第6話 「冒険者ギルド」
「どんな気分じゃ?」
「一刻も早く、魔術の訓練に入りたいですね」
「ふぁっはははは。これほど見事な覚醒は、わしも見たことがないわい。たった一日じゃぞ。流人は皆、魔術の天才なのか?」
「さぁ、どうでしょう。アキバ帝国のユウキのキャリアでも分かれば、参考になるかも知れませんが」
天才と言われて満更でもないヒロトであったが、天才であろうがなかろうが、ヒロトがアラトで目標とするところは変わらない。天才であれば一流の人生を歩めるとか、凡人ならそれなりの人生だとか、そういう発想は、すでに地球で内臓をブチ撒けた時に、捨てている。
ヒロトがこれから先、アラトで送りたい人生とは、全力で生きること、それだけである。その上で、魔術なり、戦争なり、友情なり、恋愛なり、もろもろの希望があるのだ。他に比類なき金字塔を打ち立てようなどとは思っていない。つまり、天才かどうかはあまり関係がないのだ。
天才か否かは他人との比較によって意味を持つが、ヒロトはアラトにおいては、異世界人である。比較対象は限られる。わずかに、アキバ帝国のユウキあたりが比較対象として挙げられるだろうか。
「うむ、わしも流人を研究したことがあるが、冒険者としてキャリアをスタートしたユウキは、S級冒険者になるまでに、8年掛かっておる」
「それは早いのですか?」
「あり得んほど早いぞ。ちなみにわしがS級になったのは、94歳の時じゃな。もっとも、個人的な事情があって、94歳までにS級になる必要があった為、仕方なくじゃがな」
「人族では無理な年齢ですね」
アラトではどうかは分からないが、ヒロトの常識では、人族では94歳まで成長し続けることは不可能である。
鍛冶などの技術職や、芸術に対する審美眼などは、もしかしたら可能かも――とも考えたが、さすがに94歳にもなれば、意識がはっきりしていても、肉体は死ぬ準備を始めているだろうと。エルフ族ならではと言ったところか。
「わしは冒険者稼業に全く興味がなかったから、進級が遅かっただけじゃ。人族でも早い者は40歳くらいで到達する者もいる」
「そうですか。ユウキと同じくらいの速度で成長すれば、私にも魔術の才能があると実感出来るかもしれませんね」
「ぷふっ。いや、すまん。そんな心配はいらんよ。お主は三年でS級になる」
ヒロトの自身に対する過小評価が、あまりに過ぎていたので、エンゾは思わず噴出してしまった。
「そんなに早く?」
「少なくとも、戦闘に関しては、どんなにサボっても、三年以内じゃ。今でもA級は堅いと見とる。S級は貴族と同じ身分じゃから、付き合いなどもあって、ちょっと特別だがの。A級在位二年の実績も必要じゃし」
「えっ、A級?」
エンゾが何を根拠に断言しているのか、ヒロトには意味不明だ。いくら何でも、ほとんど魔術らしい魔術も使えないのに、それはおかしいと思った。
もしかしたら、ヒロトが考えるよりも、異世界の魔術はレベルが低いのかも知れない。
しかし、アキバ帝国のユウキが引っ掛かる。
ユウキはおそらくヲタクだったはずだとヒロトは考えている。ゲームか、小説か、アニメか、漫画か、分野は分からないが、アキバ帝国と名付けた以上、その手の拘りがあったはずだ。それなら、ヒロトと知識も条件もそう変わらないはずである。
謙遜でも鈍感でも、無意識TUEEEでもなく、ヒロトは本気で分からなかった。エンゾの過大評価か、見当違いだとしか思えない。
具体的に言うと、エンゾはヒロトが一年でB級からA級に昇級し、二年のA級在位を経て、S級に昇級すると考えているのだ。確かに全く無駄がない、最短距離であろう。「三年でS級になる」というのは、そういう計算から来た言葉である。
「(いや、アキバのユウキがのんびり異世界生活を楽しんでいた可能性が一番高いか)」
