第40話 「ケイン」
ひとまずはライリーとエイミィの研修が修了した。
もちろん、これで全て大丈夫、というわけではなく、さしあたってやるべきことの説明が済んだ、ということ。実際に店がオープンすれば、仕事は増えこそすれ、減ることはないだろう。
予想外のことも起きるだろうし、ミスや事故も起きる。
仕事とはそういうものだ。
ヒロトはその点も忘れずに伝える。
ライリーとエイミィだけではなく、ケインとシュレイもヒロトの話を熱心に聞いている。
「さて、次はケインさんです。シュレイさんからこのメモを渡されたと思ってください。ケインさんは出勤すると、建物の周囲を確認した後、買出しに行ってもらいます」
ヒロトはケインにメモを渡す。
シュレイは自分の名前が出た為、横からメモを覗き込む。
「えっと、塩10kg、ラズヴェンオイル10kg、砂糖1kg、バター2kg、チーズ1kg、胡椒1kg、ケインさん、ライリー、エイミィ用のバンダナを2枚ずつ……」
ラズヴェンオイルとは、オリーブオイルと柑橘系のオイルを合わせたような食用油。動物系にはない爽やかな後味が残る為、口直しのスープ類に入れたり、パンに直接塗ったりする。魚料理にも欠かせない。また、臭いが残り易い、魔力抜きが必要な肉の調理にも使われる。
「このバンダナってのは……?」
「従業員の頭に巻くものですよ。食事に髪の毛が入ったりしたら、衛生的じゃないですし、客は嫌な気分になるでしょう?」
飲食店で働く獣人族が少ない理由の一つだ。
髪の毛というよりは、毛。季節の変わり目にはゴッソリと抜ける為、獣人族は日に何度もブラッシングをするという。なかなかに難儀な種族特性である。
特に虎種であるケインは店がオープンすれば、ブラッシングとシャワーは欠かせないものとなるだろう。
シュレイには特注の厨房服を用意したが、ホールスタッフの制服はまだである。一応、予定はあるのだが、オープンには間に合いそうもない。そこで、頭にバンダナを巻いて、統一性を高めようという作戦だ。
地竜の肉を出すと言っても、ヒロトは『シュバイツ大森林亭』を気取った店にする予定はない。いっそ、将来的にはステーキ専門店にしようかとさえ考えている。清潔な服なら問題ないだろう。
「ライリー――は良いとして、エイミィ、柄とか好みはあるか?」
「俺は良いのかよ!」
「「「ははははは」」」
ケインの軽口に、ライリーが律儀に反応する。
「まぁ、今日はケインさんの買出しのついでです。オープンまで数日ありますので、各自、好みの柄を何枚か用意しておくと良いでしょう。その為の『二枚ずつ』です。汗もかくでしょうから、今後、替えも必要になります。いずれにしても、とっとと買出しに行きましょう」
「私もついて行って良いでしょうか?」
シュレイは本来、町歩きが好きではない。
他人の視線が窮屈だし、品定めに立ち止まれば、店に迷惑を掛けると考えているからだ。
だが、それはヒロトと出会うまでの話。
今は、ヒロトが行くとこなら、どこにでも付いていきたいというのが本音だ。
「……今日は練習なので、大丈夫ですよ。私は午後はホラントに行くので、それほど時間は使えませんが。そうですね、朝の散歩というのも良いでしょう。これはケインさんに渡しておきます。マギバッグです」
一瞬の間があったが、ヒロトはすぐに了承した。
「ありがとうございます。メモを見たところ、運ぶには背負子が必要かと思っていましたが、マギバッグがあれば問題ありません」
「このバッグは店用に置いていこうと思っています。ケインさんは使い終わったら、シュレイさんに渡して下さい。シュレイさんには弁当を作った後、マギバッグを使ってもらいます。容量は約300kg。便利なので、どんどん使ってくれて構いませんが、一応、出し入れに魔力が必要なので、無理はしないで下さい」
