第4話 「看板娘」
昼食の後、エンゾは町へ行く用意をしながらも、ニマニマと気色の悪い笑顔が止まらない。
ヒロトはリビングでミルクティーを飲みながら、一人、絵本を読んでいた。エンゾから自習用にと手渡された、勇者ジョージの物語のようだ。
「(なるほど、流人が優秀な魔術師になる理由が良く分かった)」
エンゾは努めて表情には出さなかったが、ヒロトがいとも簡単に魔力を認識したばかりか、爆発的に開放した様子を思い出す。
誰にでも魔力は存在する。
しかし、それを意識するのは、意外に難しい。身体には血が流れているが、血の流れを意識するのが難しいのと同様である。
魔力を意識する為には、魔力を一種の違和感として捉えなくてはならない。生まれた時から魔力と共にあるアラトの住人では、それが難しいのだ。その為、最初の段階で躓く者がほとんどである。
ヒロトが魔力の存在を認識し、集中させ、開放に成功するまで、30分も掛かっていない。
「(魔力がない世界の住人だからこそ、感じられる……か)」
それにしても――とエンゾは考える。一体、あの魔力の集中は何なのかと。エンゾの目には、体内魔力では飽き足らず、全身から体外魔力を吸収しているようにさえ見えた。それも、恐ろしい速度で。
まるで、全身が巨大な吸魔装置と化したかのようであった。
「(ふふ、アキバのユウキや、勇者ジョージに魔術を教えた者も同じ気持ちだったのかのぅ)」
エンゾはかつて何度か、貴族の子息たちに、家庭教師として魔術を教えたことがあった。しかし、身体の奥から湧いてくるような興奮を覚えたことは無い。教えている相手が流人だからではない。エンゾが興奮しているのは、ヒロトが間違いなく「自分を超える者」だからであった。
ヒロトが自分を超えることは間違いない。
問題は、どれくらいの高みに到達できるかであった。
「(願わくば、その高み、この老骨にも見せて欲しいものじゃのぅ)」
先ほどから魔道具置き場を漁っていたが、やっと、目当てのものが見つかったようだ。
「ヒロト、ちょっと来なさい」
「はい」
エンゾが煤けたような色のバッグを手渡す。
「マギバッグじゃ。ちょっと古いが、機能に問題はない」
ヒロトは、「マギバッグ」という名称を聞いて、即座に機能を理解した。異世界で意味ありげなバッグに付与された機能など、一つしかない。大魔導師が弟子に手渡すバッグが、ただの雑嚢のわけがないのだ。
「無限収納の『インベントリ』……やはりあったか」
「無限のわけがないじゃろ。300kgほどじゃ。地球のマギバッグは無限なのか?」
「いえ、地球にマギバッグのようなものはありません。魔術がない世界ですから。それよりも、300kgのkgという単位は、水で言えばどれくらいの量になりますか?」
「1kgは水10cmの立方体じゃが? 10cmはこれくらいかの」
エンゾは握った拳の横幅を指す。拳の横幅がちょうど10cmくらいだと言いたいらしい。
「センチまでッ!」
言葉が通じた時もヒロトは歓喜したが、単位まで同じとは、さすがに驚いた。先ほどリビングで絵本を読んでいたが、文字だけは違う。しかし、言葉も単位も同じなら、思った以上に文字の習得は楽そうであった。
「この単位、アキバの初代皇帝以前からあるのなら、それ以前にも、流人はいたという証拠です。地球の単位と同じですから」
伝わったのが、複雑怪奇なヤード・ポンド法でなくて良かったと、ヒロトはホッとした。
「何と! アキバ帝国の建国以前なのは間違いないぞ。何しろ、これらの単位が使われるようになったのは、コーカ暦以前のはずじゃ。当たり前すぎて、考えたこともなかったわい」
「『メートル法』と言います。地球の北極点から子午線までの弧線距離、それの1000万分の一が1mになります」
即座にワドスで『メートル法』を検索する。うろ覚えの知識だけでは、エンゾに正確に説明出来ないからだ。
