第8話 「レベル」
ベッドに入ったヒロトは、今日一日に起きた出来事を思い出していた。本当にいろいろなことがあった。
黒パン以外のメニューは美味しかった。
魔力を感じた。
四人もの人間(盗賊)が死ぬところを目の当たりにした。
看板娘二人に会った。
白パンを買った。
騎士に会った。
魔術を使った。
犬か狼の獣人を見た。
冒険者登録をした。
絡まれイベントが空振りに終わった。
死体が無くなっていた。
スキルとレベルの存在を知った。
実質、異世界初日、ヒロト自身、およそ16時間の間に起きた出来事としては十分だろうと、納得していた。これ以上の出来事は、ヒロトの許容範囲を超える。
もしかしたら、子供の頃は毎日がこんな感じであったのかも知れない。しかし、大人になり、規則的に生活することだけが、飢え死にしない唯一の方法だと信じるようになった。
実生活で起きるミスや、イレギュラー的なイベントは、ひたすら注意深く避けた。
電車が数分遅れること。
傘を忘れて、濡れること。
喉が渇いて、自動販売機で200円の飲み物を買うこと。
その程度のことすら、重大な瑕疵に繋がりかねないと考えていた。そして、それは日本で生活している限り、概ね、間違いではなかったように、ヒロトは思う。
実際のところ、精神的にも、経済的にも、ギリギリの生活だったのだから。
体感でわずか一日半である。たった一日半、アラトで生活しただけで、日本で生活していた頃が、遠い過去のように、ヒロトには思えた。
どちらが生きやすい環境か、情報が無さ過ぎて、今はまだ判断がつかない。エンゾの庇護下にあることも、現状のヒロトにとって、外せない条件だろう。
しかし、それでもはっきりしていることがあった。それは、ヒロトの心がワクワクしていることだ。明日が待ち遠しいと思える世界が、ヒロトにとって間違いであるはずがない。
一度死んだことも理由としてあるのかも知れない。死への恐怖は、一歩を踏み出す勇気を躊躇させるからだ。踏み出さないと何も始まらないことは分かってはいても、である。
ゲーム感覚というのが、相応しい表現かどうかは、今のヒロトには分からないが、ある種の浮ついた感覚も、ワクワクの原因の一つと思われた。ワクワクするから浮つくのか、浮つくから、ワクワクするのか。
こんな濃い一日を体験したのは、初めてであった。
そして、同時にヒロトには確信があるのだ。
明日も明後日も、これから先、アラトで生きる限り、濃い日々が続くだろうと。
ブレピーをチェックしていたヒロトは電源を切る。そして、意識を手放そうとした時、思い出した。
「(――時計合わせるのと、地図を買うの忘れた)」
ミスが、重大な瑕疵に繋がらない安心感があった。
◇◆◆◆◇
異世界の朝は早い――というより、寝るのが早い。灯りの魔道具はあるが、それをもって、夜型生活を送る理由にはならない。陽があるうちに済まさなければならないことが多すぎるからだ。陽があるうちに、やるべきことをやっていたら、自然と寝るのは早くなる。人間の身体はそういう風に出来ているのだろう。
時計を合わせていないので、目安にしかならないが、ヒロトがブレピーを起動すると、時間は5時36分であった。前日とほぼ同じ起床時間であった。
ベッドから出て、井戸に向かう。太陽の光こそないが、外は既に明るい。
「早いのぅ。良く眠れたかな?」
「おはようございます。気持ち良く寝られました。朝の空気は格別ですね」
エンゾは既に起きて、エンゾ邸の周囲を見回りしていたようだ。ヒロトの気分が宜しいのは、澄んだ空気の所為だけではなく、健康な17~18歳の肉体があったからかも知れない。朝起きて、これほど頭がすっきりしているのは、随分と忘れていた感覚である。
「朝食を取ったら、座学をしようと思うが、何か希望のようなものはあるかの」
「まずは、大まかな魔術の体系を教えてください。一時間ほど、文字をお願いします。それと、歴史の年表と、ユリジア王国の地図。世界地図もあれば、それも」
「さすがじゃのぅ。世界地図は、未踏破海域が多くて、穴だらけじゃが、一応あるぞい」
「個々の魔術や、スキル、レベルについては、午後にお願いします」
「了解じゃ」
