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 第5話 「本質」

ヒロトの激しい初戦の行方は、結局、ノーコンテストに終わった。カルビン・ナリス、つまり、フローラの父が乱入した為だ。


 焼きたての大きなパンが乗った巨大なヘラを、上手い具合にスライドさせて、パン駕籠に直接入れていく。店内は大きなパン駕籠がいくつもあり、種類ごとに分けられている。ヘラは焼き釜から取り出す為のものだ。


 「(黒パン以外もあるじゃないか)」


 その時、入り口のドアが開き、ドアベルがお洒落な音で鳴った。

 来客である。


 同じ失敗を二度繰り返さないのが、世の中を上手く渡るコツだ。

 ちなみに、一度のミスは、長い目で見た場合、実はノーミスよりも、良い結果になることが多い。しかし、同じミスを続けて二度やるのは、あらゆる意味でダメである。同じ失敗を繰り返さない為に、ヒロトは観察する。


 「騎士様、いらっしゃいませ!」


 「ようこそ『ルーヴェン・ナリス』へ」


 先に声を掛けたのは、メロ。流石に、一日の長があったか。


 「『看板娘』が二人もいては、ご主人はパンを焼いても焼いても足りなさそうですね」


 「妬きもちでも焼いてくれたら嬉しいんですけどね」


 フローラは「あ~、やだやだ」などと言いながら、手で風を送っている。フローラの父カルビンは「ちっ」と言って、頭を掻きながら、焼き釜のあるバックルームに、そそくさと引っ込んだ。耳が真っ赤である。



 「(な、何という、見事なキャッチボールっ!)」



 流れるような会話の応酬に、ヒロトは眩暈を覚えそうであった。これほどの高度な会話テクニックが、人が生きて行く為の、基本スキルだとでも言うのだろうか。戦慄でヒロトの全身が粟立つ。


 野暮を承知で解説すれば、この場には家族三人が揃っていた。

 騎士の台詞は、短いながらも、三人全てを登場させ、挨拶の代わりとしているのだ。その上で、メロ、フローラを、『看板娘』として認め、完璧にヨイショ。さらに、父カルビンに向けては、店が流行っていることを、さり気なく称えているのだ。


 騎士の技が見事なら、メロの返し技も見事の一言。

 返す刀で、惚気るという高等テクニックである。看板娘ではあっても、人妻として一線は越えないという、覚悟の宣言か。


 「(今の技、私もいつか身に付けられるでしょうか)」


 ヒロトは声には出さないが、振り返り、後ろにいたエンゾに向かって、心の声を吐露した。


 「!?」


 エンゾは先の会話を、聞いてすらいなかったようだ。焼きたてあつあつのパンにペトリと手を乗せている。何の意味があるのだろうか。売り物のパンに、それは如何なものかと、小心者のヒロトは心配してしまう。温度でも確かめているのだろうか。


 ぺたぺたと焼きたてのパンを軽い感じで叩いている。

 あまりに意味が分からず、ヒロトは動揺を隠せない。


 「(さ、先の一幕を見逃すとは、師匠も随分とノンビリしたところがあるようだ)」


 とりあえず、エンゾの謎の行動は棚に上げておき、ヒロトは先の初戦がノーコンテストで終わったことに改めて安堵した。これほどの強敵だと知っていれば、迂闊に挑んだりはしなかっただろう。軽く見た相手が、実は練達者であったというのは良くある話だ。


 「(負けずに経験を積んだと考えれば、勝ちに等しいノーコンテストだな)」


 ヒロトはメロに騎士様と呼ばれた男を観察する。

 時間は掛けない。時間を掛ければ、短時間では気付かない部分もあるだろうが、人間観察は速度が命だと、ヒロトは考えた。


 年齢は18~19歳くらい。身長は190cmくらいか。がっちりとした上半身は日々の鍛錬の賜物だろう。

 金髪碧眼。それほど長くない髪の毛を、後ろに撫で付けているのは、兜を被りやすくする為だろうか。クセっ毛なのか、毛足が跳ねているところが、逆に男前を上げている。イケメンだけに許される髪形と言えるかもしれない。


 兜は被っていないが、鎧は着けている。プレートアーマーというタイプだろうが、全身を金属板で覆っているわけではない。金属部分は、胴、肩、膝くらいで、後は革の縁を金属で補強したようなデザインだ。


