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 第23話 「詰み」

 時間は、朝10時を廻ったところ。

 ヒロトがコトリバチの討伐に出かけてから、4時間以上経っている。討伐自体に4時間も掛かったわけではなかったが、往復の行程や、採取などに時間が掛かったのだ。

 ヒロトとソランが村に戻ると、村の青年二人が驚いて飛び出してきた。農作業の準備中だったのだろうか。一人は引き返し、村長を呼びに行ったようだ。


 宿にしている村長宅の離れに着くと、村長が恐る恐る聞いてきた。


 「あの、討伐の方は……」


 「ええ、済みましたよ。巣は解体して、素材も全て採取済みです」


 村長と、その妻であろう女性が驚きで目を見開いている。

 ヒロトにしてみれば、十分働いて、一仕事終えた気分なのだ。

 しかし、村長夫婦にとっては村の存亡が掛かっている。村長は、コトリバチの巣は、数日掛りの討伐になると聞いていた。いくら「英雄」と噂に高いエンゾの弟子と言っても、昼前に討伐完了は、あまりに早すぎた。

 「討伐は済みました」と言われて、「はい、そうですか」と受付票にサインするわけにはいかない。

 ようは、ヒロトが本当に討伐したのか、疑っているのだ。


 村長としては、問い質したいところだが、討伐を終えて、揚々と戻ってきた冒険者相手に、なかなか言い出し辛い。村長が言葉に窮していると、ヒロトがマギバッグから女王蜂の氷漬けと、ハチミツの壺を一つ取り出した。


 「ハチミツも蝋も十分な量が採取できました。ちょっとした収入になるでしょう。これはお(すそ)分けです。氷漬けの方は、気持ち悪いようでしたら、引き取ります」


 ヒロトが氷の表面を溶かすと、白く曇っていた霜が透けて、氷の中の巨大な女王蜂が晒された。

 体長1m近い代物である。


 「こ、これがコトリバチの女王ですか……。何とも、凄まじい姿ですな……」


 「わたし、初めて見ましたわ」


 早朝から一仕事終えた村人が、少しずつ村長宅に集まってきた。

 ちょうど、一休みの時間だったのだろう。


 「ハチミツはありがたくお受けします。巣の討伐、本当にありがとうございます。しかし、女王蜂は申し訳ありませんが、お引取り願います。もし、女王蜂から匂いでも出ていて、ハチが寄ってきては、我々では対処できません」


 「なるほど、その可能性は考えていませんでした。仕舞っておきましょう」


 ヒロトが女王蜂の氷漬けをマギバッグに仕舞おうとすると、村長の妻が、慌てて制した。


 「すみませんね、勝手言って。でも、今、その辺りにいる人だけにでも、見せてあげて欲しいんです。コトリバチの女王蜂なんて、珍しいものですから。こんな田舎の村でしょ、珍しいものには皆、目が無いのですよ」


 「もちろんです。明日の晩にでも、一席、お願いできますか。その席で、村の皆さんにも見て頂きましょう」


 「ああ、そっちの方が良いかも知れませんね。でも、今日の晩でなくて良いのですか? もう巣の討伐は済んだのでしょう?」


 「ええ、コトリバチの巣は討伐済みですが、別の用事もあるのです。師匠が出向いていますが、私たちも午後から参加します。一応、今日一杯は、巣の跡には近付かないで下さい」


 「そうおっしゃるのなら、言われた通りに致します。何、昨日の今日で、巣の討伐が完了したとは、誰も考えていないので、大丈夫だと思います。しかし、他にも依頼があるのですかな? 冒険者というのも大変な仕事ですな」


 「そうでもありませんよ。とにかく、離れで一休みさせてもらいます。行こうか、ソラン」


 「はい」



 二人の足元には、ハチミツの入った壺がだけが残された。村長の妻は、持ち上げてみようとして、その重さに驚いた。


 「これ、凄く高いのでしょう? 4~5Lは入ってそうですよ?」


 「うむ。わしも昔、王都の商人からチラリと聞いたことがある。コトリバチのハチミツは、小さな小瓶一つで、1万セラを超えるそうだ」


 「1万っ! これ、壺一つで、どれくらいするのでしょうか……」


 4Lとして、少なく見積もっても、卸値で最低20万セラ(約200万円)はする。オークションに掛ければ、当然それ以上になる。依頼料が84万セラだから、およそその1/4にあたる。