朝食は昨日と同じであった。ヒロトの場合は、黒パンが白パンに変わったが。どうやら、エンゾは食事には特に気を使わないタイプらしい。不味いものを食べる趣味はないようだが、いろいろなメニューを試すのは時間の無駄と考えているようだ。
「(ルーチンワークは嫌いじゃない)」
日本でも、ヒロトの食事はほぼ決まったメニューの繰り返しであった。安売り食材を使った自炊。会社へは、節約の為に弁当を持参した。生活費とローン代を捻出する為には、それくらい切り詰めなければならなかったのだ。そこでふと気付いた。
「(あの時、自炊ではなく、弁当を買いに行かなければ、アラトには来てなかったんだよな…)」
ギリギリの自炊生活の中では、数百円の弁当代すら、ヒロトにとっては、時間を節約する為の、一種の贅沢であった。たまたまゲームで徹夜していたこと。その日の深夜、ほぼ強制のイベント参加予定があったこと。その為、弁当を買いに家を出たのだ。
「じゃぁ、早速、リビングで魔術の体系を教えようかの」
「よろしくお願いします」
あの日、内臓をブチ撒けた自分が、今や、異世界で『大魔導師』に魔術を教わっている。何とも奇妙なことであった。
「昼食までの5時間を座学に費やそうと思う。文字は夕食後ということにしよう。(1)魔術の体系、(2)歴史(3)文字、でどうじゃろ。それぞれにお茶休憩を入れる。休憩中は、アラトの一般常識を教えよう」
「構いません。ありがとうございます」
まず、魔術体系の講義が始まった。
そして、すぐに、午前中丸まる魔術体系に費やす意味が分かった。ヒロトはゲームによる、予備知識(?)があるが、何もない者にとっては、膨大な情報量である。
講義とは言っても、リビングの椅子に座って、エンゾの話を聞く、といった感じだ。エンゾも椅子に座っている。黒板も無ければ、生徒はヒロト一人。立っている意味がない。
ヒロトはブレピーを手首から外すと、伸ばして、光学キーボードの設定にした。さらに、エンゾからちょうど良いサイズの本を借りる。黒っぽい背表紙をモニター代わりにする為だ。
立てかけた本にブレピーをクリップで固定すると、背表紙にトップ画面が映し出された。入力は、テーブルに浮かび上がった光学キーボード。簡易ノートPCの出来上がりである。
ブレピー状態でも問題はないが、やはり、入力は両手の方が速い。
ただし、バッテリーの消費が早いので、長時間起動は無理だ。
「ぶれぴーはそんな形にも変形するのか。凄いもんじゃな」
エンゾが話す内容を、網羅的に入力していく。まとめるのは、後からでも出来るからだ。「テキスト起こし」の作業に近い。
魔力には以下の三つがある。
(1)体内魔力
(2)体外魔力
(3)魔結晶や魔核(魔石)に蓄えられた魔力
いずれも、魔術を使う為に必要なエネルギーである。魔鉱石は、空気中の魔力が、自然に結晶化したもので、鉱石の形で存在する。迷宮内にしか存在せず、始祖大陸の例外的迷宮『始祖魔宮』を除けば、非常に珍しい。通常、結晶化する前に、迷宮は魔物を召喚する為に、魔力を費やすからだ。
魔術は大きく四つ。
(1)召喚魔術:そこにないものを召喚する魔術。
(2)属性魔術:魔力に、火・風・水・土の四属性を帯びさせ、現象を引き起こす魔術。例えば、水と風を使った雷魔術は混合魔術で、属性魔術の一種である。
(3)強化魔術:体内魔力を特定の部位、あるいは全身に集中させ、強化する魔術。
(4)無属性魔術:魔力に、四属性以外の概念を帯びさせ、現象を引き起こす魔術。
◆(1)召喚魔術――召喚魔法陣を使って発動する
(a)精霊召喚:精霊界より精霊を召喚し、契約した後、精霊に魔術を行使させる。火、風、水、土、光、闇の六種の精霊が確認されている。
(b)勇者召喚(異世界召喚):異世界より勇者を召喚する魔術。成功例は少なく、多くの術者と大量の魔力を消費する。
(c)同位召喚:同じ世界にある武器や物を召喚する魔術。マギバッグも同位召喚を利用した魔道具の一種である。生物を召喚することは出来ない。
◆(2)属性魔術――発動は詠唱、無詠唱、魔法陣を問わない
(a)火魔術:人族、魔族が得意とする。※水魔術と混合不可
(b)風魔術:エルフ族が得意とする。
