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 幕間(7) 「暗い(と思っていた)過去」

 ヒロト様が出て行った。

 今も甘い感覚が全身に残ってる。

 唇に、胸に、あそこに……。

 信じられないくらい、濃密な時間だった。

 

 でも、あれね、ヒロト様にも言ったけど、あんなことを毎日やっていたら、頭が変になっちゃいそう。身体もね。皆、どうしているのかしら。

 

 昔、冒険者ギルドに出入りしている頃、

 「毎日カカァが求めて来て、参ってるよ。こっちは疲れているのに、お構いなしだぜ」

 と冒険者の一人が言っていたのを思い出した。

 そりゃそうだろう。

 ヒロト様は当然疲れただろうし、私も微妙に腰が重い感じがする。毎日は大変だろう。

 それなのに、毎日したい。

 私、本当にどうしたのかしら。

 

 セックスが良いものだというのは知識としては知っていた。私も当時は年頃の女だったし、アソコを指で触るくらいのことはしていた。でも、あの日、全てが変わってしまった。

 それ以来、セックスを嫌悪した。

 8ヶ月後にはサリムが生まれて、それどころではなくなった。

 元々、まともに私を相手にするような男はいるはずがないのだから、このまま女を忘れて、老いて死ぬのだと思っていた。


 今思い出しても恥ずかしいのだけど、アレの最中って、頭が真っ白になって、何が何だか分からなくなるのよね。どんな行動を取ったか、どんなことを口走ったか、意識が飛んでいて、上手く思い出せない。

 本当に恥ずかしいわ。

 

 朝のお弁当を作るのはもう習慣になってしまった。考え事をしていても、手は勝手に動いて、サンドイッチの用意が着々と進んでいく。昨日はトマトベースのソースだったから、今日は玉ねぎとマヨネーズベースのソースにしよう。

 ヒロト様のプロポーズ騒動で、昨日はサリムのお弁当を作れなかったけど、どこかで買って食べてくれるわよね。サリムには、ヒロト様からお小遣いまで頂いている。ちょこちょこギルドで依頼も受けているみたいだから、自分で何とかするでしょ。


 ヒロト様が教えてくれたマヨネーズソースはとても素晴らしい味よ。野菜がとっても美味しくなる。新鮮な卵が手に入った時は、必ず作るようにしている。


 でも、マヨネーズソースが本領を発揮するのは、野菜じゃなく、揚げ物。

 この揚げ物もヒロト様が教えてくれたレシピ。

 アイデアはあっても、大量の脂を使うから、料理屋でもなければ、普通はなかなか作れないと思う。フライパンで多めの脂を使って素揚げにするレシピは知っているけど、深い鍋いっぱいの脂で丸揚げにするのは聞いたことがない。

 ヒロト様は『竜カツ』と言っていた。


 衣は古くなったパンを砕いて作るの。卵と小麦を使って、肉と衣の繋ぎにする。あとは揚げるだけ。それで、信じられないくらい美味しい味になるのよ。

 

 サンドイッチには、マヨネーズともう一つ、カツソースを混ぜる。

 このカツソースのレシピがまた凄い。マヨネーズの比じゃない、とんでもない種類の材料が必要なの。

 ベースはトマトソースなんだけど、竜骨から取った出汁も使う。そこにワインと酢と塩と砂糖。さらに大量の野菜、キノコ類、数種類の果物と香辛料を煮込んで作る。

 注意することは鍋の底で焦がさないことくらい。

 最後に布で漉したら出来上がり。

 このドロリとしたカツソースだけで、店なんてどうにでもなる気がする。

 正直、万能過ぎだと思う。

 

 さて、サンドイッチも出来たし、あとはヒロト様たちが来るのを待つだけね。


 あ、来たわ。


 「おはようございます、シュレイさん!」


 「……っ!」


 ヒロト様の顔がまともに見れない……。ヒロト様に合わせて、今日は、今、初めて会った風を装わなきゃいけないのよね。ちゃんと出来るかしら。

 

 え? エンゾ様がニヤニヤしている……。

 何で……?

 ヒロト様、エンゾ様に話したの?


