まぁいい。もはやこの車両に救世主は見当たらない。私の勝ちに揺るぎはないのだからな」
やがて電車は、ゆっくりとスピードを緩め始める……。問題の駅に到着するからだ。
ここは昨日僕が座ることのできた駅で、ここも他社線との接続駅である。
「うふっ、お姉さまの勝利まであと少し……。今のうちに降車の準備でもしておいたら? ポンコツほーけー負け犬君っ♪」
「……」
僕は吉川さんの雑言に耳を傾けることなく、まっすぐ正面の男性を見据える。
すると男性は……手に持った書類を慌ただしく封筒にしまい始めた。
「え……」
吉川さんは驚きの声を上げた。
それもそのはず……僕の前に着席していた男性は、封筒を脇に抱えつつ、鞄を肩にかけ……降りる仕草を見せ始めたからだ。
男性は電車が停車するのと同時に、立ち上がる!
「すみませーん、降りますーっ!」
少し駆け足で、ドアへと向かう男性。僕は少しの間、彼の背中が小さくなるのを見守った。
「う、嘘……まさか……そんな……」
「お、お姉さま……これは……一体……?」
驚きを隠せないでいる二人を横目に、僕は悠々と空いた席に腰を下ろす。
「ふう……座れましたよ」
僕は下から二人を見上げ、ニッコリと微笑みかけた。
「……そんな馬鹿なっ!? 貴方っ、なんであの人が降りると分かったの!?」
声を荒げる吉川さんを、落ち着きなよと宥める。
海士さんも無言で僕に視線を送ってくる……理由を知りたげだったので、僕はゆっくりと口を開いた。
「封筒に書いてあった宛名を見て……この駅で降りるんじゃないかなと思ったんです」
「封……筒……?」
「そうです、封筒です。彼が所持していた封筒には、テーマパークを運営する企業名が宛名として記載されていました。そのテーマパークであれば、今停車した駅で乗り換えるはずです」
「そ、それはそうだけど……封筒の宛名だけじゃ、まだわからないじゃないっ!?」
「ええ、それだけではこの駅で降りないかもしれない。――ですが、その封筒には“企画書在中”という文字と、本日の日付が記載されていました」
そう……僕は男性を見て、こう予想を立てたのだ。
“彼が必死に目を通していた資料からして……これから、その会社へプレゼンをしに行くのでは”……と。
まぁ……こんなに上手くいくとは思ってなかったけど。
「な……なんて奴なの……この短時間でそこまで見通せる能力……貴方は【洞察】の持ち主だったのね!?」
「あたしが勝てる相手じゃなかった……」ガクガクと膝を震わせる吉川さん。
いや、えっと……能力でも何でもないんですけど……これ。
一方の海士さんは、僕に向かって拍手を送ってくる。彼女の表情からはまだ余裕が伺えた。
「ふっ、素晴らしい。君もなかなかやるようだ……だが、まだ勝負はついていない。何故なら私の前の男性も降りて……? ……な、なんだとっ!?」
「あぁっ……そんな……どういう事……!?」
二人が見つめるその先……空くはずの席に、男性は座ったままなのだ!
「おいっ、貴様っ……何故降りない!? ここはお前が降りるはずの駅だろうっ!!?」
「ダメよお姉さまっ! 救世主との接触は厳禁とされていますわっ!!」
「くっ……そうだった! し、しかし……何故彼は……」
そこではっと海士さんは口元に手を当てる。
男性の格好を見て、何か勘付いたようだ……。
「お、お姉さま……何か……分かったんですか?」
「見ろ……美南……! 彼の格好……スーツだ。スーツを身に纏っているっ!!」
「え……。あっ!? あああっ……!!! まさか……そういう事なのっ!?」
二人のやりとりを見て、僕も男性がどういう状況なのか理解することが出来た。
彼は、今までは“大学生”だったのかもしれない……。
だが、今春から“社会人”になったのだ! 僕と同じく、ピカピカの一年生という訳だ。
海士さんは膝から崩れ落ちる……。
「やられた……私は、彼の顔だけを見て判断してしまっていた……。新年度という事を、全く念頭に置いていなかった……」
「お姉さま……」
「私の……負けだ……」
地面に両手をつき、泣き崩れる。それを支えようとして、吉川さんがぴったりと横へ寄り添った。
勝った……何とか勝てたぞ。僕はようやく緊張から解き放たれ、肩の荷を下ろす。
これで……この電車を使用禁止にされなくて済みそうだ……。
一方で、海士さんは人目を憚らず声を上げて泣いている。
「悔しい……久々に味わう屈辱だ……」
「お姉さま……大丈夫、私が付いていますわ……」
涙ぐましい師弟愛を見せてくれている二人。
……ですが、お二人さん。周りの人達の邪魔になってますよー……。
「いいんだ……よく見ておけ。これが敗者の……成れの果てだ……」
「お姉さまっ……!」
ひしっと抱き合った二人は、そっと立ち上がる……。
いつの間にか電車は“例の駅”に着いていた。
扉が開き、二人めがけて死の津波が押し寄せ……華奢な身体を押しつぶしていく……。
「ふ、ふぎゅぅぅ…………」