(c)水魔術:人族、魔族が得意とする。※火魔術と混合不可
(d)土魔術:ドワーフ族が得意とする。
◆(3)強化魔術――発動は詠唱、無詠唱、魔法陣を問わない
(a)強化術:体内魔力を使って、肉体の一部、あるいは全身を強化する魔術。獣人族が得意とする。
(b)回復魔術:自身の魔力と、対象の魔力を使って、「治る」という現象を「強化」する魔術。※部位欠損は不可
(c)闘気術:体内魔力を体外に纏うことで、強化する魔術。
◆(4)無属性魔術――発動は詠唱、無詠唱、魔法陣を問わない。光魔術、神聖魔術など多数あり。例えば、「石弾」の場合、弾丸を作るのは土属性魔術、「弾丸を空中に浮かせ」、「等間隔に配置」し、「狙いをつける」のは無属性魔術、発射は風属性、あるいは火属性魔術、となる。
※先の(1)~(3)に属さない魔術は、全て無属性魔術である。
「(特にテンプレから外れるようなものはないな。『同位召喚』で生き物を召喚できないのは、想定外か。召喚獣を移動に使えないのは、移動手段が徒歩か馬しかない世界では厳しいな)」
「師匠、属性魔術は、全て召喚魔術で済ませることは出来ませんか?」
「出来るぞい。お主を召喚錬成した後、汚れた身体を洗った水は、井戸から召喚したもんじゃ。ただし、近くにないと、相当な魔力を使うぞ」
属性魔術は、全て召喚魔術で済まそうと思っていたヒロトだが、そうそう上手くは行かないようだ。ただ、土魔術は召喚で代用できそうか、などと考えていた。
「やはり、土魔術と、召喚錬成が利用範囲が広そうですし、戦場でも強そうです。あとは無属性でしょうか」
「ふふふ、その通りじゃ。火や風は派手じゃが、土の壁一つで止められる。町を破壊するなら、地形にもよるが、火と風の混合魔術より、土と水の混合魔術の方が、より壊滅的被害を与えられる」
「(まったく、師匠は最高だぜ)」
エンゾが実際に土石流で町を破壊するか否かは別にして、少なくとも、町の破壊を想定することには、何の倫理的呵責も感じないらしい。むしろ、「それが魔術師である」と言わんばかりだ。
「(魔術とは、そうでなくてはならない)」
もし、仮に伝説の高位魔術が存在したとして、術の習得と引き換えに、何の罪も無い町の破壊が条件だとすれば、エンゾは何一つ良心の痛痒も感じずに、実行すると思われる。それがヒロトには、清清しく、痛快であった。
「土魔術はともかく、召喚錬成は難しいのでしょうね」
「左様。個人で発動する魔術としては、最高難度じゃろうの」
「でも、その分、強い」
「その通りよ」
ざっと大まかな体系を理解したところ、最もヒロトの興味を惹いたのは、やはり、自身を瀕死の状態から蘇らせた魔術でもある、『召喚錬成』であった。
「(あの時点で、地球人である俺の中に、魔力はほとんど無かったはずだから、召喚錬成による、「新生」以外に助かる道は無かったんだな)」
ヒロトの異世界転移が宇宙的な確率による偶然だとしても、アラトに転移したヒロトを生かしたのは、召喚錬成魔術である。もし、エンゾが回復魔術しか使えない魔術師だったら、どんなに上級の回復魔術を使っても、ヒロトの死は確定事項であっただろう。
回復魔術では、部位欠損は治らない。つまり、内臓が無い状態では、回復魔術で綺麗に腹を塞いだところで、内臓自体がないのだから、生きられるわけがない。
タタタタとテーブルに照射された光学キーボードを叩いていたヒロトの指が止まった。
「師匠、私の内臓は、異世界――つまり、地球からの召喚だったわけですよねぇ」
「左様。そのつもりはなかったが、お主の内臓を召喚したところ、強制的に異世界召喚にシフトしたようじゃ」
「強制的にと言うと?」
「わしは普通の『同位召喚』と思って魔法陣を組んだが、最初発動せんかった。お主の内臓が、アラトになかったんじゃな。しかし、無理矢理発動させようとしたら、大量の魔力を抜かれての」
「異世界召喚だから、大量の魔力を要求されたと」
道理である。遠く離れた距離の物を、いつもと同じ魔力量で召喚できるわけがない。アラト界と異世界(地球)という、世界を跨いだ召喚なら、それだけ多くの魔力が必要となるはずだ。
「おそらくの」
「つまり、召喚魔術自体は、時間や空間を条件に入れていないということですか?」