 高価なものだとは知っていても、正確なところは、二人とも知らなかった。

 そもそも、コトリバチのハチミツは、村人の口に入るようなものではないからだ。


 蓋の構造が分からず、苦労していた村長の妻であったが、回すと簡単に外れた。蓋を外した瞬間、辺りにハチミツの甘い香りが広がった。我慢できなかったのだろう。小指の先にチョンと付けて、舐めてみる。


 「!!」


 「これは凄いな……。ただのハチミツとは全然違うじゃないか。何と芳醇な香りと味よ。よもや偽物ということもあるまい。さすがは『英雄』の弟子。若いのに、大した魔術師殿だな」


 村長も壺の口に付いたハチミツを指ですくって舐めてみた。

 口の中に甘くてコクのある味が広がる。

 香りは芳醇で複雑。

 百姓という仕事柄、通常のハチミツは、たまに採取することもあり、味にも慣れている。買えば高価だが、特に珍しいということはない。だが、コトリバチのハチミツ、その味たるや、通常のハチミツとは桁違いの旨さであった。


 「しかもこの壺の蓋、ピタリと蓋が締まって、恐らく倒れても中身がこぼれることはあるまいよ。栓とは比べ物にならない密閉性だ。素晴らしい工夫だが、王都ではこれが当たり前なのかな」


ヒロトが知らずに作った壺であったが、蓋までは頭が廻らなかったようだ。ネジ式密閉蓋は、少なくともユリジア王国には存在しない。しかも、ヒロトが作った壺は、口が直径で5cm以上ある。通常、液体を入れる普通の壺は、こぼれにくいように、口は小さく、革やコルクなどで蓋をして、麻布で縛るものだ。塩漬けなどに使う広口の壺とは目的が違う。


 アラトの文明度を適当に推し量り、「こんなものか」と作った壺だったが、ネジ山を切った蓋は、実は存在しないオーパーツという罠。

 ハチミツを集めやすいように、広口の壺にしたのが、思わぬ落とし穴になった形だ。

 しかし、ネジ蓋の存在が常識のヒロトからすれば、蓋用の革や麻布を用意する方が手間が掛かる。仕方の無いことだったのかも知れない。


 「壺は頂いても宜しいのじゃありません? ハチミツは明日の晩にでも、宴に来た村人全員に振る舞いましょうよ」


 「それが良いだろうな。こういう戴きものを独り占めすると、ロクなことがないからな」


 余談だが、コトリバチのハチミツの香りは強烈だが、匂いを頼りに、コトリバチが集まってくることはない。甘い匂いに誘われて、通常のハチやハエなどが集まることはあっても、なぜか、コトリバチは寄ってこないのだ。

 ある研究者によると、幼虫の出す分泌物は、コトリバチにとって、エネルギー源ではあるが、「餌」そのものではないのだろうとのこと。


 この件については、ヒロトの知らないことであった。養蜂家は、蜜蝋からミツバチの誘引液を作るが、その辺りの知識も、ヒロトにはなかった。もし、知っていたら、「もしかしたら、コトリバチが匂いに誘われて、寄ってくるかも知れない」と予想しただろう。

 結果的にコトリバチにそのような習性はなかったが、地雷を踏まなかったのは、単なる偶然である。



 「1時間くらいしたら出るぞ。それまで、のんびりしてると良い。靴や装備は問題ないか?」


 「はい。ヒロトさまのとうばつを観察して、ハチミツを食べただけですから」


 「そうか」


 それからヒロトはマギバッグの中を整理して、いくつかの魔法陣を起動させては、細かくチェックしてゆく。

 ソランには、ヒロトが何をやっているのかは分からなかったが、魔術を展開させる為の準備をしていることくらいは理解できた。そして、魔法陣が、魔術に関する、設計図のようなものであることも。


 ソランはしばらくその様子を見ていたが、結局のところ、現在のソランの知識では、これ以上見ていても、正確なところは理解できないと諦めた。


 ソランは離れの外に出る。庭で、氷魔術の練習をしようというのだ。

 花壇の縁に腰を下ろすと、ソランは、ヒロトから聞いた、水の三態を思い出す。


 「(水のつぶは、そこら中にある。小さくて見えないだけ。それをあつめたら水になるはず)」


 ソランが森でヒロトに教わった氷魔術は、カップの中の水を凍らせただけであった。つまり、最初から水は存在していたのだ。しかし、ソランは現在、身一つであり、水はどこにもない。