「おにぇえしゃまぁ……くにゅぃぃぃ……」
二人は群衆の無慈悲なタックルを受け、渦に飲み込まれ始める。
揉みくちゃにされながら、僕の視界から消えていった……。
◆◆◆
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「はらひれほれ……お、お姉さまぁ〜……」
「……僕達、降りる駅同じだったんですね」
その後……ホームのベンチでぐったりと項垂れる二人を、僕は介抱していた。
「……」
息も絶え絶え汗塗れになっている二人を見て、僕は電車通学の大変さを痛感する。
あの密度の中で数十分もの間耐え続けるのは、特にか弱き女の子達にとっては辛すぎるだろう。
それでも……電車に乗らなければならない。僕達には学校がある。いくら電車が混雑していようが、学校側が登校時間を遅らせる事はないのだから……。
少しでも地獄を回避する為に、彼女達は能力を磨き、救世主を求めて日々闘っているのだ……。
「じゃあ、僕はこれで……」
「ま、待ってくれ!」
背を向けた僕に対し、海士さんが呼び止めてくる。
「君の……君の名前を教えてくれないか……!?」
「……活雄。新生 活雄です」
「そうか……。お願いだ……活雄君の力を貸して欲しいっ! 君の能力があれば……彼女を……神の目を持つ“穴守 稲荷”を倒せるかもしれないんだっ!」
「……いや、勘弁して下さい」
正直言って……これから新たな高校生活が始まるっていうのに、こんな訳分からない事をやっている場合じゃない。
それに誰だよ、穴守 稲荷って……。
「すみません、僕は行きますので……」
もう振り返るものか。そう心に決め、僕は踵を返す……。
「――!? ……おい、待て」
「……っ」
「いいから、待て」
「……もう、何なんですかっ!?」
しかし、あまりにもしつこく呼び止められるので、少し感情を込めつつ振り返ってしまった!
――と、海士さんは先ほどまでの懇願するような態度から一変、両腕を組んで仁王立ちしているではないか。
「お前……よく見たらその制服、うちの学校のものだな」
「え……あっ!?」
本当だ……全然気付かなかった。
海士さんも吉川さんも同じ学校に通う生徒だったのか……。
「なら話が早いな……」
「ですわね、お姉さま……」
不敵な笑みを浮かべ、にじり寄ってくる二人……。う……何だか嫌な予感がするぞ……。
「ははは……な、何でしょう……?」
「先程の言葉は撤回する。……力を貸せ、これは命令だっ!」
「ええっ!?」
「そう、これは先輩命令さっ!」
「ちょ……マジですかっ!?」
確かに学校の先輩なんだろうけど、幾ら何でも無茶苦茶過ぎるだろっ!
「もし断ると言うなら……そうだな。君に痴漢にあったと大声で叫んでもいいぞ」
「なっ……!?」
「あたしも乱暴されたって、学校中に言い振りまいちゃおっかな♪」
「何ぃっ!?」
どさくさに紛れて吉川さんまで便乗してるしっ!
どうする……入学早々学校で居場所がなくなってしまうではないかっ!?
……ダメだ。打開策は何も思い浮かばない。
断った場合のリスクを考えると……ここは涙を飲んで、承諾する他ないのだ。
「…………わ、分かりました。力になりますよ……僕でよければ……」
ため息混じりに答えると、二人は手を合わせて喜び合う!
「ははっ、そうこなくっちゃな。よろしく、活雄君」
爽やかな笑顔を見せる海士有木先輩。
「ふんっ! ホントはあたし、活雄の事認めなくないけどっ! お姉さまがああ言ってるし……認めてあげてもいいわよっ」
ぷいと顔を逸らしつつ、何故か少し頰を赤らめている吉川美南さん……。
(後に同級生だということが判明する)
二人に囲まれ、僕はがっくりと視線を落とす。
「…………あぁぁ、僕の高校生活がぁ……」
蚊の鳴くような声で発した僕の言葉は、ホームに入ってきた電車によって完全に掻き消されてしまった……。
現実世界でも使える、その他能力紹介
※救世主→席に座っている、途中下車する人
※楽園→空席
【二者掌握】
着席している二者の間にポジションを取る能力。肩幅よりも少し広めに足を置く事で、左右どちらが救世主となった場合でもその恩恵が受けられる。
【降車素振】
これは正面が救世主ではなく、その左右どちらかが救世主だった場合に有効な能力である。
救世主が席を立つ時、その正面にいる者は道を空けるため一歩後退しなければならない。
その際に能力者は、降りるフリをしながら救世主の背後にピタリと付く。すると楽園の正面にいる者は、能力者も降りる者と勘違いし、前方を通過させてくれようとする。
能力者はその隙に楽園を奪取する……という、反則ギリギリな高等能力である。
【隠密放屁】
これを発動させる事で楽園を獲得できる訳ではない。ただ周りの人々を不快にさせる能力である。
この能力が発動されると、周りの人間は平静を装いつつ、心の中では犯人探しに躍起になる。
尚、この時一番オーバーなリアクションを取った者が犯人扱いされやすい。