『メートル法』の誕生は18世紀後半のフランス。つまり、最初(かどうかは分からないが)にアラトに渡った地球人は、18世紀後半以降の人間ということになる。
メートル法の来歴を伝えたところ、エンゾの興奮が収まらない。
「始祖大陸じゃ。始祖大陸でメートル原器が発見されての。最初は儀式用の武器か何かと思われたのじゃが、長さが1mで、幅が10cm、重さもほぼ1kgじゃった」
「『始祖大陸』という名前からして、怪しいですね」
「我らの遠い祖先は、全ての種族が共通の大陸、すなわち始祖大陸より発したと言われておる。その後、長い年月の間に、始祖大陸がどこにあったのかも忘れてしまった」
正確には巨人族と竜人族は除くが、一般的には「全ての種族」で通じる。
「『始祖大陸』という名前と存在だけは語り継がれたと」
「左様。しかし、コーカ暦1492年に『航海王子』エトゥが始祖大陸を発見した。エトゥは若い頃は『海賊王子』などと呼ばれておったが、エシラト大学を優秀な成績で卒業したインテリじゃ。彼は始祖大陸にあった石碑の古代文字が読めた」
その石碑を解読することにより、そこが始祖大陸であること、住民の大半が、予言の日までに大陸を捨てて、海を渡った、ということなどが判明した。
歴史以前のはるか昔の話である。
「予言」が何を指すかは今となっては、調べる術もないが、それでも、獣人族、人族、エルフ族、ドワーフ族、魔族などなどが海を渡ったのは確かで、全ての始まりが始祖大陸であるという伝説が裏付けられた形となった。
固有名詞が次々に出てくる為、ヒロトは必死でブレピーに登録していく。
「アラトの世界地図と、国々の名称を知りたいです。町で地図が売っているようなら、買っても良いですか?」
「うむ、構わんよ。うちにもあるが、少々古い。新しいのを買う方が良いじゃろ」
「ありがとうございます」
ヒロトとしては、地図は早急に手に入れるべきものであった。自分が立っている場所のイメージが湧かないというのは、かなり不安なものだということが分かった。
「わしは考古学にはあまり興味がなかったから詳しくは知らんが、メートル原器はその後の調査隊により、発見されたはずじゃ」
「最初の流人は、始祖大陸に転移したのかも知れませんね。少なくとも、アラトに足跡を残した最初の流人は始祖大陸に現れたはずです」
「じゃろうな」
どんな人間だったのか、ヒロトには想像も付かないが、少なくとも、メートル原器を作ったのは、地球人で間違いない。伝説よりも古い時代の話は、ヒロトに大いなるロマンを感じさせた。
「いつか行ってみたいものです、始祖大陸に」
「行けるさ、お主ならどこへでも」
「そうでしょうか」
「そうだとも」
間髪入れずに肯定するエンゾ。
ヒロトは泣きそうな気分になっていた。根拠のない信頼が、有難くて、有難くて。
「町では服から靴まで全部揃えると良い。少なくとも、靴はすぐに買い換えるべきじゃ。ちょっと勿体無いがの」
「確かにそうですね」
転移した時、その時着ていた冬用のジャケットはなかった。シャツは大きく穴が開いており、使い物にならないので捨てるしかなかった。エンゾは腕の部分などを切り取って保存している。暇な時にでも、織り方を研究したいとのこと。
紺色の綿パンは血だらけで、色的に汚れが目立たないのは良いが、生地の目が細かすぎる為、エンゾの意見としては避けた方が良いだろうとのこと。
靴は完全にNGが出た。材料も製造方法も全く不明で、目聡い人間が見つけた場合、間違いなく厄介なことになると。
「ついでに、金も渡しておこう。好きに使うと良い。ただし、お主の財布は使うなよ」
「ありがとうございます」
硬貨ばかりの小袋は、ズシリと重い。不換紙幣とは、便利なものだったんだなぁ、とヒロトは実感した。もっとも、マギバッグを渡されているので、腰が小袋の重みで引っ張られたり、歩くたびにジャラジャラ煩いなんてことはない。