そして、ヒロトは重要なことを忘れていたことに気付く。
「あと、シュレイさん、定休日なんですが、週1で固定にしたいと思います。どの日が良いでしょうか? その辺りのことに、ちょっと疎くて」
「店構えの食べ物屋は『にはち』、つまり、2、8、14、20、26日が良いとされています。冒険者や日雇いの人たちも、大体その日に休むことが多いようです。もっとも、週1ではなく、普通は月2が精々ですが」
日本では飲食店は水曜定休日、床屋は月曜定休日が多い。もちろん、全体では日祝日を休みにするか、いっそ年中無休の店が一番多いだろうが、アラトでも似たような習慣があるらしい。
ちなみに、アラトのコーカ暦は一週間は六日で、月は五週30日、六曜制だ。アラトに惑星や神話の神の名が付いた曜日はない。単純に、1、7、13日~は『一曜日』、2、8、14日~は『二曜日』と続く。
「では、『にはち』を定休日にします。遊びに行くも良し、一日中寝ているも良し、好きに過ごしてください。その分、前日はきちんと後片付けをお願いします。最初の休日は26日ということになりますね」
「週一で休み……」
ライリーの表情が曇ったのは、週一の休みは多すぎると思ったからだ。稼ぎが少なくなることを懸念したのだ。
アラトの労働慣習は、2031年の地球のように休日は多くない。冒険者や日雇い労働者など、好きに休日を設定できる者を除けば、月一日か二日程度の休日が一般的だ。
その代わり、電気がない(魔道具の『ライト』はあるが)為、一日の労働時間は短い。
「あれは朝市です。この時期なら朝の10時くらいまでやっているようです。夏はもっと早く店仕舞いするようですが」
人通りが多くなり、露店や、道路まで張り出した店構えの商店が広がる様子は壮観だ。小さな商店ばかりなので、その日仕入れた物が売切れれば、彼らはすぐに店仕舞いをする。
時間は朝9時を過ぎている。生鮮品が売れ残ったら大変だと、売り子が声を枯らして商品の宣伝をしている。
「野菜や肉などの生鮮品以外は大丈夫でしょう。乾物系は夕方までやっています。油や調味料の類は基本的にここで仕入れれば問題ないと思います」
「ケインさん、安いに越したことはないのですが、質の悪いものは困ります。安くて質の悪いものを買うくらいなら、高くても質の良いものをお願いします」
「分かりました」
「あと、値切り交渉なども、無駄に時間を費やすくらいなら、短時間で切り上げて、店の方を優先してください。基本的に毎日のように通うことになるわけですから、時々、激安で仕入れることよりも、値引率は低くても、一定以上の質を安定して仕入れることを心掛けてください」
「なるほど、勉強になります……」
「まぁ、今後、店の経営が安定すれば、ランチ以外も考えていますが、今のところ、11時~14時のランチタイムのみの予定です。14時ラストオーダーで、早ければ15時には戸締りをして帰れると思いますよ」
「営業時間はたった3時間ですか……」
ケインの呟きに、再びライリーの表情が曇る。ライリーとエイミィは7時出勤なので、15時終業なら、一日の拘束時間は8時間になる。「たった」と言うほど短くはないのだが、賃金のことが気になるのだろう。
「はい、しばらくはそのつもりです。塩、砂糖、胡椒、オイルはここで買いましょうか。ケインさん、どれを買えば良いか、シュレイさんと相談して決めてください。シュレイさんには、質のアドバイスもお願いします」
結局、ラズヴェンオイルと胡椒は高級品、塩、砂糖は中級品を購入した。ヒロトのレシピがあれば、塩、砂糖は何を使っても、十分に質の高い料理になるとのこと。オイルは誤魔化しが効かないので、高級品となった。