「別に、入れても構わんが、入れる意味がない。お主の内臓を召喚するのが目的じゃ。お主と紐付いている内臓など、この世に一つしかないんじゃんから」
ヒロトは思わず、「いや、その理屈はおかしい」と叫びそうになった。ヒロトの常識では、無数の時間軸の中に、無数のヒロト自身がいるはずであった。いわゆる「世界線説」だ。つまり、ヒロトと繋がっている内臓は、それこそ、無数の世界線にあるはずなのだ。
「(どっかの世界線で、突然、内臓がブッコ抜かれて、即死した俺がいたりして…)」
考えた挙句、いわば、異世界トンネルのようなものを通じて、ヒロトの時間軸がアラトの時間軸と繋がり、ヒロトの唯一無二の内臓を召喚することが出来た、という仮説で納得することにした。ヒロトとしても、考えても仮説の域を出ないことだと理解しているが、スルーするのも、モヤモヤとして、精神衛生上よろしくないからだ。
「『ヒロトの内臓』という条件を設定しただけで、後は、勝手に魔法陣が異世界――つまり、地球まで探しに行ったというわけですね」
「うむ。異世界召喚は初めてのことじゃったから、さすがのわしも驚いたわい。久しぶりの魔力欠乏も味わったしの」
万能すぎだろ魔法陣。
「凄い魔術ですね…」
ヒロトはそう言うしかなかった。エンゾは、内臓のみとはいえ、単独での異世界召喚に成功したわけで、満足そうに、顎ヒゲをしごいている。
「(属性魔術は後回しでも良い。まずは魔法陣を理解して、その後、召喚魔術だな。魔法陣は無属性を含む、全てに流用できる)」
当初はテンプレに従い、「詠唱」と「無詠唱」の違いの研究から始めようと思っていたヒロトだが、エンゾの説明をテキストに起こし、整理していた時に決めた。全ての魔術に組み込める「魔法陣」から手を付けることを。
石弾も無詠唱だったし、詠唱の重要性も、現状ではいま一つ、ヒロトには実感が無かった。
「(やっぱ、テンプレ通り、一般的な魔術には、詠唱は不要ってことなんだろうな。精霊召喚には例外的に必要かも知れんけど。ようは、精霊さん、出てきてください、って話だろ。その辺に漂っている「魔力」という不思議物質とは微妙に違う気がする。だったら、「詠唱」という名の呼び掛けは必要だろう――ん? 今、何か変な感じがしたな。昨日も確か…)」
「午前はここまでじゃ。結局、魔術の体系の説明だけで終わってしまったの。昼食の後は、実戦じゃな。腸詰め以外の肉は買っておらんから、獲物は頼んだぞ」
「魔物や動物の図鑑か何かありませんか?」
「すまんが、ないな。それほど強力な魔物はおらんから、大丈夫じゃろ」
「(はい、フラグ頂きましたぁ!)」
◇◆◆◆◇
「やはり、森の中は、キツいですね」
5mほど離れて歩くエンゾに話しかける。
いくら10代の肉体に戻ったと言っても、慣れない山道は堪えた。エンゾのお古である、足に合っていない靴も、地味に体力を削っている。マギバッグの中には、「made in 地球」の靴が入っているが、今更、エンゾの手前、履き替えるわけにも行かない。エンゾ邸を出る前に履き替えておけば良かったと後悔したのは、山に入って10分も経たない頃であった。
しかし、山歩きでヒロトが最も苦労したのは、注意が散漫になって、魔力の集中と霧散が途切れることであった。どこから獲物が飛び出すか分からないし、虫や山ヒルのような、神経に障る「敵」が多い為、どうしても、気が散って、魔力操作が上手く行かないのだ。
体外魔力の集中と霧散が出来ない為に、凄まじい勢いで体力が減っていくのだ。
「何を言っておるんじゃ。こんな子供が山菜採りに入る程度の場所でキツいも糞もあるか」
御歳251歳エルフの厳しい言葉が飛ぶ。エンゾは、汗はおろか、息すら全く切れていない。この程度の山道は、家の周りの散歩と変わらない、といった感じである。
「(生まれた時から、日常的に魔力を使っているアラト人は凄いな。こりゃ、早いとこ魔力操作を習得しないと、魔物を狩る前に潰れてしまうぞ)」
ヒロトの正直な感想であった。
目指すは魔術師だから、強化魔術は後回しにしようと考えていたが、強化魔術も必須魔術のようである。
その時、ヒロトの体内魔力が、ピクリと何かに反応した。