 「(全身じゃないのは、騎馬兵だからか、金属が高価だからなのか、今は判断出来んな。とりあえず、後で鎧のタイプと歴史だけでも、ワドスで調べておくか)」


 腰の剣はいわゆるロングソード。刀身100cmは確実にあるだろう。ヒロトがゲームで散々お世話になった剣であるが、実物を見ると、さすがに大きく感じられた。


 「え?」


 騎士様がヒロトの方を振り返った。正確には、騎士の視線は、ヒロトの背後、エンゾの方を向いている。


 「だ、大賢者様…ではないですか?」


 「わしは『大魔導師』である。賢者などではない。あまねく魔術をこの身に修め、魔道の極みを目指す者よ」


 ヒロトは思わず「おおっ!」と声を上げそうになった。あまりにもエンゾがカッコ良かったからだ。

 簡潔で完結な自己紹介。

 自ら「大魔導師」と称しつつも、まだ道の途中だと宣言する姿が、厨二病を超えたカッコ良さを醸していた。「~を目指す者」という言葉は、いつか使おうと、心にメモをするヒロト。


 「(それにしても、『大魔導師』の他にも、『大賢者』とは。師匠もなかなか手広くやっているな)」


 「私はその弟子、ヒロト・コガと申します」


 多少の緊張はあったが、卒なく自己紹介をこなせたことに、ヒロトはいくらかの満足を得た。


 「弟子? 以前、大魔導師様は弟子は取らぬと仰っておられませんでしたか?」


 「さて、断る口実にしておったのではないかな。わしだって、気に入れば、弟子くらい取るじゃろ」


 「しかし……、去年、セレナ様の――」


 「興味が湧けば、こちらから頼んででも弟子にするわい」


 騎士が「こいつが弟子だと?」といった様子で、ジロリとヒロトを睨む。しかし、ヒロトはその視線を、超然と受け止めていた――わけではなく、気付かないふりをしていた。

 ヒロトには、他人の細かい感情の変化に疎いところがあった。しかし、現状は集中していた為、正しく理解している。その上で、面倒は御免と判断したのだ。


 どうやら、エンゾが過去、セレナというやんごとなき身分の方の弟子入りを断ったのだろう。一方、ヒロトの弟子入りは認めた形となっている為、ヒロトに対し、騎士は悪意に似た感情を抱いているのだ。セレナは騎士の関係者と思われる。

 メロが少し心配そうな空気を漂わせている。


 「(何か、ややこしい話になりそうだな)」


 同時に、ヒロトは自分を客観視していた。

 相手は末席とは言え、貴族は貴族である。貴族の部屋住みの三男、四男が騎士を目指すことはテンプレで知っている。その貴族相手に、全く恐怖も畏怖も感じない。剣を抜かれれば、今のヒロトに防ぐ手立てはないが、それでも尚、何のプレッシャーも感じないとはどういうことか。


 考えて、ヒロトは結論らしきものを導き出した。

 結局、ヒロトは未だ、どこかゲーム感覚が抜け切れていないのではないかと。

 どこかリアリティの欠けた夢を見続けているような感覚なのではないか。

 もちろん、異世界転移二日目である。単純に経験が少なく、適応しきれていない部分もあるだろう。しかし――


 「(早いとこ、この浮ついた感覚をどうにかしないと、命取りになりかねんな。こいつだって、NPCってわけじゃないんだし)」


 強いて言うなら、日本で警官に職質を受けた時程度の緊張はすべきだろうと、ヒロトは自身に言い聞かせた。


 「エンゾ様、パンの用意が出来ました」


 緊迫した空気を察したのだろう。先ほど、フローラに目配せをしていたメロが、話を逸らすように声を上げる。


 「おお、ありがとう」


 ヒロトは目的を思い出す。


 「師匠、今回買うパンは、黒パンのみでしょうか」


 「その通りじゃが、黒パンは口に合わんか?」


 黒パンはライ麦で作られたパンである。小麦で作られた白パンとの比較で黒パンと呼ばれる。イースト菌ではなく、サワードウという乳酸菌を含んだパン種で膨らませる。ライ麦が堅さの原因で、乳酸菌が酸っぱさの元である。

 白パンに比べて遥かに日持ちがするが、乾燥が進むと、カチカチになって、ヒロトの顎の力では歯が立たなくなる。通常、ライ麦と小麦を混ぜてパンを作るが、ライ麦の比率が高くなればなるほど、堅くなる。