 「おはよう、シュレイ。何だか、今日のお主は普段よりも血色が良いようじゃのぅ。何か良いことでもあったのかの」


 ニヤニヤ


 「師匠! 何を言ってるんですか朝っぱらから! シュレイさんはいつも血色は良いですし、綺麗です! いつもと同じですよ!」


 ニヤニヤ


 エンゾ様、酷い。

 気付いていて、私たちをからかってる。


 「これが今朝の弁当じゃな。頂いていくぞ」


 エンゾ様は三人分の弁当BOXごとマギバッグに放り込む。

 その間もずっとニヤニヤしている。


 「ヒロト、店のオープンが近いじゃろ。わしはソランと原っぱに行ってくる。お主は店の準備に集中せよ」


 「は、はい。確かに、正式オープンまで4日、ご近所さんを呼んでの仮オープンまで正味あと3日ですね。今日はホラントにも行って来たいので、師匠の言う通りにしたいと思います」


 周囲数ブロックのご近所さんたちに配った招待状、無駄にならなければ良いけど。ちゃんと来てくれるかしら。


 あ、でも、ヒロト様はホラントに行くのなら、ヒロト様の分の弁当は返してもらわないと……。

 エンゾ様がニヤニヤしている。

 なるほど、そういうことね。エンゾ様ったら。仲良く二人で朝食でも食べろってことかしら。本当に恥ずかしい。


 「ではソラン、わしらは行こうか」


 「は、はぃ……」


 うわぁ、ソランちゃん凄い睨んでる……。


 エンゾ様がソランちゃんを連れて出て行った。

 残されたのは私とヒロト様。


 「さて、どうしたもんですかね……」


 どうしたもんかと言われても――


 「とりあえず、朝食作りますね。同じものならすぐに出来ます」

 

 「そうしてください。朝っぱらから激しく身体を動かしたんで、腹ペコです」


 「もう……っ!」


 あぁ、楽しい。

 本当に楽しい。

 多分、これが幸せなんだ。


 気付いたら私はニヤニヤしながら泣いていた。

 ヒロト様が私の涙を見て動揺している。

 当然よね、軽いジョークのつもりだったんだろうし。

 それで、相手が泣き出したら、誰だってビックリする。


 「ヒロト様、私は欲深な女です。今、ヒロト様に愛されていると分かっていながら、自分の暗い部分を吐き出したいのです。吐き出したその上で、愛して欲しいと思っているんです……」


 「……良く分かりませんが、シュレイさんの暗い部分を私にも共有して欲しいということですよね。是非もないことです。話してください。私なら解決出来るかも知れませんし、出来なくても、二入で共有することで、シュレイさんの気持ちも軽くなるでしょう」


 「……ありがとう……ございます……」


 優しくて、男らしい、堂々とした態度。

 ヒロト様は本当に最高の男だ。

 これ以上良い男を私は想像できない。

 どういう巡り合わせで、ヒロト様は今、私とこんな関係になっているのか。神様がいるのなら聞いてみたい。


 「サリムと……私のことです」


 「はぁ」


 「サリムは……、サリムは私が19の時に盗賊に犯されて出来た子です」


 「ッ!?」


 「私はその頃、冒険者として小さな依頼を寝る間も惜しんで受けていました。将来、料理屋を開きたいと思っていたからです」


 あの頃は必死だった。

 自分の器量がマズいことは十分すぎるくらい自覚してたから。

 

 「借金のアテも――マクマホン商店のライザックさんですが――あったものですから、当時、あと2年も頑張れば目標額に到達するかな、というところでした」


 「……」


 あの時知り合ったのがライザックさんだったのは、運が良かったのか、悪かったのか。

 そうね、ヒロト様と知り合う機会をくれたんだから、間違いなく運が良かったんだと思う。


 「そもそも、料理屋というのは、私が一人で食べて行く為に目指していたんです。私は見てくれがこんなですから、幸せな結婚をして、旦那さまと一緒に家庭を築いていくなんて想像すら出来ませんでした」


