第31話 「シュレイ・カールトン(2)」
「どうしよう……」
客が全て掃けたホールの椅子に座ったシュレイは、ぼそりと呟くように言った。
「……サリム、片付けは良いから、外で遊んでおいで。今日はもう店を閉めよう。材料もないし、客の注文を断るのも億劫だ」
椅子がギシっと鳴る。
シュレイの身長は223cm。
体重は120kgを超える。
もっとも、小顔で手足が長く、身体全体のバランスは良い。付くべきところにはちゃんと肉が付いているので、モデル体型というよりは、バレーボールやバスケットボールの選手のようなイメージか。
見た目以上に体重が重いのは、種族特性も関係しているのかも知れない。
店内の椅子は頑丈に作られているが、シュレイは無意識にソッと動く癖が付いていた。
「母ちゃん、おいらたち奴隷になるの? 奴隷になるのは良いけど、母ちゃんと別かれるのは嫌だぞ」
「母ちゃん、ブスだからねぇ、こんな身体だし。奴隷になっても、買ってくれる人がいるかどうか……」
それは、現実にあり得る未来であった。シュレイは身体に比例して、当然ながら力もある。鉱山などに回されるかも知れない。しかし、そうなれば、サリムとは別れなくてはならないだろう。
サリムは9歳。鉱山人足として働ける体力は――十分以上にあった。ゆえに問題なのだ。
幸か不幸か、少なくともサリムの見た目には、巨人族の特徴が出ていない。
「おいら、母ちゃんを買ってくれる人を探してくるよ!」
「ちょっ、お待ち! サリム!」
サリムは店を飛び出した。
自分たちを買ってくださいとでも、通行人にお願いするのだろうか。
「馬鹿な子……」と一言呟くと、シュレイは両手で顔を覆った。
「うぐっ、ぐっ、せめて、サリムだけでも、良い人に買って貰えたら……うぐっ、エドラの神様、お願いだから、あの子だけは不幸にしないでやっておくれよ……っ」
サリムが店を飛び出すと、一ブロック行ったところで、空き家の前に数人が集まっている。何かの交渉をしているようだ。
そこは数ヶ月前から空き家だったところだ。場所は悪くなかったが、それはあくまでも庶民にとって。小金持ちの者からすると、区画全体が薄汚れていて、あまり食指が動く物件ではなかったのだ。
次はどんな人が住むのだろうと、サリムが思っていた家だった。
「では、何かありましたら、キンダー不動産に宜しくお願いします。外注になりますが、家具でも、カーテンでも、何でも承りますよ」
「その辺りは、備え付けのもので構わんよ。ありがとう。内装や外装で、気付いた点は後で注文しよう」
「かしこまりました。しかし、一年のほとんどの月を『迷宮巡り』ですか。さすがは、『英雄』エンゾ様ですな。家賃は一括で頂きましたし、管理はお任せ下さい」
「別に、誰かを住まわせても良いんですよね」
当然、誰を住まわせるかは決まってる。
その時、ヒロトの索敵用結界に、この場の会話に聞き耳を立てる者の存在が引っ掛かった。
「もちろん、構いませんが、勝手に見知らぬ方を住まわせるのは勘弁下さい。管理する者が驚いてしまいます。事前にお知らせ頂ければ、全く問題はありません」
「(ほとんど住まないのに、一括で家賃を? 金持ちか? 『英雄』って何だ? あの爺さん、偉い人なのかな)」
「では、私はこれで失礼します」
「あ、ウェイバンさん、ケイラン商会というのをご存知ですか?」
ケイラン商会は、シュレイに暴言を吐いた商人と共に、シュレイが背負う借金の債権者だ。金でカタのつく話なので、荒事になることはなかろうが、事前に知っておいて損はない。
「ケイラン商会なら、王都の西にユリジア支店があります。手広くやっている大店ですよ。何か購入の予定でも?」
「ええ、奴隷予定の母子を」
「え?」
サリムは驚いて、思わず声を出してしまった。
ヒロトはサリムの方を向いていた。
「お前、サリムとかいう、飯屋の子だろ? 出て来い」
「お、お前がおいらと母ちゃんを買うのか?」
自分たちを買ってくれる人を探して来ると言って、店を飛び出したのに、いざ見つかると、不安の方が大きくなるのはどういう訳か。
サリムの視線には、ヒロトたちを咎めるような力がこもっていた。
「売っていればな。店にいた商人の名前が分からない。ケイラン商会という名前は聞いたが、お前はあの商人の名前を知ってるか?」