 「酸っぱくて堅いパンは、どうにも合いません。他のパンもあるようですので、値段の差が少ないのであれば、普通のパンをお願いします」


 居候の身で申し訳なく思ったが、理由ははっきり述べた。エンゾに経済的な面での支障がないことは、わずかな付き合いから分かっている。ならば、日常生活での譲れない部分は、早目の解消が望ましいと判断した。


 「構わんよ。バッグに入れておけば、小麦の白パンでも問題ないじゃろ。すまんがメロさん、黒パン10個に、同じ量の白パンを下さらんか」


 「(ふふふ。やはり、マギバッグには時間の経過を止める効果もあるらしい)」


 マギバッグがあれば、大量の食料を買い込み、森に引きこもることも可能ではと、ヒロトが帰り道に問うたところ、時々、町に顔を出すのも、『大魔導師』の役目らしい。『大魔導師』はともかく、S級冒険者は一代男爵と同じ身分なので、それなりの意味があるのかも知れない。


 ちなみに、ライ麦パンは小麦パンに比べて、栄養価が高い。エンゾが黒パンを好んで食べているのも、主に栄養の面での理由が大きい。


 ヒロトとエンゾの会話を、驚愕の面持ちで聞いていた騎士が呟いた。


 「まさか、『大賢者』エンゾ・シュバイツ様に仕える徒でありながら、出される食事に文句を付けるのか……」


 「そういうことじゃないんだ!」と叫びたいヒロトであったが、第三者から見れば、同じことである。日本と違って、カビの生えたカチカチのパンすら口に出来ない乞食なんて、そこら中にいるのだろう。


 ヒロトとしては、オカズがどんなに貧しくても我慢できるが、マズい米には我慢ができないだけである。黄色くパサついた米で焼肉を食うくらいなら、粘りのあるふっくら艶々の米で、漬物や納豆を食う方が良い。

 米の代わりがパンだと思えば、ヒロトは一歩も譲る気はない。

 ライ麦パンにはライ麦パンの素晴らしさがあることは、ワドス検索でヒロトも理解している。

 それでも尚、他人の世話になっている身の上でも、経済的な問題がないのであれば、我慢する理由はないと、(身勝手に)考えた。


 「(さすがに、師匠の手作りか、あるいは、師匠の経済状況が宜しくなかったら、こんな要求しないけどね)」


 エンゾがメロに代金を支払いそうな雰囲気になっていたので、ヒロトは、すぐにレジに近づく。

 値段が知りたかったからだ。


 「(デカっ!)」


 黒パンのサイズが馬鹿でかい。直径25cmほどの円形で、一番高い部分の高さは17~18cmほどだろうか。形状はコンビニの肉まんを巨大化したような形だ。エンゾはそれをポンポンとマギバッグに入れていく。

 一食1/4を食べるとして、10個で40食分。一日二食なら20日、一日三食なら13日もつ計算になる。

 白パンは黒パンほど大きくはないが、それでも直径20cm近くはありそうだ。値段はどちらも一個50セラ。


 ※銅貨=約10円(=一セラ)

 ※大銅貨=約100円(=10セラ)

 ※銀貨=約1000円(=100セラ)

 ※大銀貨=約10000円(=1000セラ)

 ※金貨=約10万円(=10000セラ)

 ※白金貨=約100万円(=100000セラ)


 「(パン一個で500円くらいの感覚かな)」


 高いのか安いのか分からないが、ヒロトの直感としては、安いと感じた。一食1/4なら、125円だからだ。麦の収量が分からないので、とりあえず、これ以上考えても仕方がない。