 「……料理屋、つまり手に職があれば、食いっぱぐれないで済むと。それはそれとして、その盗賊はどうなったんですか? 今もどこかで生きているんですか?」


 あぁ、ヒロト様の全身から禍々しい魔力が立ち上っている。

 私に向けてのものじゃないと分かっていても、押し潰されそう。

 サリムがこの魔力に潰されたというのも良く分かる。

 こんな魔力を目の前にしたら、人はマトモじゃいられないわ。ケイラン商会の人と会った時一度見たけど、質が桁違い。むちゃくちゃだ。


 「その前に、料理屋の――」


 「だから盗賊は! その盗賊はどうなったんですか?!」


 駄目だ。

 話の持って行き方を間違えた。

 完全に失敗だ。ヒロト様の顔から血の気が引いている。


 「た、多分、生きていると思いますが……」


 「そんなことが許されるのか!? 何か覚えていることはないんですか? どんな状況だったんです? 思い出すのも辛いとは思いますが、私の為と思って話してください」


 どうしてヒロト様が頭を下げるのか分からないけど、あの日のことは今でもはっきりと覚えていますよ。

 でも、それを話したら……何だか怖い。

 だけど、話したい。

 話さなくてはならない。


 「思い出せる名前は二人です。森で7~8人の盗賊に囲まれ身動き出来ないように縛られ、裸に剥かれ、剣の鞘で殴られました。そして、その内の一人に……。それも、彼らの性欲に任せて犯されたのではなく、仲間内での遊びの一環として……」


 「その、名前は? 何か特徴はないのでしょうか?」


 マズいことになった。

 ヒロト様の眼が完全に据わってる。

 私も何をペラペラ喋っているのかしら……。


 「私を犯した男はボーマンという名です。傭兵崩れの盗賊団で、頭はバッソ。名前か苗字かは分かりません。頭のバッソは狼種の男。ブスで大女の私に、アレが勃つかどうかの遊びだったみたいです」


 こんなこと、ヒロト様に話してどうなると言うの?

 ヒロト様なら、盗賊たちを見つけ出して、仕返しでもしてくれると? 

 何を考えているの、シュレイ。

 頭大丈夫?



 「あぁあああッッ!!!」



 「ひっ!」


 ヒロト様手製の石のテーブルが砕けた……。


 「クッソがぁああ! 知っていたなら、足の先から、1cm刻みで輪切りにして、殺してくれと懇願するまで、何日も何日も掛けて生まれてきたことを後悔させてやったのにッ!!」


 あぁ、間違いなく、私は幸せだ。

 この幸せを感じたいが為に、私は自分の暗い過去を晒けだしたんだ。

 卑怯で歪んでいる。


 ん?


 『知っていたなら』?


 「ひ、ヒロト様はボーマンとバッソを知っているのですか?」


 「すみません。知らなかったとは言え、二人とも苦しませずに殺してしまいました……」


 「?」


 「あの時、バッソと手下5人、石弾で一瞬でした。ギルドの依頼だったんです、『バッソ盗賊団の討伐』という。ソランも傍にいたので簡単に殺して――というか、私は目的の為にはいつも最短で達成しようとする癖がありまして……。50mくらい離れていたと思いますが、その、何と言いますか、目に入った瞬間、石弾を発射していました」


 背筋に冷たい汗が流れた。

 『狼王』バッソとその手下が一瞬で?


 「トドメは少し口径の大きな鉄鋼弾を使ったので、バッソの頭は吹っ飛んでいましたが、その時は既に死んでいたと思います。せめて、もう少し恐怖を与えて殺せていたなら……」


 私だって、あの後、いろいろ調べたわ。

 バッソ盗賊団はかつて傭兵団だったならず者集団で、公国を拠点に、村をいくつも潰し、女子供も容赦しない凶賊中の凶賊。

 殺されなかった私は、むしろ運が良い方。


 いや、そんなことはどうだって良いわ。

 これ、一体、どういう巡り合わせなの?


 「もしかしたら、盗賊団の正規メンバーではない者が生き残ってるのかも知れませんが、今となっては……。確か、20人くらいいたはずです。私が斥候も入れて7人殺して、師匠が3人、残りはギルド長のダグラスさんが殺したと聞いています」


 「どうしてユリジアの支部長が出てくるのか分かりませんが、それはいつ頃の話なんですか?」


 「ひと月ほど前です。ほら、以前話した、コトリバチと地竜を狩った、同じ日ですよ」


 「同じ、日?」


 「あの日は午前中にコトリバチを狩って、午後に地竜を狩ったんです。その後、暇潰しにと、ソランと結界魔術の訓練や、廃坑跡を埋めたりしていたところ、そこに連中が現れたので……」


 うふふふ。

 噴き出しそう。

 我慢しなきゃ。今、笑ったら、私の正気を疑われてしまう。

 私の暗い(と思っていた)過去が、ヒロト様の暇潰しの間に解決されていたらしい。

 何なの、これ。

 


