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 第32話 「ハイデン・コーク」

 結論から言うと、ヒロトとマクマホン商店のライザックとの交渉は、全てヒロトのペースで、終始、和やかに、滞りなく完了した。

 ヒロトが約5kgのコトリバチのハチミツが入った壺を、一本、マクマホン商店に卸すことを約束したからだ。

 

 ヒロトとしては、もっと売っても良かったのだが、稀少で高価なハチミツは、今後様々な場面での利用が期待できる為、一本だけ売り、五本と食べさしの一本は残すことにしたのだ。

 卸値は1kg6万セラ。5kgで30万セラになった。日本円で300万円だ。

 商会を通した売値になれば、1kg10万セラにはなるだろう。ただし、ライザックにとっては、コトリバチのハチミツはそれ以上の価値がある。


 ハチミツを出汁に、貴族とのコネを作ることが出来るからだ。

 自分の主催するパーティーやサロンの目玉メニューに、と考える貴族は多い。その場合、ライザックは貴族との間に太いパイプを作ることが出来るのだ。

 

 中古の厨房器具や、椅子やテーブルなどの店内調度も、比較的高値でライザックが引き取った。

 ヒロトが『腕輪の魔術師』であることを明かしたからだろう。

 『腕輪の魔術師』の噂は、既に王都に広まっていた。「英雄」エンゾ・シュバイツが率いるパーティーが、12頭の地竜を討伐したことも。


 「すみませんが、地竜については、卸先が決まってるんですよ」


 「そうですか。残念ですが諦めます。今回、ヒロト殿と知り合えたのは僥倖であります。今後もマクマホン商店を贔屓にお願いしますよ」

 

 ライザックは見た目で30歳以上若いヒロトに対して、如際無く頭を下げる。

 シュレイの借金総額は、307万2271セラ。端数は切り捨てで構わないと、ライザックの申し出により、300万セラ。

 店内調度は5万8000セラ。差し引き、294万2000セラが返済額の合計となった。


 家賃はオーナーからマクマホン商店が仲介しており、不動産の買取が希望なら、それも仲介するとの申し出あり。

 

 ヒロトは即座に了承し、ライザックが付き人をキンダー不動産に走らせた。余程、キンダー不動産が強引に進めたのか、付き人が売却了承の契約書を持って『カールトン亭』に戻って来たのは、出て行ってから、わずか二時間後のことであった。

 

 売却額は220万セラ。

 

 ヒロトの予想より遥かに安かった為、地竜の角とヒレを12頭分、マクマホン商店に卸すことになった。実物を見ないと判断出来ないとした上で、予想買取金額は50万セラとのこと。

 売却先はドワーフ族のザック・バロウズを優先するよう、付け加えることも忘れない。

 

 ハチミツ以外を卸すつもりはなかったヒロトだが、ようは、ライザックに借りを作りたくなかったのだ。



 「しかし、ヒロト殿も物好きですなぁ。こんなシュレイさんをお子さん共々――」


 言ったのはケイラン商会の営業、リデル。

 リデルとしては、ライザックが想像以上に上手く商売をしているのを見て、今度は自分の番だと、軽口を叩いて様子見のつもりだったのだろう。

 チョロイ相手とでも思ったのかも知れない。

 だが、リデルが最後まで言葉を発することは出来なかった。

 石製のサスマタのようなものが、リデルに喉輪を極めたまま、壁に縫い付けたからだ。

 

 その上で、ヒロトは一気に膨大な魔力を展開する。


 「良く聞こえなかった。誰が物好きだって?」


 サスマタ以前に、物理的な圧力として感じるほどの魔力嵐である。

 その様子を、衝撃をもって見ていたのは、同席している当のシュレイ。

 シュレイは容姿に関する罵詈雑言には慣れていたが、まさか、ヒロトがそういう軽口の類を許さないタイプだとは思わなかったのだ。

 震えながら、「綺麗ですよ」と言ったヒロトの姿があまりにも印象的だったからだ。


 「(そう言えば、サリムも脅されたって言ってたね)」


 ヒロトがリデルの頭部を爆散させなかったのは、単に、シュレイの前だったからに過ぎない。ヒロトは一歩も引くつもりはないのだ。例え、それが「シュレイはブスの大女」という、アラトの常識的な審美眼に照らして、妥当な意見だったとしても。

 堂々と、力で黙らせ、白を黒に塗り替える。

 童貞をこじらせた男が恋に落ちると危険なのだ。

 

 そんなヒロトに対して、シュレイは引くどころか、湧きあがる喜びと、誇らしさで、胸を熱くしていた。

 彼女もまた、恋に落ちているのだろう。


 ちょうどヒロトの向かいに座っていたライザックは心底、肝を冷やした。

 リデルの軽口に、ヒロトの表情が、一瞬で「白く」なったからだ。

 しかも、それはいずれ、ライザックが口にしても不思議ではない台詞だったから――というよりも、シュレイについて触れないことの方が、不自然である。どうして、借金漬けの年増の醜い女を助けるのか、常識的に考えて、ライザックには意味が分からない。