 「そう言えば、お主、名は何と申しておったかの」


 ほとんど空気と化していた騎士は、驚いた様子で答えた。


 「ディラン家の三男、マルコ・ディランでございます。ディラン家の代替わりの時のパーティーで一度お会いしました」


 「おお、ディラン家の。二年前じゃったかのぅ。当主のマリスは上手くやっておるのか」


 「はい、周りに支えられて、何とかやっているようです」


 「そうか、それは重畳。では、わしらはこの辺で。当主によろしくの」


 「はっ!」


 騎士マルコは右手を左胸にあて、軽く礼をする。

 ヒロトもマルコとメロ、フローラに軽く礼をした後、エンゾの後ろをついて店を出る。


 「「毎度、ありがとうございました」」



 「次は腸詰めと調味料類じゃな。ヒロト、他に何か好みのものや、口に合わないものはあるか?」


 「いえ、黒パンだけです。我侭を聞いてもらって、ありがとうございました」


 「何、構わんよ。流人の好みが知れて、興味深いくらいじゃよ。流人が食に五月蝿いという伝説も垣間見れたしの」


 出された食事に文句を付けたのに、エンゾはまるで気にしていないようであった。ヒロトとしても、失礼な要求だと自覚していたので、エンゾの反応に、心からホッとした。


 「伝説とは?」


 「アキバの初代皇帝じゃ。アキバ帝国では、ハンベルガやホドッグという、ユウキ考案のメニューがある」


 「正しくは、ハンバーガーにホットドッグでしょうね。ユウキが生きた時代は、1000年近く前とのこと。長い時間の中で、呼び名が変化したのかも知れません」


 「くっほっほほ。ヒロトと話しておると、次々に新しい知識が増えていくのぅ」


 エンゾは今年で251歳。この歳になると、新しい知識が増える事など、そうそうあることではない。まして、自分の興味がある分野の新しい知識など、求めて得られるものではない。


 「これが一般的なホットドッグになります」


 ヒロトは煤けたマギバッグでブレピーを隠すと、ワドスの記事にある画像をエンゾに見せた。


「ぶれぴーは、ここまで緻密な絵が記録できるのか」


 ヒロトの腕に表示されたホットドッグの画像を、食い入るように見つめるエンゾ。


 「150年ほど前、アキバ帝国に行った時に、ホドッグは食べたが、形はほとんどこれと同じじゃな。茹でた腸詰めの上に掛かった千切り野菜の酢漬けに、何と言ったか、香辛料の効いたソースが絶妙じゃった」


 「日本でも人気でしたよ。いつか行ってみたいと思います」


 そうこう話しているうちに、肉屋についた。そこでエンゾは腸詰めを大量に購入した。普段は肉や燻製肉も買うらしいのだが、今後、ヒロトに狩りの訓練をさせる為に、腸詰めだけで良いとのこと。


 話を聞くと、腸詰めだけは、加工が面倒臭いので、買うことにしたらしい。腸詰めに加工する暇があるなら、魔術の訓練を優先するべきだというのが、エンゾの考えだ。


 エンゾは森に囲まれて生活していながら、森の奥に入るのは、木の実(コラの実)を拾う時と、近くで大型の魔物が暴れている時くらいらしい。


 「(完全に効率厨の発想だな)」


 生肉はマギバッグで時間を止められるし、燻製肉は釜を利用すれば、最初のチップの用意だけで、勝手に燻製肉が出来上がってくれるはずだ。

 エルフは肉嫌いだというテンプレ知識については、実際と違っていてくれて、ヒロトは感謝した。毎日、豆と木の実だけを出されていたら、残念ながら、早々にエンゾ邸を脱出することになっていただろう。


 「ちなみに、師匠。アラトでは――ユリジア王国では、労働者の日当はいくらくらいでしょうか」


 「そうじゃな、経験や能力によって違うが、銀貨5枚から10枚といったところかのぅ」

 ※銅貨=約10円(=一セラ)

 ※大銅貨=約100円(=10セラ)

 ※銀貨=約1000円(=100セラ)

 ※大銀貨=約10000円(=1000セラ)

 ※金貨=約10万円(=10000セラ)

 ※白金貨=約100万円(=100000セラ)


 「(日当一万円と考えれば、やはり、黒パン一個500円くらいでちょうど良い計算だな)」


 『ルーヴェン・ナリス』で予想した値段が、それほど遠くないことを確認し、満足した。


 その後、油や調味料、香辛料を買って、食料の買出しは終了。



 「さて、あとはヒロトの服と靴、あと――、ここから少し歩くが、次は、冒険者ギルドじゃな」


 身分証を作る為だ。ヒロトは、「さぁ来い! 次のイベントだ」と期待が膨らむ。


 傍目に見れば、パン屋での一件も、十分にイベントに相応しい出来事であったはずだが、ヒロトは気付かない。

 実年齢37歳にも関わらず、薄っぺらい経験値しかないヒロトは、本当のイベントが何か、もしかしたら、本質的な部分で理解出来ていないのかも知れない。



 「ここが冒険者ギルド……」


 石造りの巨大な建物を想像していたが、ヒロトの予想に反して、小じんまりとした木造の建物であった。


 ギルドの周りには、食事処や素材を扱っている店、武具屋、鍛冶屋などが軒を連ねていた。なるほど、冒険者にとって、便利なように配置されているようである。冒険者ギルドの裏手には、宿もあり、少し歩けば、大人の風俗店まであるらしい。「冒険者通り」か「冒険者横丁」といったところだろうか。