「冒険者の階級なんぞ、大した意味はないわい。それよりも、お主は、早いとこアラトの常識を覚えねばな」
「(俺が三年でS級という師匠の言葉が事実なら、8年掛かったユウキは、おそらく遊んでいただけだろう。それも異世界生活の醍醐味の一つだからな)」
確かに可能性は高い。一代で帝国を築いたことから、人脈やコネも大いに必要だっただろう。ユウキ自体に人間的魅力がないと、人も集まるまい。それらは、一見、無駄と思える旅や、付き合いの中で、一つ一つ築いていったはずである。
それが長じて1000年帝国を作り上げるに至ったに違いなかった。
「まぁ、A級がどんなものかも知りませんからね」
「そうじゃな、例えばほら、50mほど先、あの角に男が立っておるじゃろ。「あれ」を狙って、わしがやって見せた、『石弾』で倒せるか?」
「やってみないと分かりませんが、やれるような気がします」
ヒロトは試しに、人差し指の先に、紡錘形の石弾を作ってみる。ゆっくり回転しながら、石弾が形成されていく。魔法陣はない。単純に、空気中の塵や、周囲の土や小石から、魔力を使って、石弾を錬成しているのだ。
しかし、ヒロトはそれを途中で止めた。ポトリと製造途中の石弾が、ヒロトの足元に落ちる。
ヒロトはバッグで腕を隠すようにして、ワドス検索をする。出した画像は、「7.62×39mm弾」。地球上で最も人を殺したアサルトライフル、AKシリーズで使用される弾丸である。
画像を確認後、もう一度、石弾を作り直す。
指先でゆっくりと回転させながら、堅く、堅く、とにかく堅く作っていく。やがて、石製の綺麗な「7.62×39mm弾」が出来上がった。
後は、指先から弾丸を発射させるだけである。
「うむ、お主なら、多分やれるじゃろう。この距離であの男を一撃で撃ち抜けるなら、B級以上、A級未満と言ったところかの」
指先を拳銃の形にして、狙いを付けていたが、「ふぅ」と一つ息を吐いて、左手で弾丸をつまむ。
ヒロトは作った弾丸を、大事そうにマギバッグに入れた。
周囲の張り詰めた緊張が一気に解けた。
戦争への参加を願うヒロトだが、さすがに、何の罪もない人間を的に、射撃の練習するつもりにはなれなかった。
「おそらく、可能かと。ちょうど良い盗賊でも現れてくれたら試すんですけどね。しばらくは森の魔物で我慢します」
想定した有効射程距離は500m。50m先の的なら、風や空気抵抗で減速する距離ではない。最初の狙いさえ正確なら、外すことはないだろう。
もちろん、試したわけでもないので、「絶対に」とは言えない。メタルジャケットでもない石弾である。空気との摩擦でどれくらい磨耗するかも分からない。しかし、「おそらく」と断りながらも肯定したのは、ヒロトの明らかな変化と言えるだろう。
転移二日目にして、ヒロトは人を簡単に殺せる技を身につけてしまったが、それで動揺することはないようである。
「さっきも言ったが、順番を間違えんようにな」
依頼を受けたから殺すのではなく、殺すから依頼を受けよ、という話のことだろう。「大魔導師」ともなると、他人の命など、魔術を極める為の「養分」程度にしか思っていないらしい。
「(ようは、全てを魔術に捧げよ、ってことかな)」
つまりは、そういうことであった。戦場を蹂躙する為に魔術を極めるのではなく、魔術を極める為に、戦場を蹂躙せよと。
闘争を願うばかりに、ヒロトは危うく思い違いをするところであった。
経験者の意見は貴重である。
「大袈裟でも何でもなく、改めて、師匠を尊敬します」
ヒロトは胸に右手をあて、浅く礼をした。パン屋で見た、騎士の挨拶を真似てみただけだが、思いの外、様になっていた。
「ふわぁっはっは。おだてても、何も出んぞ、ヒロト」
笑いながら、エンゾは冒険者ギルドの扉を押した。