「これを。サイズは合ってないだろうが、町まではこの靴で我慢しなさい」
ひとまず、ヒロトは自分の靴はマギバッグに入れた。300kgまで入るなら、大抵のものは入るはずである。
「では、行くか」
異世界転移二日目にして、初の移動であった。
街道に出るまでは、山道が続くが、気分はハイキングである。
街道に出てからは、街道沿いに広がる春小麦の植えられた畑や、荒れ地でさえ、ヒロトを楽しい気分にさせた。空気の旨さが尋常ではなかった。
街道の先には、ヒロトの大いなる未来が広がっているようにすら、錯覚した。
◇◆◆◆◇
それまで順調な行程だったが、街道沿いにあった、廃屋のような建物から、四人組がフラリと出てきた。
「爺さん、ちょっと待ちな」
ずっと見ていたのだろう。獣人族が二人に人族が二人。何ともガラが悪い。街道を行く旅人を襲う盗賊だろう。切れ味の悪そうな剣を、「ククク」と笑いながら、これ見よがしに見せ付けてくる。
「(あれが獣人族か。人と獣の割合は、人の方が多いか。『獣の特徴が出ている人』ってイメージだな。少なくとも、『人の特徴が出た獣』ではない)」
「待てって言ってんだろ!」
エンゾが無視しているので、ヒロトも無視していた。それが異世界のルールなのだろうかと思っていたが、盗賊たちにすれば、そうではなかったらしい。
「わしか?」
「腰のバッグ、そいつを置いて行きな」
なるほど、盗賊の狙いはマギバッグであった。
ヒロトでさえ、容量300kgのマギバッグの価値は一瞬で理解出来るレベルである。盗賊からすれば、涎もののお宝であろう。
ヒロトのバッグもマギバッグだが、煤けているので、そうとは思えなかったのかもしれない。良く見れば、エンゾのマギバッグは、細工からして、高級品の雰囲気が漂っている。
異世界転移二日目にして、やっと、テンプレイベント発生であった。ヒロト一人であったら、間違いなくあの世行きであったが、隣にはエンゾがいる。
こんな時でも、バックグラウンドで魔力の集中と霧散を繰り返しているのは、馬鹿正直に過ぎるか。
「ヒロト、追いはぎじゃ」
見れば分かる。
言われる前から、ヒロトは四人組からジリジリと距離を広げている。君子危うきに近寄らず、である。
テンプレイベントではあったが、エンゾがいるので、些か緊迫感に欠ける。それでも、刃物を持った4人組は、エンゾ一人には、なかなかの強敵ではなかろうか。
「どうしますか?」
ドッドッドッドッ
「こうする」
応える前に、既に石弾は放たれていた。
「(圧倒的じゃないか、我が軍は!)」
エンゾの攻撃は、速い上に、一切の躊躇もなかった。あっと言う間すらなく、四人組を倒してしまった。何ともあっけないイベントであった。
確信出来たのは、エンゾの戦闘力である。
まさに圧倒的。
本人自称の「大魔導師」という二つ名からも、相当な腕だとは予想していたが、それ以上であった。
しかし、ヒロトが最も注目したいのは、覚悟の部分だ。
強さを見せ付けることで、相手の意思を挫こうとか、そういった敵の良心に期待するような甘さが一切ない。ここで四人組を見逃せば、いつか、他の誰かが犠牲になるからだろうか。
「(強き者には責任があるということか)」
などと、これまたテンプレの「ノブリスオブリージュ」をヒロトは垣間見た気がした。人に害を為す四人組もまた、害を為す者としての責任を取ったのだ。
「『石弾』じゃ。便利じゃから、明日にでも教えよう」
エンゾは、すぐに町へ向かって歩き出した。傲岸とか、不遜といったことではなく、盗賊に対して、本当に何の興味もないという感じである。むしろ、『石弾』という技をヒロトに伝えることの方が重要なようであった。
「……あの、彼らはどうなったのでしょうか」
「死んだに決まっておる。わしの石弾の狙いは正確無比よ。全てを灰にしても良かったんじゃが、百姓たちへの置き土産じゃ」
「そう、ですか……」
軽い。