 冒険者の稼ぎを全て毟り取ろうという、ある種、強烈な意思さえ感じられる町設計になっている。


 「あれは?」


 「魔石を扱っている店じゃな」


 周りの店に比べて、建物の造りが、明らかに違っていた。入り口が奥まっており、ガードマンみたいな男が立っている。用心棒だろうか。


 魔石は魔物の体内で作られる魔核を、魔道具用に磨いたもの。

 鉱石を磨いたものが宝石であるのと同様である。核を磨くことで、魔石の吸魔性能が上がり、全体のムラや歪みが無くなるので、魔力効率も良くなる。


 魔石は硬貨と同じく、それ自体に価値があるので、扱う店のセキュリティも厳重なのだろう。どこの国でも使えることを考えれば、金や銀の含有量を気にしなくても良い魔石は、より、汎用的と言えるかもしれない。


 「あっちの店が、その魔石を使った魔道具屋じゃ」


 ヒロトは魔道具に興味があった。

 魔術の訓練すらやっていないのに、いきなり魔道具に頼るのもどうかとも思うが、少なくとも、魔道具を使うことで、「何が出来るのか」くらいは予備知識として知っておきたいと考えたのだ。


 「冒険者ギルドに入る前に、少し覗いて行きませんか?」


 「良かろう」


 店の前には、客寄せの為の、安い道具が並んでいた。

 ランプやカンテラの類、水をお湯にするカップサイズのホットプレート、冷風が出る筒、虫除け、大きな音が出る道具、氷を作る金属製の箱などなど。エンゾがいちいち説明してくれる。


 「(うむ、ホームセンターだな)」


 ヒロトが期待した、いわゆる、古代遺物や属性武器などの類はなかった。単に魔力が動力源の生活道具一式であった。

 ただ、冒険者が必要とするであろう道具の中にあって、氷を作る道具は、少々場違い感があった。


 「師匠、氷を作るボックスがありますが、冷蔵庫――つまり、食品を冷やす道具はないのでしょうか。氷が出来るなら、可能だと思うのですが」


 冷蔵箱と呼ばれ、日本でも、1960年代頃までは、冷蔵箱用の氷を売る商売があったはずである。冷気は下に降りるので、保温性の高い箱の上部に氷を入れておけば、氷が溶けきるまでは冷蔵庫として使える。


 「普通の家庭にはないが、飲食店などにはあるはずじゃ。そもそも、その氷を作る魔道具の使用目的は、『冷蔵箱』用の氷を作ることじゃよ」


 アラトでは、魔道具のお陰で、ところどころ、地球とは違った進化を遂げているようであった。


 「熱するよりも、冷やす方が、魔石の消費が激しいので、なかなか普通の家庭までは普及しておらんようじゃの」


 「(内政チート主人公なら、ペルチェ効果がどーとか、こーとかやるんだろうかね。もしくはカキ氷屋とか)」


 「ん? よく見ると、製氷機は中古品のようじゃ」


 本来は冒険者向けの魔道具店だが、たまたま安く中古の製氷機を仕入れたので、並べているのだろう。


 ヒロトは魔道具研究は、ひとまず、属性魔法を覚えてからにしようと思った。せっかく異世界に来たのに、地球の電化製品を魔道具で再現する意味についても、考察が必要だと考えた。

 出来る、出来ないではなく、主に、「何の為に?」という部分において。


 簡単に出来るのなら、暇つぶしとして悪くはないと思うが、現状、ヒロトには、異世界で商売をしようという考えはない。やるべきことが山積みなのだ。エンゾの好意によって、さしあたって、金が必要ということもない。これはヒロトにとって、大変幸運なことであり、エンゾには足を向けては寝られないだろう。