 ただし、それを確認するのはヒロトの人となりを知ってからだろう。


 「(ケイランの営業は信じられん阿呆だな。『腕輪の魔術師』を知らなくても、只者じゃないことくらい、雰囲気で分かるだろう。見た目の若さに騙されるなど、俺の部下だったら、俺が首を絞めていた。こいつの腕輪を見ろ。俺なら20万セラまでは出すぞ)」



 「ンゴッ、ゴホッ。こ、これは失礼しましたヒロト殿」


 「いえ、良く聞こえなかっただけですよ。突然、魔力が暴発して、申し訳ありませんでした。お怪我はありませんでしたか?」


 「は、はい、大丈夫です。ウチは今月の売掛金も回収しましたし、他の得意先周りもありますので、この辺りで失礼します」


 ケイラン商会のリデルは、逃げるように店を飛び出して行った。

 ヒロトとしては、最初からケイラン商会は切るつもりであった。それはケイラン商会の商売に文句があると言うより、マクマホン商店の方が、利用価値が高いと考えたからだ。

 

 マクマホン商店のライザックは、細く長く儲ける道を選び、実際に9年に渡って、『カールトン亭』の利益を吸い取っていた。それは倫理的に問題があるとしても、商人としては、真っ当である。9年間も店を潰さずに、陰で店を操っていたのは、シュレイの間抜けを差し引いても、十分に優秀な商人だと判断できた。

 上手く付き合えば、得になると。


 「ケイラン商会は、『カールトン亭』との付き合いが短かったですからね。シュレイさんが時々、ニコリと良い笑顔をするのを知らないのですよ」


 ライザックは核心はズラし、ギリギリでヒロトがストライクと判定するボールを投げる。


 「シュレイさんには、あんまり、私以外の人に、笑顔は見せて欲しくないんですけどね」


 「なるほど、そういうもんですか。これはごちそうさまでした」


 そう言ったライザックの目は死んだように、白けていた。

 シュレイは顔を真っ赤にして、ずっと下を向きっぱなしである。


 「帳簿の付け方は私がシュレイさんに教えますし、従業員も雇うつもりです。今後は仕入予約ではなく、全て時価でお願いします」


 「全て時価となると、特に野菜類は安定しませんが」


 他には魔物の肉だろうか。家畜の肉は比較的安定しているが、魔物は、言ってみれば野生動物なので、迷宮が近くにあるわけでもない王都では、値段が安定しないのだ。


 「魔石と肉とパンは必要ありません。こちらで用意します。パンは直接パン屋と契約しようと思っています。ライザックさんには、野菜類と調味料類、店内調度、厨房機器くらいになりますが、それでも良いですか?」


 魔石はいわば光熱費である。光熱費が時価では、商売の肝を握られているのと同じである。飲食店を経営するなら、魔石だけは、絶対に商人の手に渡すわけにはいかない。

 普通の料理屋の主人が魔石を自前で用意できるわけがないので、これは『カールトン亭』のアドバンテージになるだろう。


 「もちろん、構いませんよ。誠心誠意対応させていただきます」


 ライザックはヒロトと会話してみて、すぐに、今までの経営方針――すなわち、細く長く利益を吸い取る方針の変更を決めた。真っ当に商売をした方が得だと考えたのだ。

 ライザックには、利の為なら、臨機応変になれる聡さがあった。


 「では、一旦、全ての契約をキャンセルさせてもらいます。この後、店は全部潰してしまいますんで、来週の同じ時間、店内調度類の相談をしましょう。地竜の角とヒレはその時持ってきます。もし、鑑定士が必要なら、連れてきてください」


 「一応、私も『鑑定(非生物)』持ちですんで、それは大丈夫です。しかし、一週間で建て直すのですか? ヒロト様の魔術を疑うわけではありませんが、可能でしょうか」


 「多分、可能だと思いますよ」


 「はぁ。(簡単に言ってくれる。まぁ、シュレイのことで下手を踏まなきゃ、割と付き合いやすい相手ではある。計算は速いし、決断も速い。『仕入予約』を蹴ったのは、真剣に商売のことを考えている証拠だ。もちろん、マクマホン商店への警告の意味も含めて)」


 ライザックとしては、いろいろ話し足りないことはあったが、当初の要件だけは全て済ませた。

 ライザックの腕の中には5kgのコトリバチのハチミツがある。30万セラは大きな出費だが、これは50万セラ以上の価値がある。人脈の使い方によっては、無限の可能性があるのだ。

 そして、ヒロトと知り合えたことも大きい。


 「では、私はこれで失礼します。今日はありがとうございました。もし、建物の基礎が出来たら教えてください。早い段階で間取りなどを知っておく方が、調度類のサイズや数の発注予定も立てやすいですから」


 「確かにそうですね。おおよその構想はあるのですが、まだ未定です。店のコンセプトや客層はシュレイさんと相談して決めたいと思います。いずれにしても、外装が出来た段階でお知らせしますよ。その時はまたお願いします」


 ライザックは他の書類などは全て付き人に渡しながらも、ハチミツ入りの壺だけは自身で大事そうに抱えて、帰って行った。


 