 「(水は見えなくても、ある)」


 近くの井戸から水を召喚するのではなく、水を作る魔術。

 魔術としては、生活用魔術に属する、簡単な魔術である。だが、体系的に教わることもなく、ただ、ヒロトの見よう見真似で、それは可能なのか。



 可能なのだ。



 「これが水魔じゅつ」



 ソランの目の前50cmほどの位置に、直径3cmくらいの水球が出現した。体内魔力を放出し、水の粒が集まるイメージで、水魔術を展開させたのだ。

 ヒロトは手をかざし、指先で魔術を展開することはない。手をかざそうが、指を出そうが、イメージさえ明確なら、それは意味の無い行動である。だから、ソランも手はかざさない。手は、膝を抱えて、組んでいるだけである。


 初めての水魔術に成功したソランだが、特に喜びはない。出来ると確信していることが、イメージ通り、成功しただけだからだ。また、この程度の魔術で喜んでいるようでは、ヒロトやエンゾたちの弟子としては、相応しくないように思えたのだ。

 大した5歳児である。


 「(そして、これを凍らせる)」


やり方は森でやったのと同じ。目の前に漂う直径3cmの水球。水の分子が動いているから、その動きを止めるのだ。

 急速に熱エネルギーを奪われた水球は、一瞬で氷の球になる。

 ソランが魔術を解くと、ポトリと地面に落ちた。

 実はこの時、ソランは意識していないが、魔術を展開した後、完成した水球や氷を空中に維持するのは無属性魔術である。


 ソランは落ちた氷の球をつまむと、近くで観察する。

 特に変わったところの無い、普通の氷だ。氷の球をポイと投げ捨てる。


 次に、ソランが集中すると、三つの水球が出現し、一瞬で凍った。

 それを三度繰り返す。

 すると、後頭部に鈍痛が走り、視界がグラグラと揺れる。気分も悪くなってきた。


 「これが……魔力けつぼう…」


 森で氷魔術を使った時は、ここまで酷い魔力酔いにはなっていない。森で氷魔術を使った時よりも、多くの魔力を使ったからだ。魔力欠乏よりも重い、魔力枯渇。

 とは言え、回数を考えれば、ソランの効率は大幅に改善している。イメージが、より明確になり、魔力の持つ「実現力」が無駄なく発揮された結果だろう。


 朦朧とする中でも、周囲の魔力が集まるイメージは出来ている――というより、魔力というものは、そういうものであり、それ以外のイメージは出来ない。

 水の粒が集まって水になるのと同様、魔力の粒が集まって、自身に流れ込むイメージである。


 ソランは一気に魔力が回復するのを感じる。


 「(ヒロトさまは本当にすごい)」


 自身の「魔力吸収」が成功したと言うのに、ヒロトを賞賛するソラン。

 ソランは、他の魔術師というと、エンゾ、セレナ、学院の二人の生徒くらいしか知らない。その中ではエンゾが特別だということくらいは分かる。

 しかし、例えエンゾであったとしても、わずか数日前まで飢え死に寸前だった自分を、こうして魔術を使えるようにさせることは無理なのではないかと考えている。


 ソランの魔力は半分ほど回復していた。

 ソランに自覚はないが、記憶力と再現力に関しては、なかなかの才能と言えるだろう。通常、一度成功した魔術だからと言って、すぐに100%再現出来るわけではない。当たり前の話だが、普通は一度成功した後であっても、何度も失敗を重ねつつ、成功率を上げていくのだ。


 最初に作った一個を足せば、全部で10個の氷の球を作ったことになる。ソランの頭に浮かんでくるのは、こんな簡単に魔術が使えるようになるはずはないということであった。

 ヒロトからは「疑うな」と言われている。

 「信じろ」とも。

 しかし、ソランは自分の能力を信じることは出来なかった。餓死寸前にまで追い詰められていたトラウマは、簡単には拭えない。


 ヒロトが出来ると言うから信じている。

 

 ヒロトがまるで疑っていないから信じている。

 

 ヒロトが信じる自分を信じている。


 「(うふふ)」


 ほっこりと幸せな気分を味わっていたその時、ふと気が付いた。


 目の前に落ちている氷の球。

 数は9個。

 一度に三個、氷の球を作った。それを三度繰り返した。数えると、9個。


 「さざんがきゅう……」


 ヒロトから教わった九九を思い出す。

 数を数える為の呪文、あるいは、魔術の詠唱の一種――とソランは理解していた。


 「三個が三つで9っ!」


 氷の球を並べ替えて、2個×3列にする。


 「にさんがろく……二個が3つで6! にしがはち……二個が4つで8!」


 ソランはぷるぷると震えていた。


 主に感動で。

 