それほど広くはない。外観通りの規模と言ったところだろう。受付はエルフ族の女性。どこからどう見ても、問答無用の美女であった。座っているから分かりにくいが、スラリとした長身だろう。
「(これはテンプレ展開が期待できそうだ)」
美女に興味があるのは万国共通の男の性だが、彼女よりも、興味深い生き物がいた。
「彼女は……」
エルフ美女の後ろで、忙しく書類を整理しているもう一人の女性。頬にうっすらと毛が生えており、額も人族よりは狭い。耳は横ではなく、頭についていた。髪の毛――「髪」と言うよりは、「毛」――は短い。体毛の延長と言った感じだ。残念ながら、手のひらに肉球はないようだ。
「獣人族じゃな。犬か狼じゃ。獣人族の中でも、犬族と狼族は、絶対に間違えてはならんぞ。どちらも、間違われることを、極端に嫌う」
「なるべく、触れないようにします」
と言いつつ、「獣人キターーーー!!」状態のヒロト。
別にヒロトにモフモフ属性などないが、冒険者ギルドでのテンプレ展開は、「ありがてぇ、ありがてぇ」と言ったところ。
ちなみに、猫族と虎族は間違えても、大して問題にはならないとのこと。仮に間違えても、猫なら可愛い、虎なら勇猛だと、どちらも好意的に受け取ってくれるらしい。早速、ヒロトはギルド内に猫系獣人がいないか探してみるが、残念ながら猫族とのエンカウントは次回に持ち越しである。
「(この展開からすると…、『乱暴冒険者に絡まれイベント』も期待できるか?)」
「すまんが、新人を一人、登録希望じゃ」
「ッ! エッ、エンゾ・シュバイツ様ッ!?」
「いかにも。今日はわしの弟子を登録に来た」
「しょ、少々、お待ちを!」
一瞬固まった受付嬢であったが、エンゾが希望を伝えると、椅子をひっくり返して、奥に逃げて行った。自分じゃ対応出来ないと、上司を連れてくるのだろう。
「(ちっ! 受付がこの様子じゃ、イベントはお流れか…)」
十分イベントは発生しているのだが、自分が期待したイベント、すなわち、『乱暴冒険者に絡まれイベント』以外は、イベントとは認めないつもりなのだろうか。
イベントはともかく、ヒロトはエンゾのことを過小評価していたことを反省した。
S級とは、本人一代に限り、男爵と同じ身分が認められている。つまり、生きている限り、身分的には貴族と同等である。
しかも、エルフ族の場合、寿命が長いのでS級=一代男爵でいる期間が、人族の三世代分、四世代分に相当する。エンゾは94歳時にS級になっているので、実に150年以上、男爵をやっている計算になる。通常、150年以上貴族をやっている家は、相当な名家である。
受付のエルフ族が恐縮して固まるのも、無理はないのだ。
「お久しぶりです。エンゾ様」
「驚いた! 何故、お前がこんな支部におる。それに、様はいらんぞ。ランクはお主と同じじゃろ」
おそらくギルド長だろうとヒロトは見当をつけた。S級は冒険者ランクの最高位なので、それなりの役職のはずであった。エンゾと同じランクらしいが、在位期間からエンゾに敬語を使っているのだろうと分析した。
人口15000人の町にいるくらいなので、大陸全土ではS級は予想以上に数がいるのかもしれない、などとヒロトは考えていた。
実際には、マレ大陸中を探しても五人といない。
「まぁ、いろいろとあるのですよ」
「ギルド内部のことに興味はない。それより、今日はこやつの冒険者登録を希望じゃ」
「受付から聞いて、驚いていたところです。只者じゃないのでしょうな」
ギルド長(と思われる男)が、値踏みするように、ヒロトの方を見る。しかし、それは時間にして一瞬であった。
一瞬ではあったが、ヒロトは『鑑定』されたと認識した。少なくとも、何らかの魔術の一種を行使されたことは間違いないと。ヒロトの感覚的には、ヒロトの身体を、ギルド長の魔力が通過したような印象を受けた。