 「ヒロト様、さすがですね」


 「514万2000セラ。600万は超えると思っていたのですが、予想外に土地の売却額が安かったですね」


 「それでも、220万は結構な金額ですけどね。うふふ」


 隣に座っているだけだというのに、二人きりになった途端、ヒロトの股間の古代魔竜がその鎌首を持ち上げていた。

 これでは、いつまた暴れ出すとも限らない。


 「で、では、早速、店を取り壊しますよ。忘れ物がないか、今一度確認お願いします。今日は午前中にここを更地にして、午後は一階の基礎まで作ってしまいます。昼食は4人で王都で流行ってるレストランにでも繰り出しましょう」


 「あっ、でも、私、流行のレストランに着て行く服なんて持っていません……」


 「それは弱りましたね。吊るしじゃまず売ってないだろうし。仕立てになるのか。じゃぁ、知ってる仕立て屋があるので、まず、そこに行きましょう。レストラン巡りは明日から、ってことで。今日は引越しして、うちで昼食を作ってください。あ、そうか。ウチにはまだ、食器も何もないや」


 ヒロトが知っている仕立て屋とは、子供服専門店『ブラント子供服店』である。店主のブラントがシュレイの全身を見上げた後、「ここは子供服店だぞ!」と激昂するのだが、それはまた別の話。


 「包丁と振り鍋はありますけど、多分、ヒロト様の家の台所では使えないと思います」


 「これですか。確かに大きいですけど、台所を改造すれば、大丈夫ですよ。それと、その辺の綺麗な色の石壁を砕いて、食器を作りましょう。良い記念になりますよ、シュレイさんが9年間頑張った店ですから」


 シュレイの脳裏に、様々な思い出がよぎり、鼻の奥がつーんときたが、我慢した。

 今は未来への期待の方が大きかったからだ。

 区切りという意味でも、記念の皿は、悪くない考えだと思えた。


 「……(ヒロト様は女を泣かせるのが趣味なのかね。相手が喜ぶことを、自然に考えている感じだ。こりゃ、これから先、苦労しそうだわ。特に女性問題で)」


 現代日本の感覚で女性に接すると、自然と女尊男卑になる、というのがテンプレだが、この場合は単純に、シュレイが厳しい人間関係の中で生きてきたことが理由だろう。


 「え、あぁ、今度は赤字が出ないように頑張りましょうね」


 「あはは。そうですね」


 シュレイの笑顔が、ヒロトの股間を直撃する。

 完璧な美人というものは、笑顔もまた完璧なのだと。股間の暴君を一撃で昇天せしめかねないほどに。


 「おい、お前ら、そこにいるのは分かってるから、とっとと出て来て、引越しを手伝え」


 もちろん、勝手に昇天しないよう、注意をそらしたのだ。そうそう何度も昇天させられては堪らない。

 ちなみに、件の青春の血潮弾二つは、既に闇に葬られていた。


 「ヒロトさま、とろっこ作るのでしたら、今度はわたしをのせてください」


 「トロッコは使わないよ。俺のマギバッグで十分だ。石弾は家に置いてきたから、250kgくらい入れられる。たった一ブロック程度の距離、何度か往復すれば済む。さぁ、始めるぞ」



 それからはあっという間であった。

 建物の取り壊しだと言うのに、ヒロトが魔術を展開している為、土埃が舞うことすらなかった。午前中の2時間ほどで引越しと取り壊し作業が終わってしまったのだ。

 しかも、廃材から素材の選別も同時に。


 結局、持っていくものは、食器、服、雑巾などに再利用できそうな布類くらいだろうか。

 買取不可として残された厨房器具類は金属だけを取り出し、インゴットにした後、ヒロトが全て貰い受けた。釘やボルトの類も同様である。

 家具等は、元々中古品を9年も使っていたので、わざわざ再利用するくらいなら、買った方が良いということになった。

 材木や扉などの木材は、全て燃料用再生木材に加工した。

 木は多少古くなっても、表面を研磨すればまた使えるのだが、それほど高価な木は使われていなかったからだ。

 一度、チップ状にした後、500mLのペットボトルサイズに超高圧圧縮したのだ。

 密度から鑑み、通常の木材よりも燃費効率は良いはずである。再生木材は、たっぷり一年分はあるだろう。

 

 店名も変更する為、看板も作り直す。

 シュレイの「気分を一新して、新たな出発にしたい」という意見により、反対意見は出ず、店名も新しくなった。

 店名は、その名も『シュバイツ大森林亭』。

 ヒロトは反対したが、対案を出せず、そのままエンゾのアイデアが採用された。


 看板はヨーロッパ風の町並みに似合う、下げ看板ではなく、入り口上部の壁に大きくレリーフ状に飾ることになった。入り口前に、ビル街でよく見る「定礎」に似た感じの、石製の看板兼目印も設置した。

 ヒロトが土魔術で作ったもので、エンゾやソランは見慣れていたが、その独特な色と模様に、シュレイは歓喜した。


 「その美しい腕輪、ヒロト様の手作りだったんですね!」


 「はい。『腕輪の魔術師』というのは、この腕輪から来てるんですよ。気に入ったのなら、しゅっ、シュレイさんにも作りますよ。腕を貸してください」


 ヒロトはシュレイの大きな腕を手に取り、指の先など、腕輪とは関係の無い場所まで、必要以上にまさぐった。そもそも、既に魔法陣があるので、触って調べる必要などないのに。