 ただの九九であったが、何も知らない5歳児にとっては、魔術の深遠を覗いたような衝撃であった。


 「こ、れは……すごい……」


 必死でヒロトから呪文を教わった時のことを思い出す。

 どうしても「ごろくさんじゅう」までしか思い出せない。思い出せるわけがなかった。その後、九九は中断して、サンドイッチを食べ始めたのだから。


 「(『ごろくさんじゅう』は5個が6つで30ということ)」


 九九は途中までしか習っていなかった。


 そして、またしてもソランに衝撃走る。

 足元の氷を並べ替えると、4個×2列になった。


 「(にしがはち…しにがはち…は、同じ8!?)」


 この日、数学の天才児がアラトに生まれた――


 ――ということはなかった。

 

 特に、ソランに数学の才能はなかったからだ。また、ヒロトにも、数学の天才児を導くような、数学的知識は無かった。

 ただ、記憶力は悪くない。たった一度復唱した九九を、一度で暗記していたのだから。その辺りは、同年代の子に比べれば、多少のアドバンテージとして、今後、ソランの身を助けるだろう。



 「さて、村長さんから昼飯頂いたら、そろそろ――そんなところに座り込んで、どうしたんだ?」


 「ヒロトさま、わたしは『大まどうし』に一歩近づいたようです。ヒロトさまがひまな時で良いので、『ごろくさんじゅう』の次の呪文をおねがいします」


 「お、おぅ」


 ソランの表情があまりに真剣であった為、ヒロトは頷くしかなかった。呪文ではなく、九九であると訂正しようと思ったが、どちらであろうと、実利の面では大した違いはないので、スルーすることにした。



 ◇◆◆◆◇



 コトリバチの巣があった場所で、カミュ・ギルバートは呆然としていた。巣があった場所が、跡形もなく、更地になっていたからだ。もちろん、討伐があったことは伺える。辺りには蜘蛛やアリの魔物が集まって、コトリバチの死骸を漁っていたからだ。それも、半端な数ではない。


 ジベタグモもムシクイアリも村を襲うようなことはない。人にとっては、それほど危険な魔物ではないが、さすがにこれだけの数だと気味が悪い。


 「何すか、これ……」


 「コトリバチの巣の討伐の跡ですよ」


 カミュは討伐した者を確認したかったが、残念ながら、討伐は既に完了し、辺りには誰もいなかった。


 「(これほどの魔導、書き物を途中で放ってでも、先に確認に来るべきだったか)」


 「それは分かりますが、巣はどこにあったんです? 実は俺はガルシアさんに付いていたから、巣は見てないんですよ」


 「この木の根元です。土魔術で巣ごと固めて押し潰し――のわけはないですね、これだけの死骸があるんですから」


 だとすれば、本当にコトリバチの成虫を殲滅し、幼虫からハチミツを採取したのだ。大規模魔術で一網打尽にするなら、バラバラの死骸が散乱することはあり得ない。一匹一匹成虫を殺していったのなら、巣は無事なので、ハチミツの採取が可能となる。


 しかし、これほどの作業を、たった二人、それも一人は子供で可能なのか。


 「ウラル君がアジトに戻ってから、二時間と言ったところですよね。一応、ガルシアさんのところに行って確認しましょう。ガルシアさんは討伐の様子を見ていたでしょうから。ガルシアさんの方向は?」


 「あっちです。今も、俺たちを見ているはずです」


 よく見ると、辺りには石弾が散乱していた。なるほど、石弾なら、成虫だけを殺すことが出来る。しかし、数千匹にも及ぶ成虫を、全て撃ち落すとなると、一体どれほどの石弾が必要となるのか。


 「恐らく数万発……連れの子供は魔力タンクにして、使い捨てでしょう」


 カミュ・ギルバートの常識に照らすと、それが一番妥当に思われた。そうでなくては、危険な場所に子供を連れて行く意味がない。


 ウラルにガルシアの元まで案内させようとした時、カミュは何かを踏んだ気がした。


 それは小さな違和感であった。


 カミュの中に流れる、獣人族の危機察知能力が発動したのだろうか。

 カミュが感じた違和感は、エンゾが伸ばした、極限にまで薄くした索敵用結界であった。


 次の瞬間、ウラルの首が飛んだ。

 吹き上がる血しぶき。

 カミュにも同じ攻撃が飛んできたが、寸前でかわす。

 