人の命が軽すぎると、ヒロトは思った。いくら悪人とは言え、その命の軽さは、尋常ではない。いっそ清清しいほどであった。
また、四人組に同情するつもりはないが、彼らの死によって、『私刑』が許容される世界だということも分かった。
「驚いたか?」
「ちょっと。ただ、私刑に対しての罰則のようなものは無いのでしょうか」
「手配犯や賞金首でないなら、普通は問題になる。表向き、ユリジア王国に住まう住民は全てユリジア国王に帰属することになっておるからな。勝手にユリジア国王のものに手を出すな、という理屈じゃな。ここタレス伯爵領でも同じじゃ」
「例えば、先ほどの四人組を殺した場面を、誰かが見ていたとして、問題になるでしょうか」
「ならん。わしはアラト一の大魔導師である上に、S級冒険者でもある。S級冒険者は一代男爵と同じ権威を持っておる。盗賊四人をどうしようが、鼻クソほどの問題にもならんの」
「……くふふ。やはり冒険者、ありましたか」
冒険者がいるということは、冒険者ギルドもあるということだ。もちろん、そんな保証はどこにもないが、冒険者ギルドは存在し、受付嬢がいて、依頼があって、魔物がいて、迷宮があって、パーティーがあって、クランがある。もはやヒロトにとって、テンプレを超えて、確定事項であった。
「何じゃ、冒険者ごときに興味があったのか?」
顎ヒゲをしごきながら、エンゾが尋ねる。「冒険者」に対する、ヒロトの並々ならぬ興味を感じたからだろう。
「そりゃ、冒険者は地球人にとっての夢ですからね」
「地球人は下らんものに興味があるんじゃのぅ。そう言えば、アキバのユウキもキャリアの最初は冒険者であったか。ただ、冒険者ギルドで依頼を受ければ金になるが、順番を間違えるなよ」
「順番とは?」
「依頼を受けて魔物や盗賊を討伐した結果、魔術のレベルが上がる。しかし、これは時間の無駄じゃ。お主が目指すは『大魔導師』よ。魔術の訓練の結果、魔物や盗賊を討伐して、金にせよ」
一理ある。つまり、依頼の為に割く時間があるなら、魔術の訓練をしろと。魔術の訓練の為に、迷宮にこもって魔物を狩れと。依頼の為に人を殺すのではなく、人を殺す為に依頼を受けろと。
その結果、金になるなら良い。しかし、目先の金の為に、依頼を受けるような、無駄な時間は過ごすな、という話だろう。
ヒロトは「効率厨か…」と内心笑ってしまったが、望むところでもあった。ヒロトは(ゲーム内限定で)根っからの効率厨であったからだ。
いつの間にか『大魔導師』を目指すことになっている件も、特に異論はない。
「なるほど。人族は寿命も短いですからね。ちなみに、死体はあのままで良いのですか?」
ヒロトの脳内にあるテンプレによれば、死体を放置すると、アンデッドになって、周囲に害を与えるはずであった。
「一晩もあれば、野犬か魔物が綺麗に片付けてくれるわい」
「なるほど」
人が死んで、すぐにアンデッドになるわけではないようだ。
そもそも、町から帰る頃には、死体はどこかに消えているだろうとのこと。装備や持ち物を放置しておけば、近隣の百姓が喜んで片付けてくれるらしい。
ヒロトは、アラト人の逞しさに、唸るのみであった。
「(何かこう、即物的というか、殺伐としているな……)」
「お主もいずれ殺すようになる。慣れておくことじゃ」
「そうします」
ちなみに、ヒロト的には、人が目の前で死ぬことに、特に感慨はなかった。
間近で血や内臓の臭いを嗅げば、吐き気の一つくらい催すだろうが、今回は急所を石弾4発。「人は簡単に死ぬ」程度にしか感じなかった。自分の腹をH鋼が貫通し、内臓をブチ撒けたシーンが、脳裏に焼き付いているからだろうか。あれに比べれば、大抵の死体は綺麗なものであった。
「そう言えば、忘れておった。『登録』の用意は良いか?」
「お願いします」
ヒロトはすぐにブレピーの電源を入れる。アラトの基本情報を教えてもらう約束だったのだ。