 白く、すべすべとして、弾力があり、温かい手であった。確かに大きい手と腕だが、形としては、手すらも「美人」である。

 本物の美人は、足の先から、髪の毛一本一本に至るまで、完璧な「美人」なのだ。

 

 もちろん、シュレイはヒロトのエロい下心に気付いている。

 気付いて尚、女の喜びに震えていた。

 好意を寄せる相手からの、エロい下心は、嫌悪感など微塵ももたらさないのだ。シュレイにとっては、むしろ御褒美であり、ある意味、前儀である。

 ヒロトが触っているのは手と腕であったが、シュレイにとっては、全身を愛撫されているのと変わらない。


 ヒロトが「このままずっと触っていたい」と考えた瞬間、ヒロトの膝がぐらつく。


 「(くそっ、股間の活火山がもう噴火寸前だ。これ以上はマズい。魔術にも集中できん……)」


 ヒロトは若い頃に使った、「爺さんのホクロから生えた毛」を想像して、何とか耐え切る。



 魔法陣が発動し、フレームを作ると、周囲の土を集め始めた。

 場所が「定礎」の前だったので、定礎とほぼ同じ色と模様だ。


 「ゆっくり動かしますから、気に入ったところで『ストップ』と言ってください。その模様で固定します」


 「…………すとっぷっ!」


 固定と焼成、一通りの工程は成功し、腕輪は何とか完成したが、シュレイが「すとっぷっ」と言った瞬間、ヒロトはガクリと膝が崩れた。火山は噴火し、火口から溢れ出た溶岩は、じっとりと異世界の下着を濡らしたのだった。


 「ヒロト様ッ!?」


 「ま、魔力欠乏です。少し、集中し過ぎたようです」


 さすが彼女いない歴38年の古兵(ふるつわもの)は、言い訳も見事であった。そして、四つん這いの体勢から、ゆっくりと立ち眩みの演技をしながら立ち上がる。この間、わずか3秒といったところ。すでに、青春の血潮弾は完成していた。

 三度目とはいえ、その手際は磨きがかかるばかりであった。


 「(どうすりゃ良いんだ。ただの早漏とは桁が違うぞ。俺はシュレイさんの大きくてすべすべした手を触っていたかっただけなのに……)」


 「だ、大丈夫ですか? ヒロト様……」


 「もちろんです。軽い魔力欠乏ですからね。もう治りましたよ」


 ヒロトの身体を気遣うシュレイだったが、実は、シュレイも――。

 恋に落ちているのは、ヒロトだけではないということか。



 「ヒロト様が大量の魔力を込めてくださっただけあって、素晴らしい輝きですね」


 「まだ、鏡面加工が残っていますよ。ほら、私の腕輪の方が、ツルツルとして黒光りしているでしょ」


 ヒロトはなぜか「黒光り」を強調する。


 一連の工程の中では、鏡面加工が一番時間がかかる。魔法陣は小さなポリッシャー用竜巻を発生させるだけで、竜巻を動かすのは手作業だからだ。

 今度は最初から集中して、磨き作業に入る。肌に直接あたれば、怪我をする可能性もあるし、削りすぎれば、表面のガラス質が失われるからだ。。

 着脱式なら簡単だが、それだと、希少価値が無くなる。繋ぎ目のない、魔術師以外には作れない腕輪だからこそ、『腕輪の魔術師』が付ける意味があるのだ。


 「確かに、比べると分かりますね。本当に綺麗……。ありがとうございます、ヒロト様」


 うっとりとした目で、自分の腕を見つめるシュレイ。

 シュレイはアクセサリの類は一つもつけていない。自分で作れるほど器用ではないし、店で買うのも気後れしてしまうからだ。

 シュレイとて、女である以上、小物やアクセサリに興味が無いわけがない。まして、好きな男か作った手作りの贈り物なら尚更だ。さらに、クオリティも高いと来ている。嬉しくないはずがなかった。


 「ヒロトさま。わたしも魔じゅつを使えるようになったので、やくそくどおり、『二個目』のうで輪を作ってください」


 いつの間にかソランがヒロトの側に立っていた。

 ソランが「二個目」という部分を、一度、シュレイの方を見た後、強調する。あまりにヒロトとシュレイが「良い雰囲気」だったので、ヤキモチを妬いているのだろう。


 「ん? あ、すまん。そういう約束だったな。一応、廃坑跡で、綺麗な色の石は用意してあるんだよ。ほら、これ。宝石じゃないけど、結構、綺麗な色じゃね? シュレイさんはこの店の看板とお揃いの色にしたけど、お前はどうする? どっちでも良いぞ」


 土系色の斑模様は、図らずも、新しい店のイメージカラーなので、「定礎」っぽい石の看板と、シュレイの腕輪はセットになっている。同じようなデザインの首輪やイヤリングも良いかもしれない。