「師匠、実は、昨日から何度か、体内魔力が変な反応をする時がありまして、今もです。心当たりあります?」
「さての、体内魔力がヒロトの身体に馴染んで来て――あ、レベルが上がったんじゃないかの」
「(分かりにきぃーっ! もっとチャイムが鳴るとか、分かりやすい合図はなかったのかよ。魔力操作で魔力を意識してたから分かったけど、ほとんど気付かない程度の違和感だぞ!)」
「そう言えば、スキルとレベルの話がまだでしたね」
「レベルはあくまで目安じゃ。レベルが上がると、全体の実力も上がる。レベルが上がるから、実力が上がるのか、実力が上がるから、レベルが上がるのかは、良く分からんがの」
「ちなみに、師匠のレベルはいくつなんですか?」
「わしはLv83じゃ」
最高レベルは99だろうか。83/99なら、『大魔導師』名に恥じない、立派な数字である。などと、ヒロトはエンゾの魔術師としてのレベルに感心していた。
「どれくらい凄いのか、良くわかりませんが、最高Lvはいくつになるんですか?」
「Lv99か100ではないかと言われておる」
「根拠は?」
「かつて、水の精霊王を『鑑定』した者がおって、その時、精霊王のLvが96だったそうじゃ」
精霊王は、精霊魔術で呼び出せる、最高位精霊である。火、風、水、土、光、闇の精霊が存在し、それぞれに精霊王がいるとされている。召喚が確認されている精霊王は、歴史上、水の精霊王と、光の精霊王のみ。
「精霊王は精霊の神みたいなものなのでしょうね。精霊の神が100を超えていないということは、100辺りが限界だと」
「左様。ただ、Lvは絶対的なものであって、相対的なものではない。すなわち、わしと同じLv83でも、わしのLv50の頃にさえ及ばぬこともあり得る」
Lvは他者との比較において相対的に決定されるのではなく、個人個人の才能や運命などによって変化する、プライベートな指標だということだろう。
「もしかして、Lvはその人の素質や才能を鑑みての、限界値のようなものでしょうか。最高Lvが100だとすれば、全ての人が努力や経験次第で、そこまで行ける、というような」
「と考えられておるの。つまり、簡単にレベルが上がらない者の方が、器は大きいということじゃな。個人個人で器のサイズが違うと思っておけば良い」
ヒロトの全身が粟立つ。
つまり、自分の限界値が分かるということだ。それは、テンプレ展開で良くある「限界突破」的なイベントは無いことを意味している。一見、自分の限界が決まっているという点で、夢がないようにも思えるが、逆だ。
夢が確実に「ある」。
もし次に死ぬ瞬間が来たのなら、今度こそは、自分に与えられた全ての才能は、一つ残らず使い切ったと、胸を張りたい。
それがアラトに来て、最初に抱いたヒロトの希望である。己の命を燃やし尽くすこと。その実現の為には、限界値が決まっていることほど、都合の良いことはない。
生まれ持った才能や育った環境などは、人によって、それぞれだろう。運命や宿命といった類の、自身にはどうすることもできない領域だ。ヒロトがアラトに来たのも、同じように、自身でどうにか出来る問題ではない。その上で、人は努力して生きていくのだ。ヒロトもそのつもりである。
瓦10枚割るのが、運命的な限界である者と、瓦100枚割るのが運命的な限界である者がいたとする。二人が同じ10枚を割れたとして、どちらが、「己の才能を全て使い切った」と胸を張れるだろうか。
もちろん、前者であろう。
「レベルという概念は、私にとって、生きる希望、指針になりそうです」
レベルを上げることだけを考えて、生きれば良いのだ。
アラトは才能がない者は軽く死ねる世界だが、それは運命的なものであって、本人にはどうすることも出来ない。己の才能を全て使い切ることが目標なら、才能の有無は関係が無い。己のLvに満足したら、周りに孝行した後、死ねば良いのだ。
仮にレベルが相対的なものなら、結局のところ、才能に左右されるのだから、才能がある者だけが延々とレベルを上げて行き、才能に恵まれなかった者は、どんなに努力を重ねようと、レベルは上がらない。
それは一見正しいようだが、個人的な意味においては「夢がない」。