 「盗賊団の斥候(スカウト)ごときが、意外にやるのぅ」


 「まさか、『英雄』エンゾ・シュバイツに付けられていたとは……いよいよもって、年貢の納め時ということですか」


 「そのようじゃ」


 カミュ・ギルバート。

 エンゾは斥候と決め付けているが、冒険者ギルド・ホラント支部長にして、元A級冒険者。エルフ族と獣人族狐種のハーフで、62歳。見た目は30代くらいだろうか。長命であるエルフ族の特徴が見た目に出ていた。獣人族は比較的短命なので、62歳というのは、エルフ族の特徴が良い面に出たのだろう。


 「せめて、名前くらいは確認しなくて良いのですか?」


 「興味ないな。死体からでも、名前くらいは確認できるじゃろ」


 エンゾの「風斬り」が連続してカミュを襲う。

 魔術の展開に隙が無さ過ぎて、反撃の隙間がない。カミュはどんどん追い詰められていく。まるで詰め戦棋であった。


 「(これが『英雄』エンゾ・シュバイツ! 召喚陣を出す隙すらありゃしない! A級とS級じゃ、雲泥ですね、っと)」


 獣人族の優れた跳躍力を生かして、5m以上後ろに飛ぶ。大きく避けて反撃の隙を作らないと、ジリ貧だったからだ。

 本来、召喚魔法陣による、魔物召喚がカミュの得意魔術である。

 だが、エンゾの風斬りによる連係と、地面を硬くしたり、柔らかくしたりする土魔術が、地味にリズムを崩す為、なかなか攻撃に移れない。


 連続する風斬りから避けながら跳んだその場所は、背後がそれ以上逃げられないように、石壁でブロックされていた。


 「くっ、いつの間に!」


 背後の石壁に手を触れた瞬間、足元の泥が一瞬で固まる。

 そういう魔法陣が組まれていたのだ。

 動きを完全に止めるほどではないが、一部が石化した泥が、カミュの逃げ足を奪う。

 しかも、一部を石化させるこの奇妙な土魔術は、歩くたびに、周囲の土を巻き込み、少しずつ重みを増していく。石化した部分が、周囲の土をくっつけているのだ。


 「くそっ」とカミュが吐き棄てた瞬間、カミュの耳と左腕が飛ぶ。凄まじい斬れ味の風斬りであった。

 どうやれば、ただの『風斬り』をここまで強力に出来るのか、カミュには意味がわからない。空気抵抗と魔力が霧散することによる威力減衰が全くないようにさえ感じられた。


 「がっ!」


 カミュは片腕を失ったことで、バランスを崩し、右膝をつく。

 人は突然片腕を失うと、左右のバランスが崩れて、平衡感覚を失うのだ。

 

 地面に突いた右膝に対して、エンゾの魔法陣が高速で発動する。あっという間に、土魔術がカミュの右膝から下を完全に飲み込み、固定してしまった。


 カミュは即座にエンゾの土魔術に対して、さらに土魔術を発動させ、石化した部分をキャンセルする。

 ほとんどタイムラグなく高速で発動させるカミュの土魔術は、さすがはA級と言ったところか。

 見事な魔術の応酬であったが、残念ながら、カミュにとっては悪手であった。


 石化した土魔術は、さらに土魔術をかけることによって、土に戻すことが出来る。下半身を固められては動けないのだから、石を土に戻すのは必然の一手。

 しかし、それが悪手になるのだから、エンゾの連係の隙の無さは、まさに完璧であった。


 敵の思考を読む、というよりは、反射を読むというレベルだ。


 ヒロトはこのエンゾの詰め将棋のような連係技が好きだった。自分には無い部分だったからだ。長い時間の修練と経験と研究が見事に融合し、結実しているように感じられるのだ。魔術の研究だけでは足りない。人の研究もまた必要だと感じさせられたものだ。


 右下半身の自由が戻った瞬間、カミュは立とうとして、立てないことに気が付いた。


 「何という速さ……」


 カミュの左半身が石化していた。

 カミュが右下半身の土魔術を解く間に、左半身を固められていたのだ。

 それはつまり、キャンセルの為のカミュの土魔術よりも、エンゾの二度目の土魔術の方が速かった、ということを意味した。


 すぐに左半身を土に戻そうとするが、カミュは寸前でそれを思いとどまった。

 何故か。

 その間にも、カミュの石化した左半身が周囲の土を集めている。

 カミュは右膝を突いた格好で、逃げることはおろか、立つことも、座ることも出来なくなっていた。


 「次に土魔術を発動した瞬間、雷が落ちて黒焦げじゃ」


 カミュは雷魔術の名手でもあった。

 召喚した魔物を使役する為に、雷を使うからだ。残念ながら、自身が発動させることは出来なかったが、エンゾの土魔術に仕掛けられた雷魔術のトリガーは読み解くことが出来た。