 そう……、ボーマンもバッソも私の愛しい人に殺されたのね。

 あぁ、胸の奥から浄化されていくみたい。

 この若い魔術師は、どれだけの幸せを私に運んでくれたら気が済むのだろう。

 

 「あっ! 思い出した! バッソの妹が……いや、あの感じだと、すぐに処刑されてるはずだ……」


 妹? そう言えば、バッソの横に10歳くらいの狼種の女の子がいたわね。齢が離れて見えたから、バッソの子供だと思ってた。

 あの子、処刑されたんだ……。

 

 「そんなこと、もう、どうでも良いんですよ」


 ぶっちゅうううう


 この愛しい男の唇を塞がなくては、延々と私を喜ばせる言葉を吐き続けるだろう。それでは私の良心がもたない。これ以上の幸せを享受するのは、もはや強欲だ。

 強く抱き締めるだけで良い。

 それだけで、ヒロト様の愛を全身で感じられる。

 

 エンゾ様もソランちゃんを連れて朝の稽古に出掛けたし、このまままた地下室に――


 「シュレイさん、その、ライリーたちが……」


 ふとバックルームの方を見ると、ライリーとエイミィが柱の前に立って、所在無さ気にしていた。


 「うぉっほん。おはよう、お前たち。今日は午前中に従業員研修をやる。起きたらまず、シャワーを浴びて、夜の間にかいた汗を流すんだ。起きてそのままホールに出ることは許さん。昨日洗ってないだろうから、今日は髪も洗って来い。スイッチを押せば、魔道具が起動してお湯が出る。石鹸もシャワー室の中にあるから使え」


 ライリーたちはシャワーの意味が分からずに、曖昧な返事のまま浴室に向かった。

 あの子たち、使い方分かるかしら。私も最初はビックリしたからね、シャワーには。


 ヒロト様はとにかく衛生管理にうるさい。

 汚れや垢を心底嫌っているみたい。まぁ、薄汚れた従業員が働いている料理屋には誰だって行きたくないだろうけどね。


 「申し訳ありません。とりあえず、盗賊の件はもうどうしようもありません。シュレイさんを傷付けた盗賊が、今も生きていれば、草の根分けても探し出して、生まれてきたことを後悔させてやるのですが、この世にいないのではそれも不可能です」


 「私もどうかしていました。サリムのことは言い訳で、ヒロト様に甘えてみたかっただけかも知れません」


 そう。

 私はこの優しくて頼りになる魔術師に甘えてみただけ。

 サリムのこと――というより、過去に盗賊に犯されたことなんて、とっくの昔に心の整理は付いている。

 結婚すると言うのだから、隠し事はしたくない気持ちも嘘ではないけど、本当のところは甘えだ。

 ヒロト様が私の暗い過去を聞いて、どんな反応をするのか見てみたかっただけなのだ。

 何て下品な発想だろう。


 「甘え? どこが甘えなのか分かりませんが、話してくれてありがとうございました。私のことなら、いくら頼ってくれても大丈夫ですよ。過去に起きた事象は変えられませんが、その意味を変えることは出来ます。未来の分岐は無限だと私は信じています」


 「……」


 自己嫌悪とヒロト様の優しさで、涙が止まらない。

 ヒロト様と出会ってからこっち、私の涙腺はどうなってしまったのかしら。

 愛する人が出来ると、人は弱くなるのかしら。


 『過去に起きた事象は変えられませんが、その意味を変えることは出来ます』


 とっても素敵な言葉ね。

 感動で、ぞくぞくっとした。

 とてもじゃないけど、18歳の若者の発想じゃないわ。

 Aランク指定の依頼を暇潰しに達成する魔術師というのは、何から何まで桁違いね。


 サリムには、父親はサリムが小さかった時に死んだと伝えている。今後も話すつもりはない。今話しても意味がないし、話さなくても、察する頃にはサリムは大きくなってるだろう。成長した後なら、もはやサリムにとってもどうでも良い話になっているに違いない。

 だから、これは私とヒロト様の間の秘密。

 それで良い。


 今日も忙しくなる。

 ライリーとエイミィが戻ってくる頃には、ケインさんも来るだろう。午前中はヒロト様に『サービス』の仕組みをしっかり教わらないといけない。


 となると、のんびりしている暇はないわね。

 すぐに朝食の支度をしなくっちゃ。

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