「本当にお前が買ってくれるのか?」
「ああ、ここに住んでも良いぞ。部屋はあるし。俺たちが家を空ける間、留守番してくれれば良い。シュレイさんと店を続けたいなら、続けても良いぞ」
「な、何でそんなことを……。母ちゃんはブスだし、俺はまだ小さいし……」
ヒロトの発する禍々しい魔力の奔流が、周囲に立ち込める。すぐに魔力異常に気付いたウェイバンが腰を抜かした。ただの不動産屋の営業担当が耐えられるようなプレッシャーではない。
魔力だけではなく、ヒロトの眼が完全に据わっていた。
「誰がブスだって? 今度、シュレイさんのことをブスだと言ったら、息子のお前でも、ブチ殺すぞ」
「「「「!!」」」」
一同に衝撃走る。
「(こりゃ、いかん。あの女のことは、二度と悪く言わんでおこう。どうやら、ヒロトは完全に本気のようじゃ)」
エンゾ、ウェイバン、サリム、ソラン、その場にいた、ヒロトを除く全員がヒロトの「ブチ殺すぞ」という言葉に恐怖した。
サリムは圧し潰されたように、地面に張り付けられている。
「返事は?」
「ご、ごめんなさい。二度と言いません」
サリムの謝罪によって、一気に空気が弛緩した。それでも、ウェイバンは腰を抜かしたままである。
ソランも膝がガクガク震えていた。ランチの時、「きれいじゃない」と言ったことを思い出したのだ。
「それとサリム、これはまぁ、何というかあまり関係ない話だが、一応確認だ。父親はいるのか?」
「俺が生まれる前に死んだって聞いてる」
一切の憂いはなくなった。
躊躇も不要。
ただ、目の前の道を真っ直ぐ往くだけだ。
「師匠、私はシュレイさんに話を通してきます。どういう契約なのかも分かりませんし、詳しく話を聞いてきたいと思います。晩飯の時間にシュレイさんのとこに集合で良いですか?」
「ヒロトさま、わたしもついて行きます!」
「か、構わんぞ。しかし、お主、本気じゃったんじゃな。あんな――」
「醜い女を」と続けようとして、エンゾは危うく言葉を飲み込んだ。再び、異様な緊張感がその場を支配していた。
「本気も何も、何か冗談が入る余地でもありましたか? どれくらいの金額になるのか分かりませんが、一応、金額の目安とかあれば教えてください」
「まぁ、母子二人で、どんなにボッタ食っても、100万セラは行くまい。建物はボロだし、価値はあるまいよ。土地代300万セラが良いとこかの。全部ひっくるめても400万セラもあれば十分じゃ」
正確には「借地権」である。
王都の土地は基本的に全て王の物だからだ。
当然、売買には税金が発生するし、借地権者には地代も発生する。
「そうですか。シュレイさんに詳しく聞いてみます。サリム、お前が案内しろ」
「わかりました」
サリムを先頭に、ヒロト、その後をソランがとことこ付いていく。
その様子をエンゾは感慨深げに眺めていた。
「(異世界人には、本当にあれが美人に見えるのかのぅ。わしには、気味の悪い巨女にしか見えんのだが……。それとも、異世界人は顔と身体を別々に認識するのか。あるいは、巨人族は異世界では人気の種族なのかも知れん)」
もちろん、逆である。
地球には巨人族は存在しない。北欧など、女性の平均身長が170cmを越える地域もあるが、寒冷地ほど体表面積が広くなるという、ベルクマンの法則に従った結果であり、ローカライズの範疇は超えていない。
地球には巨人族がいないからこそ、ヒロトには忌避感がないのだ。
一ブロックの距離しか離れていない為、カールトン亭にはすぐに着いた。先ほどまでとは打って変わってヒロトの足が緊張で震える。ソランは置いてくれば良かったと後悔し始めていた。
「か、母ちゃん、買ってくれる人を探してきたよ」
「探して来たって、さっき出てったばかり――ああ、さっきのお客さんかい。冷やかしなら止しとくれ。これでも、器量が悪いのは自覚してるんだ」
ヒロトにはシュレイが本当に自分をブスだと思っているのか、判断が付かない。
アラトにも鏡は存在する。だから、鏡で自分の顔を判断することは出来るのだ。鏡を見れば、自分が美人であることくらい、理解出来る筈だろう。単に、珍しい巨人族の血が入っているから、そう思い込んでいるだけではないのか。