 だから寸前で、再キャンセルの為の土魔術を途中で止めたのだ。


 敵をハメる隙の無い連係こそ、エンゾの真骨頂である。


 エンゾが近距離戦においても敵を圧倒できるのは、無数の分岐が、無限の連係を生むからだ。

 技の一つ一つに隙がない上に、相手の取る行動や反射が、次の魔術が発動するトリガーになっている。敵が剣士や槍士であっても、全く苦にしない理由でもある。


 「さすがです。手も足も出ませんでした。ちなみに、この後、私はどうなるのでしょうか」


 「土の圧力で死ぬ」


 「……」


 その時、遠くで凄まじい地響きが起きた。

 ニヤリと笑ったエンゾの一瞬の隙を、カミュは見逃さなかった。


 唯一、動かせる部位――地面に付いたカミュの右手から、召喚魔法陣が広がる。

 ほとんど同時に、待ってましたと、エンゾの『解析』Lv10が発動した。



 あとは魔力を注ぐだけ。

 カミュの展開した召喚魔法陣に登録してあるのは地竜。

 地竜は魔物である。

 非生物ではなく、生きた魔物。


 本来、召喚魔術では生物を召喚することは出来ない。


 「あれが自慢の弟子ですか?」


 「左様。いずれ、わしよりも有名になるじゃろう。しかし、変わった召喚魔法陣じゃな。召喚するのは魔物か?」


 「ええ。しかし、驚かないのですね、魔物を召喚しようとしているのに。召喚するのは地竜ですよ」


 「やはり、コトリバチも召喚用じゃったか」


 エンゾは周囲を見渡し、コトリバチの巣があったであろう場所を確認する。しかし、どこに巣があったのか分からないほど、綺麗に更地に戻されていた。

 討伐の痕跡が知れるのは、あちこちに散らばった石弾くらいだろうか。


 「しかし、綺麗に討伐したもんじゃ。ソランが一緒じゃったからか。ヒロトの魔術ときたら、辺り一面、地獄のようになるからのぅ」


 エンゾは「くふふ」とヒロトの魔術を思い出して、込み上げる笑いを噛み殺す。目の前の敵よりも、ヒロトのことの方が余程気になるようだ。


 「(どうして召喚されない!?)」


 魔力充填は十分である。しかし、魔法陣はゆっくりと回転するだけで、一向に地竜を召喚することはなかった。


 「……召喚対象は魔法陣ごとに個体識別されるのか? 例えば、ランダムに地竜を召喚するわけではなく、特定の個体じゃないと召喚できない、というように」


 「……」


 カミュは自身の右腕だけが無事であった理由を知った。


 「図星か。なら、その地竜はもうこの世にはおらん、ということじゃないかの」


 エンゾは地竜が召喚されるのを待っていたらしい。その証拠に、カミュが召喚しようとしていた地竜が、既にこの世にいない可能性を告げるエンゾの表情は、少々残念そうであった。


