幕間(8) 「暗い(と思っていた)自分」
シュレイさんがとんでもない爆弾をぶっ込んできた。
19の時に盗賊にレイプされた?
で、サリムはその時に出来た子だ?
何 だ そ れ は !
シュレイさんの心の傷を思うと胸が張り裂けそうだ。
そんな大事なことを、こんな頼りない俺に話してくれてまずは感謝だ。
だが、俺の怒りは一瞬で沸点に達し、脳の神経回路がいくつか焼き切れた。
俺の関心は一点のみ。
そ の 盗 賊 は 今 も 生 き て い る の か ?
「え、多分、生きていると思いますが……」
あぁ……、それはいけない。
それは許されることじゃない。
美の女神に対して、人の出来ることなど、献身を捧げることのみのはずだ。シュレイさんが喜んでくれることが、人々の幸せなのだ。それが人の道だろ。
それが、陵辱し、あまつさえ、今も生きているだと?
くそ、奥歯を噛み砕いてしまいそうだ。
拷問用――否、情報を聞き出す必要などない。対象に苦痛を与えることのみに特化した攻撃魔術――その開発を急がなくてはならない。
殺さずに長時間苦痛を与える為の魔術は、相当の想像力と技術を要するだろう。『転移』を開発した直後だというのに、我ながら忙しいことだ。
『迷宮巡り』は少しの間お預けだ。
師匠には謝らないといけない。
別行動になるのは仕方ないか。
何、すぐに見つけ出して、神罰対象者に地獄を見せたら、合流すれば良い。連絡さえ取れれば、俺の『転移』ですぐに合流できるはずだ。
すると、『通信』も必要になるな。
「私を犯した男はボーマンという名です。傭兵崩れの盗賊団で、頭はバッソ」
「あぁあああッッ!!!」
あ い つ ら か ! !
はぁ、はぁ……。
思わず叫んだ上に、テーブルを壊してしまった。上で寝ているライリーたちを起こしてしまったかも知れん。
どうすれば良い、古賀裕人改め、ヒロト・コガ。
シュレイさんに献上するやつらの死体すらないじゃないか。
いや、穢れた糞虫どもの死体でシュレイさんの宝石のような目を汚すのは望ましくない。
では、どうやって、シュレイさんの美に報いる?
考えろ俺!
何かないか?
対人戦闘は一撃必殺が理想だ。
だから俺は連中を結界で察知した後、射線が通るとすぐに射殺した。
鉄鋼弾で頭を吹っ飛ばしたが、それは恐らく死んだ後だろう。ボーマンなどは、心臓に到達した石弾によって即死のはず。
一撃必殺が薦められない、数少ないケースの一つということか。
こんな偶然、あり得るのか?
美の化身を汚した神罰対象者どもは、死んだことにすら気付かなかった可能性が高い。
とは言え、今更後悔しても、当時、何の情報もなかった俺に選択肢はあったのか?
シュレイさんの美に報いる手段が思いつかん。
「私もどうかしていました。サリムのことは言い訳で、ヒロト様に甘えてみたかっただけかも知れません」
何のことだろうか。
俺に甘えることと、俺にシュレイさんの悲しい過去を話すことに、何の関係があるんだ?
俺はシュレイさんに全てを――とまでは言わないけど、かなりのリソースを捧げるつもりの、一振りの剣だ。剣士じゃないけどな。だから、甘えるくらい、いくらでも甘えてくれて構わない。俺程度、好きに使ってくれれば良い。むしろ、ご褒美だ。
でも、俺にそんな資格はあるか?
いや、シュレイさん、目がマジだ。
本当に慰めて欲しいってことなのか?
こんな頼りない俺に、本気か?
取り返しようもない過去を、ただ慰めて欲しいと。
37年間、誰の役にも立たず、誰からも望まれず、まともな人間関係の一つも築けなかったこの俺に?
女とまともに話したことすらない俺が、甘えたいと思えるほど、シュレイさんには頼りになるように見えるのか?
「あっ! 思い出した!」
そうだ! 妹がいた! コロンというギルドの受付嬢だ!
あいつだ、あの女を――
――駄目だ。
もう手遅れだ。
ダグラスはとっくに処刑しているはずだ。
コロンが生きていれば、冒険者ギルドにとって、とんでもないスキャンダルになる。
生かしておく理由がない。
「そんなこと、もう、どうでも良いんですよ」
うぐぉおおっ
息が出来ん!