とは言え、いくら考えたところで、今のヒロトに正しい解答を引き出す材料はない。
「わた、私が聞きたいのは、そういうことではありません」
「じゃぁ、何だい? 子供をからかって、その親まで馬鹿にしようってのかい?」
シュレイの目が猛禽類を思わせる、鋭い視線に変わった。
ヒロトのような若者が、奴隷を買うほどの大金を持っているはずがないと決めてかかっているのか。
「(とにかく、交渉だ。つか、怒った顔も綺麗だな)」
そもそも、わざわざ他人の器量を笑う為に、店を訪れる者がいるだろうか。しかし、相手が早とちりをしている以上、誤解を解かなくては話は始まらない。
「まず、話を聞いてください。私は魔術師をやっていますヒロト・コガ。こちらは弟子のソラン。師匠はエンゾ・シュバイツと言いまして、結構有名人です」
「その有名人の弟子が、どうして、私なんかを買いたいのさ」
「英雄」エンゾ・シュバイツの名はユリジア王国に住む者なら、知らない者はいない。救国の英雄とされているからだ。
ヒロトがエンゾの弟子だということを、シュレイは信じただろうか。
ほんの30分ほど前、エンゾは客として店にいたが、ここは写真などない世界。「英雄」の顔は、名前ほどには知られていない。
「おてっ、お手伝いさんを探していたのです。実は、さっき、一ブロック先の空き家を借りることになったんですが、職業柄、家を空けることが多くなりますので、留守番をお願いしたいのです」
「留守番なんて、わざわざ奴隷を買わなくても、不動産屋に管理を頼めば良いじゃないか」
正論である。
エンゾもそう思っているだろう。食事は近所の者に、アルバイトとして配送させれば、小銭稼ぎになると感謝されるだろうし、家の管理はキンダー不動産に任せる方が安心だ。
「い、いや、それはその、しゅ、シュレイさんが良いのです」
ヒロトは顔から火が出そうである。
膝はガクガクと震え、言葉が早回しになっていないか、意識するだけで一杯一杯であった。
圧倒的な美人とは、圧倒的な強者と同じく、相手を威圧するものらしい。
椅子に優雅に座った(ようにヒロトには見える)シュレイの姿はそれだけで絵になった。長い手足を組み替えるたびに、ヒロトの心臓が高鳴る。
「?」
シュレイが感じたのは違和感。
ヒロトが身体の大きな自分を怖がっているのかどうか分からなかったからだ。怖がっているにしては、言ってることも、やろうとしていることも肝が据わっている。何しろ、本人に「買いたい」と交渉に来ているのだから。
シュレイは今はまだ、奴隷でも売春婦でもない。「買いたい」と言われて、「はい、売ります」とは返答しかねるのだ
また、自分の容姿を気味悪がっているのとは、少し違うように感じられた。「買いたい」と言いながらも、何やら自信無さ気にモジモジしている。
実際は、ヒロトの股間の小龍が成長し、自己主張をし始めている為、どうにも腰が落ち着かないだけである。
「(やはり、魅了系スキルの類ではないな。体外魔力が全く反応しない。単純に、圧倒的な美人に対して、俺の心と身体が興奮しているだけらしい)」
しかも、その美人を金で買える状況であり、それを本人と交渉しているのだ。
一夜の売春婦を買う値段交渉ではない。元日本人にとっては、この場が異常空間なのは確かである。風俗店にすら行ったことのないヒロトには、体調の変化に、混乱するばかりであった。
「いえ、既に買うことは決めています。商人の話では、オークションに出すとのことでしたので、いくらになっても落とすつもりです。ただ、その場合、高額になり過ぎる可能性がありますので、その前に、話がまとまれば良いと思いまして」
「魔術師さんは私をからかっているのかい? こんな、顔は人で、身体は巨人なんていう女がどうして高額になるんだい? しかも、子連れの年増だ。サリムと別れるくらいなら、いっそ心中するつもりだよ」
「(年増て自分で言うのかよ。まだ20代だろ……)」
ヒロトにお世辞のつもりはなかった。自然と出た言葉である。圧倒的な美人というものは、纏うオーラが一般人と違っている。そのオーラに飲まれたのだろうか。
アラトの一般人にとっては、シュレイは「ブスの大女」だという認識がありながらも、何故か、オークションになれば、高額の競争入札になりそうな気がしたのだ。