「まず、今日はコーカ暦1814年6月11日。ヒロトがアラトに来たのは6月10日ということになるの」
「それなら、私の誕生日は6月10日とします」
ヒロトはブレピーに自分の誕生日登録をした。
「それは良いかも知れんな」
その後、町までの間、エンゾは様々なアラトの一般常識を、ヒロトに語って聞かせた。
この国はマレ大陸にある、ユリジア王国。建国は1480年。建国者はバックス・ユリジア。19代目現国王の名前はコパン・ユリジア。
そして、ここはユリジア王国タレス伯爵領。エンゾが住む周辺一帯の森は、エンゾが生きている限り、全てエンゾの土地である。一応、行政上では、レナク村に属してはいるが、広さから言って、村の規模ではない。100年以上も前に、戦争の論功行賞で、当時のユリジア国王より、分取ったとのこと。
現在、レナク村を越えた先にある、ホラントの町に向かって歩いている。ホラントの人口は15000人ほど。
「(タレス領内の街道の地図も欲しいな)」
一年は1月から13月までの13ヶ月。370日か371日。毎月30日で、13月だけが年によって10日か11日。他月に比べて短くなっている。13月の10日間は、基本的には安息月で、年越しの儀や、祭り、越冬の準備などが行なわれる。
エンゾはアラト、特にユリジア王国の一般常識を語りながらも、ヒロトの様子をチラチラと見ていた。
「(ぶれぴーに記録しながら、魔力の集中と霧散を続けておるのか……何とも器用なことよ)」
確かに、エンゾとしては、「魔力の集中と霧散に慣れるまでは、暇を見つけて繰り返しなさい」と言った。しかし、それは食事の後や、寝る前の時間など、「暇」な時にやれと言ったのだ。何かをやっている時、話している時に常に繰り返せと言った覚えはなかった。
ヒロトとしては、心臓が自然に血を全身に送るように、肺が自然に空気を吸うように、意識せずに魔力を集中、霧散することを目指している。
1個の魔細胞がヘソの奥で、2の35乗、つまり、およそ343億まで増殖するイメージを出来るだけ正確に、速く行なっている。体内の魔力だけでは効率が悪いので、全身で呼吸するように、体外魔力を吸い込むイメージも併用している。
自然に、あくまで日常生活のバックグラウンドで繰り返すのだ。この単純作業を、なるべく少ないリソースで行なえるように。
常に繰り返していると、筋トレと同じく、全身が疲れそうだが、体外魔力を吸い込むイメージを併用すると、疲れにくいことも分かった。
ヒロトはマルチタスク的な行動が出来るほど器用ではない。その為、あくまでも、バックグラウンドという意識は忘れないようにしている。人が意識せずに呼吸が出来るように、魔力を自然に操作したいと考えていた。
偉大なテンプレ主人公たちは、限界まで魔力を使い、体内魔力を空にすることで、魔力容量の底上げを行なっていた。
しかし、ヒロトはそのイメージは却下した。
それは、筋トレでバルクアップするのと同じだからだ。筋繊維の超回復を利用したバルクアップは、確かに効果はある。しかし、効率の面、限界値的な面ではどうかと考えたのだ。
魔力なんて不思議物質を、筋肉のバルクアップの仕組みを流用して増やそうなんて、非効率だし、本末転倒に思えたのだ。
無限の可能性がある不思議物質を、どうして地球の常識でもって、限界を決めなくてはならないのかと。
そこで、数学的な、無限級数的に増殖するイメージを採用した。当然、体内魔力なんてすぐに足りなくなる。そこで、高速で、体外魔力を吸収するのだ。
水鉄砲に例えるなら、タンクの容量を大きくするのではなく、いっそ、水源と水鉄砲をホースで繋いでしまえ、というイメージだ。
つまり、ヒロトが考える魔力操作の肝は、体外魔力を集める速度にある。これが遅いと、使用する魔力に追いつかず、元々容量が大きいわけではないので、魔力枯渇に陥るだろう。