バックグラウンドで魔術の集中と霧散を繰り返していたのが、仇になった形だ。ギルド長ともなれば、目の前のヒロトが膨大な魔力を集めたり、散らせたりしていれば、何事かと思うだろう。
しかし、ヒロトにとって、良いことにも気付かされた。ヒロトが操作していた魔力が、『鑑定』されたことに気付かせてくれたからだ。
「(アラトには、スキルが…あるのか?)」
現状、ヒロトが地球のゲームで親しんだ、「スキル」と、アラトにおける「スキル」が同じものか、否かは分からない。単に「そういう魔術」を使っただけかも知れない。習得に条件があるのか、修練によってのみ習得できるのか、何も分からない状態だ。自身の『ステータス』を確認できないのだから仕方がない。
しかし、いずれにしても、先ほどギルド長が使った技は、おそらく『鑑定』だろうとヒロトは判断した。問題は、どこまで「見られた」かである。
「まぁの。B級で頼む」
テンプレに頼りすぎた弊害でもあった。ヒロトは異世界で気が付いた時、つまり、内臓が召喚錬成によって、「新生」した時だが、視界に「画面」がなかったことで、魔術こそあるが、スキルなどはない、リアル系(?)の異世界だと考えたのだ。
エンゾに確認すべきであった。
「エンゾ様の正式な推薦ということで宜しいでしょうか?」
「構わんよ」
スキルが存在するのなら、魔術に対する考え方を根本から改めねばならない。必死で構築した魔術を、「魔術無効障壁ッ!」などと、おかしなスキルで無効化されたら堪らない。
「(危なかった。早めに知れて本当に良かった。しかし、師匠は何も言ってなかったし、師匠が俺を『鑑定』したことは、まだ、ないと思う。どういうことだろうかね)」
『鑑定』はゲームならではの、超便利スキルである。ゲーム世界においては、ある意味、基本アプリのようなものだ。
何しろ、自分や相手の技やレベルが一目瞭然のスキルだからだ。
「鑑定」があれば、例えば、自分よりも強い相手とは争わない、という生き方も、簡単に出来てしまう。体力ゲージなどが視認できれば、戦い方は自ずと変わるだろう。
リアル世界では、雰囲気だけで相手の強さが分かるわけではないので、少なくとも、一度は手合わせをしないと、正確なところは絶対に分からない。「百聞は一見にしかず」という言葉の通り、経験や体験の方が大事だったりする。
だから、ヒロトが最初に身に付けようと考えていた技は、いわゆる、「初見殺し」的な技であった。「初見殺し」は、リアル世界では、無類の強さを誇る。一撃必殺なら、次はないからだ。
しかし、「鑑定」があるのなら、話は別だ。「初見殺し」だけでは不安である。むしろ、トリッキーな魔術師を目指すよりは、基本を押さえた王道を行くべきだ。我流の技は、それにプラスするオプションのようなものと考えるべきであった。
「鑑定」がどれくらいの位置にあるスキルかは、現段階ではヒロトには不明である。どこまでの情報が知れるのかも。スキルはあっても、レベルはないかも知れない。しかし、少なくとも、闇雲に魔術の特訓をするのは愚策だということだけは判明した。
同時に、魔術に限らず、アラトで生きるには、経験・体験も大事だが、まず知識・情報を身につけることが最優先だと理解した。
我流だけでは、蓄積されたスキルや情報に負ける。
「では、規約の特例執行ということで、一応、推薦状の作成だけ、こちらでお願いします」
「良かろう」
「そんな特例があるのですか?」
失礼は承知で、ヒロトは口を挟んだ。
「S級の推薦があればB級まで可能じゃ。迷宮は国家管理がほとんどじゃから、冒険者のランク規制があって、同じパーティーでもランクが低いと、連れて行けない場合があるんじゃ」