 テンプレ主人公のように、マヨネーズを作って広めるのも、いざ、自分が転移してみると、全く惹かれないことに、ヒロトは気付いたのだ。



 「(俺は異世界で、具体的に何をしたいのだろうか)」



 30年近く、異世界を舞台にしたゲームをやり続けていながら、実際に来てみれば、異世界でやりたいことがない。


 ――というのは、誤魔化しである。


 ヒロトには一つだけ、確実にやりたいことがある。


 それはハーレムを作ることでも、可哀想な奴隷の子を救ってやることでも、疫病から世界を救うことでも、竜退治でもない。商売をやって、金儲けをすることなど、どうでも良かった。



 戦争である。



 ヒロトは戦争がしたいのだ。


 好戦的な性質は、人として好ましいとは言えない。だから、心の底に隠している。ヒロトは内心、「具体的に何をしたいのだろう」などと言っているが、答えは明確だ。曖昧な部分など、一切ない。

 ヒロトは具体的に戦争がしたいのだ。


 少佐の台詞のように、満身の力を込めた握り拳を振り下ろしたいのだ。


 弱肉強食は、なぜか「地球では」大っぴらには認めてはならない真理として、広く受け止められていた。強者が弱者を叩き潰すことは許されないのだ。少なくとも、表向きは。

 そういう世界でヒロトは37年間生きてきた。もちろん、ヒロトだって、日本では暴力的ではなかったし、好戦的な人間でもなかった。

 しかし、いつも思っていた。


 空中戦で敵機を撃墜する時、喜びを感じないわけがないではないか。

 1000m先の敵影を捕捉し、狙撃用ライフルで敵の頭部を撃ち抜いた時、鍛え上げた自らの技術に酔わないわけがない。


 どうして、「良い気分だった」と言ってはいけないのか。

 どうして、「もっと多くの敵兵を倒したかった」と言ってはいけないのか。

 帰還兵は皆、しみったれた顔で、家族と抱き合う時だけ、笑顔になる。

 それが一番大事だと言わんばかりに。

 そんなの全然大事じゃない者だっているだろう。


 悲劇と同じ数だけの、熱狂があってしかるべきではないか。

 なぜ熱狂の部分だけを隠すのだ。


 常に敵からやられる可能性があるのに、敵を排除する時にも、兵士は苦渋の決断らしき態度で臨まなくてはならない。喜び勇んで戦争に臨むのは、どういうわけか、人としてあるまじきこととされていた。


 戦争にはタブーがいくつもあるが、一番のタブーは、一般人への攻撃でも、レイプでも、略奪でもない。


 喜びや熱狂である。


 とにかく、戦争の喜びを語ることはタブーなのだ。

 まさに、謎の空気とも言うべきものが醸成されているのだ。不思議なことに、それは右翼左翼やイデオロギーに関係のない、ある種、地球人のスタンダードな傾向であった。

 好戦的な人間ですら、敵を殲滅した後、「戦争は空しい」などと、訳知りに言うのが、お約束になっていた。


 独立戦争や防衛戦争に勝てば喜んでも良いが、侵略戦争なら喜んではいけないというのも、奇妙な話だ。

 そもそも、戦争に喜びを感じるのは、狂人だけの専売特許ではない。大切なものを失う悲しみと同様、欲しいものを奪う喜びもあって不思議はないはずだ。

 どうして、それを公言してはならないのか。

 敵を叩き潰す快感は、差別主義とは別の話だろう。


 何と、その傾向は、ゲームの中においてさえあった。



 ヒロトは思考が暴走していることを自覚しつつも、止まらない。

 バックグラウンドで実行している魔力操作が影響しているのかも知れない。「戦争」には一家言あったが、内心ですら、心の奥底の願望に対して、ここまで明確に、踏み込んだことはなかった。



 日本において、ヒロトの命など、虫けらほどの価値も無かった。

 しかし、他人を虫けらとして扱ってはならないことになっていた。

 他人を虫けらと扱ってはいけないのなら、ヒロトが虫けらのように扱われることなどないのが道理であろう。だが、実際には虫けらであった。


 自分は奪ってはならないが、奪われるのは問題ない。

 一体、どんなマゾゲーだ。

 日々、削られるのは問題ないが、取り返す為の闘争は許されないことになっていた。自身は常に誰かの「養分」なのか?