「さて、給与なんですが、ライリーとエイミィは日当月給。ライリーは日当400セラ、エイミィは日当350セラだ」
「住み込み、食事、風呂が付いて月給1万セラ?! そんなに貰っ――いや、一生懸命働かせて頂きます」
ライリーの驚きはもっともだ。
一般的に月25日勤務で1万セラ(約10万円)の月給は決して多くはないが、ライリーとエイミィは住み込みだ。宿や食事など福利厚生面も考慮すべきだろう。しかも働くのが13歳と11歳、成人(=16歳)未満の子供という点を鑑みれば、破格の待遇である。
「なかなか計算が速いじゃないか、ライリー。いずれ会計も覚えてもらおうか。その時はちゃんと手当ても付けよう。ケインさんは日当600セラと危険手当、住宅補助。住宅補助は家賃の半額。あまり高い家賃は困りますので、常識的な範囲でお願いします。危険手当については、あとで別途説明します」
「アパートは俺とお袋だけなんで、安い賃貸で構いません。それより、半分も補助してもらって良いんでしょうか?」
「構いませんよ。それより、ケインさんのお母さんの件ですが、どんな状態なんでしょうか」
「右足の膝から下が無いんです。足が利かないんで、座って出来る内職くらいしか役に立ちそうもありません。義足は昔、付けた場所の肉が腐ったとかで、嫌がりまして」
「肉が腐った?」
「はい。『腐肉病』ではないんですが、やはり、接続部分がこすれて痛いらしくて。我慢して使っていたら、傷口が膿んで、それ以来、義足は真っ平御免と広言してます」
ヒロトは一瞬『腐肉病』が頭に浮かんだが、関係なかったようだ。足は体重のかかる部位だけに、肉がこすれて傷になりやすいのだろう。
「元々あった足なら、いつか生やせる魔術を開発したいところですが、今、スケジュールが立て込んでいて、なかなか時間が取れそうにありません」
「生やすて……」
ケインは小さく呟いたが、前日のことを思い出し、考えを改める。
この魔術師は、自分たちの目の前で『転移』などと言う、御伽噺の世界の魔術を実際にやって見せたではないかと。
しかも、今の口振り。
まるで、時間さえあれば、足を生やす魔術を開発できるみたいな言い方である。
「(ヒロトさんならあり得る。少なくとも、ヒロトさん本人は『絶対に無理』とは欠片も考えちゃいない。だったら、失った足を生やすくらい……)」
ケインは特に母親の足を何とかしてやりたい、とは思っていない。本人は何とかしたいようだが、実際問題、義足が嫌だと言うのなら、ケインに出来ることなどない。
縫い物などの内職で最低限の食べる分は稼いでいる以上、それが母の生き方だと考えるに留まっている。
だが、期待してしまう。
足を生やすことと、『転移』、どちらが困難な魔術かと問われれば、100人が100人、『転移』だと答えるだろう。
現実的な問題として、四肢欠損を治す回復魔術は存在しない。
だが、ケインとて想像は出来るのだ。
凄い回復魔術師がいれば、四肢欠損も治すのではないかと。
四肢欠損は無理でも、抉れた肉程度ならハイヒールで十分に回復するからだ。
一方、『転移』はケインの想像を超えている。
離れた場所に瞬時に移動するなど、魔力がどう作用して発動しているのか、全く意味が分からない。まさに御伽噺の世界の魔術である。
その『転移』を使う魔術師が、時間さえあれば開発出来るような口振りなのだ。
ならば、出来るのだろう。
それがケインの結論であった。
もっとも、ヒロトの言葉通り、忙しいというのも理解できた。昨日の話では、店の周囲数ブロックの再開発を目指しているという。『シュバイツ大森林亭』のオープンは、その第一歩に過ぎないのだ。