なるほど、理屈である。マギバッグがある世界とは言え、ランクが離れすぎていると、ランク規制がある場所へは、ポーターや道案内を連れて行くことも出来ないらしい。つまり、今後、ヒロトがエンゾと行動を共にするには、近いランクである方が、あらゆる場面で便利だということだ。
「迷宮」という言葉に、全身の細胞が超反応する。
「迷宮……やはり、凄いのでしょうね」
「凄いぞ」
「うふふふ」
エンゾはギルド長に促されるままに、受付の奥の部屋に入って行った。そこで推薦状を書くのだろう。
「(迷宮キターーーーーッ!)」
エンゾが去った後も、ヒロトのニヤニヤが止まらない。冒険者ギルドに、美人受付嬢に、迷宮。ヒロトにとっては、ほとんど数え役満であった。
しかし、楽しい気分に水を注すように、視界の隅に入った犬族か狼族かの女事務員が、気持ち悪いものでも見るかのように、顔をしかめていることに、ヒロトは気付いた。
「うォっほン」
照れ隠しに、咳払いを一つ。
エンゾが離れるタイミングを待っていたのだろう。
二人組の冒険者が近づいてきた。二人とも、190cm以上はあるだろう。パン屋で見た騎士よりも大きい。肩などは、ヒロトの頭ほどもある。腰に差している剣も、太くて厚い。頭にバンダナを巻いている方は、バトルアックスまで持っている。
「(ん? 今、何か変だったな…。バトルアックス?)」
「チラッと耳に入ったんだが――」
「え? (今度は、イベントキターーーーーーッ!)」
「ランクアップじゃなく、登録ってことは、今まで冒険者の経験はないのか?」
バンダナを巻いた方が、ヒロトに興味を持ったようだ。正確には、エンゾの連れとしてのヒロトに。
「ええ、初めてです」
「壁ではなさそうだし、ポーターか?」
顔に傷がある、もう一人の方が聞いてきた。顔の雰囲気は違うが、体格と声質が似ているので、兄弟かも知れない。ヒロトの期待はますます大きくなる。テンプレでは、乱暴者の恵体兄弟は、ギルド内イベントで片玉を潰される運命と、相場は決まっている。そして、受付嬢は決まって「冒険者同士の喧嘩は、ギルドでは一切責任を負いません」などと言いつつ、少なくとも気持ちの上では、主人公に肩入れするのだ。
「ポーターとは、荷運びのことですか? 私、そんな力があるように見えますか?」
あくまでも臭わせる程度に、トゲがある言い方をするヒロト。何やら考えがありそうである。
「見えねぇな」
「一緒にいたお爺さん、私の師匠なんですよ」
二人が一番聞きたかったであろうことについて、ヒロトが話の流れを誘導する。二人組はすぐさま食いつく。
「さっきの、エンゾ・シュバイツさんだろ? あの人が貴族の義理以外で弟子取る話なんて聞いたことないぞ」
「らしいですね」
「ってことは、お前は貴族様でもねぇってか」
「正真正銘の平民ですね」
「マジでいきなりのB級かよ。魔術師か?」
「さぁ。ただ、剣や槍なんて使えませんし、消去法で魔術師になりますか。さっき、初めて魔術使ったんですけどね。B級って、強いんですか?」
などと、ヒロトはテンプレ主人公のように、無自覚俺TUEEE台詞を吐いてみる。もちろん、大いに自覚アリである。
冒険者二人は、呆然としている。
ヒロトは冒険者ギルドで、「一発殴られてみよう」と考えているのだ。浮かれたノリではなく、何となく、肉と骨の痛みを、身体に刻んでおきたいと思ったのだ。
ヒロトの体感時間では、鉄骨に腹を貫かれ、内臓をブチ撒けたのは昨日だ。昨日の今日で、どんなマゾ趣味かとも思うが、ヒロトとしても思うところがあった。
ギルドの建物内で、いきなり殺されることはないだろうし、大抵の怪我なら、エンゾが治してくれるだろう。十分に安全マージンを取った上で、早めに殴られる経験を積んでおきたいと考えた。
なぜなら、地球での37年の人生で、ヒロトが記憶する限り、殴られたことが一度もなかったのだ。肝心な場面で、殴られて取り乱すMSパイロットのようにはなりたくなかった。