一方、シュレイの方もお世辞だとは思っていなかった――というよりも、ヒロトの正気を疑う感情が湧き始めていた。ヒロトがお世辞ではなく、本気でそう考えているように感じられたからだ。
ヒロトの好意が伝わりつつあった。
「オークションになっても、ならなくても、二人とも買うつもりですよ。ついでにこの店も」
「っ……そりゃ、ありがたい話だけど、あんたに一体何の得があるんだい?」
破格である。
母子一緒に買う上に、店も同時に購入すると言う。身請けした上に、店を持たせてやる、と言っているのだ。ちょっと普通ではあり得ない待遇だ。
ヒロトも混乱しているが、シュレイも混乱していた。
ソランもサリムも息を飲んで、二人の様子を見つめている。
覚悟を決めるのは、ヒロト・コガ。
蛮勇を奮うのは今この時。
「そ、それは、その、しゅ、シュレイさんの料理が毎日たべっ、食べられれば、私も、師匠も、ソランも、健康にも良いですし……」
覚悟は決めた。
しかし、蛮勇を奮うには至らない。あと一言が足りないのだ。恋愛経験の無さがここに来て露呈した。
「ヒロトさま、もう少しよく考えた方が良いです。この人はヒロトさまにはふさわしくありません」
ソランが思わず声を上げた。
ソランは、奴隷や売春婦などの詳しいことは何一つ知らなかったが、ヒロトが目の前の気味の悪い大女を迎え入れようとしていることは理解できた。そして、その理由が、食事などではなく、ヒロトの好意から来ていることも。
だからこそ、不安が湧き上がり、声を出さずにはいられなかったのだ。
仮にヒロトがシュレイを迎え入れたとしても、ソランへの情が減るわけではないだろう。
それは幼いソランも理解していた。
だが、子供というものは、頭で理解するよりも、感情で理解するのだ。
まぁ、一言で言うと、ヤキモチである。
「こ、こら、ソラン、俺はそういう話をしているんじゃないんだ。これは高度に建設的にして未来的、そしてビジネス的な話だ。俺はシュレイさんと大事な話がある。サリムとそっちで遊んでろ」
「い、いえ、だまってますので、ここにいます」
ソランとしても、ここで引き下がるわけにはいかない。
「ビジネス」が何のことだかは分からなかったが、ヒロトがソランのことを誤魔化そうとしていることは理解できた。ならば尚更、今、ここを離れるわけにはいかなかった。
5歳児にとっても正念場らしい。
「……そうか」
「……」
妹だろうか。まさか、娘ではないだろう。
シュレイはソランのヒロトへのヤキモチを目の当たりにして、ヒロトが本気で自分に対して好意を抱いているのではないかと疑い始めていた。これだけソランから慕われている男が、まさか、何か下心があって自分を買おうとしているわけがないと思えたのだ。
もっとも、ヒロトにすれば、「下心」しかないわけだが。
女性にとって、男性の「下心」は、時に「好意」と区別が付かない。
「そっちの子は、こんなブスの大女は嫌だってよ。まぁ、良い、サリムと二人揃って買ってくれるというのなら、本当にありがたい話さ。知ってることは全部話すよ」
シュレイの心がポッと熱くなったが、あくまでもぞんざいな姿勢は崩さない。
サリムの手前もあったが、良い歳をして、とんだ勘違いで間抜けを晒すのは御免だったからだ。
「ありがとうございます。まず、把握している借金総額を教えてください」
「約300万セラ。その内、元本は180万セラ。サリムが生まれて、ここを構えたのが、9年前。出店資金は40万セラだったから、当時の手持ち資金の20万セラ以外は、9年掛かってコツコツ溜まった借金さ」
利子を除くと、9年で160万セラの累積赤字。
年13ヶ月として、平均すると、月1万4000セラ。日本円にして、月14万円ほどの赤字になる。コツコツと溜まった借金とのことから、一気に増えたわけではなく、「そういう商売」をしていたのだろう。
「結構、流行っている店のようですが月平均1万4000セラも赤字が出るとは思えません。母子二人が食べていくだけで、そんなに赤字が累積するものですか? この店は持ち物件ですか?」
「そんなわけないだろ。家賃は月2万5000セラ。家賃は3年前に2000セラ上がったけど、それよりも、材料費が上がってね。特に塩と、魔石の値段だ。商会との契約もあったしね」