 「この石はうすい色なので、このあたりの土をまぜると、きれいな模様になるかもしれません」


 「おう、別にそれでも良いぞ」


 ヒロトの感覚としては、淡い色の鉱石を単体で使用した方が、腕輪にしたら映える気がするが、アラトの住人たちは、不規則な「斑模様」の方が美しいと感じているようだった。

 ヒロトの右腕の腕輪は何度か作り直しており、現在は『曜変天目茶碗』の柄をイメージしたデザインだ。黒地に青っぽい星が散っているデザインだが、エンゾやソランの腕輪は全て、斑模様だった。


 「(マッピング駆使して、擬似凹凸つけたらビックリするかな)」


 もっとも、凝り性ではあっても、基本的にヒロトにアーティスティックな素養はないので、相手の好みに合いそうなデザインで、適当に作るだけだ。好きな相手だからと、特別な贈り物をしたい、という欲求も少ない。

 ソランの腕輪も簡単に完成した。

 色の薄い鉱石が地になっているので、確かに、斑模様が浮いているように見える。ソランも気に入ったのだろう。いろんな角度から眺めては、にやにやしている。


 「二個目(・・・)ですからね。魔じゅつしとして、身がひきしまります」


 「(5歳児が何を言ってるんだ、こいつは)」



 「あっ! 母ちゃん、何だ、その腕輪っ!」


 「うるさいのが来たね。この腕輪はね、今、ヒロト様に作ってもらったんだよ。どうだい、綺麗だろ」


 「え? あぁ、腕輪はね」


 ヒロトの無表情な目がサリムを見据える。


 「あ、いや、母ちゃんも綺麗だよ」


 「あら、そうかい? あははは」


 ヒロトはシュレイの、この荒っぽい感じの笑いも好きだった。完璧な美人だからこそ、似合うように思えるのだ。超絶美人の肝っ玉母さんぶりとでも言おうか。


 「基礎は午後からにしよう。シュレイさん、昼飯頼めますか?」


 「もちろんですよ、ヒロト様」


 手作り店舗や、経営など、知識チートのテンプレ展開はヒロトの望むところではなかったが、楽しいことをやるのに躊躇は不要と、様々なアイデアが頭に浮かぶのを楽しんでいた。



 ◇◆◆◆◇



 ――王都某所にて。


 ハイデン・コークは部屋から飛び出し、大きな音がした入り口付近を階段から見下ろした。


 全身を黒いマントで覆い、左手に大きな魔石の入った杖を持った魔術師が、裏の従業員出入り口から入って来るところであった。


 「正面入り口の若い者が年寄り扱いしたもんで、ブッ飛ばしておいたぞ。客に迷惑掛けたのなら、詫びよう。死んではおらんと思うが、手当てくらいはした方が良いの」


 S級冒険者にして、ユリジア王国の一代男爵格。

 エルフ族、252歳の『英雄』エンゾ・シュバイツであった。


 「こっ、こりゃ、また珍しいお客さんだ。ケイン、『英雄』様にお茶をお出ししろ。ささ、中に入って下させぇ」


 ハイデンがエンゾを部屋に案内する。

 ケインと呼ばれる虎種の男が、慌ててお茶の支度に走る。

 ユリジア王国において、エルフ族の魔術師で、「英雄」と呼ばれる者は一人しかいない。

 この賭場を締める男が嘘を付く意味もないので、ケインは目の前の年寄りが、間違いなく、「英雄」エンゾ・シュバイツであると判断した。


 「それで、『英雄』エンゾ殿が、こんなケチな賭場にわざわざお越し頂いたのは、いかな理由があってのこってしょう?」


 一見人懐こそうな表情だが、ただの白髪混じりの中年のおっさんでないことは、見る人が見れば、一目瞭然だろう。

 上等なシャツの下には、引き締まった身体が容易に想像できた。年齢は46歳、人族。名をハイデン・コーク。


 ユリジア王国の裏社会では随分と知られた名だが、彼が率いるクラン、「ハイデン商会」は組織としては、むしろ小さい方だ。


 「ちょっと、最近の『迷宮』事情について知りたくての。冒険者ギルドじゃ、他国の()に詳しい者を探すのも手間じゃ。王都でわしが知る中じゃ、他国にも通じとる斥候と言えば、お主くらいしか思い付かんでな」


 「そいつぁ、気前の良いお世辞として、ありがたく頂いておきやしょう。で、『()』ですかい? 最近じゃ、『迷宮』とか『魔宮』で通っておりやすが、やはり、ただ、『穴』って方が、冒険者の矜持が感じられて良ござんすねぇ」