その上、ハイデン・コークの話では、エンゾと共に、迷宮だ、戦争だと考えているらしい。
「(頭も相当デカい人物だと思ったが、ヒロトさんは確実にそれ以上だな。店の経営が第一歩だと言うのなら、俺としちゃぁ全力で働くだけだが、一体、どんな人生を歩めば、こんな妄想染みたことを実際にやる人間になれるんだ?)」
ケインの仕事は『シュバイツ大森林亭』の従業員としての仕事だが、用心棒としての仕事については、ヒロトからは別途説明があるらしいし、ハイデンからも強く言われている。
ケインの仕事は、シュレイの安全を守ることなのだ。
ケイン自身、そのことを理解している。
正直、料理屋のコックごとき、安全も危険もない気がするのも事実だったが、何が起きるか分からない。
ヒロトの魔術師としての高みを知ってからは、尚更、その気持ちを強くしている。
「(自在に『転移』出来る魔術師の弱みがシュレイさんだと言うのなら、危険が及ぶ可能性は十分にある……)」
万が一にも、ケインの不手際でシュレイに危険が及ぶことがあってはならない。
シュレイが実際に被害をこうむれば、怒り狂ったヒロトが敵を殲滅するだろうが、その時、すでに自分の命はないだろうと考えている。
ハイデンの話では、100万発の石弾を、一瞬で展開させるという。
何だ、100万発という数字は。
ケインは最初、ハイデンからその話を聞いた時、即座に嘘だと思った。100万発という数字は、完全にケインの想像の外だったからだ。
戦場を蹂躙したことで有名な「礫平原」モリア・ベージュの石弾が数千発規模だったと聞いている。それが100万発? 魔力1で石弾1個作ったとしても、魔力容量は100万になる計算である。
あり得ない。
そう反論したハイデンに、ヒロトはこう嘯いたという。
『100万発を展開する武力をもって、100人を相手にするからこそ、安全に戦えるんじゃないですか』
ケインはいずれヒロトのいる場所が世界の中心になると予感している。
だからこそ、この仕事を引き受けたのだ。ハイデンに退職金を他のメンバーの倍用意されたからではない。ハイデンだって、同じように感じているからこそ、自分をシュレイの用心棒として付けたのだと。
「(期待されるのは悪い気分ではないな……)」
その後、バターとチーズを購入。
野菜や漬物なども適当に買い求め、屋台で買い食いしながら、一向は店に戻った。
「ライリーとエイミィは、昼食が出来るまで、店と店の周囲を注意して見回って来い。掃除する場所や、気になるところが見つかるはずだ。今は仕事中で、これも仕事の一環だ。集中してやれ」
「「はい」」
「シュレイさん、昼食をお願いします。私はケインさんと、買い忘れたものを買って来ます」
「?」
◇
何を買い忘れたのだろうかとケインは考えながらヒロトの後を付いてゆく。5分ほど通りを歩いたところで、ヒロトが立ち止まり、口を開いた。
「ケインさん、さっき、町を歩いている時、シュレイさんの安全を少しでも気にしましたか?」
「え?」
気にしていなかった。
自分の仕事はシュレイの安全を守ることなのに、考え事ばかりをして、シュレイのことはすっかりうわの空であった。
シュレイの安全を守ることを考えながら、シュレイの安全を全く気にしていないという体たらく。
ケインの顔から血の気が引く。
周囲の空気が明らかに重くなる。
「私は舐められているのでしょうか?」
「あぁ、いゃ、そうではな――ッッ!?」
背後から攻撃された。
ケインの耳を掠めたのだ。
それが石弾だということはすぐに理解できた。
ケインはすぐに振り返るが、背後はだたの塀だ。
誰かが潜んでいる様子は全くない。
それなら、撃ったのはヒロトか?
だが、ヒロトは目の前にいる。
どうして背後から石弾が?