口が塞がれた上に、ベアハッグ状態。とにかく、気道を『強化』して、呼吸を確保だ。
くそ、このまま地下室で三――否、四回戦だったか、始めても良いんだが、ライリーたちが起きてきたようだな。
しかし、「どうでも良い」ってことは、やはり、本当に甘えていただけなんか?
トラウマであったことは事実だろうが、シュレイさんが今も元気に生きていることを鑑みれば、すでにトラウマは克服している可能性は高いのか。
セックスに関しても、ほんの一時間ほど前に、つつがなく取り行なわれた。あれは良いものだった。
今も俺にキスしたり、抱き締めたり、男に対する嫌悪感も無さそうに思える。
シュレイさんは既に救われているのか?
ならば、掛けるべき言葉は限られるな。
「過去に起きた事象は変えられませんが、その意味を変えることは出来ます。未来の分岐は無限だと私は信じています」
未来だ。
シュレイさんに生きた糞虫どもを献上出来ないのは無念の極みだが、それはもう過去だ。
俺たちには無限の未来がある。
地球にいた時、未来とは、ただ「明日」の意味だった。
だが、今は違う。
可能性――あるいは選択肢。
つまり、俺は選択することが出来る。
地球にいた時だって選択肢はあったはずだが、見えていなかったし、見えたとしても、行動はしなかったろう。
俺はそういう暗い男だった。
暗いとは、性格が暗いのではない。
未来が暗いのだ。
未来が暗いのは、何も見えていないから。
何も見えていないのは、光がないからだ。
その癖、俺は楽天家だった。
楽天家は明るいイメージがあるが、そうではない。単に、捨て鉢の人生を歩いていただけ――否、歩いてさえいなかったな。
ようは、何も考えていなかったのだ。
何も考えていないが故の、楽天家。
もっと言うなら、光のない暗闇で、楽天家を気取っていただけだ。
目を開ければ、光のない暗い未来に対する恐怖がストレスになる。
だから、目を閉じていた。
どちらも暗闇なのだから、同じようなものだが、ちょっと違う。自分の意思で目を閉じることで、何かを「選択したつもり」になっていただけ。
度し難い。
本当は暗闇が怖かっただけだ。
恐怖は行動を縛り、気力を奪う。
俺は弱いのだ。
弱いから、恐怖がそのまま行動を縛る「鎖」となった。
弱いから、鎖を断ち切ることが出来なかった。
結果、俺は暗い男になったのだ。
今でも、その本質は変わっていない。
アラトに来て、まだ1年足らずだからな。
人の性格なんて、そうそう変わらないよ。
でも、シュレイさんとなら、変われるような気がする。
いや、変わる必要なんてないのか。
恐怖で縛る鎖を断ち切るだけで良い。
自分を縛る鎖なんて、想像上にしか存在しない、ただのイメージの産物だ。
それ故、強固なんだが、シュレイさんの為になら、断ち切れる気がする。
俺は恐怖を克服することが出来る。
シュレイさんが慌しく朝食の支度をしている。
とても楽しそうだ。
日常の風景の中で躍動する美をただ目で追うだけで、俺の全身の鎖の強度が弱くなってきているのが分かる。
今なら、断ち切れそうだ。
魔力を知って、俺は自分の本質に気付いた。
俺が何者であるかということ。
上手く言葉では説明できないけどな。
だけど、それだけでは過去の自分を縛る鎖は断ち切れない。
鎖は過去を縛っているようで、実は未来を縛っている。過去の恐怖が、未来を縛っているんだ。
だから、鎖を断ち切ることは、無限の未来を手に入れること。
ははは。
俺を縛る鎖が見えるぞ。
何だこれは。
魔力とは、心を縛る鎖まで顕現させることが出来るのか?
こんな弱々しい細い鎖で、俺は縛られてたんか。
いや、そうじゃないな……。
細く、弱々しくなったんだ。
たった1年の間に。
鎖の輪に人差し指を掛けて、軽く引っ張ってみる。
本当に軽くて、細い鎖だ。
ピキンッ
何ともはや、簡単に砕け散ったよ。
しかも、砕け散った鎖は、床に到達する前に消えて無くなった。
俺が後生大事に抱えていた「恐怖」とは、その程度のものだったらしい。
さて、ケインさんが来たら、従業員契約の確認、そして従業員研修開始だ。午後からはホラントに行って、『ルーヴェン・ナリス』で支店交渉。
大丈夫だとは思うが、一応、行きは馬車と『強化』で行くとしよう。
帰りはポータルで戻れば、シュレイさんの作る夕飯には間に合うはずだ。
それは外せないよな。