しかし、もし、無限に存在する体外魔力を、高速で集めることが可能なら――。
「(師匠の技は全て吸収するつもりだけど、それだけじゃ、芸がないよな)」
ヒロトが目指す未来は、無限の魔力を使用した先にあった。
「ホラントの町じゃ」
城塞都市ではないので、高い壁がそびえている、なんてことはない。幅広の道路を、役人らしき男が複数人で検問しているだけである。
「入管税みたいなものはありますか?」
町の門の入り口では、人が並んでおり、門兵が忙しく対応していた。役人が並んだ者たちを、二手に分けている。一方は、どんどん通過して、町に入って行くので、町の住人と、外部からの一時入町者を分けているのだろう。
「ある。ヒロトは身分証を持たぬゆえ、今回は仕方ないの」
「やはり、冒険者ギルドで身分証を発行してもらいますか?」
「魔術師ギルドでも、どちらでも良いぞ。将来国に仕えたいと思うなら、魔術師ギルドでコネを作る方が良いか」
身分証を発行出来るということは、つまり、ギルドは個人ギルドが大型化した企業体ではなく、公的機関だということだ。元は個人のパーティーが巨大化していった結果なのかも知れないが、少なくとも現状は大企業というよりは、役所の地域課とハロワを兼ねたような存在だろう。ヒロトはそう判断した。
「では、冒険者ギルドでお願いします」
「ふわはは。地球人は冒険者ギルドに何を期待しておるのやら。奇妙なことよのぅ」
公的機関なら、ヒロトとしても全く問題はない。どの道、身分証は必要だし、税金もどこかで払わなくてはならない。
ちなみに、冒険者ギルド機構は正確には、公的機関ではない。
ヒロトは入管業務がある為、公的機関と判断したようだが、冒険者ギルド機構は世界的な多国籍企業のようなものである。一部、国の行政業務を代行しているだけの、れっきとした独立した機関だ。
「ようこそホラントへ。外国人は身分証を。無ければ、入町税として銀貨一枚お願いします」
※銅貨=約10円(=一セラ)
※大銅貨=約100円(=10セラ)
※銀貨=約1000円(=100セラ)
※大銀貨=約10000円(=1000セラ)
※金貨=約10万円(=10000セラ)
※白金貨=約100万円(=10万セラ)
ヒロトはエンゾより渡された小袋から、銀貨を一枚取り出し、門兵に手渡した。すると、替わりに、番号と日付と領主の印が押されたカードのようなものを渡された。これが入町切符なのだろう。
期間によって、入町税は違う。町に長く留まるなら、その分高くなる。もちろん、長期割引はあるが。
今回は、冒険者ギルドで身分証を発行する予定なので、一日入場切符で十分というわけだ。
「ギルドで身分証を作れば、次からは入町税は必要なくなる。まぁ、その分、ホラントで稼いだ分には、税金が掛かるがの」
「税金は申告制ですか?」
「いや、商売なら土地に掛かるし、ギルド利用なら、依頼料から10%が天引きされる。ホラント外から来た行商人は入町税が実質の税金になる。取りっぱぐれが無いようにじゃな」
つまり、一日で大銀貨=約一万円を稼げる行商人なら、一日入場切符=千円は10%に相当するということか。
「行商人はともかく、ギルドで稼いで、税金はたったの10%なんですか?」
「教会税が5%、ギルドの手数料が10%、全部で25%じゃな。戦争や災害などがあると、最高5%まで臨時徴収されるから、最大で30%かの」
「それでも安いっ!」
短期滞在に比べて一気に税金が高くなったが、その分、各種権利や自由度が増すのだろう。
金を稼ぐよりも、使う方が多い旅行者などの外国人短期滞在者から、税金を多く取るのは非効率だ。tax freeとまでは行かなくとも、税金の分を町で使って貰う方が、町の活性化にも繋がるし、経済効果は高い。
ヒロトは「教会税」の存在が気になった。日本には無かったものだからだ。個人から税金として徴収するのなら、それは義務である。信教の自由はないと思った方が良いだろう。