 『迷宮』と言っても、「宮」ではないし、優秀な冒険者なら「迷う」こともない。だから、かつての冒険者は、「迷宮」と呼ぶのを嫌う風潮があったのだ。

 彼らは、迷宮を「穴」と呼び、攻略することを、「埋める」と言った。

 例えば、「カルラの穴の14階を埋めてきた」といった風に。もちろん、カルラ迷宮の14階を攻略した、という意味であり、本当に土で埋めて来たわけではない。

 そう言うことで、言外に、「穴を埋めるだけの、簡単な仕事だった」と自慢したのだ。


 「ハイデン、お主と昔話をしに来たのではないぞ」


 「いや、分かってまさぁ。ちょっと懐かしく感じましてね。『迷宮』と一口に言われても、目的を聞かねぇことには、話したくても、話しようがねぇんでさ」


 確かにその通り。

 迷宮には、さまざまな個性があり、それが「迷宮は魔物の一種である」という説を支持する原因にもなっている。

 バラエティにとんだ魔物が召喚される迷宮もあれば、ただただ強い魔物が召喚される迷宮もある。中には、たった一種類の魔物しか召喚しない迷宮すらあった。

 金が目的なのか、素材か、それとも、パーティーのレベルアップか。目的が違えば、攻略すべき迷宮も変わってくる。中には自殺や、姥捨て山のような利用方法もあるという。


 「目的か。実は、まぁ、お主なら構わぬか。最近、わしのレベルは84になった。もう先は長くないと思うが、あと一つ二つ、上を目指したくての」


 「くふふふふ。Lv84ですか。あっしが知ってるエンゾ殿のLvは82でさぁ。それから二つも上がったんですかい。確か、250歳を超えてたと記憶しておりやすが、その歳でLvが上がるってのも、エルフ族史上初めてのことなんじゃねぇんですかい? さすがは、大陸最強の魔術師だ」


 エンゾはヒロトに会うまで、30年以上、Lvは82のままであった。その頃の情報がハイデンに伝わっていたのだろう。


 「ああ、それじゃがの、わしはもう、最強ではないぞ。最強はヒロト・コガ。今は無名じゃが、いずれ世に出る。ヒロトの未来を邪魔するようなら、わしが潰すが、先物買いなら止めはせんぞ。安いうちに買っておくことをお奨めしよう」


 「ヒロト・コガ……?」


 エンゾがパーティーを組んだという情報は入ってきていた。弟子を一人育てているとも。しかし、名前までは入って来ていなかった。ゆえに、さほど優秀とも伝わっていなかったのだ。


 エンゾの弟子なら、いずれ歳を経れば世に出てくるだろうが、既に実力でエンゾを超えて、しかも「大陸最強」というのは聞き捨てならない情報であった。


 「わしの弟子にして、いずれ『大魔導師』の名を継ぐ者じゃ」


 「それで、迷宮とヒロト・コガは、何か関係があるんで?」


 ヒロト・コガにそれほどの実力が既にあるのなら、「穴」になど潜らずとも、戦場で戦功を上げる方が、より効率的であろう。

 スタンピートを起こした迷宮が国を蹂躙している、といった情報も、ハイデンの元には入ってきていない。


 「いや、今、わしはヒロトとパーティーを組んでおっての。『腕輪の魔術師』という名じゃ。それで、ヒロトと迷宮を巡ろうと思っとるのよ。期間は4年を想定しておるが、はっきりとは決めておらん。迷宮の後も予定があっての。迷宮の後のことまで入れれば、基本的には、わしが『死ぬまで』じゃ」


 「……死ぬまで?」



 

 「何、20年も30年も先というわけじゃない。わしのことはわしが一番良く知っておる。実は、200年以上前の話じゃが、未来視の魔眼を持ったやつがおってな。見てもらった――正しくは、見せられた。それによると、わしは9年後、1824年に『剣士』に斬られて死ぬ」




「なっ! 何を言い出すんで! ちょっ、ちょっと待って下せぇ。人払いをしねぇと! ケインも戻って来ちまわぁ!」


 突然、エンゾが爆弾発言をしたので、ハイデン・コークは入り口のドアに走る。

 現在、ケインがお茶を用意しに出て行っている。戻って来たケインに話を聞かれては、マズいと考えたのだ。


 S級クラスの冒険者や魔術師には、「英雄」や「勇者」、「救世主」と言った、派手な異名が付くことが多い。それは、派手なだけではなく、国家級戦力として看做されているからだ。

 それが、「(剣士に)殺される」ということは、国同士の戦争か、それに準ずる紛争が起きることを意味している。英雄クラスの実力者同士が、通りで出会いがしらに戦闘が始まった、なんてことはあり得ないからだ。


 「いや、構わんよ。別に大したことじゃないんじゃ。聞かれて困ることでもない。初めはショックも受けたが、今となっては、死ぬことも、さして気にはしておらんのよ。誰だって、いつかは死ぬしの」


 「……」


 「さすがにわしも252歳じゃ。261まで生きられるのなら、誰に文句を言えるもんでもなかろうよ。わははは」


 「……そ、それで、あっしに何を?」


 いきなりエンゾの死亡予定年を聞かされて、ハイデンの声が無意識に震えていた。「英雄」エンゾ・シュバイツが死ぬような状況が、まともな状況のはずはないからだ。その「剣士」を探せということだろうか。