 エンゾはカミュの新型召喚魔法陣について、特徴の一つに気付いた。

 「生物を召喚する」新型魔法陣だが、逆に、普通の召喚魔法陣のように非生物、つまり、死体は召喚出来ないらしいと。


 地竜の巣がある方向から、断続的に続く爆発音。

 全てを諦めたカミュの意思そのままに、青い光を放つ魔法陣が、ゆっくりとその光を失ってゆく。


 カミュにとっては死闘であったが、エンゾにとってはそうではなかったようだ。それはS級という圧倒的強者の余裕なのだろうか。

 カミュは聞かずにはいられなかった。


 「……S級というのは、どういう気分なのでしょうか」


 「ん? 別にどうということはないぞ。人が決めた(・・・・・)ランク(・・・)なぞ、目指す魔道の極みへ到着する為の、手形の一つ程度の価値しかないわい」


 自身は人が決めたランクではない、別のランクを気にしているのだろう。

 すなわち、レベル。


 少しずつだが、先ほど解いた右半身も石化し始めていた。土が土を呼び、身体を締め付けてゆく。唯一、自由の利く右手も、このままでは土に飲まれてしまうだろう。


 再度、別の個体用の召喚魔法陣を展開することは可能だろうか。


 そして、魔力を充填することは。


 いっそ、全身の土魔術を解いて、落ちる雷を防御するのはどうか。


 「(どれも不可能でしょうね)」


 もう、次の魔法陣を展開する隙は与えてもらえまい。

 締め付ける石化に対抗する為、強化し続けているので、召喚魔法陣を展開するには魔力も足りない。

 また、雷撃よりも速い技をカミュは知らなかった。

 上手く地面に雷撃を逃がしたとしても、直撃すればどうやっても動きが止まり、二の矢を避けることは出来ないだろう。

 雷の魔術に精通したカミュはそう結論した。



 すなわち、「詰み」であった。



 ならば、せめてもう少しの間、「英雄」エンゾ・シュバイツと話していたい。

 目の前の老境の(ハイ)エルフこそ、かつてカミュが目指した、魔術師の頂点の一つなのだから。


 魔術師の、一つの理想が目の前にいる。


 「私も、S級になってみたかった。あなたのような」


 大きく息を吐いて、カミュ・ギルバートはそう言った。


 「まだ気付かんか。そんな下らんもんを目指しておるから、なれなかったんじゃろ、馬鹿め」


 「英雄殿に、そう言われては、返す言葉も、ありません…」


 もう話すのもキツそうであった。

 エンゾが『石化』と呼んでいるこの魔術だが、ただ全身に土がまとわりつき、石化していくだけではない。石化した石はそれ自体が、一塊になろうとするのだ。つまり、全方向から圧力が加わり続ける。

 イメージ的には、水の中に入った時の水圧に近い。


 「もう一人のS級が来たようじゃ。何しに来たのかは知らんが、もう少し生きていれば、S級同士の戦いも見れるかも知れんぞ」


 エンゾは背後を振り向くことなく、カミュに言った。

 カミュはわずかに首を上げ、新たな来訪者を確認すると、力なく笑った。



 「物騒ですな。私は『腕輪の魔術師』が受けた依頼の顛末を見に来ただけですよ。やはり、カミュ君でしたか……」



 S級冒険者にして、ユリジア王国における冒険者ギルド機構のトップ。ギルド長のダグラス・シーバーであった。

 ダグラスがカミュを見る目は冷ややかだ。


 「まさか、お主が黒幕ではあるまいな」


 「それこそ、まさかですよ。とにかく、そうやっていつでも魔術を展開出来るぞと、プレッシャーを掛けるのを止めてください。話も出来ません」


 「ダグ、こやつに用があるなら、さっさと話すが良い。もうすぐ死ぬぞ」


 「いえ、別に話すことはないんですが、一応、エンゾ殿にも伝えておきます。どうしてエンゾ殿とここで戦闘しているのかは置いておくとして、彼はカミュ・ギルバート。ホラントの冒険者ギルド支部長です」


 「……」


 カミュはすでに身体をピクリとも動かせなくなっていた。石化を免れている右耳がわずかに動いた程度。


 「ほう」


 エンゾはなるほどと納得した様子。


 「たまにホラントのギルドに顔を出していると聞いていたんですが、本当に知らなかったのですね」


 「バッソ盗賊団の斥候だと思っておったが、意外に出来るから、何者かと思っておったところじゃ。支部長就任式にも出とらんし、あまり冒険者稼業に興味もなくての」


 「実はエンゾ殿にはお願いがあって、ここまで来ました。判明していることを申しますと、彼は大バロウ帝国のスパイで、バッソ盗賊団の実質的なリーダーです。近々、動く予定だったのでしょう」


 「こやつがスパイだとして、わしに何の関係があるんじゃ? 黙っておいてくれと言うのなら構わんぞ。大して興味もない」


 「ぷふふふ。いや、本当に。何というか、さすがです。小さな世事に右往左往しているようでは、『英雄』は勤まらないということですな。おっしゃる通り、エンゾ殿にはあまり関係がない。ですので、彼のことは黙っていてもらいたい」


 「一応聞くが、ギルドの信用問題か?」


 「その通りです。知っての通り、冒険者ギルド機構は世界を股に掛けた組織です。国家とは独立した組織であり、だからこそ、築き上げた信用もある。同じような巨大組織はエドラ正教以外にはありません」