なぜなら、夢や野心とは、本来、個人的でプライベートなものだからだ。誰かとの比較で実現させるものではない。
社会的な価値観や行動原理がほぼ統一されている工業的な、(地球のような)現代社会なら、相対評価は意味がある。なぜなら、そうした社会での夢や野心とは、個人的なようで、実は相対的な価値観によって支配されているからだ。それ以外の夢は、それこそ、夢想のような類のものだ。
「(アラトのシステム凄ぇ)」
真の意味での「自由」があると言って良いだろう。一個の人間として、大地に立つことが可能であるという意味において。
パン焼き職人だろうと、御者だろうと、漁師だろうと、レベル100、あるいは99を目指すことが、理論上可能なのだ。
「とにかく、より高みを目指して進み続けるだけですね」
「良く言うた!」
だが、怖い世界でもある。
自分の努力不足や選択を間違えたことが数値で分かるのだから。
例えば、80歳で寿命を迎える運命の者がいたとして、死ぬ直前にLv30だったら、その者は、人生のほぼ7割を無駄にしたことになるのだ。もちろん、全ての人にとって、Lvを上げることだけが人生の意味ではないが。
「参考までに教えて欲しいのですが、Lv83というのは、アラトに生きる、どれくらいの割合の者が到達出来るレベルなのでしょうか」
「80以上など、ほとんどおらんよ。わしは胸を張って魔術に生涯を捧げたと言える。それでも尚、限界が100だとするなら、17無駄にしたということかのぅ」
後でヒロトが聞いたところ、Lv30~40あたりが、アラトに生きる者のボリュームラインとのこと。
エンゾが過去に出会った最高Lvは、Lv91のドワーフ族の鍛冶師。彼は100年以上前に亡くなったそうだが、Lv90を超えた者は、後にも先にも、その鍛冶師しか知らないとのこと。
それを聞いてヒロトが思ったのは、地球で生きていた時、もしLvがあったなら、自分はどれほどの可能性を無駄にしていただろうか、ということであった。
「ちなみに、直近でLvが上がったのはいつですか?」
「一昨日じゃ」
「一昨日っ!?」
「左様。召喚錬成を成功させたのが理由じゃと思うが、遡って考えれば、お主の存在が原因じゃ」
エンゾにも、ヒロトを庇護する理由があった。
今後もヒロト絡みで、レベルが上がる可能性がある。
ただの好意ではなかったのだ。
それを知って、ヒロトは悲しむだろうか。
否、ヒロトの心は、歓喜に震えていた。
エンゾの魔術に賭ける執念と覚悟を知れたこと。
ヒロトの存在が、エンゾの運命を動かしたこと。
それらが、誇らしい想いと共に、ヒロトを満たし、自身が「特別な」存在だと確信出来たからだ。
エンゾは、召喚錬成が最高峰の魔術だったから習得したのだろう。Lvを上げたいと思っていたのなら当然の選択だ。しかし、それは運命論的に見れば、ヒロトに出会い、ヒロトに行使する為に習得したとも言えるのだ。Lv82からLv83に上げる為に、エンゾには召喚錬成魔術が必要だったのだから。
それも、ただの召喚錬成魔術ではない。ただの召喚錬成魔術なら、エンゾは過去に何度も使っている。
Lvを上げる為に必要だったのは、「異世界からの」召喚錬成魔術だったのだ。
「わしがLvを上げる為に、お主に出会う運命じゃったのかも知れん。お主に出会うまで30年以上、Lvは82のままじゃった。250余年の人生で、全く無駄な時間を過ごさなかったとは思わん。しかし、Lv18分も無駄にしたとは思えんかったのも事実」
「つまり、私が転移したことで、師匠のLvが一つ上がる条件のようなものが満たされたと……」
ヒロトの言葉はかすかに震えていた。
エンゾの執念が、ヒロトの運命を変え、ヒロトの転移が、エンゾの運命を変えた。
湧き上がる感動で、耐えていた感情が堰を切りそうであった。
確かにヒロトはずっと長い間、耐えていた。何に耐えているのかも分からないままに。
「お主のお陰じゃな」
その一言で十分であった。
ヒロトの目から、大量の涙が溢れた。
次から次に溢れて、止まらなくなってしまった。
涙でぐしゃぐしゃになったヒロトの表情は、しかし笑顔であった。
エンゾは照れ臭そうに、杖の頭で、ほとんどハゲてしまった頭を掻いていた。