 いずれにしても、ハイデンは内心、「これはヤバいヤマになる」と確信した。


 「わしは9年後に斬られるその日までに、自分を最高の状態に持っていきたいんじゃ。そして、最高のわしを、ヒロトに見てもらいたいと思っとる」


 「その……、そのエンゾ殿を斬る剣士は強いんですかい?」


 エンゾを斬る剣士が弱いわけがない。

 しかし、エンゾの口から是非、聞きたいと思ったのだ。


 「その未来視の魔眼はの、何と言うか、幻視の形で見せるのよ。つまり、未来を見るのは、魔眼の持ち主ではなく、わし自身。だから、わしはその剣士がどんな男か知っておる。目に焼きついておると言ってもいいのぅ」


 「それで……」


 「強さか? そりゃ強いに決まっとる」


 「……」


 「例え、わしが最高の状態に持って行ったとしても、わしが斬られるのは、既に決まっておることよ。じゃが、ヒロトは別じゃ。どうして別かは、言えんがの」


 「ちょっと待ってくだせぇ。さっき、ヒロト殿はエンゾ殿よりも強いと言いやせんでしたか?」


 「左様。じゃが、それでも尚――最強のヒロトをもってしても、足りぬ可能性がある。もし、ヒロトがわしが斬られるところを見れば、あるいは、ヒロトの運命が変わるやも知れん」


 「……ちょっと、酷かも知れやせんが、エンゾ殿の運命は変わらないとしても、ヒロト殿はそもそも、その剣士と戦う必要があるんですかい? いっそ、エンゾ殿と関係ないところで暮らせば、少なくとも、ヒロト殿に災禍は降り掛からねぇんじゃ?」


 「確かにの。じゃが、ヒロトはそうは考えんじゃろう。ヒロトはそもそも、長生きをする必要がないんじゃ。そういうことは望んどらんと思う。もちろん、これも理由は言えんがのぅ」


 理由はもちろん、ヒロトが既に前世を生きているということだ。

 そして、エンゾと同じく、レベルを上げることを生きる目的にしているからである。より高みに達することが目的なら、強者との戦いは、避けるべき運命ではなく、むしろ希望であるはずだ。


 「ヒロト殿のLvは今、いくつで?」


 「確か、ちょっと前に聞いた時は、3ヶ月くらい前で、48とか49とか言っておったが、今はどうか知らん」


 「Lv50にも満たずに、エンゾ殿よりも強いんですかい……」


 「そういうことじゃの。器が違うんじゃろ。わしの考える魔術とは、質と言うか、そもそもの発想が違う。9年あれば……わしはヒロトがあの剣士(・・・・)の域に到達出来ると確信しとる」


 魔術師にとって、剣士は最悪の敵である。高位の剣士相手だと、接近戦に持ち込まれた自転で、詰む可能性があるからだ。だからと言って、遠距離戦、中距離戦なら必勝というわけでもない。離れていれば仕留められる、という保証などないのだから。


 ハイデンが「剣士かぁ……」と呟いていると、ノックもなく、客室のドアがガチャリと開く。

 ケインである。

 ハイデンは気配でケインが入って来ると分かっていたのだろう。ハイデンが優秀な斥候であったことを考慮すれば、索敵用の魔術か。


 ケインは紅茶のセットと、揚げ菓子のようなものが載ったプレートを持っていた。


 「すんません、親分。探したんですが、適当な茶請けがなくて」


 「ああ、それで十分だ。ありがとうよ。すまんがケイン、階段からこっちには人を入れるな。見張りを頼む」


 ケインは言われた通り、すぐに部屋を出ていった。

 それを確認すると、ハイデンは再び話し始める。



 「つまり、エンゾ殿を最高の状態にし、ヒロト殿をさらなる高みに持って行けるような、そんな『迷宮巡り』のプランを組んで欲しいと」



 9年後のエンゾの死が運命的なものなら、それまではエンゾが死ぬことはない。ならば、理屈ではどんな過酷な旅でも可能ではあるが、身体をボロボロにしては意味がない。

 身も心も、最高の状態に仕上げた上で、剣士の前に立つ必要がある。


 「そういうことじゃ。ただ、わしにとって、9年は短いが、人族にとっては長い。だから、わしは大きく三段階と考えておる」


 「それはどういった?」


 「(1)迷宮巡り、(2)戦場巡り、(3)剣士探し、じゃな。剣士探しは、出会うことが運命じゃから、特に必要もないのかも知れんが、幻視で見せられた「場所」が曖昧での。現状、どこで出会うのか分からん。剣士を事前に捕捉出来れば、地の利も期待出来よう」


 「なるほど」


 「日にちも不明。ただし、季節は冬じゃ」


 「1824年が確定しているのなら、1月から2月、あるいは年の瀬の12月から13月ってとこですか」


 「そうなるの。お主には、『迷宮巡り』の計画に参加してもらいたい。それと、出来れば、迷宮の次の、『戦場巡り』に適当な人物との繋ぎも欲しい。一応、わしにもアテはあるが、役に立つかどうか不明じゃ」


 「了解しやした。現時点でのあっしの予想だと、『戦場巡り』なら、中央大陸が主戦場になるでしょう。『神聖シンバ皇国』って変わった名の傭兵団があちこちと派手にやってまさぁ。『神聖シンバ皇国』は間違いなくデカくなりやすから、五大国が本腰を入れて来れば間違いなく大乱になりやす」