「今の石弾は私が撃ったものですよ。ケインさんが今まで相手にした敵は、全員前からしか攻撃して来なかったのですか?」
「しか、し、背後からどうやって石弾を……」
「逆に、どうして、石弾は前からしか飛んでこないと思ったのですか? 背後から撃った方が確実でしょう」
「!」
もちろん、発動は前からの方が速い。しかし、時間があればどの方向からでも撃てる。魔力を伸ばして、そこを発動点にすれば良い。
相対した敵の後ろから撃つのは、自分の方向に向かって撃つわけだから、当然ながら抵抗はある。
しかし、敵という肉の壁があるのなら、また時間的余裕があるのなら、十分に考えられる攻撃手段だ。
「(いや、そういう意味じゃなく……)」
と言葉にしたつもりだったが、声にはなっていなかった。
実際には、酸素不足の魚のように口をパクパクさせていただけ。
ケインは相対するヒロトが、自分を挟んで離れた場所に魔術を展開する可能性を想定していなかったのだ。
その時、ケインの目の前を真上から石弾が通過し、足元に着弾した。
超高速で放たれた石弾がケインの前を通過したのは、時間にしてまさに一瞬。しかし、虎種であるケインの動体視力は石弾の弾道を正確に捉えていた。
「上から攻撃されない保証なんて、どこにもありませんよ?」
おっしゃる通り。
全身から冷たい汗が噴き出していた。
うなだれた視線の先には、地面を穿った石弾の痕跡が確認出来た。
身体が石化したようにピクリとも動かない。
まともにヒロトの顔を見られる状況ではなかった。
「シュレイさんと町を歩いていたんですよ? 私は周囲50m以上の索敵用結界を展開していました。人が多くて骨が折れましたがね」
「(周囲50m……)」
ケインは衝撃を受けていた。
普通に買い物や給与の話をしながら、そんな素振りは毛ほども見せずに、ヒロトはシュレイを護衛していたのだ。
「ケインさんの仕事は何でしたっけ? ここはユリジアで一番人口の多い王都ですよ。どこに敵が潜んでいるかも知れない町の中で、護衛対象の横で考え事? まさか、本気で買出しの練習だと思ったわけじゃないですよね?」
本気で買出しの練習だと思っていたのだ。
ケインはそれ以外、考えていなかった。
金額のことはそれほど気にしなくて良いと言われてからは、楽な仕事だとタカをくくり、ずっと考え事をしていたのだ。
子供の遣いじゃあるまいし、メモにあるものを買いに行く練習などと、どうして思い込んでしまったのか。
ケインは自身の間抜けさ加減に腹が立つ。
「お互い、ことの認識に微妙な齟齬があるような気がします。この辺で一度、確認しておきましょうか」
ケインは、殺されると思った。
「……は、ぃ」
「もしかして、ケインさんは私がシュレイさんを好き過ぎて、取り越し苦労をしているくらいに考えていませんか? たかが料理屋の女将に、一体、何の危険があるのかと」
ケインは即座に否定することが出来ない。当たらずも、遠からずであったからだ。
「私も、シュレイさんを好き過ぎるという点は否定しませんが、今後、本当に危険に晒される可能性があるのですよ、シュレイさんには。それくらい分かりますよね?」
理解している。
理解していたのに、行動できていなかった。
シュレイが、これほどの魔術師の唯一の弱みだと知られれば、ヒロト――あるいは『腕輪の魔術師』の敵に回る者なら、誰もがシュレイを的に掛けるだろう。
「今後、私は貴族だろうが、王族だろうが、敵は全て殲滅する予定です。戦争? 望むところです。正直、ユリジア王国に義理などありませんし、敵に回る組織があるのなら、盗賊だろうと、国だろうと、相手に不足はありません」
むちゃくちゃだ。
だが、当然、それも言葉にはならない。
もはや、目の前の魔術師が怖くて、顔を上げることはおろか、身動きすら出来ない。
「だから、ケインさんには集中していて欲しいのですよ。何も、就業時間以外にまでシュレイさんを守れとは言っていません。出来ればお願いしたいところですが、私がお願いしているのは、9時から、シュレイさんが店を出る17時頃までです。それとも、ケインさんには無理なのでしょうか?」
ランチタイムのラストオーダーが14時。簡単な掃除と後片付けをやって、ライリーとエイミィが上がるのが15時。シュレイが上がるのは会計処理などがある為、のんびり終業後のティーブレイクでも挟めば、16時から17時頃とヒロトは考えている。
「いっ、いぇ、全力を、尽くします……」
「全力を尽くすとは、目的を忘れて、護衛対象はうわの空で、考え事に更けることではないはずです。敵の中には、私より強いやつなんて、いくらでもいるんですよ? 撃った者が目の前にいるのに、誰に後ろから撃たれたか分からないなどと呆けているようでは、正直、話にも何もなりませんよ」