社会保障やセーフティネット的な意味合いもあるのかも知れない。普通に考えて、源泉で5%の教会税は、額として巨大過ぎるからだ。人口15000人、労働人口10000人とすると、平均年収300万円と仮定しても、教会税だけで15億円にもなる。どういう組織なのか、エンゾ邸に帰ってから、ゆっくり話を聞くことにした。
「地球人は一体、いくらくらい税金を取られておるんじゃ?」
「日本の場合ですが、私は健康保険も含めた社会保障費として、およそ50%払っていました」
「なっ、むちゃくちゃではないか! それで、どうやって暮らすのじゃ!?」
「――そうですね……、暮らせません」
ゲーム用のVRMMOスーツのローンがあったとは言え、実際のところ、ヒロトはギリギリの生活をしていた。会社をクビになったり、大きな怪我でもすれば、医療費は保険で安く抑えられたとしても、個人負担は四割だ。その間の収入はない。失業保険の基本日当の計算方法も、財源の問題で、年々厳しくなってきている。即座に――というより、既に詰んでいたのかも知れない。
「何がむちゃくちゃなの?」
「あ、いや、こっちの話じゃ」
突然、店のドアが開き、中から綺麗な女性が話し掛けて来た。看板を見れば、字こそ読めないが、可愛い絵が描いてあり、目当てのパン屋で間違いはなさそうであった。
エンゾとヒロトの二人は店内に入る。ドアベルがカランコロンと心地の良い音を鳴らす。
「いらっしゃい。そろそろ来る頃だと思ってたわ」
「ああ、いつものパンを20個ほど頼むよ」
エンゾが「いつものパン」と言った瞬間、ヒロトはやるべきことを思い出した。黒パンをどうにかしなくてはならなかったのだ。
もちろん、黒パンについては、ヒロトの腕輪型タブレットPC内にある、DL済みワドスにて予習済みである。
「あら、こちらの方は初めてね」
「先日より、エンゾ師匠の弟子になったヒロト・コガと申します。今後ともよろしくお願いします」
エンゾが『大魔導師』だと言うのなら、弟子の下手な挨拶で、師匠に恥をかかせるわけにはいかないと、ヒロトは予め用意しておいた無難な挨拶をする。
「あら、魔術師の卵さん。ようこそ、パン屋の『ルーヴェン・ナリス』へ。私が『看板娘』のメロ・ナリスよ」
「どっ、どうも」
微妙であった。
30代前半だろう。ヒロトから見れば、メロは十分若いし、美人だし、看板娘と言い張るなら、それはそれで許される範囲である。しかし、そこはかとなく漂う人妻感がある。「看板娘」という言葉が相応しいか否かは、激しい議論が必要となるだろう。
「フローラ・ナリス、私が本当の『看板娘』よ。いらっしゃい」
カウンターに頬杖をついた14~15歳の少女が不機嫌そうに挨拶してきた。
『看板娘』という言葉には、ヒロトが知る意味とは別の意味があるのだろうか。二人の美女の視線が、ヒロトに対応を迫る。
この町の商店では、「看板娘」は単なる売り子というだけではなく、人気投票的な、特殊な意味があるのかも知れない。言葉は通じても、文化や流行については、転移して、実質一日目のヒロトにはハードルが高い。
日本の江戸時代には、『看板娘番付』なるランキング表が瓦版として配られていたらしい。当時、100万都市であった江戸では、飲食店や商店も多かった。自然と、同じメニュー、同じ商品を扱った店も多くなる。そこで、店側は看板娘を使って、他店との差別化を図っていたそうだ。
二人は良く似ていた。
なるほど、先のメロは母親であったかとヒロトは納得する。機嫌の悪そうなフローラも、母親に似て、美形である。
「あの、私が『看板娘』のフローラ・ナリスなんだけど」
「え? はぁ」
ここは一体、どういう店なのか。どう反応して良いのか、ヒロトには全く分からず、混乱するばかりである。大きなバケット類が山積みになっているし、パンを焼いた時の良い匂いもする。パン屋で間違いないはずだ。それにしても、なぜ『看板娘』に、母娘して拘るのか、ヒロトにはその意味がわからない。