 「つまり、その巨大組織が大バロウ帝国に肩入れしていると広まれば、各国で大問題になると」


 「はい。どこの国にも属さない独立した組織だからこそ、ここまでの巨大組織として発展出来たのです。エドラ教皇国という、『国』を持つ組織とは、そこが違います」


 圧力に耐えかねた骨が、グシグシと嫌な音を立てる。

 この時、既にカミュは死んでいた。強化に回していた体内魔力が尽きたのだ。

 それでも、石化は止まらない。ゆっくりと周囲の土を巻き込み続けている。


 「しかし、これは酷い。処刑用か拷問用の魔術ですか?」


 「何の。そやつが雷に撃たれる前に、術を中止したからじゃ。予定では苦しまず、一瞬で黒焦げになるはずじゃった」


 「そうですか。一応は支部長クラスの実力はあったのでしょう。まぁ、いずれにしても、冒険者ギルドとしては特定の国に肩入れした事実はマズいのですよ。例え、それがカミュ・ギルバート個人の背信だとしても」


 「まぁ、こやつ一人で済むとも思えんが、好きにしたら良い」


 「これは手厳しいですな。しかし、このまま放置していれば、ユリジアとレンブラート公国は戦争に突入していましたよ。下手をすれば、調停者気取りの大バロウ帝国が乗り込んで来て、ユリジアもレンブラート公国も植民地化していたかも知れない」


 「何じゃ、戦争は中止か? それはヒロトもガッカリするじゃろう。戦争デビューと意気込んでおったからのぅ」


 「なっ、何を――」


 一瞬、何かの聞き間違いかとも思ったが、もちろん聞き間違いではない。ダグラスは「何を言い出すんだ、この(ジジイ)は!」と言いそうになったが、必死で言葉を飲み込んだ。


 いくら何でも、S級冒険者として言って良いことと悪いことがあるだろうと。

 仮にも身分は一代男爵なのだ。

 それも、ユリジア国王に叙爵され、貴族年金も受け取っている。もし戦争になり、国王が徹底抗戦を宣言すれば、一般人の被害も甚大なものとなるはずだ。

 ダグラスはエンゾも、弟子のヒロトもどうかしていると思った。


 ダグラス自身、ユリジア王国の人間ではないし、ギルド長として、冒険者ギルド=世界的な組織に属している以上、ユリジア王国に特別に肩入れすることは出来ない。すれば、カミュ・ギルバートと同じ轍を踏むことになる。王国に傭兵を希望されれば、冒険者を提供する程度だろうか。

 しかし、それでも、駐ユリジア王国・冒険者ギルドの代表ともなれば、避けられぬ義理はあるのだ。


 大バロウ帝国は超大国である。

 戦争になれば、ユリジア王国は滅びる。仮に戦争にならなかったとしても、それは王族や貴族が一掃されることを意味し、ユリジア王国は併合されるか、植民地になるだろう。

 両国には、それほどの戦力差があった。エンゾもヒロトも、それを望んでいたとでも言うのだろうか。


 「まぁ、その、お願いは以上です。とにかく、口外はなさらないで頂きたい。この借りは、バッソ盗賊団の討伐の報酬に色を付けさせてもらうことで換えさせて頂きます。いっそ、バッソ盗賊団はこのまま私が追い詰めて、『腕輪の魔術師』が達成したことにしても構いませんが」


 「盗賊団なら、もう、今頃ヒロトが討伐していると思うぞ」


 「!!」


 ダグラスは村で確認した。

 『腕輪の魔術師』が村に入ったのは、昨日である。昨日の今日で、どうしてそんなペースで討伐が可能なのか。『腕輪の魔術師』はエンゾとヒロト、二人のパーティーのはずである。


 「わしはこれから廃坑跡に行く。ヒロトは地竜の解体も知らんじゃろうし、ソランが怪我でもしたら大変じゃ。途中で連れを二人ばかり拾って廃坑に向かうが、お主はどうする?」


 「一応、責任もありますので、お供させて頂きます」


 ソランの名は初耳だったが、村で聞いた子供の魔術師のことだろうか。他に若い女が二人いると聞いている。途中で拾うという二人のことだろう。


 「良かろう。あと、これは?」


 「失踪して行方不明ということにします。死体は私が処理しましょう」


 エンゾが石化を解くと、ぐしゃぐしゃの肉塊と化したカミュの死体が、ゴロリと出てきた。


 ダグラスが超高温の火炎球で包むと、後にはただ炭化した何かが残されたのみとなった。

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