手厳しい。
手厳しいが、正論であった。
もちろん、ヒロトより強い敵がそうそういるわけはない。
それでも、ヒロトの留守中に、自分の目を掻い潜り、シュレイを襲う程度の者なら、いくらでもいるだろうとケインは考える。
そして、ケインはこうも考えていた。
これほど深く反省したのは、いつ以来かと。
確かにケインはハイデンの下で付き人兼用心棒をやっていた。だが、ヒロトがケインに求めているのは、それよりも遥かに高いレベルの要人警護だ。
ハイデンからいろいろと聞かされ、理解していたのに、その実、何も理解していなかった。
「(今、気付けて良かった……)」
つまり、理解しているのに、理解していない。
目的を忘れていないのに、目的を忘れている。
そういうあり得ないミスを自分は犯すのだと。
「今後、就業時間中は、集中してください。今日は出勤から開店準備までの従業員研修をしました。明日は11時から14時までの、ランチタイムの研修になります。では、店に戻って昼飯にしましょうか」
「は、ぃ……」
「シュレイさんの前で、あまり塞ぎ込まないで下さいね。就業時間中は元気にお願いします。一人でピリピリして周囲に緊張を撒き散らすなど、素人以下です。ちなみに、賃金は本日から日割りで発生。護衛期間は月25日。危険手当は月7万5000セラ。締めは月末、15日払いと考えています」
「承知、しました」
破格である。
日本円で75万円。通常勤務の日当600セラを合わせると、月収90万円になり、年収で1000万円を超える。D~C級冒険者と同じくらいだが、安定性を考えれば、日当3万円以上は魅力的――のはずだが、ケインは既にそんなことは考えられなくなっていた。
年収1000万以上が割高だと言えるのは、『腕輪の魔術師』が派手に活動を始めるまでの話だと理解したからだ。
『腕輪の魔術師』の名が売れれば、当然、敵も多くなるだろう。
金回りが良いと知れ渡れば、物盗りの類も出てくるはずだ。
果たして、『腕輪の魔術師』の敵に回るような連中に対し、自分の力は及ぶだろうか。
ケインは胃の辺りがチクリと痛むのを感じていた。
「(ちょっと、ネチネチ言い過ぎたかな……)」
ヒロトが考える本格就業開始はしていないが、賃金は本日より発生するよう考えている。
その為、良い機会だと思ったのだ。
ケインが「従業員研修」の意味を理解していないようだったので、少し苦言を呈したつもりだったが、ヒロトの予想以上に薬が効きすぎたようだ。
ヒロトとしても、日本において、そこまでの緊張を強いる仕事の経験などない。要人警護など、映画の世界の話だ。ゆえに、自身が未体験のことを他人に要求するのはおこがましいという自覚はある。
だが、シュレイの身の安全を守る為には譲れないこともある。
自分が好き勝手に暴れることと、シュレイを守ること。
それを両立させたいのだ。
それこそが、自分のような半端者を好いてくれるシュレイに対しての、せめてもの献身だと思えるからだ。
当然、今回のようにケインを始め、多くの者を巻き込んでいるのだが、それらは丸っと気にしていないヒロトであった。
こうして、従業員研修の一日目が終わった。
ヒロトの明日以降の予定は以下。
4月18日:ランチタイム研修
4月19日:閉店後研修と最終確認研修
4月20日:招待客を招いてのランチと反省会
4月21日:オープン初日と反省会
帰り道、ケインはヒロトの後姿を見ながら、決意を新たにしていた。
「(従業員研修は、ライリーやエイミィじゃなく、俺にこそ必要だったんだな。誰かを守るということは、盾になる覚悟をすることじゃない。護衛中は常に集中し続ける覚悟をすることだ)」
前を歩くヒロトは今も周囲数十mに結界を張っているのだろうか。
ケインはそんなことを考えていた。
もちろん、ヒロトは結界を張っていた。
ただし、周囲数m、道幅程度の範囲ではあったが。それも、索敵用結界を張りつつ、結界に触れた者を自動的に『鑑定』するという、新魔術の練習で。
ついでに、体内魔力を使っての、魔力容量アップ訓練も兼ねている。
「(悪くないな。ただ、ちょっと『鑑定』結果のログが流れるのが速過ぎる。長くやってると、頭痛がしそうだ。こりゃ、いよいよ神経系統――ようはあれだ、『並列思考』や『思考加速』系のスキルを身に付けないと駄目らしい)」
ヒロトはケインが後ろを歩いていることすら忘れていた。
ヒロトにとって、エンゾやソランを除けば、シュレイだけが「特別な」存在のようだ。