店舗家賃を払いつつ、母子二人食いつなぎ、商売を続けて、月14万の赤字なら、それほど酷い商売というわけでもない。駄目な飲食店は1年持たないのがヒロトの感覚だ。
構造的な問題が考えられるので、経営の形態に手を加えれば、すぐに黒字転換しそうであった。
ここ『カールトン亭』の立地とフロアサイズなら、日本円で月25万円の家賃は適正である。王都とは言え、中心部からは離れている。ライバル店が少ないので、流行れば儲けは大きいが、流行る流行らない以前の、経営上の構造的な問題があるのだろう。
ちなみに、ヒロトたちが借りた7LDKの拠点よりも家賃が高いのは、住居目的ではなく、商業目的だからだ。商業目的の建物には住居目的よりも割高の税金が発生する。その分、家賃に上乗せされているのだ。
「商会との契約とは?」
「塩も油も肉もパンも、一定の値段で仕入れる、という契約さ。ただし、魔石だけは時価だけどね」
「仕入れ予約」である。母子二人で商売をやるなら、仕入れや経理の手間は少しでも省きたいところだ。一定の値段なら、物価の変動に左右されないので、リスクを限定出来る。もちろん物価が下がれば、差損が発生するが。
「なるほど、物価が下がったと言うことですか」
「魔術師さんは頭が良いんだね。その通りだよ。私は最近、やっと理解出来たくらいさ。契約した時は十分安いと思ったんだけどね。今となっちゃ、材料が高くて、ほとんど儲けがないのさ」
しかし、ヒロトはそれが原因ではないと考えていた。
材料費問題ではなく、運転資金が少なすぎるのだ。
家賃が25万円の飲食店なら、売り上げは月100万円は必要だ。5日間の休店日を設ければ、日に4万円ほど。一人1000円くらいの売り上げが目安なら、一日40人の客で良い。一人2000円なら、わずか20人で済む。飲食店に客が入るのは、基本的には昼食時と夕食時の二回だけだが、これで儲けが出ないなら、経営者は無能である。
だが、無能であるがゆえに、月に14万円の赤字で済んだ、とも言えた。もっと経費を掛けて、従業員を増やしていたなら、9年も持たなかったかも知れない。
「他の商会から仕入れることは出来ないのですか?」
「ケイラン商会に話をしたら、受けてくれたんだけど、材料は一括してマクマホン商店から仕入れる契約だったから、マクマホン商店が怒ってしまって……」
「借金を全額今すぐ返せと」
「そういうことだね」
マクマホン商店はシュレイを借金漬けにして、細く長く利益を上げようと考えていたが、ケイラン商会が入って来た為、方針転換したということだろう。
「(魔石は時価、というのもマクマホン商店にとって、都合の良い条件だな。店の経営状態を見ながら、魔石の値段で調整すれば良い。そうすれば、生かさず殺さず、細く長く儲けられる。つまり、マクマホン商店は、店の経営を軌道に乗せる気がない)」
ヒロトはそれをマクマホン商店の非道な商売とは思わなかった。むしろ、商売として、まっとうな部類だ。状況を理解できていないシュレイの方にこそ、問題があるのだ。
「全部、私が払いますよ。この店も随分痛んでますので、建て直しましょう。いっそ、別の場所に新築しても良いですよ。いずれにしても、明日の交渉には同席させてもらいます」
「正気かい? 家の留守番は100歩譲って分かるとしても、店をやらせる意味がどこにあるんだい? 運転資金だって必要だ。あんたがブス好きの変態だって方が、まだ理解できるよ」
「ブス好きの変態」というのは、彼女の28年の人生において積もり積もった自虐である。
鏡で顔だけを見ている時は、それほど感じない。しかし、服屋で全身鏡を見た時、その異様な風体に、愕然として固まった。その後、服屋の主人が横に並んだ時、吐き気を催したほどであった。
自分の顔と身体のバランスが、人族でも、巨人族でもなく、ただ奇妙な巨大生物のように思われたのだ。
「(どうしてそこまで自虐的なんだ? 意味がわからん)」
シュレイも、ヒロトの様子がただ事ではないことを悟り始めていた。ただの好意ではなさそうな雰囲気である。目の前の若い男は、自分をからかっているわけではないと。
それは、10代の頃、夢見たことはあったが諦めていた感覚であった。しかし、日に日に巨大に成長していく身体と共に、その感覚は失われていった。