 「『神聖シンバ皇国』とはまた意味深な団名じゃのぅ」


 「それと、西王平原は相変わらず、小さな紛争が続いておりやす。どちらも、9年後はどうなっているか分かったもんじゃござんせんが」


 「最近は世事にすっかり疎くての。もっとも、魔術師にとっては世事に疎いことは、逆に魔術師として充実しておる証拠とも言えるが。『迷宮巡り』の期間は最大で4年。契約金は4億セラ。前金で2億セラ払おう」


 日本円換算で約40億円、前金は20億円になる。

 契約期間の4年は長いようで短い。短いようで長い。

 ハイデンはいくつか候補があるのか、腕を組んで考える。依頼を受けることはもはや決定事項のようである。

 S級クラスの強者が、さらなる上を目指そうと思えば、入る迷宮は限られる。

 そもそも金や素材が目的ではないのだ。どこの迷宮でも良いというわけではない。逆に、コスト的に見合わず、誰にも見向きもされない迷宮が候補になることもあるだろう。


 「(資産を全て吐き出してでも、エンゾ殿は目的を達するつもりだな。エンゾ殿が死ぬのは9年後だから、逆に言えば、それまでは死なない。だったら、思いつく迷宮がいくつかあるが……)」


 「この条件じゃ、不服かの?」


 「……ここで芋引いちゃぁ、あっしの男が廃るってもんでさぁ。2億もありゃ、ここの賭場を畳んで、商会のもんに渡す手切れ金としちゃ、多すぎるくらいでさ」


 ナワバリを他の親分衆にでも売れば、さらに資金は増える。引退後の生活は安泰だろう。

 ハイデン・コークの手下は13人。

 古株は解散を渋るだろうが、小さな店でも用意してやれば、納得するだろう。


 「出発は5月1日を予定しておる。一ヶ月ちょっと先じゃな。もちろん、ユリジアにも戻って来るし、行ったきりではないぞ。さすがにユリジアから貴族年金を貰っておる立場じゃ、行ったきりは難しいしのぅ。それに、どうも、ヒロトに女が出来たようじゃ。ヒロトとしても、惚れた女には会いたかろう」


 「くふふふ」


 「どうした、ハイデン。わしがヒロトと女の仲を気にするのが、そんなにおかしいかの」


 「くふふふはははは。違いやすよ、震えているんでさぁ! エンゾ殿、本当にありがとうございやすっ! 良くぞ、良くぞ、あっしのところにこの話を持ってきてくだすった! あっしの仕事は、エンゾ殿とヒロトさんを最高の状態にして、戦場に送り出すこと。あっしは、この4年に、あっしの残りの人生全てを賭けやしょう」


 エンゾの腕を取り、涙を流さんばかりに感謝の口上を述べるハイデン。


 「英雄」の最後の花道を飾る。

 それがかつて、斥候としてA級クラスの実力がありながら、B級にすら昇級することなく、C級のまま引退したハイデン・コークに与えられた仕事である。


 実力がありながら、彼が昇級しなかった理由は、彼が名前が売れることを人生の成功と考えなかった変わり者だからだ。

 名を売りたくなかったハイデンが、表社会よりは、裏社会において名を馳せさしめたのは、結果的には皮肉だろう。


 本人が望むと望まざるとに関わらず、現在のハイデン・コークは裏社会ではそれなりに名の知れた存在である。

 クランはハイデンも合わせてわずか14人と少ないが、武闘派が揃っているし、指令を出すハイデンは、かつて斥候として、A級クラスの実力と言われた男である。賭場での収益がクランの稼ぎのメインではあるが、小さなバーなども何軒か所有していた。


 果たして、ハイデン・コークにとって、それらを全て捨ててまで、エンゾの誘いに乗る価値があるのか。報酬も多いが、失うものも多い。

 命の保証はない。


 「これはわしの拠点の住所じゃ。用がある時は、いつでも訪ねて来るが良かろう。そこの隣のブロックに、オープン前じゃが、『シュバイツ大森林亭』という料理屋がある。家が留守の時は、そこを訪ねよ」


 「『シュバイツ大森林亭』……」


 もちろん、シュバイツ大森林のことは有名である。

 エンゾの苗字がついた広大な森であるが、いくら何でも、「シュバイツ大森林亭」というのは、あんまりな店名ではないかとハイデンは内心ごちる。


 「じゃぁの、あまり遅くならんうちに帰るとしよう」


 「エンゾ殿、そこまで送りましょう」


 「いらん、いらん。それよりも、もし、ヒロトの女に会ったとしても、容姿について妙なことは口走らんことじゃ。ヒロトに殺されたくなかったらな」


 エンゾは見送りを断り、足取りも軽く部屋を出て行った。

 一体、どんな女なのか、逆に興味が湧くハイデンであった。英雄の弟子にして、大陸最強の魔術師の女とは、どれほどのものか。


 ハイデンはそもそも女の容姿どころか、ヒロトの歳恰好さえ聞き、漏らしていたこと気付いた。

 それほど、興奮していたということだろう。


 ハイデン・コークは一人、苦笑した。

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