 ヒロトに階級闘争をする気などサラサラ無かったが、何も感じないわけではなかった。被害者意識で凝り固まっているわけでもない。それでも、日々、虫けらの魂は削られていたのだ。


 一体、何の為に耐えているのかも分からない中で、ひたすら何かに耐える毎日であった。何者かがヒロトから、金を奪い、時間を奪い、未来を奪っていった。


 「悔しかったら、誰かから奪えば良かったじゃないか。奪われたのも、耐えていたのも、全て自身が選んだ生き方じゃないか」


 完全に家畜化された動物は、柵が無くとも、逃げ出さないという。

 ヒロトは、地球という社会で、「そういう風に」作られた家畜であったのだ。


 本来、現実で味わうはずの、喜びも悲しみも、希望も絶望も、勝利も敗北も、全て奪われた。ヒロトはただ黙って、奪われるままに耐えていたのだ。「そういう風に」作られた家畜だったから。


 代わりに手に入れたのは、中途半端な科学技術で作られたVRMMOスーツ。


 何の冗談だ、それは。


 人は科学技術を発展させる為に生きているのではない。


 「誰もが同じように耐えている」だと?


 他人が耐えているからと、どうして自分まで耐えなければならないのだ。


 内なる声においてさえ、誰かに気兼ねしている。


 どうして「戦争がしたい」と宣言しないのか。


 魔術が魔導技術の結晶なら、炎で町を飲みつくす情景を夢見ずして、巨大な火柱を生み出せるものか。


 ――ヒロトの妄想の中で、ゲームと現実、異世界と地球の垣根が曖昧になってゆく。


 その巨大な竜巻は、何の為に習得したのだ。


 その神の怒りにも似た雷撃は?


 その膨大な魔力は、何の為に集めた?


 全て、万の敵を戦場で蹂躙する為ではないか。


 大切な人を守る為だと?


 笑わせる。


 大切なものなど何もないくせに。


 「己の命を、燃やし尽くす」だと?


 上手く隠したものだ。


 そこまで宣言しておきながら、どうして肝心な部分を誤魔化すのか。


 自分の野心に正直に、真っ直ぐに歩まなくて、満足の行く人生など送れるものか。


 魂が不自由なままで、自由に魔力を扱えるはずがない。


 「(誤魔化すのはもうヤメだ)」


 「(他人だけではなく、自分とも対決しよう)」


 「(俺は戦争がしたい)」


 「(魔術を身につけ、戦場を蹂躙したい)」


 「(それが今生の俺の望みだ)」


 「(おまけの人生、死に場所は、憎悪と、悲劇と、怒りと、恐怖と、希望と、絶望と、愛と……人の持つあらゆる感情が詰まった戦場が良い)」


 「(虫けらには贅沢だと言われようと、そんな最期が良い)」


 虚無趣味でも、露悪趣味でもなく、ヒロトは素直にそう思った。

 格好をつけているわけでもなかった。まして、虫けらだから、一発逆転を狙って、戦争を望んでいるわけでもない。


 闘争に勝って、奪いたいと思ったのだ。


 闘争に負けて奪われるのなら、是非もないと思えたのだ。


 奪うことと、奪われることが、一目瞭然だ。


 大企業に勤めて、大金を稼ぐのが、人生の勝利条件などと、望んでもいない擬似的な闘争を強制され、その中で負け組として全てを奪われるのは、我慢がならなかった。


 「(戦場を蹂躙し、そして、いつか戦場で蹂躙されることを、俺は望んでいる……)」


 ヒロトは一瞬、気持ち悪い笑みをこぼした後、すぐに元の表情に戻った。

 しかし、全く同じ表情に見えて、そこには、日本人古賀裕人ではなく、アラト人ヒロト・コガがいた。


 エンゾは、ヒロトの中に、爆発的な魔力の解放を感じ、瞠目する。

 『大魔導師』エンゾ・シュバイツの目に映ったのは、奔流のような巨大な魔力であった。


 「師匠、どうやら魔術の――というより、私自身の本質が見えたようです」


 魔術を知ることとは、自分自身を知ること。

 全てはそこから始まるのだ。


 ヒロトの手のひらに、ポッ、と青白い炎が浮かんだ。


 「見事ッ!」


 きっかけなんて、分からないものである。冒険者通りの往来で、たった一つの自問自答から、ヒロトの中の何かが覚醒した。


 ヒロトが異世界に転移してから、まだ二日目であった。

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