「もちろん、私は正気ですよ。それに『ブス好きの変態』でもありません。店を続けることは、私には意味がなくても、しゅ、シュレイさんには意味があるのでしょう?」
それは、相手に嫌悪感ではなく、好意を持たれるという感覚。
事実であろうと、勘違いであろうと、それは重要ではない。
「私に好意を抱いているのでは?」と思える感覚が重要なのだ。その感覚は何もないところからは生まれない。相手の言葉、仕草、声、動揺、様々な情報が自信につながり、結果、「私に好意を抱いているのでは?」という感覚が生まれるのだ。
そして、さらに上位の感覚がある。
「私は目の前の男から好かれている」という感覚。
サリムは愛する相手との間に生まれた子ではない。
盗賊に襲われ、肝試し感覚で犯された時に宿した子であった。犯される最中、周囲の盗賊たちが笑い、煽る声が耳に蘇る。
それでも尚、サリムが生まれた時、シュレイは神に感謝した。
サリムが、自分のような奇妙な生物ではなく、顔も身体も人族の特徴を持っていたからだ。
わが子を見て、自分が単なる「奇妙な巨大生物」ではなく、人族と巨人族の間に生まれた者だと確信出来たのだ。
自分の中には、人族の血が流れていると。
「シュレイさんは料理が美味しいですし、そ、それと、シュレイさんは、き、綺麗ですよ。私は本当にそう思います」
ヒロトの蛮勇は今、敢然と奮われた。
声が震えているのが分かった。
耳が遠くなり、自分の声がはっきりと聞こえない。
二度同じミスは犯さない。
それがヒロトの信条である。
シュレイの目から涙が流れた。
どうして涙が流れたのか、シュレイには意味が分からなかった。
「(何という美しさ……これはちょっとした事件レベルだぞ)」
奇跡的に整った顔が涙で濡れる様は、上等の絵画のようであった。今すぐ抱きしめたい衝動に駆られたが、別の衝動が喚起されそうだったので、ヒロトは必死で抑えた。
どういうわけか、目の前の男は、本気で自分のことを綺麗だと思っているようであった。目がおかしいのかも知れないし、美的感覚が狂っているのかも知れない。
ただ、本気なのは間違いないとシュレイは確信する。
もし、それが演技だと言うのなら、もう、誰も信じられないだろう。
「「……」」
ソランとサリムは呆然としていた。
なぜなら、ソランとサリムにとっても、シュレイはお世辞にも綺麗と言えるような容姿ではないからだ。にも関わらず、不思議と、ヒロトが嘘やお世辞を言っているようには思えなかった。
ヒロトは顔を真っ赤にして、照れながら告白をした。
地球で37年、アラトで1年、合計38年生きてきて、初めての告白である。
「好き」という言葉は発していないが、言ったのと同じであった。
告白すると膝が震え、立っている感覚が失われるということを、ヒロトは学習した。
「うふっ、ありがと」
本日、二度目の無意識ブレス発射。
シュレイの涙を見て、抱きしめたい衝動を抑えていたところに、ニコリと笑って、「ありがと」。
ヒロトのハートと股間の小龍改め、竜王は完全に打ち抜かれた。
はずみで、パンパンに成長した竜王がブレスを放射してしまったほどだ。
怒張した竜王は案外堪え性がなかった。
「(俺の身体は、一体、どうなっているんだ?)」
いくら何でも異常であった。
ヒロトは異常性欲者ではない。
どちらかと言えば淡白な方だ。
ヒロトは我がことながら、告白しながら射精する者の存在が信じられない。
触れてもいないのに、日に二度も射精など、ヒロトは自身の身体に異常があるとしか思えなかった。
「(シュレイさんを見るまで、アラトに来てからそんな兆候は無かったんだが……)」
さすがに二度目ともなると、漏らした熱い青春の血潮も、あっという間もなくピンポン球サイズの石弾になっていた。
出会ったその日に告白するという、熱に浮かされていたとしか思えない所業。
「異世界の恥はかき捨て」の気分もあったのかも知れない。実際、二度もカキ捨てている。
以前の自分からは考えられないような偉業。
やり遂げた満足感。
「(何が理由か知らんが、レベルが上がったらしい……)」
ヒロトはエンゾが夕飯の為にカールトン亭にやって来るまで、陶然と、シュレイが店内を掃除する姿を眺めていた。