「(もしかして風俗店的な……?)」
「ちょっと、母さん、この人、何か気持ち悪いよ」
「なっ! し、師匠、ここは一体何の店ですか?」
確かにヒロトは若返ったとは言え、ルックスは日本人。いわゆる、「平たい顔族」である。しかし、いくら何でも、気持ち悪いはないだろうと思う。まさか、如何わしい店を想像したのが表情に出たわけでもあるまいと。
「パン屋じゃのぅ」
しかし、そこでヒロトは思い出した。
偉大なテンプレを。
かつて、テンプレ主人公たちは、なぜか黒目黒髪をルックス面での武器にしていた気がする。あれは一体、どういう意図があったのだろうか。
黒目黒髪が価値を持つ世界。
ヒロトはその可能性に賭けた。
ヒロトはホラントの町に入ってから、行き交う人たちのルックスを必死で思い出す。そして、すぐに怒涛のような悔悟の念がヒロトに押し寄せた。
つまり、ヒロトは初めて見るはずの「ただの通行人」を観察していなかったのだ。種族も、性別も、職業も、何も思い出せない。
通行人がどんな目の色、髪の色をしていたか思い出せないのだ。
思い出せるわけが無い。目が開いているだけで、見ていなかったのだから。バックグラウンドでの魔力の集中&開放を意識しながら、ただ、エンゾの横を歩いていただけである。
油断。
これには、ヒロトも流石に本格的にマズいと感じた。
ヒロトは日本に住んでいた時、行き交う人たちのルックスやファッションなど、気にしたこともなかった。どこまで行っても、彼らとは他人だからだ。
しかし、その生き方は間違っていたはずだ。
後悔していたはずだ。
行き交う人たちは、他人ではあっても、NPCではないのだ。それぞれに背景があり、人生があり、思惑がある。何かの拍子に、ヒロトと関わり、人生を変える出会いになるかも知れない。他人とはそういう存在なのだ。
ヒロトはもう一度、メロ、フローラ、そして、店内を、決意を新たに観察する。
メロは30代前半の子持ち。胸が大きく、色っぽい。メロを目当てにパンを買いに来る人も多いだろう。最初に、『看板娘』を自称した時には、言外に冗談だと匂わせつつも、自分のルックスに対する自信が伺えた。いわゆる、若い頃はブイブイ言わせていたタイプと見た。
フローラは15歳くらいだろうか。生意気盛りだが、自称『看板娘』の名に恥じない、正真正銘の美少女だ。細い金糸のような髪をアップで纏めている。その髪を隠すように巻いたバンダナが可愛らしい。貴族的な高貴さはないが、同年代男子の人気は高いと思われる。
最初の不機嫌そうなポーズは、反抗期だけが理由ではなく、似ている母親と比べられることに、嫌気がさしている証拠だ。しかし、同時に客の人気で負けるのは我慢できないという、負けん気の強さもある。
37歳のヒロトにとって、美少女というだけで、心惹かれるということはない。しかし、公平に見て、美少女である以上、軽口の一つも言えないようでは、この先が思いやられる。
殴り合いや殺し合いだけが対決の本質ではない。人と関わり、自分をぶつけることが対決なのだ。そして、人生においては、対決を避けると、必ず後悔することになるのだ。
今のヒロトに必要なのは、『蛮勇』であった。
艶っぽい経験など、ヒロトの過去には一度もなかった。しかし、ここは異世界、歳は17歳。特に構える必要などないなのら、掛ける言葉の一つくらいはあるはずである。
「おや、良く見れば、実に綺麗な『看板娘』だ」
「あ、父さん」
焼きたてのパンを、巨大なヘラのようなものに乗せた男が、店の奥から出てきた。出来立てのパンを並べるのだろう。
ヒロトが自らのカラカラの雑巾のような半生を顧みて、そこから必死で搾り出した軽口は、ヒロトのバックグラウンドの魔力と同じように霧散した。
ヒロトの異世界初戦は、試合に勝って、勝負に負けたといったところか。