「殴られたことがある」というのが、いつか財産になるような気がしたのだ。痛みもまた経験だろうと。
「(いずれ、そこらの冒険者ごときでは、俺に触れることすら、不可能になるんだからな)」
石の弾丸を作っただけで、大した自信である。
地球だろうと、アラトだろうと、想定した時に限って、事態が想定外の方向に進むのは、一体どういうことだろうか。二人の態度は、ヒロトが期待した展開とは、全く別の方向に向かっていく。
「エンゾさんは、俺が物心ついた時には、すでに200歳を超えていたはずだ」
「呆けたのかもね」
顔に傷がある方が、とんでもなく失礼なことを言う。
「教科書に載ってる『キーフェン砦攻防戦』が130年くらい前だからな。あり得るぞ」
ヒロトの知らない固有名詞が出てきた。忘れないうちにブレピーに登録したいところであったが、ここで起動するわけにはいかない。出来れば、ブレピーのことはエンゾ以外には知られたくなかった。
「だとしたら、ちょっと哀しいな」
「俺、エンゾさんの『大魔導師』って二つ名、憧れた時期あったんだけどな」
二人とも顔つきも身体つきも、とても魔術師の雰囲気ではないが、それにしても、バンダナの方は、かなりのエンゾ押しのようだ。ヒロトとしては、師匠のファンは大切にしたいところである。
一方、傷顔の方は、あまりエンゾに興味はなさそうで、失敬な言葉が多い。殴られた場合、傷顔の方へは、報復することに決めた。
「エルフ族でも、呆ける時は呆けるんだね」
そう言って、二人組の冒険者は、少し肩を落として、去って行った。
「はぁ…」という、切ない溜息だけを残して。
「ちょっ……」
思わず、ヒロトはずっこけそうになった。
手前勝手な想定は、想定ではなく、単なる願望であるとの啓示であろうか。ヒロトは二人組とは違う、別の溜息が出るのだった。今回の戦いのヒロトの勝ち条件は、「殴られること」であった。
「(ケンカの売り方って、意外に難しいな)」
どうやら異世界二戦目は、勝ち条件からすると、負けだが、ヒロトは初戦と同じく、勝ち負けなしのノーコンテストとした。何とか、自分の中で理屈をこねて、負けを回避したようだ。ヒロトにとって、ケンカを売る――買わせることは、少々、ハードルが高かったらしい。
ちょうど、エンゾが戻ってきた。B級の金属製ランクカードを掲げて、ニヤニヤしている。カードというよりは、米軍のドッグタグのような感じだ。
「(二人組ではなく、受付嬢ルートを選択すべきだったな。時間を無駄にしてしまった)」
「ほれ、こいつがランクカードじゃ。このチェーンを付けて、首にでも架けて――どうした、何か元気がないのぅ」
「いえ、そんなことはありませんよ」
「まぁ、こんなものは、ただの飾りじゃ。B級じゃ不満かも知れんが、実績なしの推薦だけでは、B級が限界なんじゃ」
「いや、だから……。いえ、そうですね。何級だろうが、目指す先も、やることも、何も変わりません」
「その意気じゃ!」
ヒロトは、何だか説明するのが面倒になり、適当に流した。
ヒロトの中では、冒険者デビューはほろ苦いものとなったが、自分の評価と他人の評価にズレが生じるのは、良くあることだ。それは鈍感系主人公や、勘違い系主人公でなくとも同じである。
「大魔導師」エンゾ・シュバイツが自ら進んで弟子を取ったこと。
ヒロト・コガの冒険者デビューがいきなりB級であること。
この二つの事実は、瞬く間に、小さな町の冒険者たちの間に広まった。
更に、二人の会話に耳をそばだてていた狼族の事務員が、「B級ですら不満そうだったわよ」という尾ひれを付け加えた件は、余談ではあるが、噂の信憑性を高めることに一役買ったようだ。
自分のあずかり知らぬところで、噂が一人歩きするのも、良くあることである。